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ハロウィンの日、また君に会う

作者: 雨青
掲載日:2026/10/06

アルファポリスにて、同作品投稿中

第一章 ーハロウィンの日にー

ー突然の誘拐ー

 10月31日。

 うちにとって、特に思い入れのある日ではないけど、それでも一応高校生になって初めてのハロウィンや。

 友達から「ハロウィンパーティーしようや!」って誘われたけど、結局断ってもうた。何となくやけど、「特に思い入れがない」というか、少しブルーな気持ちになる。

 毎年、その日が来るのが少しだけ憂鬱やった。

 でも、やっぱり何の思い出もないよな。

 今日は金曜日で、待ち望んでいた週末だったから少しだけウキウキしていた。

(やっと帰れる!)

 そう思いながら、私は早足で歩いていた。

 JKのくせに、全くそれらしいことをできていないのは何でやろ?

 学校帰りに遊びに行ったり、プリクラを撮ったり、カフェでお茶したり。

 ……めっちゃイケメンと恋に落ちて、付き合ってみたりとか。

 そんな、中学生のときに思い描いていた理想の青春の日々はどこへ行ってしまったのだ!

 ……想像と大分ちゃう。まあ、ええわ。

 駅は――正確には、町全体がハロウィンムードに包まれていた。

 かぼちゃの飾りや、仮装をした人たちで溢れ返っている。

 ――いや、大げさに言いすぎたわ。

 よくない癖や。

 実際には、ちらほら子供達が仮装している程度。


 そういえば、仮装って自分の身を守るために始まったらしいで。

 先祖だけじゃなくて、悪いのもやってくるから、その仲間に似せたんやって。

「だから思いっきり仮装しようぜ」

 なんて、子供みたいに教室ではしゃいでた。

 ーー男子って、ちょっとアホなとこあるよな。

 憂鬱なのと同時に、楽しみなこともあった。

 イベントが大好きな父が、美味しいご飯を作ってくれるのだ。

 ーーいや、そのために断ったんちゃうで?

(今年は何やろ)

 そんなことを考えながら、スキップでもしそうな勢いで帰路についた。

 もしかしたら、鼻歌も歌ってたかもしらん。


 ――見慣れた土手に、差し掛かった時だった。

「Trick or Treat?」

突然、後ろから声がした。

 ……何でちょっと笑ってるん?

 振り返るとそこに立っていたのは、黒いマントに身を包み、顔の半分を仮面で隠した、二十代くらいの青年だった。

 髪色は多分……黒。

 瞳は、アメジストみたいな神秘的な紫だった。

ー天然か?コンタクトかも知らん。

 アイドルみたいにキラキラした感じのイケメン。

 全女子の憧れです!みたいな人やった。

 そして凝った衣装だなと思って、まじまじと見つめる。

ー顔に見惚れてたんとちゃうで?

 まるで本物みたいに精巧な作りだった。

 悪魔みたいな頭には角まで生えている。


「……あれ、知らないの?」

 青年が、不思議そうに尋ねてくる。

(あ、お菓子)

 ハロウィンのルールを思い出して、学校指定のスクールバッグを漁る。

 友達からたくさんもらっていたから、まだ残っているはずだ。

「……」

 ……無かった。

 気づかないうちに落としたらしい。

 ――そんなわけあるかいな。

 心の中で、自分にツッコむ。

 ツッコんでまうのは関西人の性やな。

 今日は、体重が増えているかも分からん。

 気をつけとったのに!


「ふふっ」

 小さな笑い声が聞こえた。

 ーーイケメンは声までイケメンや。

「もしかして、ない?」

 こくりとうなずいて、「ごめんな」と言う。

 彼が仮面の奥で笑ったような気がした。

 そして――

「今日だけは、お菓子は持っとかないといけないよ?」

 それから少しだけ間を置いて。

「じゃあ……君をもらうね」

 新手のナンパか。

 それにしても、おもろすぎる。

 お笑いのセンスあるわ。芸人になれるかも。

 ――知らんけど。

 ツボにハマって爆笑している私を見て、青年は困ったように眉を下げた。

「僕は本気だよ。だって……」

 その言葉は、私には届かなかった。


「じゃあ、行くよ」

 青年が、少しワクワクしたように告げる。

「3……」

 急に始まったカウントダウンに、私は正気に戻った。

(ほんまに言ってんの?)

 ――もしかしなくても、やばい人やったかも。

 イケメンやからって許されると……うちも思ってるかも。

「2……」

 終わりや、でもちょっとイケメンに攫われてみたい。

「1」

 その瞬間に、私の意識は、ぷつりと途切れた。

 意識が途絶える最後に、青年が微笑んだような気がした。


ー攫われた先は、異世界だったー

 目を開けるとそこは――もう、別世界だった。

 深い霧に覆われた、青白い大きな三日月。

 その奥には、大きな城がそびえ立っている。

 中世ヨーロッパとか、ファンタジーの世界に出てきそうなくらい、本格的な城。

 子供の頃に一度は憧れる、お姫様が住んでそうな城で、不覚にもワクワクしてしまう。

 まるで城全体が淡い光に包まれていて、幻みたいだった。

 風なんて吹いていないのに、黒い薔薇の花びらがひらひらと舞っている。

 どこからともなくコウモリたちが一斉に飛び立つ。


 ――夢でも見てんのかな。

(絶対そうや。違いない。)

 思わず、そんな言葉が口からこぼれる。

 すると隣にいた青年が、ぽつりと呟いた。

「……そうかもね」

 彼の話によると、ここは彼の住む世界らしい。

 そして――彼は、この国の王子だという。

「…………」

 やっぱり、うち、寝てるみたいやわ。おやすみ。

 もちろん、現実逃避なんかしても、何も変わらない。

 ーー知ってたし。

 仕方なく、もう一度あたりを見回す。

 青白い月と見たこともないほど大きな城。

 そして、目の前にいる青年。

 ……どう考えても、夢やない。知りたくなかったかも〜

「…………」

「やっと、現実を受け入れられた?」

 青年が、とっても楽しそうに尋ねてくる。

 ーー恨めしいや〜

「受け入れたくないんやけど」

「そう?」

「そうや」

 うちが即答すると、青年はくすりと笑う。

「でも、ここが君の知ってる世界じゃないくらい、分かるでしょ?」

「……まあ、それくらいは?」


 うちは改めて、自分の格好を確認する。

制服。   

 ーーだんだんダサく見えてくる現象に名前をつけよう。入学したては可愛かったはずやのに。

スクールバッグ。

 ーー超微妙。普通とも言う。

スマホ。

 ーーずっと、旧型。高校生になったから新しいの欲しい。


 全部、元の世界から持ってきたものだ。

 ふと思いついて、慌ててスクールバッグからそれを取り出す。

 開くと残酷にも「圏外」の二文字。


「…………」

「どう?」

「終わった」

「何が?」

「人生」

「大袈裟だなぁ」

「いやいやいや!」

 思わず大声で叫んでしまう。

「異世界に拉致されて、スマホ圏外で、家にも帰れへんって、十分、人生終わってるやろ!」

「異世界……?」

 青年が、少しだけ首を傾げた。

「君たちの世界では、そう呼ぶの?」

「知らんけど」

「ふふっ」

また笑った。

 ……なんか腹立つわ。

「一週間後には嫌でも帰らなきゃいけないけどね」

「で?」

 私は腕を組んで、青年を睨む。

「ここ、どこなん?」

「僕の国」

「さっき聞いてんけど」

「じゃあ、僕の家」

「城やん」

「そうとも言うね」

「……」

 話が少しも進まない。

 どうやら私は、どこまでも変なイケメンに捕まってしまったらしい。

 ーーつくづく運ないわ〜


 ーーいや、そもそも人でもなさそうや。

 青年の頭に生えた角を見上げる。

「……なあ」

「何?」

「それ、本物なん?」

 青年は一瞬だけ目を丸くして――

「触ってみる?」

 そう言って、頭を少しだけ近づけてくる。思わず一歩後退する。

 ちょっと、キスされるんかと思ったやろ!

「いや、遠慮しとくわ」

「残念」

 ……やっぱ、この人、変な人やったわ。 


そこ!「類は友を呼ぶ」とか言わないように!


ー仕方なく、城へー

 青年に案内されて、その城の中へ入る。

 扉は重厚な黒檀でできていて、長い歴史を物語っているようだった。

 ゆっくりと扉が開かれるとその瞬間――時が止まったような気がした。

 見上げるほど高い天井には、色鮮やかな美しいステンドグラス。

 そこから差し込む青白い月光が、大広間へ降り注ぐように差し込んでいる。

 光の粒子は生き物のように揺らめきながら、空気へ溶けるように消えていく。

 妖艶な紫と、神秘的な銀。まるで、その二色に支配されているかのような感覚になった。宙に浮かぶ無数のキャンドルは、夜空に浮かぶ星のように瞬いている。

 生き物の気配なんて、どこにもなさそうだった。

 でも、青年が次の扉を開けた瞬間、その印象は一変した。


 たくさんの人が行き交っている。

 メイド服を着た者。執事のような服装をした者。

 皆が忙しそうに城の中を動き回っている。

 ……ただし、彼らには、一様に同じ特徴があった。

 尖った耳。

 渦巻くような角。

 大きく、今にも飛び立てそうな翼。

 異様に長い尻尾。

 ーーそう、明らかに人ではない存在だと分かった。

「――いや、ちょっと待たんかい!」

 思わず心の中で叫ぶ。

(これ、思ってる以上にヤバいんとちゃう?)

