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其の陸:迦楼羅ノ炎

 旧綾瀬家。綾瀬幽刃の襲撃により力を無くした綾瀬家が売り払った屋敷は金のある商人に売られ、現在はその子孫が所有している。

 だが、ある日を境にそこに住む住人は大量に増えた。綾瀬幽刃が侵入し、そこに住む人々を襲って屋敷を奪ったのだ。その家族と「影男」の被害者は彼の実験に使われた。その実験というのは被験者の精神を侵して「鬼」をとりつかせるというもの。結論から言うと、被験者は全員「武吏虎」と同じように幽刃に忠実な「鬼」となった。

 午後四時半。西日が強いこの時間帯に、主に真夜中に仕事をする一団がその屋敷の近くに集まっていた。――鬼塚幽人と篠崎家の「祓い人」三十人だ。その三十人は、当主である佐紋や次期当主である友哉も含まれた精鋭ぞろいの一団である。

 選ばれなかった他の篠崎家の「祓い人」も何もしないわけではない。いくつかの組に別れて、屋敷の周囲に結界を展開する役目を与えられている。

「結界の展開が完了したようです。いつでも突入可能です」

「了解。各員、武装を展開」

 結界が張られたことで安心して自分たちの力を全力で使えるようになった。それぞれが精神を集中し、各々の式神を本来の姿に変えて武器とする。幽人もすでに紅緋色の刀を担いで、戦意を高めていた。

「では、参るか。――突撃」

 佐紋の合図で「祓い人」は屋敷の門をこじ開けて一斉に中へと入っていく。その先では彼らの予想通り、三桁を上る「鬼」の群れが待ち受けていた。

 式神を武器に変えて「鬼」を祓いはじめる「祓い人」に紛れながら、幽人は単独行動を開始。一番の目的は百合と珠美の救出。目的までの道標は自分の直観だけだが、それだけで十分。自分ならどこに百合たちを置くか、感覚的に足を動かす。

「どうやら当たりと見てよさそうだな……」

 足を止めて見上げるのは昨夜より一回り大きくなった「武吏虎」。そしてその奥に見える二階の一室。その部屋にいくつかの人影が見える。

「さて、覚悟を決めるか」

 地を揺らす咆哮を聞きながら、幽人は紅緋色の刀を両手で持って手首を返して自分の胸に切っ先を向ける。ここまで来た以上、傷も負わずにことを終わらせるのは不可能。むしろたとえ命を失っても成功できると限っていないのだ。ならば、多少のリスクを抱えてでも、目的を達成できる可能性を高める方が良い。

 そう結論づけ、幽人は刀を胸に突き刺す。

ついの太刀――()()()

 幽人の声を合図に、背中から飛び出した刀の切っ先が二つに割れ、それぞれが紅い炎となって燃え上がる。それは翼を象り、実際に羽ばたける力も持っていた。さらに胸と刀の接点からも炎が燃え上がり、

幽人の身体全体を包み込む。

 両手を広げると刺していたはずの刀がなくなり、翼以外の炎も風が吹いたように消える。再び露わになった頭にはいつの間にか鳥を模したような金色の仮面を被り、身体も金色に輝いていた。

「準備はしていたが、実際に使ったのは今回で初めてになるのか。ま、出来れば使いたくない類のやつだし」

 幽人がそう言ったのは、これが通常の憑依武装とは違い、身体すべてに式神を憑依させるため。形態としては「憑依武装」より「鬼」の方が適切なのだ。それなりのリスクがある分、秘めたる力もそれ相応のもの。

 それくらいしなければ目的を達成することは敵わない。そう分かったからこそ、初めて使う気になれた。

 軽く助走をつけながら両翼を大きく広げて羽ばたかせる。風圧が大地を叩く反作用で身体が浮き上がり、足から噴き出す炎を用いて空中で静止。姿勢制御も体の至るところから噴き出す炎で自動的に制御。幽人は自由に空を翔ることが可能になったのだ。

