青い目のうさぎ
お題サイト「瑠嘩の隠し部屋」(http://heartland.geocities.jp/ruca_rucca/)様から、お題「青い目のうさぎ」を拝借しました。
朦朧とする意識。なんだか頭全体がぼうっとする。体中が熱い。重いまぶたを開けると、ぼんやりとした視界には暗い自分の部屋の天井が映っていた。横目で机の上を見ると、普段は目覚まし時計の役割を果たしているデジタル時計がちょこんと置いてあった。けたたましいベルの音が聞こえないので、目をこらすと液晶に映し出されている数字を読むことができた。
『3:00 PM』
時刻は午後三時。あれ?なんでこの時間にここにいるんだ?ぼんやりとした頭で思い出す。
ああ、そうだ。わたし、風邪をひいて熱があるから学校を休んだんだった。
単純明快な答えだった。熱というのは恐ろしい、今自分が置かれている状況さえもわからなくしてしまうのだから。
まぁ…いいけど。あんなクラス、行きたくもないし。
わたしは普段、平日と土曜日の週6回学校に通う。高校生だから普通のことだけど。ところが、わたしの通う高校というのが問題だった。
わたしは中学校は公立の中学校に通って、私立のこの学校を高校受験した。電車で少し行ったところに公立の学校があって、周りにいた子達はみんなそこを受験したけれど、わたしはこっちの私立を受験した。
なぜって、家から近いから。歩いて十分くらいで行ける。他の子達は、この高校は試験が難しいからって簡単な公立を受験したけど、何が楽しくて短い時間とはいえ毎朝電車に揺られなきゃいけないのか理解できない。朝の電車は嫌だ。混んでるし、暑いし、何よりたくさんの人と顔を合わせなくちゃいけない。会話みたいなコミュニケーションが無くても、不特定多数の、それも初対面の人と顔を合わせるだけで疲れる。それにそこにいる殆どの人とはそれより後に会うことはないんだから、なんのために毎朝電車という空間にいなくちゃいけないんだろう。
歩きはいい、一人の世界に入れるから。考え事をしたり、音楽を聴いたり、こんなに一人の時間を過ごすのに最適な環境ってないと思う。試験が難しいって、そんなの勉強すればすむことじゃない。
周りの子はわたしが公立の学校に進まないと聞いて、「え~っ」というがっかりしたような声をあげた。
「ミウもこっちの高校来ればいいのにぃ」なんて間延びした声で言う子もいた。「ミウがいたらみんな喜ぶよぉ」だなんて。
アホか。
なんでわたしが、他の「みんな」を喜ばせるために行きたくもない公立高校に行かなきゃいけないんだ。それに「みんな」って誰。そうやってわたしにがっかりしたような声色で話しかけるあなたたちはわたしの友達でもなんでもなくて、ただ頼んでもいないのにわたしのそばにまとわりついてくるただの「取り巻き」だろうが。そんな仲良くもない「みんな」のことなんて知ったことじゃない。
もちろんわたしはそんな様子をおくびにも出さず、「そうだね―、でも親がうるさくって」なんて彼女たちと同じようにこれまたがっかりしたような声色を作って答えたけれど。
そしてわたしは予定どおり私立高校に進んだ。夢の徒歩通学だ。両親が喜んだのももちろん、中学の教師達も喜んだ。そりゃあわたしも行きたかった高校に合格したのは嬉しかったし、柄にもなくこれから始まる学校生活に胸を膨らませたりもしてみた。
その後が問題だった。
わたしはもともと他の子と群れるたちではないから、自分から女の子達の群れに入っていったりはしない。まぁそんな性格も、中学ではクールでかっこいいだなんて言われて、望んでもいないのに女の子達にキャーキャー言われる理由の一つだったけれど。
高校ではそれがあだとなった。いくら単独行動が多いわたしでも、自分が避けられていることくらいわかる。そして高校のクラスでは入学して早々、そんな張り詰めた空気を肌で感じた。
クラスの女子のボスに嫌われた。髪は暗めの茶色に染めた、スカートの短い、気の強そうな顔をした子。彼女の周りにはいつもたくさんの女子がいるが、あれは友達じゃなくてただの「側近」だろう。皆彼女をなにかにつけて立て、媚を売っている。そして当の彼女は周りの女の子達が友達でないことに気付いていない。馬鹿じゃないのって感じ。実際馬鹿なんだろう。
