なれの果てWreck of Tetuzoh
「おい。へんな痩せ衰え、老いさらばえた浮浪者が門前で泣いている。カズヤ様、カズヤ様と喚いているようだ。気味悪イよ。ちょいと見ておくれ」
「そげな汚い爺は塩撒いて追っ払え。おら不潔な老人などに知り合いはいねえ」
「そういわずに、ちょっと見て。きっと施しが欲しいンだろ。あまりに哀れっぽい」
「仕方無ェの。お袋がそうまで言うならちょっくら見てくるとするか。百円もやれば立ち去るじゃろ」
和賀郡江釣子郷を統括する大庄屋伊藤一弥は大儀そうに立ち上がり、猛犬を引き連れて豪壮な屋敷門の扉を開いた。見ると襤褸に蓬髪、垢だらけの無精ひげの老翁が土下座している。犬がけたたましく吠えたてる。
「何者だ。ここは大庄屋伊藤の門前である。汚らわしい爺に用は無い。早々に立ち去れ」
一弥は老翁の足元にチャリーンと百円玉を投げる。
「一弥様。わ、私でございます。B山鐡蔵でございます。どうぞお情けを掛けていただきたく、無礼も省みず遠路遥遥やってまいりました」
「俺は鐡蔵などと言う老人は知らぬ。はよ去ね。汚らわしいワイ」
「お庭先で結構でございます。どうかこの哀れな老人の話を聞いてくださいまし。ほ、ほんの僅かの時間で結構です。ご慈悲でございます。何卒、何卒」
「煩い爺だ。仁徳で知られた俺様だ。庭へ回れ!おい、絵里。この爺に桶の水を浴びせろ。何年も風呂に入っていないようだ。臭くて堪らぬ」
「あ、ありがたき幸せ。ひ、ひいッ。ちゅめたい」
一弥は踏み台から広縁に上がり、水を被って震えている老人を引見する。
「鐡蔵とか申したな。お前一体何が欲しいンだ。金子なら先ほど投げ渡した」
「お、お金が欲しいのではございません。こちらの牛小屋か豚小屋の一角にでも住まわせていただきたいのでございます」
「たわけたことを申すな。薄汚い老人に居座られたら伊藤の沽券に関わる。ダイタイB山、いつもS絵に多量の高価な貢物をしたり、お洒落デートにうつつを抜かしていると毎度書き送って来たではないか」
「思い出していただけましたか。そ、そう、そのB山でございます。奢れるもの久しからずの理通り、今は身も心も病み、乞食に身をやつし、こうしてあちこちを放浪しております」
「見れば明らかな物乞いのホームレス。栄耀栄華を誇っていた貴様が何故斯様な境遇に落ちてしまったのか?」
「へい。アレは丁度昨年の今頃でごぜえました。嬶ぁから愛想をつかされ離縁したのまでは良かったのですが、予定した金子が其の後全く入ってこなくなりやした。金の切れ目が縁の切れ目。とうとうS絵からも別離を申し渡され、天涯孤独の境遇となりました。家からも追い出され、カイシャでも誰も相手にされず、とうとう放逐され、ホームレスとなりました。日々の食事もロクにとれず、寒さに震えるだけでなく、S絵を失った痛みは甚だしく生きる望みも失い、何度も自害しようと致しましたが、果たせません。生きる屍であります。まるで昨年の一弥様そっくりです。シカシ一弥様には戻る家も温かく迎えてくれる故郷や家族がございました。わたくしには頼るものは皆無です」
老翁は号泣し、一弥の足元に縋りつく。涙ながら老人の訴えは続く。
「絵里様にふられ生きる望みを失った一弥様を立ち直らせたのは、この江釣子の自然とご両親を始めご家族、ご親戚、ご友人の皆様の力強い度重なる励ましでした。なによりも時には厳しいが、飽くまでもたおやかで優しきこの江釣子の風景が、あれほどまでに落ち込んで自暴自棄であった一弥様を見事復活させたのだと思います。この鐡蔵も今一度生きたいのでございます」
「バカも休み休みにせい!俺がお前を救う義理が何処にあるんだ。手前エみたいな腐れ爺は肥桶にドタマ突っ込んでおっちんじまった方が世のためだ」
「ご、後生でございます。一弥様が打ちひしがれてあられた日々、毎日手紙をだして励ましていたのは誰あろう、この爺でごぜえます。本当に辛い境遇を救い出したのは実はご家族などでは無く、この爺であったのです」