「さて、いくか」

 翼を羽ばたかせて「武吏虎」へと一直線。右腕を振りかぶりながら一気に距離を詰める。後はその拳を振りぬくだけ。

「……よっと」

 「武吏虎」の目の前まで近づいたところで、幽人は突然拳を真下に向ける。そこに溜められていた炎はそのまま真下に放出されて彼の体を押し上げた。「武吏虎」の真上に上がった幽人はそのまま屋敷の二階に向けて飛びはじめる。

 今回の最優先事項はあくまで百合と珠美の救出。「武吏虎」を前にして止まっているわけにはいかない。

 それに「武吏虎」――ヴリトラを相手にするに最も相応しい男がこの場に味方としている。彼の力は幽人自身が嫌というほど知っていた。

「本当に勝手に行動されてしまうと、こちらが困るんだけど……遅めの反抗期というやつか」

 赤翼を羽ばたかせて飛んでいく幽人を見上げながら篠崎友哉は溜め息をつく。指揮を父親に任せて息子だった男を追いかけてみれば、厄介なものを押し付けられるかたちになってしまった。思わず苦笑が漏れるが不思議と嫌な感じはしない。思い返せば勇刀だった頃はあまり我儘を言ってくれていなかった。やっと我儘を押し付けられて少し嬉しかったのかもしれない。

「憑依武装――帝釈天たいしゃくてん金剛杵こんごうしょ

 そう一人考えながら、右手の御札に霊力を注ぎ込んで本来の姿へと変える。両端に槍のような刃がついた短い棒状のそれはその名の通りの金剛杵で、帝釈天の名に相応しい雷の力を秘めていた。

 帝釈天のもととなったインドラこそがヴリトラを撃退した神。どうせ再現するならば、できれば正々堂々と戦って打ち勝った方の説にしたいところ。

「さて、ヴリトラハンにでもなってみるか」

 幽人が考えていた「武吏虎」を相手にするに最も相応しい男というのは彼の兄であった篠崎友哉だった。





「ん……ここは?」

 屋敷の二階の大広間。そこの柱に百合は白い蛇のようなものに括り付けられていた。まだ幽人に霊力を受け渡していないので、昨夜と同じ本来の「鬼」の姿だ。

「気分はどうだ。少し懐かしいだろ」

「最悪。というか、ここのことなんか何百年前も前なんだから憶えてるわけないでしょ」

 一見穏やかに見える会話もどこか壁が感じられる。それは百合が幽刃を敵として完全に認識しているためだ。

「口調、だいぶ変わったな」

「そりゃ長い間いろんな人の身体移り変わってきたから時代時代に合わせて変えてきたわよ。もっとも、今のこれも完璧に合ってるとは思わないけど。というか、それはあんたも同じでしょう」

「そうだな。違いない。まあ、お前と違って俺は『鬼』に堕ちなかったわけだが」

「『鬼』に堕ちていないんじゃない。その自覚がないだけ」

「お前が何と言おうと、俺は『祓い人』だ」

「そう思いたいだけでしょうが」

 実際、数回言葉を交わしただけで互いに睨みあうかたちになった。幽刃としてはあまり敵意を向けたくはなかったのだが、今の状況では仕方ないと受け入れることしかできない。

「はぁ……百合、この女知ってるよな」

 埒が開かないとばかりに溜め息をこぼした後、幽刃は百合の隣の柱を指さした。促されるようにその方向を見た百合の表情は一変する。

「珠美……あんた一体何をした!?」

 そこには逃がしたはずの珠美が自分と同じように括りつけられていたのだ。胸が一定の周期で動いているので生きているようだが、意識がないらしく真下を向いたまま動かない。

「そういや、今のこの女の名前はそうだったな。お前ら本当に仲良かったみたいだな」

「何が言いたい?」

「でも、それってこの女が珠姫の生まれ変わりだったからじゃないのか」

「えっ、珠美が珠姫様の……」

 揺さぶりを掛けるつもりで言ったであろう幽刃の言葉は、百合には衝撃の事実だった。よく振り替えれば確かに二人はどこか似ていたように思える。

「何だよ、知らなかったのか。この女の特殊な霊力は前世から引き継いだものだったんだよ。まったく思い当たりがないわけじゃないだろ」

「そんなまさか……」

 口では否定するようなことを言おうとするが、彼の言う通り思い当たることが多くて言い切ることができない。むしろ、真実だと認める気持ちの方が大きかった。二人とも何らかの特殊な霊力を持っていたのは確実で、一見気弱だけど妙に芯の通った部分はそっくりだ。

