ユウウツ
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「先生、気分が冴えないご様子ですね?」
「ええ。あたしも何か最近気分が塞ぎ込んじゃってて疲れてるのよ。夜もなかなか寝付けないし、朝起きたらだるくてね」
「精神科や心療内科なら都内にいくらでもありますが」
「そんなところにお世話にならないといけないのかしら?」
「いえ、そういうわけでも。単に先生のご気分が冴えないと、書ける作品も書けないと思いますし」
「そうね。一度行ってみるわ。後であたしのパソコンのアドレスにお勧めの場所の住所と電話番号書いて送っておいて」
「分かりました」
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小説家であるあたしに秘書兼雑用係として付いてくれているのは、都内の大学の芸術学部を卒業したばかりの片岡研三だ。今年の三月末にいきなり都内のあたしのオフィスに来て、雇ってもらえないかどうかを懇願した青年である。一応大学の後輩ということで、面倒を見るつもりでいた。あたし自身、ノイローゼになるぐらい多数の仕事を抱え込んでいる。新聞や雑誌の連載などに加えて単行本の書き下ろしなどもしていたし、最近はケータイ小説のサイトにも自作を載せている。最初はケータイ小説をバカにしていたのが本音だ。だけどあたしの作品もとにかくアクセス数が多い。半ば天文学的数字のアクセス件数があった。だから人気取りという意味ではモバイルでモノを書くのも悪くないと思っている。もちろん巷にいる若手の作家たちや予備軍はケータイサイトなどを上手く使って、作品を発表し続けているようだったが……。
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ユウウツさは募っていくばかりだった。確かに原稿をずっと書いていても何かしら冴えない。疲れてばかりで何かが不透明な感じがする。頭は重たいし、体も鉛が入ったみたいにきつい。ゆっくりする暇が欲しいのが現実だ。一応今抱えている分の連載原稿は書くにしても、新規でスタートする分に関しては待ったを掛けていた。これ以上仕事が増えると大変だからである。作家として陣笠の時代からずっと書き続けてきた。今雇っている片岡ぐらいの年齢から。そして筆歴が十年を越え、三十代半ばになった頃、ようやく芥川賞を獲り、本格デビューを果たした。もちろん埋もれていた過去作はリニューアルされて書店に陳列され、幾分売れるようになる。喜ばしいことだった。書き続けてきたことが報われたのだし……。文壇も一定の評価を付けてくれたということだ。あたしも売れない時代、相当な作品を書いてきたし、それが晴れて読者の目に留まるということは嬉しい。だけどそれと同時に疲れてきた。特にここ数年間は倦怠しきっている。まるで何かが降りかかってくるように災難が起こった。その一つが十年以上連れ添っていた主人との離婚だったのである。確かに子供は出来なかったのだが、作家と編集者で結婚したということで関係者を集めて披露宴も行なったのだし、その当時はまだお互い若かった。今のように倦怠を覚えたことは一度たりともなかったのが本音だ。ただ、いつしか主人も若い女性作家や女性編集者と男女の関係になり、それで気持ちが離れ、挙句離婚してしまう。まあ、仕方ないといえばそれまでだったが……。
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片岡がメールで送信してくれた住所をネットの検索エンジンで検索し、ちゃんと確かめてから行った。新宿の雑居ビル内にある<新宿メンタルヘルスケアホスピタル>というところだ。受付を済ませて待合室の椅子に座っていると、
「鶴田麻美子さん」
と本名を呼ばれた。普段は作家としてペンネームの方で呼ばれることの方が多かったので当惑したのだが……。「はい」と返事して診察室へ入る。担当医は一人で、胸に<庄島孝夫>というネームプレートが付いていた。「お世話になります」と言い、一礼して室内の椅子に腰掛ける。庄島はパソコンの画面に見入りながら、
「どうなさったのですか?」
と訊いてきた。いろいろと事細かく最近の体調などを話すと、庄島が手元のパソコンに次々と打ち込んでいく。電子カルテは相当普及しているようだった。あたしも行く先々の病院でこの手のカルテを目にする。庄島はほとんどディスプレイを見ながら話し続けた。応答するようにして、感じていることや体調不良の状態を詳しく話す。そして庄島の診察が一通り終わり、
「おそらく鬱の一歩手前だったと思われます。鶴田さんもお仕事が立て込んでおられたようでお疲れだったのでしょう。仕事量を幾分減らされることをお勧めします。あと、安定剤と寝付けない夜用の頓服の睡眠導入剤なども処方しておきますので、処方箋をお受け取りになり、ビル一階の薬局にお出しください。お大事に」
と言って一礼し、次の患者を呼ぶ。庄島は三十代に入ったぐらいで医師の中では若い方だ。精神科医は何かと疲れるらしい。患者の心のカラクリを見抜くのに。待合室で持ってきていた無線式のノートパソコンを立ち上げて開き、ネットに繋いでいろいろと情報を見ながら、
〝やっぱし仕事のし過ぎだったのね〟
と思った。一応仕事量をセーブするため、今連載中の原稿を書き終わったらしばらく休もうと考えている。心身ともに疲れ果てた体は休めないと持たない。しばらくは貯めていたお金で暮らすつもりである。読者には<鬱病治療中>と一言伝えてから。病院代を支払い、処方箋を受け取ってビルの一階にある調剤薬局へと向かう。さすがに溜め込んでいた精神の疲労は日々の憂鬱さを生み出す原因なのだった。だけど庄島は「またいつでもお越しください」と言ってくれている。当分はこれで助かりそうだった。ビル一階で薬を受け取り、寒風吹き荒ぶ十月の新宿の街を歩き出す。片岡には感謝していた。こんなときに秘書から助けられるとは思ってもみなかったのだし……。
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三日後の朝起き出すと、薬が十分効いているようで、起きるのに躊躇いはなかった。こうまで変わるのかというぐらい、薬が効いていることが実感できている。起き出してホットコーヒーを一杯淹れ、トーストを一枚焼き、自宅マンション内を歩き回った。掃除なども済ませてしまって、ベッドのシーツも洗濯し、室内に干して、ゆっくりと疲れた体を休める。すでに出版社にもいくらかお休みをもらうことは昨日電話で伝えていた。やはり仕事量をセーブすることが必要だ。疲れているのが本音なので。自分のブログにもそのことは書き綴っていた。「今の連載が終われば、しばらくお休みします」と。どこかに行きたかったのだが、いつまた創作意欲が湧くかは分からない。そういった場合、いつでも仕事が出来るようにノートパソコンとプリンターも整えていた。まあ、あたし自身、大概原稿はメールに添付して送るのでプリンターはとりわけ必要なかったのだが……。片岡はいつも午前九時にあたしのオフィスがある品川のビルに来ていた。作家も個人で事務所を持つ人は結構いる。朝食を取り終わり、メイクを済ませて身支度が出来ると、午前十時前にはオフィスに出勤していた。すでに連載原稿は全て入稿済みである。当面はケータイサイトもお休みで、一日中事務所内で次の作品の企画を立てる作業に入っていた。これも仕事の一環なのだが、やっておかないと後々まずいことになる。パソコンのメモ帳に企画内容や作品タイトルなどを随時打ち込んでいく。そして作成したデータをフラッシュメモリに落とすということをしていた。キーを叩くことに変わりはない。単に創作という生みの苦しみからしばらく脱却するというだけで……。
(了)