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其の弐:不意ノ襲撃

「今日はなんだか駄目な日だったなあ」

 ビニール袋を持って夜道を歩きながら、珠美は一人呟いた。優梨の忠告を無視してわざわざそんなことをしているのは、宿題のレポートを書いていたら用紙がなくなったからだ。珠美自身はwordで書きたかったのだが、担当の先生が手書き以外認めないというスタンスだったので仕方ない。が、そのおかげでわざわざ外に出なくてはいけないのは気に入らなかった。昼間の件で精神的に参っているので、さらに面倒臭く感じる。

「まあ、こんなの渡されるくらいだからなあ。しっかりしないと」

 なんとなく鞄から一枚の御札を取り出して呟いた。これは「鏡の鬼」の事件の数日後、優梨から自分が特殊な霊力を宿しているなどと言われて、訳の分からないまま護衛代わりにと押しつけられたものだ。詳細は再度聞いてなんとなくは分かったが実感はいまいち沸かない。「鬼」の恐ろしさに関しては身に染みているものの、「蜘蛛の鬼」より厄介なことになるとは思えなかった。あくまで自分は平々凡々か少し下の一般人だと珠美は考えている。特殊な霊力など持っての外。

「――そう思っているのはあなただけ。いい加減認めなさい」

「そうかもしれないけど……どんな力かもよく分からないし、優梨や幽人君みたいなことができる訳でもないし……」

 珠美を諌めるような声は彼女にしか聞こえていない。だから、仮に周りに誰かがいた場合、珠美が独り言を言っているようにしか見えていないだろう。尤も、それを考えてわざわざ人通りのない道を選んだのだが。

 その声の正体こそ、数か月前に珠美自身がとり憑かれた「蜘蛛の鬼」。本来の姿を現した優梨ーー正確にはその身体を使っている鬼ーーに木っ端微塵に砕かれたのだが、「鏡の鬼」と戦ったあの時期にいつの間にか復活していた。とは言っても、珠美の特殊な霊力によって復活したため、珠美を乗っとる力も意思も残っていなかったが。

「第一、渡されたこの御札もどうやって使うか分からないのよ。仮に襲われても、結局何もできそうにないじゃない」

「まあそうね。ずぶの素人が扱えるようなものではないだろうし」

 どれだけ優れているものがあっても、それをうまく扱えなければ結局は無用の長物。護衛として渡されてもどうしようもないではないか。

 持て余すように呟いて、御札をひらひらと軽く風に晒してみる。頼りなく風に流されるその様がさらに珠美を不安にさせる。

「はあぁ……ん?」

 盛大に溜息をついたところで、彼女の視線はある一点で固まる。

 そこにはぼろぼろの黒い外套を着た誰かが道路の脇に腰かけていた。一瞬、ホームレスのように見えたが、よく見れば何か違う。存在が虚ろとでもいうのか、なんとなく人間ではないように見えた。

「あれってまさか……」

 ここで真っ先に浮かんだのは、今日秋人が話した「世捨て人」。行方不明者がその前日に会ったという噂の存在。

 額から汗が落ちる。彼の周りだけ空間が歪んでいるように見えてしまう。本能がこの場から逃げろと叫んでいた。

 無意識のうちに一歩後ずさりする。その足が何か髪に触れたような感触を得たとき、十二人目の行方不明者の話が頭を過る。――刀を刺したのは、いつの間にか後方に回っていて自転車の籠に乗っていた奴のはず。

 つまり、もうすでに背後に敵が回っていたということ。どんな手品か分からないが、完全に詰んだ。後は刀を刺されて、他の行方不明者と同じようになってしまうのか。

「えっ……とわああっ!」

 そんなことを思った次の瞬間、無意識に握っていた御札から急に煙が立ち上って珠美の背後へと回り、何者かの間へと割り込む。そこで煙は肥大化し、珠美の体を突き飛ばした。

「一体なんなの?」

「グルルル……」

 まったく訳の分からない珠美だったが、直後の獣のような唸り声で優梨の渡した御札が上手く発動してくれたのだと理解した。狼のようなその式神は優梨が「狼煙」と呼んでいたものだ。