「その力というのはな、『霊的な力や存在から一部だけを抽出してその性質を増幅させる』ってものだ。この『霊的な力や存在』っていうのがまた範囲が広くてな、式神や人間の魂にも適用できるんだ。――応用すれば、人間の煩悩とか負の感情を増幅させて半強制的に『鬼』を憑かせることも可能なんだよ」

「それが目的?」

「目的というより……手段だな。そうやって『鬼』を増やして初めて舞台が整うんだ。俺とお前の二人だけが生き、二人だけが死ぬ。そうやって終わる物語の舞台が」

 妙に芝居がかった幽刃の姿はイカれたピエロのように見えた。自己陶酔しているような振る舞いはどこか不完全で歪だ。何かが欠けたような、ここに来るまでに失ってしまったような。

「仮に珠美がそんな力を持っていたとしましょう。でも、あの娘が素直に協力すると思う?」

「そうさせるまでのこと」

「珠美の力がそこまで広範囲に振るえるほどのものとも思えないけど」

「最初はあの女自身のその力を増幅させれば、効果の範囲は広がる。他にも霊力の供給手段はいくらでもあるんだ」

 自信を込めて語るその言葉には当然珠美に対する配慮はない。罪のない人間を目的のための道具にすることに何の躊躇いもないからこそ、そんな態度が取れている。

「さて、そろそろ小娘には起きて頂いてもらおうか。あとは『鬼』なり何なりにして傀儡とすれば、やっと始められる。やっと、やっとだ。『祓い人』として生き、『祓い人』として死ねる。過去などどうでもいい。これから実現する未来こそがすべてだ」

 未だ意識のない珠美の顎に手を当てて幽刃は軽く笑う。待ち望んだ「とき」がやっと始められる。そう喜ぶ感情が彼の表情から嫌というほど溢れていた。

「おっと、少し興奮しすぎたか。こういうことは確実に冷静にやらないと、な。……まずは式神を変化させたこの刀を半実体化させたかたちで刺す。で、それから俺の魂を流し込んで精神に干渉――」

 いざ自覚するとかなり恥ずかしくなったようだ。冷静になるのも兼ねて、幽刃は珠美を起こしたあとの手順をもう一度おさらいする。百合に目の前で聞かれていようがこの際気にはしない。むしろ聞いてほしいくらいだと幽刃は思っていた。どうせまともに残るのは自分達だけだと考えていたからだ。

「――『鬼』に憑かれるのは精神が弱っていたり隙があったりするから。本来、人間は精神の持ちようで『鬼』を祓うくらいの力はあるんだが、多くの人間がそこまでできていないから実質不可能とされるわけだ。……おっと脱線脱線。つまるところ、俺がこの娘の精神を特上の『鬼』が憑きやすくなるほどにひしゃげてしまえばいいってことだったな。精神攻撃は基本ということだ」

 少し落ち着けたがやはり感情の昂ぶりを完全に抑えるのは不可能。だが、幽刃はむしろ、そうしてしまえばせっかくの楽しみが楽しみでなくなるのでこれくらいでちょうどいいと結論づけて本題へ移る。

 くいっと珠美の顎を上げて瞼の閉じたその顔を真正面から見る。さて、どうやって起こすべきか。西洋のお伽噺ではキスなどがベターだが、生憎彼は自分の唇を捧げる相手はただ一人だと決めているので、頭に浮かんだ瞬間にすぐさま却下した。

 となれば多少乱暴だが確実に起きる方法でいいだろう。どこでもいい。そこそこの衝撃を与えて目を覚まさせる。右手の指をぴたりとそろえて珠美の左頬を軽く叩く。反応がないのを確認すると、少し広げて勢いをつけるための間隔を確保。静かな一瞬の間をおいて、一気に彼女の頬に向けて振りぬく。