彼女はわたしに直接的に文句を言ってくるでなく、周りの「側近」たちとわたしの方を見てひそひそと言葉を交わし、わたしがそちらを見るとくすくすと、あるいは甲高い声でキャハハと笑った。それだけでなく、わたしの持ち物が次々になくなった。上履きにゴミが入っていた。机に落書きがしてあった。そして彼女たちがまたこちらを見て例のくすくすという笑い方をする。まるで小学生みたいな嫌がらせだ。陰湿な嫌がらせをする彼女たちに不思議と腹は立たなかった。ただ、軽蔑していた。安っぽい女だと思った。
そして、幸か不幸かわたしは男子にかなりもてた。自慢じゃないけどわたしは容姿に恵まれていたと思うし、成績も良かった。そしてわたしはよくコクられるのに彼氏がいたことがない。そんなの興味ないし、好きでもない男と付き合って何が楽しいのか理解できない。というか好きな人もいたこと無いのかもしれない、鈍感なだけかもしれないけど。そのことも彼女たちにとってはつまらなかったのだろう。つくづく安っぽい女だ。
まぁそんなこんなで、少し身の上話が長すぎた気もするけど、多分わたしがされていることは世間で言う「いじめ」なんだろうと思う。別にただ不快なだけで、悲しくも悔しくもない。彼女たちがわたしについてなんて言っているか知っている。なぜって、聞こえるようにわざと声を大きくして言うから。「かっこつけてる」「醒めてるやつ」「大人ぶってる」とかがほとんど。あとの二つはわからないけど、醒めてるというのは全くその通りだと思う。親にもよく言われるし、唯一「友達」といえる存在に近い存在である幼馴染にも言われたことがあるから。そんな醒めてるわたしだから、別に彼女たちへの侮蔑と疲れ以外何も感じなかった。でも、あんなクラスに行かなくてすむことに少なからず安堵している自分がいた。
いじめられるのが嫌?悲しい?
違う、「友達」がいないのが寂しい。
今まで気付いたことなんてなかったけど、こんな醒めてるわたしは意外と寂しがりやらしい。認めたくないけど。
時計を見ると、時刻は午後四時半。ぼうっと考え事をしている間にまた寝てしまったようだ。額に手をあてるとかなり熱い。明日も学校行かなくてすむかも。そんなことをぼんやりと考えていると、こつこつという音がした。
周りを見回す。最初、母親がドアをノックしているのかと思ったらどうやら違うみたいだ。
音は、カーテンの外から聞こえてきた。誰かがわたしの部屋の窓を叩いている。一軒家の一階にある部屋だから、窓を叩くことはまあ簡単なことだけど、今までこんなことはなかった。いったい誰?
カーテンを開けると、そこには例の幼馴染が仏頂面で立っていた。目で窓を開けろと言っている。少し寒いけどかわいそうだから開けてやろう。
「何?」
窓から少し身を乗り出すようにしてわたしは尋ねた。幼馴染は仏頂面をしたまま何も言わない。
なんなの?何しに来たんだこいつ。寒いから窓閉めたいんだけど。少し苛立ちを感じ始めたときようやく奴が口を開いた。
「…おまえ、今日なんでいなかったの」
「風邪ひいたから。知らなかった?」
「知るわけないだろ。クラス違うんだし」
「あっそう。で、何の用?」
「…いや、別に…」
用がないのに来たって言うのかこいつは。男子って訳のわからない生き物だとは前から思っていたけれど、まさかここまで訳がわからないとは。でも、特に意味もなくわたしの部屋に来てくれる彼に、少し胸がふわっとした感じになるのを感じた。ってなんだこれは。
「何?用がないんなら窓閉めたいんだけど。寒いし」
「ちょっと待てよ」
そう言うと彼はリュックを下ろしてがさがさし始めた。まさかクラスの担任とかからプリントを預かってきてくれたのだろうか。担任以外、わたしの休んでいる間のフォローをしてくれる人なんていないし。下を向いてがさごそしている彼に、まともな返答は期待せずにわたしは問いかけた。
「休んでるの、どうして知ってたの」
「おまえの教室行ったから」
意外とまともな返答だったから驚いた。そういえばこいつは、わたしと同じクラスの奴と同じ部活の男子に会いに毎日のように教室に来ている。
「誰かなんか言ってた?」
「バカ女達がくすくす笑ってた」
「でしょうね」
バカ女とは、こいつもわたしと同じ価値観だったか。ということはこいつと同レベルかわたしは。そう頭では考えているけれど、胸の中は、さあどうだろう。