「へえ、式神を持たせていたのか」

「な、何!?」

 急に喋ったと思ったら、口にしたのは式神という言葉だった。つまりそいつは優梨たちの側の存在だということ。標的を見失って中途半端に空中を漂う刀も霊的な力で作られたに違いない。

 声と体格からしてそいつは男だろう。ぼろぼろの外套に地面まで着きそうな黒髪。さらにぼさぼさの無精髭と陰険を通り越して陰惨な目付きは確かに世捨て人のような印象を受ける。

「あなた、『鬼?』」

「あ、俺がか? ぷっ……ははははっ」

 真っ先に浮かんだ可能性を口にすると、目の前の男は急に笑いだした。何が滑稽なのかさっぱり分からず、珠美はただ戸惑う。

「あのな。『鬼』って言うのはさ――お前の後ろにいるような奴を言うんだよ」

「えっ……うあっ!?」

 一瞬、彼の言っている意味が分からなかったが、背中に感じた風圧と熱気で嫌がおうにも理解した。反射的に横に跳んだため直撃は避けられたが、素直に喜べそうにはなかった。

 身体のいたるところから黒い炎が噴き出しているそいつの顔は蛇のようで、人ならざるものだということを強く主張していた。先ほどまで着ていたであろう外套は燃えかすと化して、爬虫類の鱗を見せつける。なるほど確かに刀を持っている背後の男よりかは化け物という言葉が似合う。

 どうやら「世捨て人」は一人だけの存在ではなかったようだ。

 鬼を使役できる存在など、珠美は一つくらいしか知らない。

「あなた、もしかして『祓い人』?」

「その通り。大正解だ」

 珠美の願い虚しく、よりによって今回の質問に肯定を返されてしまった。「鬼」を使役して人間を襲う「祓い人」などあってはならないはずだ。

「何で……」

「『鬼』から人を守るのが『祓い人』の仕事。そんなふうに思っていた時期も俺には確かにあった。だが、現実はそんな殊勝な奴は少数派だ。それだけがどれだけ時間が経とうが変わりはしなかったことなんだよ」

 どんな業界にも理想と現実が存在する。祓い人とて結局は人間なので、私利私欲のために動こうとする者もいて当然。

「さて、お前には悪いがちょっと手伝いをしてもらうぞ。お前は特に特別だからな」

「えっ……」

 間違いなく珠美に特殊な霊力が宿っていることを知っている。それを知った上で襲ってきたということは明確な狙いがあって珠美を標的にしたということ。簡単には逃がしてくれないだろう。

「これはかなり厄介な相手ね。ちょっと身体借りるわよ」

「分かった。頼むよ」

 身体を乗っ取れなくなったといっても、主たる珠美の許可を得て借りることくらいはできる。一瞬だけ珠美の周りに不自然な風が吹き、彼女が纏う雰囲気が一変する。どこか不安げな視線は消え、経験から来る自信が目元から溢れてくるようだった。

 軽く手を前に出すとその先から純白の糸が伸びる。かって「蜘蛛の鬼」と呼ばれた本質の一つであり、一番の武器だ。

「なるほど。今世でまた変わった力を手に入れたのか」

「珠美、何のことかさっぱりだわ」

「私も同じ。いったい何を知っているというのよ。というか今世ってどういうこと」

 先ほど珠美を特別だと言い、さらに変わった力を手に入れたのかとなぜか納得した。どうやら珠美のことを知っているようだが、ところどころ気にかかる単語がある。特に今世という言葉が一番の鍵となっているように珠美は思った。