 そのとき、不意に青年が口を開いた。


「僕は、アルフォンス=ノクティア。この国、ヴェルネリアの第二王子だ」

 名乗り方に、先ほどまでとは違う王族らしい威厳を感じた。

 私も、自分の名前を告げる。

「……神谷千紘ね。やっぱり……」

「何が?」

「いや……何でもない」

 先ほどよりも歯切れが悪い。疲れてるんかもしらん。


 そして私は、聞かなければならないことを思い出した。

「なんで、私を連れてきたん?」

 アルフォンス…ーいや、もうノアでええやろ。

 ノアは、しばらく黙っていた。

 やがて、「……ハロウィンだから」と呟くように答える。

「理由になってないで?」

 うちには分かる。絶対、適当に言ったに違いないんやから。

「……じゃあ」

 ノアは少しだけ目を伏せる。

「君が、君だったから」

「…………は?」

 意味が分からん。

 そして、ぽつりと溢すように続けた。

「この世界の人だから」

「いやいや、私は生まれも育ちも日本やで?」

 私は関西を愛してやまへん。

 それなのに、関西生まれやない、なんてことがあるだろうか。

 ――いや、決してない。

 そんなことがあれば、私は軽く一カ月はふて寝する。

「そうだね」

 ノアが静かに答える。

「……今は」

「……今は?」

 その言葉に、引っかかりを覚えた。 


ー大騒ぎ、のち大ピンチー

「なあ――」

 うちがさらに問いかけようとした、そのときだった。

 突然、外が騒がしくなった。

「人間がいるぞ!」

「王子が人間を連れてきた!」

「まさか……あの方が?」

「…………」

 ――絶対、歓迎してないやん。

 ここで人生終わるかも。

 もうちょっと……いや、もっと長生きできるはずやってんけど。


 ざわめきは、あっという間に広がっていく。

ノアの周りには、次々と人……いや、人なのかも分からない者たちが集まってきた。

 彼らの言葉に、ノアは黙って耳を傾ける。

 そして――それらを聞き終えると、氷のように冷たい声が響いた。

「彼女を、傷つけることは許さない」

 誰の声なのかほんまに分からなかった。

 そこにいたのは、さっきまで私をからかっていたノアとは別人のようだった。

 重みのある声。人に命じることに慣れた者の声。

 周囲が、静まり返る。

 私はノアを見上げた。

(……この人、ほんまに王族なんや)

 初めてそう、実感した。


 大騒ぎを一瞬で収めたノアは、私に向き直る。

「ごめんね」

 そう言って、場所を変えると言う。

 異論もなかったから私はそのまま、彼についていった。

 ノアが向かったのは、彼の自室だった。

 扉を開けると、室内は思っていたよりも、優雅で落ち着いた雰囲気だった。

 ……ただ、その奥には、ベッドがあった。

(下心ないよな……?)

(…………ないやんな?)

 思わず口に出してしまったらしい。

 ノアが苦笑する。

「大丈夫。僕、そんなに飢えてないから」

 ――言い方。どういう意味やねん!もっと他にあったやろ!私にも魅力あるし!ありまくりやし!!

 一人でぶつぶつ文句を言っていると、ノアが小さく笑った。

「一応、説明しておくね」

 そう言って、彼はこの国について説明し始めた。

 ここは魔族の国、ヴェルネリア。

 魔族だからといって、人間を襲うわけではない。むしろ、人間と争うこと自体が珍しい。

「それと、王と第一王子には近づかないように」


「…………」

 ――なんか言っとる。

 ノアに悪口を言うのに夢中で、ほとんど聞いていなかった。

「それ以外は、何をしてもいいよ」

「……え?」

 ようやく我に返った、そのとき。

「夕飯の時間ですよ~!」

 廊下から、明るい呼びかけが聞こえてきた。         

 私はノアを見て、「……行っていいやんな?」と気持ち、圧をかけた。

 ノアは少し驚いたように目を見張ったあと、笑いを堪えるような顔をした。

「……うん。いいよ」

 その言葉を聞いた瞬間、私は彼の制止も聞かず、部屋を飛び出した。

「ノア、ありがと!」

 それだけを言い残して。


 ――扉が閉まる。

 ノアが一人になり、普段の静かな部屋へと戻る。

 すると途端に、ノアの表情が崩れる。

「…………彼女は」

 ぽつりと呟く。

「覚えている……?」

 けれど、すぐに首を振った。

「いや。そんなはずはない」

 彼女が自分の名前を呼んだとき。

 「ありがとう」と言ったとき。

 ほんの少しだけ、ほんの微かに、昔愛した人の面影と重なった気がした。

「…………」

 結局答えは出ず、ノアも部屋を後にする。

――その部屋の奥。

 誰もいなくなった寝室に、一枚の絵が残されていた。

 そこに描かれていたのは――美しい一人の女性。

 長い年月を経ても色褪せることのなかった肖像画。

 彼女が誰なのか。まだ知る由もなかった。


ー迷子ー

 ノアを置き去りにしたうちは、迷っていた。

 「夕食へ!」と意気込んだものの、城が広すぎた。

 すれ違う魔族に驚かれつつ、道を聞き続けること――30分。

 やっと会場に着く。

 ーー笑うことなかれ。ほんまに広かったんや。

 息を整えて、席に座る。

(この城、広すぎるやろ。マップぐらい置いといてや)

 それから少し経って、ノアが合流する。

 どうやら、ノアはいつも夕食会に参加しないらしく、会場がとてもざわついていた。

 少々困った顔で、「僕のことは、気にしなくていい」と告げて、去っていった。

 ――何しに来たんやろ?

 ご飯を食べながら、そこで色々な話を聞いた。

 魔族の食事も、人間と同じらしい。

 魔族と言っても、人を襲うわけではないこと。

 それぞれに、たくさんの個性があるということ。

 ――確かに、耳とか尻尾、全員ちゃうわ。

 そして、この城ではおよそ二百人が働いているらしい。

 ――名前覚えんの、至難の業や。

「怖い」

 そんな第一印象は、瞬く間に塗り替えられた。

 朗らかで、気のいい人しかおらんかった。

 食事が終わっても、皆でお喋りに花を咲かせていた。


 ――だから、気づかなかった。

 何人かが遠巻きにして、うちを見とったこと を。


第二章 ー異世界探検ー 

ーここについて、知ろう!ー

帰るまで、あと六日日。

 翌朝、目を覚ますと、メイドがいた。

 めっちゃびっくりして、叫んでもうた。

 そうだ、客室に泊めてもらったんやった。

 ーー最初ノアは自分の部屋に泊めるつもりやったって聞いて、ゾッとした。

 変えてくれた人に心からの感謝を!

 メイドはどうやら、お世話をしてくれるらしい。

 でも、一人でできるからと断った。

 その数分後、私は初めて見るドレスに悪戦苦闘していた。

 ――絶対、一人で着るデザインやないぞ。

 仕方なく、呼び鈴を鳴らす。

 しばらくすると、なぜかノアがやってくる。

「ごめん」

 そう言って、すぐさま去っていった。

 ――今のはアウト!覗きやったぞ!

 その数秒後、さっきのメイドがやってきて、服を着せてもらう。

「ありがとうございます」

「いえいえ。私、リリアと申します。何かございましたら、いつでもお呼びくださいね」

 そう言って、彼女は優しく微笑んだ。

 ーーお母さんみたいや。

 着せてくれたのは、めっちゃ可愛いドレスやった。

 ――多分、似合ってないわ。

 朝食を食べに向かった部屋は、昨日とは違って少し小さめの宴会場みたいな見た目だった。

 中に入って、固まる。

 なんと、ノアと二人きりだった。

 ――正確には、給仕とメイドもいたんやけど。

 気まずそうに目を逸らさんといて、こっちも気まずいんやから!

 悪いのは、ノアやから!

 長い長い沈黙。

「ごめん。覗くつもりじゃなかった」

 ――知っとるわ。覗くつもりで来とったら、ぶっ飛ばしとる。

「許す」

 その一言に、ノアは子供みたいに顔を輝かせる。

 大型犬が全力で尻尾を振る幻影が見えた。

 ――眩しい。

 それはさておき、今日はこの城を案内してくれるらしい。

 ……明日も。

 …………明後日も!

 ――この家、広すぎな?