「フザケルな。たった今家族友人の励ましがワシを救ったとお前ェ自身が言ったではないか・・・金が切れた途端、S絵から愛想をつかされたンは、貴様R絵とは肉体はオロカ、精神的にも何のつながりも無かったと見ゆる。十二年も付きまといながらあっけなく放逐されてしもうた。ワシがあれほどヤれと言ったのに、出来ずにいたのはドオも可笑しいと思っておった」
「今にして思えばその通りでございます。S絵はいまではセイセイしていると聞きました。斯様に汚く醜悪な爺にあのような美女が心を通わすワケも無く、己の無知を恥じるものでございます。只贈り物、貢物をすることのみが私とS絵を繋いでいたに過ぎません」
「やっと解ったのか。アワレなモンだ。それを俺に救って欲しいだと。聞いて呆れる。いいか、B山。俺はナ、簡単に立ち直れた訳じゃ無ェ。血の滲むような努力を重ねやっと此処まで来た。江釣子に戻ってから、それこそ地を這うような、文字通り泥にまみれて懸命に野菜や米を誰に教わるでもなく、たった一人で作り上げてきた。その報いで絵里と復縁、ノイローゼも引き篭もりも脱することがでけた」
「もとよりその覚悟でございます。S絵と縒りを戻せるなら例え火の中、水の中も厭いませぬ」
「あまえヨ。B山。甘過ぎる。第一お前ェが耕せる田畑は一坪たりとも存在しねえ。第二に住まいの無ェお前ェが厳しい冬を越せる訳が無ェ」
「で、ですから一弥様のご慈悲に縋りたいンでごぜえます。家畜小屋の片隅に住まい、家畜と同じ餌さを食って生き延びるのです。さすればやがて、私の苦悶も和らぎ生きる力が再び湧いて来るでしょう」
「B山。その言葉に二言は無いな。だったらあそこの崩れかけた豚小屋に今日より住まうのを許す。メシは豚の食い残しだ。着物、布団は貸さぬ。藁束で寒さを防げ」
「さ、さすが、ご慈悲溢れる大庄屋様。有り難くて涙が零れます」
「おい、拝むんじゃ無ェ。ワシはお前ェが気の毒だから棲み付くのを許すンじゃ無ェ。最近農奴が減って労働力が不足気味だ。こき使ってやる。精々働くんだ。ちょいとでもサボりやがったら、ただちに追い出す」
「ご尤もでございます。無論身を粉にして働かせて頂きます。例えこの地で倒れようとも」
「良かろう。労働時間は朝三時から夜十二時までだ。疲れてS絵のことなど考える暇は無い。その内忘れてしまう」
「一弥様。後学の為お伺いしたいのですが、一体如何なる手段をもってアノ途方も無い気鬱から抜け出せたのですか?又気鬱の要因である絵里様との別離から何故再会でき、復縁できたのでしょうか?一度は完全にふられ、旦那様は悲嘆のあまり精神に異常をきたし、重度のご病人になられた。一方絵里様は別の男性とお付き合いを始め、新たな恋愛関係に入られたと認識しております」
「鐡蔵。お前の如きゲスの輩に聞かせる話ではないがノ、問われて答えぬのは男らしくない。然らば語って聞かせよう。お前も知っての通り、昨年夏は屋敷に引き篭もり、一日中布団を被り泣いて寝るだけであった。秋口に入ると母上の脅しとも思える執拗な激励を受け、我が田圃に出、稲の手入れを手伝い始めた。刈り入れもやった。しかし精神のダメージは大きく、身が入っておらず、ただ労働に明け暮れ疲労するだけであった。今年に入り我が江釣子の類稀な麗しき自然は次第に私の心を癒し、漸く家業の農業を遣り抜いて行こうという気持ちが湧いてきたのである。超高級野菜栽培に成功し、稲作にも勢を出した。夏祭りでは宮元を務め和賀の羆神輿を打ち負かし意気揚揚と引き上げる途中、絵里に再会した。彼女はワシと別れてから、別の男と付き合うのではなく、ひたすらワシとの復縁を望み、東京に出、自らがワシに相応しい女となるべく二年の間、必死に学問をし、己が美を磨きいていたのである。コホン。で、あるからして、再開後は即激しい恋愛感情が湧きあがり、唇を合わせ、身体を交え、結婚をしたのである。どうでい。成功物語であろう」
「す、す、素晴らしい。流石江釣子を背負って立つノ男。ご尊敬申しあげます」