と言うかまだ見つからないの。整理しなさいっていうの。
「…これ」
ようやく見つかった。しかし彼が持っていたのはプリントではなかった。赤く、つややかな丸いもの。
「…りんご?」
「それ以外何なんだよ。おまえ好物だったろ」
いやまあ確かにりんごは好きだけど。だからって何でりんご?最近の設定が破綻した少女漫画みたいだ。それともこいつの読んでる漫画にもこんな変なストーリーが出てきたんだろうか。
「弁当に入ってたんだよ」
やつは言い訳みたいに言った。
「入ってたって、丸ごと?」
「…そ、そうだよ」
なんだこいつ。でもりんごに罪はないし、大好物なので一口囓った。皮ごとだけど、ナイフはないし仕方ない。まあ大丈夫だろう。爽やかな甘みが口の中に広がる。
「おいしい」
「そうかよ」
もう一口囓る。とっても甘いりんごだ。
黙って口を動かしていると奴が先に口を開いた。
「…おまえ、滅多に体壊さないよな」
「うん?まあね」
「学校休んだって聞いたからもっと重い病気かと思った」
「あんたみたいなバカじゃないから風邪くらいひくって」
「なんだよそれ…まぁ、元気そうで良かったけど」
えっ?思わず奴の顔をもう一度見上げると、奴は付け加えた。しかしその顔には、表情に出すまいと必死でこらえてはいたが、しまったというような焦りが浮かんでいた。
「別に、深い意味はないから」
クールに言い放ってはいるが焦りを隠しきれていない。というかなんだそのベタな台詞は。つくづく変な奴。まあ他意はないんだろうが。
すると奴は再び口を開いた。普段は無愛想なくせに今日はよくしゃべる。
「無理すんなよ」
「え?してないよ」
「嘘つけ。いつもおまえ一人でいるけど無理してんだろ」
寂しいくせに、と奴は付け加えた。図星だった。なんでこいつはわたしの内面までわかるんだ。小学校からの付き合いだから?というかわたしがいつも一人でいること知ってたの?
「確かにおまえは外から見たら完璧な女だよ。勉強もできるしスポーツもできるしもてるし。でもそんなプライドにこだわりすぎんなよ」
「…別にこだわってなんか」
「嘘つけ」
また何も言えなくなってしまう。今まで無愛想だったのを取り戻すかのように奴はまだしゃべった。
「おまえさぁ、ほんと珍しい奴だよな。うさぎみたい」
「うさぎ?」
「いつも無理しすぎて震えてるように見えるぞ。それに寂しがりやだし」
りんご好きだし。奴は笑いながら小さく付け足した。震えてる?無理しすぎて?
そうかもしれない。わたしが普段感じている疲れやまわりへの侮蔑だと思っていた寂しさは、わたしの中で何かとても大きいものに変わって、わたしはそれに耐えきれずに震えていた。そうだ、わたしは臆病なうさぎだ。他の女の子に比べて珍しい、強がりな、青い目のうさぎだ。
「その…さ。早くよくなれよ」
「え?…うん」
「…教室行っても、おもしろくねぇから」
奴はぼそりと呟くように言ったが、わたしはそれを聞き逃すことができなかった。
「…はっ?」
今度こそ、奴はいつもの仏頂面ではなく、紅潮した顔をしていた。ついでに言うと頬も赤かった。きっと夕陽のせいではない。
そして、わたしも。体は熱く、そして頬も熱を持っていた。熱のせいだろうか。それともいつもは無愛想な奴の、こんな隙だらけの表情のせい?
わざわざりんごを持ってきた不器用な彼。そんな不器用で訳のわからない優しさに呆れながらも、嬉しいと思っているわたしがいた。
この感情。胸がふわっとするような、なんだかくすぐったい感情。ぎらぎらと、眩しいような感情。おそらく前から、わたしの胸の中に眠っていたんだろうが、今わたしはこれをはっきりと感じている。
悔しいけど、これは、きっと、そういうことなんだろう。
わたしは硬直している彼に声をかけた。
「りんご、ありがと」
「…おう。じゃあ」
呼び止める暇もなく、彼は走っていってしまった。その後ろ姿を、私はどこか眩しく、どこか寂しい気持ちで見送った。
ぼんやりと考える。彼の好きな果物はオレンジ。今度オレンジケーキでも作っていこうかな。
以前投稿した詩「かぜひきうさぎ」をもとに作りました。
りんごの花言葉は「選ばれた恋」だそうで。
最後までお読みくださりありがとうございました。
個人的にはこの後くっついて欲しいなあと笑