 その瞬間、外とをつなぐ障子戸が木端微塵に砕け散り、不自然な熱気が部屋全体を包み込んだ。

 もちろん、幽刃のビンタの反動ではない。せいぜい今まで寝ていた小娘一人を強制的に覚醒させる程度の威力なので到底無理である。

「――やっぱり俺もこういう高いところで自分の間近に置こうとするだろうな。地下は嫌だし。その気持ちはよく分かるよな。……え、綾瀬幽刃さんよ」

 それは金色の鳥人と化してこの部屋に突っ込んできた幽人の仕業だった。仮面に隠れて見ることはできないが、その口調や纏う雰囲気から彼が完全に激昂していることは容易に推し量れた。

「その通りだ。鬼塚幽人――いや、篠崎勇刀。俺の生まれ変わりそこないの劣化コピーさん」

 それは珠美から手を離して幽人に視線を向けた幽刃も同じ。最悪のタイミングでの乱入者はかなり気分が悪い。

「やっぱり俺や優梨について知ってたんだな」

「そう、三年前にお前らを見つけてからちょっと調べさせてもらった。胸糞悪いが有益な情報だった」

 同族嫌悪というのか、この二人はどんな出会いかたをしても今のように敵意をぶつけあっていたであろう。

 自分とよく似た趣向。自分とよく似た傾向。自分とよく似た思考。

 多すぎる共通点は目障りに感じ、少ない相違点をより引き立たせる。

 優梨に寸でのところで踏みとどまらされた幽人と、百合を手にかけて止まれなくなった幽刃。似たような魂を持った二人のそれぞれ違った道はここで交わる。

「で、ここまで来てどうするつもりだ、劣化コピー。百合と小娘を渡す気はないぞ」

「そうだな……お前を倒すのが一番正攻法かつ王道なんだが、な」

 返答と合わせて幽人は両翼を大きく羽ばたかせ、炎で象った羽を飛ばす。散弾のように撒き散らされるそれは幽刃を狙ったように見せて、奥の二人を狙ったもの。柱に固定している蛇を焼くのが目的。

 だが、幽刃より前のところで突然出現した水の壁に阻まれ、すべて鎮火してしまう。

「そうしたいならそうすればいい。何ならこっちからしかけようか」

 難なく対処されて幽人は小さく舌打ちを漏らすが、そんな余裕もすぐになくなる。幽刃が右手に彼の式神らしき水色の刀を出現させたのだ。

 警戒心を高める幽人だが、直後にそれが一気に消し飛ぶようなものを目撃することになる。

「ついでに良いものを見せてやる。俺のとっておきの技だ」

 不敵な笑みを浮かべた幽刃は突然、両手で構えた刀の向きを変え、その切っ先を自分の胸に向けた。その姿勢は「迦楼羅」を発動させる幽人の直前の姿と完全に一致している。

「まさか……」

 驚嘆の声を漏らす幽人の前で幽刃は刀を一気に自分の胸に突き刺す。直後に突然彼の真下から水の渦が発生し、彼の体を包み込む。

「憑依武装(つい)式――()(とう)(りゅう)(おう)()(しゅ)(きつ)

 再び姿を見せた幽刃の下半身は蛇のように長い一つの紐のようになって、とぐろを巻くかたちで静止していた。また、背中から千もの蛇の頭が生えていて、鳥人となった幽人よりも人間離れした姿に見えた。

「ヴリトラに一昔前の暴走族みたいな当て字していたからどんな奇怪な名前かと思ったら、八武衆の一つである八大竜王の和修吉。……嫌でも発想は似るものなのかね。その発動手順も含めて」

「そういうこと。じゃ、始めようかっ」

 言いたいことを好き放題言わせたところで、幽刃は一気に距離を詰め、幽人を巻き添えにしながら外へ飛び出す。その勢いに幽人は一方的に押されて、炎の羽を数枚散らせながら呆気なく吹き飛ばされる。幽刃自ら飛び出したところでこの部屋に百合達を放置するかたちになってしまったが、幽刃はそれを加味した上で飛び出していた。なぜなら、幽人も幽刃の理想を体現するための要素として必要だったからだ。