 昨日行った夕食会の部屋。

 本がたくさん詰まった図書館。

 厨房も見た。

 ー―美味しそうな匂いがする。

 あとは、騎士が使う闘技場とか。

 まあ、たくさん。


ー庭へー

ここへ来てから、三日目。

 次の日は、リリアに外を案内してもらう。

 ――ノアは忙しいんやって。寂しいなんて少しも思ってへんからな!


 庭園が複数あって、黒薔薇も咲いていた。

 ――ここから摘んでたんや。

 そして最後は、古い庭園。

 グラティア庭園というらしい。

 本来、王族しか入れない場所らしいけど、特別に入れてもらえるらしい。

 ――やった!

 薄いピンク色の、美しくも儚い花が揺れていた。

 芙蓉という花で、なんと一日で散るらしい。

 ーー勿体ない、こんなに綺麗やのに。

 そして、なぜかピンク色の花が多かった。もちろん、他の色の花もあったけど。

 その中にお洒落なガゼボがあって、優雅に昼食をとる。

 バスケットを開けると、サンドイッチと動物の形をしたクッキーが入っていた。

 ――可愛すぎるやろ。お礼言わな。

「リリアさん、これありがとう!」

「ふふ。お気に召していただけたようで、何よりです」

 彼女は嬉しそうに笑った。


第三章 ー気になることー

 次に案内してもらったのは、王立学園。

 ここでは、年齢や身分、性別。

 何の制限もなく、ただ純粋に学ぶための場所らしい。

 一般教養はもちろん、たくさんのコースがあるんだとか。

 騎士コース、魔法コース、一般コース。

 そのすべてに、より専門的に学べる大学施設まであるらしい。

「私、ここを卒業しているんです」

 リリアは、誇らしそうに笑った。

 そんな話をしながら廊下を歩いていると、ふいに足音が聞こえた。

 歩いてきていたのはノアだった。

「遅れてごめん」

 ――いや、待ってないから、全然大丈夫。

 もちろん、口には出さへんけど。 


ー魔法にチャレンジー

 その後、演習場へ向かいながら、魔法について教えてもらう。

 「炎」「水」「風」「土」ーこの四つが基本の属性らしい。

 この四つが使えないことには、何も始まらない。

 そして、特殊属性である「光」と「闇」。

適性を持つ者は一部に限られ、主に王族のみ使えるらしい。

 ――スーパーファンタジーやったわ。忘れとった。

 ノアの魔法も見せてもらった。

 彼が祈るように、目を閉じた瞬間。

 空を鮮やかな光が彩る。

 赤、青、黄、紫。そして――闇のような漆黒。

 思わず見惚れてしまうくらい、神秘的で美しい景色だった。

 目を開けた彼は、「じゃあ、やってみよう」と言った。

 ーーいや、軽すぎ。

 見惚れたうちが、アホやった。一般ピーポーのうちが、使えるわけないやん。

 でも、リリアに杖を手渡される。

 仕方なく、ノアを真似で見よう見まねでやってみる。

 …………。

 何も起こらんかった。――×4。

 つまり、基本属性、全滅しました。

 辞めようとしたら、何故か「残りもやろう」と言われる。

 ――さっき、一部の人しか無理って言いましたやん。

「極稀に、使えることもあるかもしれない」

 ーーその極稀は、うちじゃないで。ノア、適当すぎやろ!

 渋々、杖を構え直す。まずは、闇。

 ――ノアの真似。……全く反応なし。

 ちょっと恥ずかしくなる。

 さっさと終わらせようと思って、光を試そうとすると視線を感じた。

 見ると、二人がこちらを見つめていた。

 いや、見つめるというより――食い入るように。

 ――なんか期待しとる?何も起こらんで?

 光を使おうと意識した、その瞬間。

 眩い閃光が辺りを包んだ。

 思わず目を瞑ってしまうほどの、強い光。

 次に目を開けたとき――うちはジャングルにいた。

 なんで?世界の法則狂っとる。

 ――いや、ちゃう。

 草木が生い茂り、辺りが跡形もなく変わっていた。

 隣に立つ二人のおかげで、それに気づく。

 二人は口を開けたまま、ぴくりとも動かない。

「まさか……」

 そう呟いて、固まっている。

 ――ちょっとヤバいかもしらん。賠償金とか言われたらどうしよ。うち、そんなお金ないで。

 よし、先に謝ろ!

「すいませんでした」

「ちょっと来て」

 ノアとうちの声が重なった。

 ――やば。やっぱ怒っとる。

 連れて行かれたのは、実験室。

 ――うちの逝く先は、実験台や。

 そう思って、思わず手を合わせる。

 笑われた。めっちゃ本気やったのに。

 そして、ノアが持ってきた機械に手をかざす。

 それはしばらく点滅したあと――薄いピンク色に変わった。

 二人はそれを見て、再び黙り込んだ。


 そして誰も何も言わないまま、無言で城まで歩く。

 そのまま釈然としないまま夕食を食べ、その日は眠った。


ー2回目の、不法侵入ー

 元の世界に帰れるまであと、三日。

 小鳥がさえずる、のどかな朝。

 目が覚めると、ノアがいた。

 ――うち、年頃の乙女なんやけど。ノア、不法侵入多くね?

 開口一番、ノアは告げた。

「今日、部屋から出ないで」

 それだけ言って、去っていった。

 ――は?説明は?

 次に来たリリアも、何も説明してくれなかった。

 ーーどうしよ。

 うち、じっとしてんの苦手やねんな。

 夕方までは、我慢した。

 でも、やっぱり出たくなってもうて。こっそり窓から外へ出る。

(あの建物だけ)

 そう言い訳しながら向かったのは――時計塔だった。

 窓から見えていて、なんやろって思ってた。

 正面から見てなかったから、よく分からなかったのだ。


 塔に登ると、辺り一帯を一望できた。

「……綺麗な湖やな」

 そう言った瞬間、答えが返ってくる。

「……よく分かりましたね」

 ――バレてたわ。

 振り返るとリリアは、驚いたように目を見開いていた。

 そして、ハッとする。

どこまでも続いていて、海にも見える。――というか、海にしか見えへんサイズや。

 うち、なんで湖やと思ったんやろ?

 何故か、既視感があった。見たことがあるような、そんな感じがした。

 琵琶湖にでも似てるんかな?

 ――いや、そんなわけない。

 周りを囲む木々や、小鳥は、この世界特有のものだ。見間違えるはずがない。

 そんなうちを見て、リリアは微かに口を開いたような気がした。

「……」

 でも聞き返すと、「何でもありません」とリリアは笑顔で答えた。

 部屋へ戻ろうとした、そのとき。

「……セレネ?」

 聞き慣れない声がした。

そこには、うちより少し年上くらいの青年が立っていた。

 ノアとよく似た顔立ち。

 光を反射する銀髪に、深い真紅の瞳をしてい た。

「誰、それ?」

「……いや、すまない。人違いだ」

 そう言って、青年は去っていった。

 ――セレネ。

 その名前が、妙に頭に残った。知らない名前のはずなのになぜか、胸の奥がざわつく。


 そのことが気に掛かって、楽しみにしていた夕食も上の空だった。

 それを見て、ノアが尋ねる。

「どうしたの?」

「ちょっと……色々あってん」

 ノアは、それ以上何も聞かず、食事を再開した。


 その夜は、よく眠れなかった。


第三章 ー違和感ー

ー増えていく疑問ー

 そして、ここへ来てから五日目。

 朝、目が覚めても、昨日のことが頭から離れなかった。着替えて顔を洗っても、リリアが持ってきてくれた朝食を食べても。ずっと、どこかすっきりしない。

「セレネって誰なんやろ?」

「どうしました?」

 ――やば。独り言、漏れてたわ。直さなあかん。

「いや、何でもない。それより、今日の予定は?」

「本日は、特に何もありません」

「――暇やん」

 リリアはクスッと笑って、提案する。

「では、図書館はいかがですか?」

 いいやん、と思う。うち、本好きやし。

 ――笑ったらやろ?ほんまやし!

 冗談はさておき。

(もしかしたら、「セレネ」という人物について知れるかも)

 そんな淡い期待もあった。

 図書館へ向かう途中。前とは違う道だからか、見たことのないものがたくさんあった。

 道の両側には、鎧や花が整然と並べられている。

 そこを抜けると、肖像画がたくさん飾られた廊下があった。先が見えないほど、長い。

 どうやら、歴代の王族が飾られているらしい。

 ふいに、足が止まる。

 そこには、一枚の絵が、壁に掛けられていた。

 長く、輝く太陽のような金髪。海のように深い、青の瞳。慈愛に満ちた、柔らかな笑み。

 ――何の根拠もなく、「うちや」と思った。

 色彩も、気品。何もかも、うちとは違うのに。

 振り向いて、リリアに尋ねる。

「これ、誰なん?」

 リリアは、ハッとしたような顔をする。

 しかし、すぐに取り繕うように答えた。

「昔の王族の方です」

「名前は?」

「…………」

 ――何で隠すん?

