教会の町の花嫁
教会の鐘の音が、町中に響いた。
そんなに広くないこの町は、その隅から隅まで鐘の音が響くことで有名だ。町一番の大きな古い鐘は中心地に位置しており、その鐘から放射状に町が広がっている。ほとんど石畳の町並みは、中世のヨーロッパにタイムスリップしたような気分になる。町全体が小さいため、みんなが知り合い状態。斜向かいの同級生のほうから聴いたのだが、どうやら今日は町一番の美女の結婚式らしい。
その町一番の美女は、何を隠そう僕の幼馴染である。小さい頃からあの大きな鐘の下で走りまわって遊んだ仲だった。小さい頃からいつかは結婚するものだと思ってきた。でもそれは夢のまた夢の話で。
この町では伝統として町中の人を招待して、町全体で二人を祝福することになっている。小さい頃からずっと仲良しだったその幼馴染が町一番の美女と呼ばれるようになって、こうして結婚することになって。素直におめでとうという気持ちはあるものの、心のどこかではやはり少しはモヤモヤしているのも事実だ。きっちりとスーツを着ている今でも花婿が着ている白い衣装をうらやましがるのは、やはり心がまだ子供だという証拠なのだろうか。小学校の卒業式、後輩として卒業生を見た時に、なんて大人なのだろうと感じるのとよく似ている。視線の先にいる幼馴染みとその花婿がいろんな意味で大人に見えて仕方がなかった。
式の後の披露宴も、それはそれは華やかだった。薄い水色のウェディングドレスを見にまとった幼馴染は、まるで人魚のように瑞々しく美しい。その横に座る新郎は、表情からも凛とした雰囲気が漂っており、ふんわりと新婦を包むと言うよりも柱となって支えるといったような感じがする。この二人だったら上手くやっていけそうなのは誰もが共感するだろう。友人代表の明るいスピーチに微笑み合う二人。親族代表の泣けるスピーチに涙を流す二人。二人揃って挨拶周りに来た時、僕はどうやって二人を祝福してあげればいいのだろう。表情の作り方もわからないまま、机の端でじっと座っている僕に、二人の女声が話しかけてきた。二人とも、名前は覚えてないが昔のクラスメイトだった人だ。
「あ、来てたんだ」
髪が長いほうが真顔のまま言った。もともとよく笑うような人ではなかったような気もする。
「まぁね」
「あたし、絶対あなたと結婚すると思ってたんだけどな」
俺の返事を待たずに髪の短いほうがぼそっと呟いた。
思い出した。たしかこの二人、誰と誰がくっついてーーみたいな妄想ばっかりする暗い奴らだったような。二人の間の未来予想図に狂いが生じたというわけだろうか。なんか悪かったな。
二人との会話はその後続かず、まさに凍ったようだった。ちょっと煙草、と吸いもしないものを理由にその場を離れる。賑やかな会場の扉を閉めると、遮音性が高いのかチロチロと流れる小川のせせらぎ以外は聞こえなくなった。会場近くにはタイルの敷かれた人口の小川が流れている。小川の底には何やら青い物体がゴロゴロと転がっていた。ふと近づいてみてみると、それは青い薔薇のオブジェだった。花嫁姿の幼馴染も同じような髪飾りをしていたことを思い出す。青い薔薇の花言葉は、確か神の祝福。結婚式後の宴としては最高ではないか。多分本物ではないが、これを見ていると今回の結婚が本当に町をあげて行われているということが分かる。
ふと空気の冷たさに気づく。遠くの方にはまだ氷柱が残っている。まだまだ冬は終わらない。もしも、この小川に幼馴染がウェディングドレスの裾を持って、裸足をつけたら。不意にそんなことを思い浮かべて、自分で自分に呆れた。もうそろそろ諦めをつけなきゃいけないのに、ふとした瞬間に頭の中に一瞬現れる。もうとっくに意識していないはずなのに、どうして。氷柱を集めて檻にしたい。水のように瑞々しく、氷のように透き通るような幼馴染。誰もが認める美女。花嫁と言うよりお姫様。そんな完璧な存在を忘れるにはもう、この町を自分から離れないといけないのかもしれない。
その時、宴会場から歓声が聞こえた。拍手の量もすごい。何が起こったのだろう。慌てて会場内に戻ろうとすると、目の前から大行列がずんずん進んできた。僕は咄嗟に道端に避け、その様子を見ていた。沿道には近くに住んでいると思われる普通の一般人が飛び出すように沿道に出てきて、拍手している。俺も同じように拍手していると、人力車に乗った花嫁姿の幼馴染とその旦那さんが現れ、拍手や歓声も一段と激しさを増した。
恥ずかしそうに、でもやはり嬉しそうに手を振り返す幼馴染。マンガやドラマだったら、こういうときに無理やり花嫁を奪って想いを伝えるべきなのだが、僕には最後までそれが出来なかった。今こそ最後のチャンスなのだろうが、目の前に通りすぎて行く淡い水色をただただ眺める他になかった。
教会の鐘の音が、また町中に響いた。区切りの鐘の音はいつでも同じ音色のはずだが、今日だけは重く胸の奥にのしかかってくる。最後の鐘の音を聴いた時、道の先に幼馴染達の姿は無かった。