「とっとと俺の式神を解放しろ、ストーカーっ!」

「百合はお前ごときの隣にいるべき奴じゃないんだよ!」

 陽がだいぶ落ち、夜の闇が少しずつ広がりはじめる空。そこでぶつかりあう鳥人と半人半蛇。爪が切り裂き、翼が熱風を放つ。尾が打ち払い、牙が毒の霧を噴射する。互いに食らいあおうとする容赦のない敵意のぶつけ合いは、迦楼羅衆と竜衆のそれぞれの起源であるガルダとナーガの関係を彷彿させる。神話と違うのはガルダと相対しているナーガが彼と同等以上の力を持っているということ。古代インドの叙事詩に記される乳海撹拌において、吐き出した毒で世界を滅ぼしかけたナーガの王(ラージャ)のヴァーシュキ。それがもととなった和修吉の名を語るに相応しい力を今の幽刃は持っていた。

「死人が出しゃばってんじゃねえ」

「その死人と同じ時間を生きた女と一緒にいたのはどこのどいつだ? 俺がいるべき場所にずっと居座っていたのはどこのどいつだ?」

 幽人が両翼を大きく動かし、炎の羽を一気に放つ。室内のように手加減する必要もなく、そうするべき状況でもそうはできないほどに戦意が高まっている今、放たれる羽の量は先ほどの五倍以上になる。それはむしろ豪雨のようで、炎の雨が幽刃の周りだけ異常気象が発生しているようなものだった。

 だが、当の幽刃は一切慌てることなく、室内のときより厚みをました水の壁を前方に生成。半分ほどをそれでしのぎ、残り半分は蛇に毒を吐かせて、適宜消滅させていく。単純な作業に思えるがその量は尋常ではなく、対応する速度も人間の反射神経を明らかに超越したものだった。

 粗方の羽を消し去って残りが指で数えるほどになったところで、幽刃の前方にある水の壁に横一閃の切れ目が入り、そこから壁が蒸発して消えていく。そして、目の前に現れるのは両手に棒状に形成した炎を持つ幽人。水の壁はおそらくその炎で切り裂いたのだろう。幽刃は蛇に毒の霧を吐かせるが幽人の両翼が巻き起こす風に吹き飛ばされて意味をなさない。そのうちに間合いに入った幽人は振りかぶっていた二つの炎を一気に振り下ろす。

 幽人が浮かべるのは勝利を確信した笑みではなく、舌打ちを圧し殺した睨みつけるような表情。炎は幽刃が数多抱える蛇のうちの一割ほどに受け止められていた。そして、そこに紛れて水色の刀をくわえた蛇が一匹飛び出しているのを幽人は見逃さなかった。翼を大きく羽ばたかせながら足から炎を噴出して一気に間合いを切る。わずかにタイミングが遅れて左の翼を浅く斬られたが、少しも気には止めない。

 十分に間合いが取れたところで両手の棒状の炎を同時に槍投げのように放り投げる。それ自身がブースターを兼ねている炎は速度を一気に上げ、一息つく前に対象に到達。幽刃が反射的に蛇を身代わりにしたため彼自身の身体が焼け焦げることはなかったが、一割の蛇が消し炭と化した。

「俺が死人ならお前は紛い物の贋作だろうが。紛い物(デッドコピー)本物(オリジナル)相手に勝てると思ってるのか?」

「紛い物とか本物とか知ったことか。俺はあくまで俺だ。お前が許せないから俺がお前を倒すだけだ」

 苛立ち、怒り、憎悪。あらゆる敵意の感情を乗せ、目の前の相手にただぶつける。最優先の目的などとうの昔に二人の頭から吹き飛んでいた。目の前の自分とよく似た相手との決着をつけなければ、どちらもその先へ進めそうにない。

 勝つか、負けるか。食うか、食われるか。

 至ってシンプルな分岐点で、二人は互いの全力の力を振るう。幽人は右の翼の半分をもがれ、毒で体を覆う金の装甲が三分の一ほど失った。幽刃も千あるうちの半分の蛇の頭を失っている。互いに傷を負いながらも、それでも戦うことを止めることはできない。先に一瞬でも戦意を捨てた方がその瞬間に負ける。そう分かっているから、すべてを賭けてでも武器を振るう。

 決着がついたのは、実に百八回目の激突だった。





 

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