「……セレネ様です」

 そして、リリアは心底困ったように眉を下げる。

「これから先は、お答えすることができません」

 ――じゃあ、誰に聞けばいいん?

「ノア様にお聞きください」

 ――めっちゃ誤魔化されて、話進まへんねんけど。

 そんなことを思いながら、再び歩き出す。

 しばらく進むと、目の前に大きな古い建物が見えてきた。

「ここからは、メイドが交代します」

 ――リリアは、用事があるらしい。

 新しく来たメイドにも、同じことを聞いてみる。

 でも、返ってきた答えは、リリアとまったく同じだった。

 ――もしかしたら、あんまり知られてないんかな?

 これで分かったのは、セレネが「昔いた王族」だということだけ。

 彼女もそれ以上の情報は知らないらしく、申し訳なさそうに頭を下げた。

 そして、ますます謎が深まった。

 ――何で、リリアはあんなに動揺したんや?事実を答えただけやのに。


ー図書館ー

 もやもやしながら、図書館へ入る。

 本棚には、歴史書や記録書ばかり。

 ――小説、少なっ。まあ、今はええか。

私は一冊の本に目を留めた。

『ヴェルネリアの歴史』

 ――もしかしたら、何か分かるかも。

 そう思って、その本を開くと、この国の成り立ちや、これまでに起きた出来事、王族についても詳しく記されていた。

 ページをパラパラとめくっていく。

 歴代の王族について、誕生日から亡くなった日まで細かく記録されている。けれど――

「……ない」

「何がですか?」

 思わず呟いた言葉に、返事が返ってきた。

 顔を上げると、そこにいたのは司書だった。

「『セレネ』って書かれたページがないんです」

「ああ……」

 司書は、少し困ったように答える。

「セレネ様でしたら、記録がございません」

「……なんで?」

「王族によって、情報の開示が禁止されているのです」

 ――なんで?余計に気になるやん。

「詳しくは、ご存じないんですか?」

「申し訳ありません。私が生まれた頃には、すでに記録が封じられていましたので」

「……そんな前なん?」

「セレネ様は、およそ三百年ほど前の方だと聞いております」

「…………」

 三百年。――あれ?

 ふと、疑問が浮かんだ。

「……ノアって、何歳なん?」

「……ノア?」

 司書が不思議そうな顔をする。

 ――あ、声に出てた。

「この国の第二王子のことです」

「ああ。アルフォンス=ノクティア王子ですね」

 ――そうそう。本名、忘れとった。

「現在、五百歳を超えておられます」

「……ごひゃく?」

 それを聞いて、思わず固まる。

 ーーほんまに、この世界どうなっとんねん。

 三百年前の人物について調べてて、五百歳の王子が普通に存在してる。

ー時空が歪んどる。

……まあ、魔族やもんな。そういうこともあるか。

 ――知らんけど。

 そして、ふと気づく。

 うち、何で「ノア」って呼んでるん?

「アルフォンス=ノクティア」

 普通、「アル」って呼ばん?

 なのに、うちは最初から当たり前みたいに、「ノア」と呼んでいた。

何でやろ。理由は分からない。

ただ――何となく、そうとしか言えなかった。


ー再び庭園へー

 その日の夕方。

 リリアを連れて、グラティア庭園に行った。

 美しいピンクの花が、相変わらず咲き誇っていた。

ぼんやりと、流れていく雲を眺めていると――

「お前が、千紘か?」

 ――いきなり、呼び捨てにすんの?

 声の主は、銀髪に紫の瞳を持つ男性だった。   

 そして――王様の仮装をしていた。

 めっちゃ本気を感じた。一人やったけど。

 そんなわけはなく、普通に返事をする。

「はい」

「そうか。お前が……」

 彼は、少しだけ私を見つめる。

「私はこの国の現国王、アストリアン=ヴェルネリアだ。レオから話は聞いた。アルからは聞いていないが……」

 ――レオって誰やっけ?

 そう思っていると、リリアがそっと耳打ちしてくる。

 この国の第一王子らしい。

 ――そういや、自己紹介されてへんかったな。

「もし困ったことがあれば、いつでも相談してくれ」

 ―― やっぱり、王様やったんか。

 そう思った、そのとき。

 突然、後ろから声がした。

「父上。千紘に近づかないように、と伝えましたよね」

 不機嫌の絶頂みたいな声。ーーノアだった。

「しかし、レオは会ったんだろう?」

 面白がるように、王様が言う。

「は? 聞いてないけど」

 ノアはそう言って、リリアを見る。

 リリアは、申し訳なさそうな顔をしていた。

 ――この親子、こんなに仲悪かったっけ?

「……?」

 ――今、うち何て思った?

 ノアのことは、少し前まで知らんかった。

 なのに、まるで、ずっと前から二人を知っているような―― そんな感覚がした。

 ……おかしい。

 私は、再びそう確信した。

 この芙蓉という花も、見たことがある気がする。

 おもむろに、指先で薄い花びらへ触れる。


ー記憶ー

 ――その瞬間、景色が変わった。

 昼頃だろうか。

 この場所で、二人の子どもが走り回っていた。

 一人は、金髪碧眼の女の子。ザ・お姫様、といった感じの可愛らしい子ども。

 もう一人は――黒髪に、紫の瞳の男の子。

 ――ノア?

 何故か、そう感じた。

 そして、二人を見守るように、メイドらしき一人の女性が佇んでいた。

 明るい茶色の髪。翡翠のような瞳。

 ーーどうやら、リリアのようだ。

 女の子は、男の子から花冠をもらって、嬉しそうに笑っていた。

 その花は――芙蓉だった。

「……」

 男の子が、何かを言う。

 声は、うまく聞き取れない。

「………約束だよ」

 女の子が、そう答えた。

 ――約束?

 疑問に思った、次の瞬間。

 景色が、また変わった。


 今度は、玉座の間。

 そこには、先ほどの二人。

 セレネと、ノア。

 そして、王様と――レオらしき人物がいた。

 何か、深刻な話をしているけれど、声は聞こえない。

 ただ、その場にいる全員の表情だけが、やけに鮮明だった。

 ――また、景色が変わる。


 私は、時計塔の上にいた。

 長く、美しい金髪が風に煽られて靡いている。

 遠くから、誰かが叫ぶ。

「セレネ!」

 その声が、何度も響く。

 やがて、遠くから、争うような音が聞こえてくる。

 胸が苦しくなって、涙が、頬を伝った。

(こんなこと、望んでいなかったのに)

 深い悲しみと、後悔。ーーそれらが、一気に私の中へ流れ込んでくる。

「もう嫌だ」

そう、強く思った。

顔を上げると、そこには――大きな湖があった。

そして、現実に戻った。


ーわからないー

「……っ」

 目の前には、三人。王様も、ノアも、リリアも。

 驚いたような顔で、私を見ている。

 頬を伝う涙が、止まらなかった。

 どうしてなのか、分からないのに、無性に悲しかった。胸の奥が、締めつけられるように苦しかった。

「……セレネ」

 ノアが、聞き取れるか聞き取れないかくらいの――微かな声で、そう呟いた気がした。

 しばらく経ってから、王様が口を開く。

「アルよ。残りの時間の使い方、しかと考えるが良い。彼女を大切に思うからこそ、決断を」

 そう言って、王様は去っていった。

「………」

 静かになった庭園で、ノアが私に問う。

「千紘は、知りたい?」

 一も二もなく、頷く。

 けれど、彼は真剣な声で、もう一度聞いた。

「本当に? 知ってしまったら、もう戻れないよ」

 少しためらった。それでも、もう一度頷く。

 ――何も知らないまま、終わりたくなかった。

「大変申し訳ありませんが、もう夕食の時間でして……」

 リリアが申し訳なさそうに言う。

 空を見上げると太陽は、とっくの昔に沈んでいたようだ。

「ごめん。ご飯食べてからにしようか」

(……今、この流れでご飯?)

 ーー果たして、うちは美味しく食べられるだろうか。


第四章 ー真実を探ってー

ーノアの話ー

 ――その後またもや、ノアの部屋で二人きり。

 テーブルを挟んで、ノアは椅子に座っている。うちは、なぜかベッドの上に座っていた。

 ……なんでやろ?