「まあいいや。とりあえず大人しくしてもらう。ーーいけ、炎蛇『武吏虎』(ヴリトラ)」

「ヴアアアアッ!!」

 「世捨て人」の合図で黒炎の化け物が一気に飛びかかる。夜の闇とはまた違う黒が空を翔け、珠美の身体を借りた「蜘蛛の鬼」を飲み込もうと迫る。

「くっ……」

 直撃する寸前、「蜘蛛の鬼」は右手から糸を伸ばして近くの建物へと張り付け、さながら某アメコミのヒーローのように三次元的な軌道を描いてダイナミックに退避。壁に張り付き眼下の敵を睨み付ける。

 標的を逃した「武吏虎」はすぐさま「蜘蛛の鬼」の方を見上げる。彼女の姿を視認するとケダモノのような雄叫びを上げて跳躍。黒炎を纏わせた拳を伸ばす。

 だが、「蜘蛛の鬼」は壁を蹴って、敢えて「武吏虎」に接近。体を捻って炎をかわし、すれ違い様に糸をその鱗だらけの腕に巻きつける。

「よし……墜ちろ!」

 簡単に強度を確認すると、「蜘蛛の鬼」はそのまま自由落下しながら糸が伸びている右手を大きく振り下ろす。身体の主導権を得てある程度制限を緩めて「鬼」としての力を振るえる今なら、糸を介して「武吏虎」を地面に叩きつけることが可能だった。

 衝撃で道路が陥没し、砕けたいくつもの破片が宙を舞う。そのなかを「蜘蛛の鬼」は落下し、踏み台代わりに「武吏虎」を踏みつけて華麗に着地。二十メートル以上の高さから落ちてきたのだが、彼女の配慮で珠美の身体にはあまり影響はなかった。

「さて、あっちはどうなってるのかしら」

 「武吏虎」が地に伏したまま動きを見せないので、一瞬だけ「世捨て人」と相対している「狼煙」の方へと目を向ける。主がいない以上本来の力は発揮できないだろうが、変わった性質を持つあの式神なら多少は踏ん張ってくれているはずだ。

「何かしら、あれは? ……まさか」

 だが、彼女が目にしたのは空中に浮いている白く濁った水の玉だった。それは大人一人がすっぽり入るくらいの大きさで、地面から一メートルの高さで浮いていた。原型は留まっていなかったが、よく見ると白い濁りは煙――「狼煙」で、水の玉が檻となっているようだった。

「あの女の式神か。悪くはないが、単体じゃあ俺には到底敵わないな」

 「世捨て人」は最初にいた位置から一歩も動いていない。言い換えれば、動く必要もなかったのだ。ただ前に右手を翳す。それだけで「狼煙」を封じ込むことができた。

「護衛がこれじゃあ意味ないじゃない」

「人のこと心配している場合だとは思えないけどな」

「えっ?」

 「蜘蛛の鬼」は皮肉げに溜息を吐くが、「世捨て人」は意味ありげに返す。「蜘蛛の鬼」は一瞬その意味が分からなかったが、その数秒後に彼の言っていることを身をもって理解することになる。

「な、何……熱っづあああっ!?」

 突然「蜘蛛の鬼」を襲ったのは、右手と足元に走った高熱。ヒーターを直に押し付けられたかのような感覚が彼女と身体の持ち主である珠美に地獄を見せる。「蜘蛛の鬼」は慌てて右手の糸を切り、靴を脱ぎ捨てて放り投げた。地面に叩き付けられた靴は黒い炎に包まれて灰と化す。

「ヴアアアッ!」

「やっぱりあの程度じゃ何とかならないのね」

 再び聞こえた咆哮が「武吏虎」がまだ健在だということを知らしめる。その身体に纏う炎は以前より荒々しく燃えていた。まったくダメージを受けていないのは明白だった。

「さて、どうしましょうか……」

 先ほどのダメージを代償に自分の糸があの黒い炎と相性が悪いことは身を持って知った。「武吏虎」だけが相手でもかなり分が悪い。さらに今回は「狼煙」を難なく仕留めた「世捨て人」までいる。状況はあまりにも絶望的だ。