「どこから話したらいいんだろう」

 ノアが、少しだけ視線を落とす。

 そして、静かに口を開いた。

「気づいていると思うけど――」

 一度、言葉を切る。

「君は、セレネの生まれ変わりだ」

「…………」

 頭が、真っ白になった。

――やっぱり。頭のどこかでは、そうなんじゃないかと思っていた。

でも、本人から告げられると、衝撃を受けた。

「……うちが?」

「そう」

 ノアは、真っ直ぐに私を見る。

「君は、三百年前にこの国に実在したセレネ=ヴェルネリア、その人だ」


「僕は、もともと王子じゃなかった。

 本来なら、君が正当な王族だった。

 不幸にも、国王だった君の父親と、王妃だった母親がほぼ同時に亡くなった。

 だから、君の父親の弟である僕の父が、その地位を引き継いだ。

 しばらくは、それで問題なかった。

 でも、父には王としての決定的な弱点があった。――魔力量が、少なかったんだ。

 だから、王族全員で魔力を供給していた。

 ――もちろん、君も含めて。

 僕と君が初めてちゃんと挨拶したのは、そのときだったかな。

 あの頃の僕は、あまり人に興味がなくて君とも、ほとんど話さなかった。


 ――兄は、王太子になることがほぼ決まっていて、来る日も来る日も勉強していた。

 剣、弓、乗馬。詩歌、音楽、舞踏。

 何一つとして、僕が兄に自慢できるものはなかった。

 ――今も、僕は兄に敵わない。

 必然的に、僕の両親は兄につきっきりだった。

 あまり、両親と遊んだ記憶はない。

 君は、僕ら兄弟とは違って、外でよく遊んでいた。

 僕はいつも窓から、楽しそうにしている君を見ていた。

 ある日、たまたま外に出ていたら――君が、僕の目の前でずっこけた。

 それはもう、豪快に。気持ちいいくらいに。

 心配するより先に、笑いが来ちゃった。

 思わず、声を出して大笑いした。

 ーーあんなに笑ったのは、今でも珍しいと思う。

 気づくと、君は不貞腐れて頬を膨らませていた。

 慌てて『ごめん』って言ったら――

今度は、僕が君の転んだ場所で足を滑らせた。

 君は、それを見て、はじけるように笑った。僕も、笑った。

 しばらく二人で大声で笑い続けていたら、心配した母が見に来た。

 ――笑い転げている子供を見た母は、どんな気持ちだったんだろうね。

 それをきっかけに、君とよく遊ぶようになった。

 外で鬼ごっこしたり、部屋でお絵描きしたり。

 君は覚えてないと思うけど――

結婚の約束までしたんだよ。

 不器用なりに頑張って、君の好きな芙蓉で花冠を作った。

 ーーとても不格好だったけど。

 それでも、君は太陽のように笑って、お礼を言ってくれた。

 その瞬間、僕は自分の淡い片思いに気づいた。

 ――いや、将来を誓い合ったんだから、両想いだったのかもしれないけど。

『ずっとそばにいてね』

 君は、そう言った。

『もちろん』

『………約束だよ』

 お互いに気づいていたのに、想いを言葉にしたのは、そのときだけだった。


ー消えない後悔ー

 そんな淡い関係は、唐突に終わった。

 いよいよ、エネルギー不足が深刻になったんだ。

 ――僕ら兄弟の魔力量は、まだ未知数だった。

 父は、悩んだ末に、ある決断をする。

『セレネが選んだ者を、次の王とする』

 セレネは、歴代の王族の中でも圧倒的な魔力量を誇っていた。

 そして、光魔法を唯一使いこなすこともできた。

 大人たちは、セレネに希望を託したんだ。

ーー本人の意思を確認することさえ、しないままに。

 兄は、大いに戸惑った。――当然だと思う。

 物心ついたときから、『王太子』として、血の滲むような努力を重ねてきたんだから。

 期限は一ヶ月。

 それまでに、セレネが相手を決めなければ、 自動的に兄と結婚することになる。

 そういう話だった。

(僕の恋は、敵わない)

 その瞬間、そう悟った。

 兄は、王太子になることがほぼ確定していたから、すでに多くの後見人がついていた。

 もし、セレネが僕を選ぶようなことがあれば――国は、大きく二分するだろう。

 これほど、想いを伝えなかったことを後悔したことはない。


 そして、その日を境にして、兄とセレネが一緒にいるのを、よく見かけるようになった。

 一緒に食事をしたり、二人で散歩したり。

 兄は――自信家だけど、悪い人じゃない。

 むしろ、周りの人のために動ける、心優しい人だ。

 僕は何もできずに、そばで見ていた。

 だから、気づいた。ーー気づいてしまった。

 セレネが、兄に惹かれていることに。

 ああ、僕は、本当に何一つとして勝てなかった。

 ――何よりも大切な人の心さえ、手に入れられなかった。

 同じように、兄のいつも固い表情は、セレネといるときだけは柔らかくなった。

 『お似合いの二人だ』と誰もが噂した。

 そして、『この国の未来は、安泰だ』と安心した。


 その宣言から、もうすぐ一ヶ月という頃。

 僕は、告げられなかった想いを込めて、手紙を書いた。

 そして、それをメイドに届けるよう頼んだ。

 ――それが、リリアだった。

 彼女は、君が生まれた頃から乳母として仕えていた。

 僕にも、いつも笑顔でいろんなことを教えてくれた。

 そんな彼女が、そのときだけは顔を曇らせた。

『……かしこまりました』

 そう言って去っていく後ろ姿を、僕は静かに見送った。

 でも、その判断は、間違いだった。


ー事件ー

 そして、次の日に事件は起きた。

 ――セレネが、失踪したんだ。

『ごめんなさい。探さないでください』

 そう書かれた置き手紙を残して。

 王宮は騒然となった。

『結婚を嫌がって、駆け落ちした』

『アル王子が匿っている』

 そんな根も葉もない噂が、広がった。

 僕らは、そんなわけないと思っていた。

 でも、すべての人がそうだったわけじゃない。

 噂を信じた人たちが、反乱を起こした。

 ――僕の、立太子を望んで。

 僕たちは、セレネの捜索よりも先に、混乱を収めなくてはならなかった。


 そして期限が、いよいよ明日に迫ったとき。

『セレネを見た』

 そんな目撃情報が、いくつも寄せられた。

(……もしかして)

 そう思って、何度も何度も名前を呼びながら、足を運んだのは、時計塔だった。

 ――君が、大好きな湖を一望できる場所だから。

 その途中、反乱軍に見つかり、足止めを喰らった。 

 兄に、彼らに気づかれないよう、視線だけで伝える。

 『先に入って』

 頷いて、兄が塔の中へ入る。

 それと、ほぼ同時だった。

 セレネが、湖へ身を投じた。ーーそこだけが、異常なほどゆっくりと、鮮明に見えた。

 彼女が湖面へぶつかる――その瞬間。

 眩い、淡いピンクの閃光が辺りを包んだ。

 思わず、目を瞑る。


 次に目を開けたときには、湖は凪いでいた。

 まるで、先ほどの出来事など、最初からなかったかのように。

 そして――僕は、魔力が周辺を満たしていることに気づいた。

 ――セレネが、最後に命がけで使ったであろう魔法。

 涙がとめどなく溢れて、地面を濡らし続ける。

「………セレネ」

 彼女は、どこまでも王族だった。

 この地を、自分の思う形で、守ろうとしたのだ。

 その後「放たれた魔力量は、千年にも匹敵するだろう」判断された。

 それが――セレネがこの世界からいなくなった日の話だ。」


ーセレネの行方ー

「それで、セレネは……?」

 自分でも、驚くほど掠れた、力のない声だった。

「わからない」

「……え?」

「彼女は、魔力だけを残して、忽然と姿を消した」

「……亡くなったってこと?」

「わからない。でも彼女は、死亡したと判断された」

「ノアは………どう思うの?」

「僕は、そうは思わない」

 一切の迷いを感じない、力強い声だった。

「じゃあ、どうなったん?」

「わからない」

 ーーまた、その答え。

「ただ、全てが異常だった」

 直系王族。歴代最高の魔力量。唯一の光魔法の使い手。

 セレネが消えた後、僕は何度も湖を訪れた。

 でも、湖は何も変わらなかった。

 彼女が身を投げた時のまま、三百年もの間、時を忘れたように、動かなかった。

 ノアが悲しそうに微笑む。

「彼女の、愛した場所だ」

 胸の奥が、ひどく痛んだ。

 なぜか、その声がひどく懐かしく感じた。

「だから、うちに声かけたん?」

「いや、違う」

「じゃあ、何で?」


「半分気まぐれだった。ただ、何となく面影がある、そんな気がした。」

 でも、君の言動や言葉。その全てが、セレネと似通っていた。

 僕を何故か「ノア」と呼ぶ。

 ーーリリアがそう呼ぶのは、君に言われたからだ。

 芙蓉が大好き。塔が、湖がお気に入りだった。

 そして、自分の生まれた土地を愛した。

「決定打は、魔力だった」

 君が、光魔法を使ったときに、もしかしたらと思って。

 魔力の色を調べた。

『薄いピンク』

彼女と、よく似た色だった。

そして、今日の夕食後。正式に、結果が出た。


「全く、同じだった」

 そんなことはありえない。

 僕は紫、兄は赤。

 そんなふうに人によって違う。

  全く同じ、なんてことは同一人物でない限り、ない。

 君は、三百年も前の人物と一致した。

 きっと、セレネは、君として生まれ変わったんだろう。

 彼女は、魔力を全て失い、ほとんどを回復に当てたんだ。ーー記憶を、失って。


 言葉が、出てこなくなる。

「ノアは、」

「うん」

「ずっと、待ち続けてたの?」

 答えはなかった。

 ただ彼は、目をそっと伏せる。

 それだけで、確信する。

「三百年も」

「……うん」

「長すぎへん?」

「うん」

 今度は、少し笑みを含んでいた。

「魔族だからね。人間で言う、十年くらいかな。」

ー便利すぎやろ。

 ふふって出逢った時と同じように笑う。

 そして、ハッとする。

「もしかして、レオは……?」

「……覚えてると思う」

 ずっと忘れられなかったみたいだし。最初に会ったとき、「セレネ」って呼ばれたんでしょ?

「それに…」


ー突然の訪問者ー

 そのとき、ノックの音がする。

「アル、いるな?」

 扉の向こうから声がした。

 ノアが、ゆっくりとドアを振り返る。

「……兄上」

 ーー噂をすれば、何とやら。

 第一王子ーーレオニード(セカンドネームなんやっけ?)の声だった。

「千紘、少しだけ話をしたい」

 ノアが私の目を見て、首を傾げる。どうやら、意思を確認しているらしい。

 うちは小さく、頷く。

 ーーあ、嫌そうな顔した。おもろ。


 そのまま、ゆっくりと、ドアの方へ向かう。

 開けるのに、少し戸惑った。

(どんな顔したらいいんやろ?)って思ってしまったから。

 すると、突然、ドアが開く。

 当然、うちは思いっきり顔をぶつけた。

「すまない、わざとじゃない」

 姿を現したのは、レオだった。

 ーー心の準備まだやったし、強引すぎんか?

「兄上」 

 若干の苛立ちを含んだ声がする。

「わざとじゃない」

 ーー2回目。

「ドアは、許可してから入ってください」

 ………ちょっと待て、ノアも同じことしとったぞ?

「ごめん、わざとじゃなかった」

 ーー本日3回目。

 兄弟揃って同じ言い訳をしてるのが面白くて、笑う。


 二人が顔を見合わせる。

「アル、借りてくぞ?」

「………どうぞ」

 連れて行かれたのは、談話室だった。

 メイドさんもいた。

(ノアと違いすぎん?)

 顔に出てたのか、レオが答える。

「私は結婚してるからね」

 ……まじか、知らんかった。いつの間に。三百年も経ったら、普通なんか?

「あれ、ノアは?」

 思わず口にすると、レオが少しだけ眉を上げた。

「アル?」

「うん」

「まだ独身だよ」

「……へえ」

 ――なんで?

 思わず、ノアの部屋の方を見る。

 すると、レオが少し興味を惹かれたように笑った。

「気になる?」

「いや?」

 即答する。

「そう」

 レオは、それ以上追及しなかった。

 ……助かった。

「本来、未婚の男女を二人きりにする方がまずいんだが」

 ぼそっと、レオが呟く。

「……?」

 聞こえなかったことにした。


ーレオの話ー

「さて、君はどこまで覚えているのかな?」

 ーーほぼ、何も?

 そういうと、レオが苦笑する。

 そして、聞こえないくらい小さく「当然かもね、僕は酷かったから」と呟く。


「君がいなくなるまでは、聞いたんだよね」

「うん」

 レオは、静かに頷いた。

「最初に言っておこう」

 少しだけ間を置く。

「私は、嘘はつかない」

 彼は真っ直ぐに、私を見る。


 アルの話は、少しだけ真実とずれているところがある。

「私とセレネの関係」

 ――恋人じゃなかったんだ。

 というか、お互いに、恋愛感情なんて皆無だった。

「……驚いた?」

 思わず、こくりと頷く。

「そう演じていたんだ」

 レオは、淡々と話を続ける。

 ーーアルを諦めさせるために。

「セレネがアルを選んでしまったら、内乱が起こるからね」

「起こってしまったけど」

 そう言って、苦笑する。

 そして、セレネは自分の恋を終わらせるため。私は、王太子の座を守るため。

 私たちは、共犯者だった。

「……」


「そして、もう一つ」

レオの表情が、少しだけ変わった。

「セレネが湖へ向かったのは――『アルからの手 紙』が原因じゃない」

 ――彼は、そう思ってたんじゃない?

 セレネが本を好きだったのは、知ってるよね。

 彼女が失踪している間――レオは、ゆっくりと言葉を選ぶように話す。

「見つけてはいけない本を、おそらく見つけてしまった」

「……見つけてはいけない本?」

「そう。禁忌の本だ」

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が、ざわついた。

 公式な記録からセレネの情報が消されているのは、それも原因の一つだ。

 そして、彼女は知ってしまった。

「――命をかけて、この国を救う方法を」

 息が止まったような気がした。


 セレネも本心では、私ではなくアルと結ばれたかった。

 ――でも、彼女は叶わないって分かっていたから。

 レオは、静かに目を伏せた。

「彼女は、その方法を試した。……そして、その結果が、君なんだと思う」


 言葉が出なかった。

「罪悪感があったんだ」

 うちから目を逸らして、レオは続ける。

「きっと、もっと上手くやれる方法はあったから。だから、君に会ったとき、動揺した。恨まれてるんじゃないかって」

「……恋愛感情は?」

 レオは、少しだけ笑った。

「初めから最後まで、なかったよ。――お互いにね。だから、私は結婚してるんだ」

 あとで、妻を紹介するよ。

 これが、私の話せる真実だ。


ーすれ違う話ー

 うちは、意識せずに考え込む。

 セレネとノアは、報われなかったんだ。

 何も知らない私に、三百年前の出来事が重くのしかかる。

「……ごめんね。そんなことして」

 レオがポツリと、謝る。

 うちは、首を振った。


「気にせんでええよ」

 それだけ言って、立ち上がる。

「ありがとう」

 一礼してそのまま、その場を去る。


 ドアが閉まって、カチャッと音がする。

 静かな時間が流れて、少し経つ。

 レオは思いついたように、そばに控えていたメイドへ目を向ける。

 静かに、退出するよう合図をした。

「……失礼いたします」

 メイドが一礼し、部屋を出ていく。

 再び、静寂が戻る。


 レオの表情が崩れる。

 王太子としての自信に満ちた表情ではなかった。

 ーーとても、悲しげな表情へと変わっていく。

「……ごめんね」

 誰もいない部屋で、懺悔するように呟く。

「嘘ついて」

 本当は、セレネのことがずっと好きだった。

 でも、そんな感情を抱いてはいけない立場だった。

 この国の王太子として、アルの兄として。

 そして――彼女を守る者として。

 だから、一度も表には出さなかった。

 セレネにも、アルにも、誰にも。

「……これからも、それはきっと変わらない」

 そう呟いて、レオは目を閉じた。

 かつての、三百年前と同じように。


 談話室から出たうちは、歩きながら考え込んでいた。

 前を見てなかったから、人とぶつかる。

「ごめんなさい」

「申し訳ありません」

 相手の声は、よく知ったメイドのものだった。

「………リリア」

 泣きそうなうちの表情を見て、全てを悟ったんだろう。

「お部屋に戻りましょう」とだけ言う。

 部屋に戻るとリリアが、ラベンダーの香りを焚いてくれた。

 でも、少しも寝付けなかった。

 窓から見える月は、とても澄んでいた。

「セレネの記憶を辿ってみよう」

 そう思って、外に出る。


第五章 ー記憶を取り戻してー

ーセレネの記憶を辿るー

 まず向かったのは、グラティア庭園。

 前に行ったとき、芙蓉に触れたら記憶が戻った。

(花冠作ってみよ)

 芙蓉の花を使って、編み込もうとした。

 ーーこの花、あかんわ。茎細すぎ。

 分かったことは一つ。

 ノアは、とても器用だった。


 次に足を運んだのは、玉座の間。

 ちょっと厳しいかな、と思ったけど行ってみた。

 案の定、扉をノックしても反応はなかった。

(まあ、割と遅い時間やしな)

 そう思って帰ろうとしたら、後ろに王様が立ってた。

 ーー怖っ。ここの一族、人の意表つくのが好きなんか?