 真正面に向かって勝てる見込みはないだろう。如何にこの場を切り抜けるか。簡単に背中を向ける訳にはいかない以上、下手な手は打てない。

「そろそろ諦めたか。大丈夫、『武吏虎』みたいなことにはしない。お前は特別だからな」

「へえ、不思議なくらい全然ありがたくないわね。そいつも哀れに思えてくる」

 「世捨て人」が一歩一歩ゆっくりと距離を詰めてくる。じわりじわりと逃げ場を無くすような足取りが逆にこちらの不安を煽って、正直不愉快極まりない。

 だが、それ以上に不愉快極まりないのはその最中に彼が口にした言葉の一部分。「武吏虎」みたいなことにはしないということは、「武吏虎」がもともと人間だったと言い返せるではないのか。

「行方不明者でも使ってその『武吏虎』の依り代にしたの?」

「当たらずも遠からずだな。こいつの依り代は先々月くらいに見つけた優良物件だ。こいつだけはこだわりたいと思ってたから助かった」

 大方「蜘蛛の鬼」の考えていたとおりだった。「世捨て人」は「祓い人」を名乗っていながら、式神とした「鬼」の依り代として人間を利用したのだ。調伏した「鬼」を式神としたならば御札の代わりに人間の身体を用いた方が確かに性能が上がる。それは「蜘蛛の鬼」自身も綾瀬優梨の身体を依り代としているあの「鬼」との戦いで嫌と言うほど思い知っていた。

「だから『祓い人』って嫌いなのよ。私らを好き放題扱って、さも自分達が正義みたいに振る舞う。私らは静かに人を食いたかっただけなのに」

「なんとなく分からないでもないね。最後以外は」

 かって「鬼」として「祓い人」に倒された身だからこそ言える冗談。端から見ればそんな状況ではないのだが、実際は都合が良かった。優位な立場にあるという油断からか、自分の手で仕留めることに拘って「武吏虎」を動かしていない。相変わらずぺらぺら喋りながら、ゆっくりと距離を詰めてきているだけ。

 逃げるために必要な一手がすぐそこに迫っていることを、「蜘蛛の鬼」は忘れたくとも忘れることのできない感覚で察知していた。

「さあてそろそろ終わりにしようか」

「――そうね。もう終わりにしましょう」

「……んおっ!」

 「世捨て人」の足が止まる。視線が「蜘蛛の鬼」の奥へと向く。その視線に動揺が混じったのは一瞬だけだったのは、不意に聞こえたその声が誰のものなのかよく知っていたから。

 そこにいたのは綾瀬優梨。藍色の着物に純白の長髪。禍々しい二本の角に巨大な金棒が特徴的な姿は彼女の身体を扱っている「鬼」としての本来のもの。血に染まったような瞳が「世捨て人」を射抜く。

 彼女の隣には本当の「祓い人」である鬼塚幽人もいた。紅緋色に染まった刀を持っていることから、彼がすでに臨戦態勢に入っていることは一目瞭然。

「遅すぎ。待たせた分くらいは仕事しなさいよ」

「こっちはこっちで忙しいの。来てやっただけでも感謝しろ」

 何はともあれ時間稼ぎは成功した。これで状況は好転するはずだ。そんなふうに少し落ち着けたからか、激励の代わりにそんな小言を交わすこともできた。

 ここからは「祓い人」同士で力をぶつけあう場面。自分たちは脇役に徹しよう。

「ハハッ、久しぶりだな。ユリ」

「そうね、ユウジン。――でも、ここで永遠にさよならしましょうか」

 一歩ずつ前に出て優梨は「ユウジン」と呼んだ「世捨て人」と向かい合う。彼の前では綾瀬優梨としてではなく、彼が口にした「ユリ」として戦うのが適切だ。何故なら、彼女が「鬼」と化しながらも長い間現世を彷徨っていたのは彼のためだったからだ。


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