 何も話さず、玉座の間を開いてくれる。

 お礼を言って、中に入る。

 ーーとても豪華だった。ホールみたいな大きさで、ちょっとワクワクする。

ーーいや、そんな場合ちゃうな。

玉座に目が留まったから、近づいて触れてみる。


 景色が変わった。

 金髪に緑の瞳の国王らしき男性。ピンクの髪に青い瞳の王妃らしき女性。

 ーーおそらく、セレネの両親だろう。

 男性が、私に呼びかける。

「セレネ、おいで」と優しい声で。

 私に呼びかける声だけで、私は本当に愛されていたのだと知る。

 幼い私は、二人の元に駆け寄った。

「なあに?」

 二通の手紙を手渡される。

 そして、私の後ろにいたメイドに目配せする。

「セレネが困ったときに」

 リリアがそっと、目を伏せる。

「……かしこまりました」


「この世界の誰よりも、愛している」

「リリアの好きなように生きてね」

 両親が、それぞれ言葉にする。

(まるで、別れの挨拶みたい)

「うん!」

 私は、そう言って、部屋から飛び出して行った。

「セレネを………よろしくね」

 母はそれだけを告げた。そして、二人は奥へと姿を消した。

 ーー私は手紙をどこにしまった?分からない。

 あとで、リリアに聞いてみよう。


 視界が暗転する。

 どうやら、私が結婚の話を聞いた直後らしい。国王が、頭を抱えている。

「すまない、兄上」

 うめくように呟く。

 玉座の間の奥が、少しだけ覗く。ーー魔力供給の場所だった。


 そして、現在に戻ってくる。

 あんまり、何も分からなかった。

 両親のことも、二通の手紙のことも。あのとき、国王が何を悔やんでいたのかも。

 分かったのは、ほんの少しだけ。

 扉から出ようとすると「なあ」と呼びかけられる。

 ーーそれも後ろから。振り返ると、やっぱり国王だった。

(慣れてきたかもしらん)

「話したいことがある」

 ーーいっぱい聞いたセリフだなぁ。まあ、聞くけど。


ー国王の話ー

 私の父親は、セドリック=ヴェルネリアというらしい。

 現国王、ヴェルヘイム=ヴェルネリアの兄だった。

 ただし、父は正妃の子。ヴェルヘイムは側妃の子だった。

 ーーだから、格段に魔力量が少なかった。

 セレネの父は、長い間秘されていたけれど、光魔法の使い手だったらしい。

 そして、母――エレノアは、魔法や歴史について詳しい人物だったという。

 そして――――国王が話したのは、私が想像していたものより、ずっと重い話だった。

 セレネの両親は、セレネが使った禁忌の術によって亡くなった。

 その事実を隠すため、父が光魔法の使い手だったことも秘された。

 そして、セレネが使った術について記された本。

 それは――母、エレノアの書斎にあった。


「……リリアは、そのことを知っていたはずだ」


 国王は、そう言った。


第六章 ー真実はどこへ?ー

ー二通の手紙ー

 その後、私は初めてリリアの部屋へ足を運んだ。

「リリア?」

 返事はなかった。

 ドアノブに手をかけると、拍子抜けするほど簡単に開いた。

 リリアらしい、きちんと整頓された部屋。

 整然とした部屋の中で、浮いていたもの。

 机の上に、二通の手紙が置いてあった。


一つは「セレネへ」

 おそらく、両親から幼い私に渡したものだろう。

もう一つは「千紘様へ」

 ーー差出人は、リリアだった。


 迷った末に、今の名前が書いてある方を、選ぶ。


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千紘様へ


これを読まれる頃には、私はもうその場にいないことでしょう。


まず、最初に伝えたいことがございます。


私は、「千紘様がセレネ様の生まれ変わりである」ということに、かなり早い段階で気づいておりました。


おそらく、誰よりも早く。


まず初めに違和感を覚えたのは、グラティア庭園を初めて案内したときでした。


お気づきではないと思いますが、芙蓉を食い入るように見てらっしゃいました。


そして、動物の形のクッキー。


ーセレネ様がご考案され、今でも愛されております。


手に取ったとき、少し暗かった千紘様の表情が、明るくなったような気がしました。


そして、ノア様を『ノア』と当たり前のように、読んでいたこと。


しかし、ここまでは「もしかしたら」という淡い期待に近いものでした。


確信したのは、セレネ様と全く同じ光魔法を千紘様が使えたときでした。


その後の、魔色で確信は深まりました。


私が、ずっと見てきたセレネ様の色、でした。


見間違えるはずがなかった。


そして、もう一つ。


あなた様が記憶を取り戻していくのを、誰よりも近くで見守っておりました。


グラティア庭園。


時計塔。


ー湖。


千紘様のお気に入りの場所は、同時に全てセレネ様もお好きだったのです。


三百年経った今も、変わらないくらいに。


そして、「セレネ様は千尋様に生まれ変わった」のが揺るぎない事実である。


それを裏付けた最後のもの。


千紘様が、全ての真実を知った後の表情でした。 


その表情は、


生前最後に見た、セレネ様の表情と酷似しておりました。


早くから気づいておきながらも千紘様にお伝えしなかったのは、自分で気づくべきだと思ったからです。


私が説明したところで、何の解決にもならないということを知っていました。


そして、差し出がましいようですが、千紘様にアドバイスを。


あなたは、あなたです。


セレネ様の、生まれ変わりだとしても。


セレネ様の、記憶を全て思い出したのだとしても。


それは、揺るぎない事実です。


ここまで、千紘様とセレネ様の共通点ばかり挙げてきましたが、当然異なる点もございます。


周りを明るくするような、話し方。


相槌の速さ。


自己犠牲ではなく、折衷案を考えていたこと。


それは、千紘様だけが持っているものです。


ゆめゆめお忘れなきように。


最後に。


セレネ様のご両親が残した手紙は、「今は今、過去は過去」と思えるようになってから読むことをお勧めします。


もし、千紘様が三百年前の真実を知りたいのならば、エレノア様の書斎へお向かいください。


ーセレネ様が成功し、ご両親が失敗した理由。


その理由も自ずとわかるはずです。


禁忌の本は、今もなお、そこにございます。


今度は千紘様に心からの祝福を。


あなた様に幸あれ。


  リリエッタ=モルガナ=ヴェルネリア


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 ーーリリアはそんなに早く気づいていたんだ。

 今に至るまで、何度も知らなかったことを聞いた。大きく深呼吸をする。

「私は誰なのか」

 曖昧になっていたけど、はっきりと自分のことを捉え直す。

 うちは、神谷千紘。大阪生まれ大阪育ちの生粋の関西人や。

 そして、もう一通の手紙を手に取る。

 ーーもう、手はもう震えていなかった。

そこには、見慣れない文字で宛名が書いてあった。


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セレネへ


この手紙を渡されたということは、きっと私たちの死の真実を知りたいのだと思う。


リリアに、そういうときに渡すように頼んだから。


彼女、『リリエッタ=モルガナ』は禁忌とされた伝説の魔女でした。


実は、私たち王族よりも遥かに長い時を生きている。


彼女は一人で国を支えられるほどの魔力と、誰も思いつかなかった魔法式を数多く作り出した。


そして、今から五百年ほど前に玉座の奥の部屋へと封印された。


ー国の脅威になると、当時の王族が判断したから。


彼女が目を覚したのは、あなたが生まれる半年前くらいだった。


それまで私たちは、その存在自体を知らなかった。


そしてその後、すぐ魔力が減り続けていた理由はこれに起因する。


封印されている間、彼女の膨大な魔力は国の最深部へと供給されていた。


当然、その事実が公表されると国中が混乱してしまう。


でも幸運というべきか、眠る前の記憶を一切覚えていなかった。


彼女は、唯一「リリア」と呼ばれていたことを覚えていた。


でも、それだけでは情報が少なすぎた。


当時国の中心だった私たちは、ありとあらゆる記録書を国中からかき集めた。


古い文献や、王家に伝わる記録、魔法に関する資料。


そして過去の王族たちの日記までも。


国の総力を尽くしたのにも関わらず、何も分からなかった。


彼女が何者で、封印されていたのか。


何よりも、莫大な魔力を持っている理由。


とりあえず居場所を、ということで与えられたのがあなたのメイドという立場だった。


何一つとして手掛かりが得られないまま、月日は無情に流れていく。


そして、あなたが七歳の時に転機は訪れた。


城内を探検して遊んでいたセレネが、古い王族専用の書庫で一冊の本を見つけた。


ーそれは五百年ほど前の王族が記したものだった。


とても古くて保存状態も悪かったから、読めたのはほんの一部だけだった。


その中に「リリア」という文字が何度も何度も登場する。


そのことを疑問に思った専門家たちは、残された僅かな記述をもとに、調査を始めた。


そして解明された結果から、その日記に登場する「リリア」と今存在する人物が同一人物である可能性が非常に高いと結論づけた。


彼女が異変を起こしたのはその数刻後のことだった。


深夜に突然頭痛を訴え、そのまま昏倒した。


数日間に渡りうなされたあと、朝方に忽然と姿を消した。


昼頃に見つかった彼女は封鎖された旧王宮のある部屋にいた。


ー彼女の名前があった日記を書いた「ルートヴィッヒ=ヴェルネリア」という王族の自室。


彼女を見つけたメイドは、こう問われたそうだ。


「ねぇ、今は何年なの?ルイスは……?」


答えを聞いた彼女は、呆然とたちすくす。


その時はまだ、私たちは何も知らなかった。


ー結局、全てを知ったのは最期の時だった。


彼女は記憶を取り戻しても、私たち王族を恨む素振りは少しも見せなかった。


それどころか、セレネの世話を率先してやってくれたこと。


そのまま月日は過ぎていき、あなたが十七歳になった今はエネルギーはほとんどほぼ枯渇した。


それを解決する方法はそれこそ藁にもすがるようなものしかなかった。

 

そんなある日、題名すらもない古い本が置いてあった。


ーそれにはこの国を救えるかもしれない、エネルギー放出のやり方が記されていた。


ただし、命の保証はないと。


その一週間後、完全に枯渇した魔力が影響を及ばし始めた。


まず最初に異変が出たのは、草木。


少しずつ萎み、枯れた。


そして、雨や曇りの日が多くなった。


日照時間が減り、かろうじて育っていた植物も腐ってしまった。


最終的には、空が黒く濁り始めた。


だから、私たちはそれに頼ると決意した。


どうなるかは分からないけど、どんな結果になっても後悔しないと約束して。


唯一の私たちの心残りはあなたの未来だった。


どうか、あなたが幸せに暮らせていますように。


心からの愛情を、あなたに。


  セドリック=ヴェルネリア

   エレノア=ヴェルネリア


-----------------------------------------------

 セレネは本当に、たくさんの人から愛されていたのだなと実感して、思わず涙がこぼれてしまった。


 ーーあかん、しっかりせな。頑張れ、うち!


 きっと書斎に行けば、全ての真実が明らかになる。

 でも一人で行くには、怖いし、心細かった。

 ふと、頭に浮かんだのはノア、だった。

 ーーいやいや、忙しいやろ。

 そうは分かっていたけど、一度思いついてしまったら頭から離れなくなってしまった。


 何気なく窓を見ると、ちょうど太陽が昇っているところだった。

 ーー嘘やん、オールしてもうた。しかも、残り一日しかないで!

 その後、勇気を出して、ノアの部屋に向かうことを決意した。


ーノアの思いー

 その少し前、ノアは物思いに耽っていた。

 僕は五百年前、確かにセレネが好きだった。

 それは、今でも疑いようもない。

 でも、今は――どうなんだろう。

 自分が惹かれているのが「セレネ」なのか「千紘」なのかが、判断できなかった。

 前までは、同じ人物だと思い込んでいた。ーーでも、それは間違いだったと気づいた。

 千紘はセレネの生まれ変わりだとしても、セレネではない。

 そんな当たり前の事実に、今更衝撃を受けた。

 三百年間、一時もセレネを忘れることなく、毎日を送ってきた。

 それなのに、セレネのことを想う時間が、明らかに減っていた。

 僕は今、誰を想って生きているのだろう。


 そのとき、ドアを叩く音がした。

「ちょっと…いい?」

「どうぞ」

 彼女、千紘は少し気まずそうに目を合わせずに入ってくる。

 ーー僕、何かしたっけ?うん、心当たりがあり過ぎてどれか分からないかも。

「あの…その。ちょっと話があってですね」

「うん」

 ーーなんで敬語なんだろう?

「どうしたの?」

「……」

 そのまま彼女は口を閉ざしてしまう。

 心なしか顔が赤いような気がする。

 あまりにも長い時間黙っているので、心配になる。

「………大丈夫?」

「あの!……一緒に、来て欲しい……」

 蚊の鳴くような声で、彼女はそう言った。

「どこに?」

 なんで?という疑問も浮かんだけど、一旦飲み込んだ。

「エレノア元王妃の書斎?」


「……あ」

 そこで、うちは何も説明していないことに気づく。

 ノアに頼み事をするのが恥ず過ぎて、完全に頭から抜けていた。

 ――あかん、しっかりしてくれ!これじゃ、ただ突然「一緒に来て」って言いに 来ただけやん。

ノアに、これまで聞いてきた話をする。

 レオが話してくれたこと。王様から聞いた話。リリアと、両親からの手紙の内容。

 思い出しながら、ゆっくり丁寧に。

 ノアは少しも聞き逃すまいとするように、静かに耳を傾けてくれた。

「そうか、リリアが……」

 そう呟くと、なんの前触れもなくいきなり立ち上がる。

「……行こう」

 その瞳には、強い決意の光が宿っていた。


第七章 ーそれぞれの想いー

 翌日、改めてエレノアの書斎へと向かった。

 その部屋は、ノアの部屋から数十分ほどの距離にあった。

「………」  

 せっかくノアにここまで来てもらったのに、まだ覚悟が決まらない自分に泣きそうになる。

 それを見て、ノアはそっと手を重ねる。

「行くよ」

 そのまま、二人で扉を開ける。

 すると古い本の匂いが、肺いっぱいに広がる。

 そこには、リリアが託した一冊の本があるはずだ。


ー禁忌の本ー

 意を決して一歩踏み込むと、机の上に本が置かれていた。

 題名のないワインレッドの革の表紙。

 それを開くと、少し傷んだ紙に淡々と文字が綴られている。

 一番最初に目を惹いたのは、緻密な魔法陣がいくつも書かれていたページだった。

「これは………」

 ノアにしては珍しく、ひったくるようにうちの手からその本を取った。

「命を犠牲にする……?いや、元は魔力放出の式か?誰が、何のために……」

 ノアは、うちには全く理解できない魔法陣を見つめ、文字を読み解こうとしているようだった。

 その邪魔をしないように、静かに部屋の中を見て回る。

 すると、一箇所だけカーペットの皺がよったところで、思いっきり転ける。

「……痛い」

 強打したお尻をさすりながら、転けたところを恨めしそうに確認しようとした。

「へ?」

 そこには、カーペットに隠されていた小さな扉が顕現していた。

 そっと、ノアの方を見ると、まだ考え込んでいるようだった。

(よし、少しでも役に立とう)

 そう思って、それに触れる。


 瞬き一つの間に、何故か何もない地下室らしき場所にいた。

 そして見覚えのある茶色の髪が目に入る。

「……リリア?」

「千紘⁉︎」

 彼女は心底驚いたように、振り返った。

「貴方、まさか……書斎からここに?」

「うん」

 彼女は戸惑ったように視線を彷徨わせた後、まっすぐこちらを見て口を開く。

「もうしょうがないから、真実を教えてあげるわ」


ー最後の話ー

 まず大前提として、私はリリアではないの。

 彼女は三百年前……私の夫であるセドリックと一緒に亡くなっている。

 貴方が知っている私は、全てエレノア……セレネの母だった。

 実はリリアは亡くなる前、私たち夫婦にだけ、真実を教えてくれていた。

 「リリエッタ=モルガナ=ヴェルネリア」として生きてきた記憶。

 ーーそれは、とても壮絶なものだった。


 彼女は傍系王族として生を受け、魔力量がとても多いことから、王宮に引き取られた。

 そこで、彼女は禁断の恋をする。

 ーーそれが、日記を残した王族、ルートヴィッヒ。

 彼は王太子で、しょうらいはもうきまっていた。

 それだけではなく、リリアの親友と婚約していた。 

 裏切りだと分かっていたのに、彼に惹かれていく心は止められなかった。 

 そして幸か不幸か、ルートヴィッヒもまた、彼女に恋に落ちる。

 当然周囲は二人の恋を認めず、説得しようとした。

 若かりし頃の過ちとして処理できれば良かったが、リリアもルートヴィッヒも頑なだった。

 戴冠式と結婚式を控えていてもなお、彼女を思い続けるルートヴィッヒを見て、議会は将来を案じてある決断を下す。


 「リリアを王宮から追放する」

 事実上の王族としての除名だった。

 その計画に気づいてしまったルートヴィッヒは、議会と争うことになる。 

 感情の高まってしまった複数の議員と、王族であるルートヴィッヒの全面的な魔力のぶつかり合い。

 それをまともに喰らったリリアは、いくら強い魔力を持っているとはいえ、耐えられなかった。


 普通なら亡くなっていたところを、リリアは五百年間眠り続けることになった。

 そんなことを二度と起こしてはいけない、という注意喚起を兼ねて作られたのが、リリアの眠っていた部屋らしい。

 ーー月日が経つにつれ、その存在は忘れられてしまったけど。

 体を動かすことはできなかったけど、魔力だけは自由に扱えた。

 ーー親友への懺悔の気持ちから、リリアは魔力を供給し続けた。

 その結果、何もせずともこの国は魔力で満たされた。

 完全な善意からだったが、それが今の王族の魔力減少に繋がってしまった、


 彼女は「責任は自分が取る」と言ったけど、私たちは断った。

「現国王であるセドと、王妃である私が責任を取るべきだ」

 そう言って譲らない私たちを見て、リリアは諦めたように笑った。

 彼女に、セレネのことを頼んだ。


 その後二人で、魔力供給の間に篭った。

 最後の魔法陣を描く前。

 「すまない、エレノア」と言ったセドリックに、突き飛ばすようにして部屋から出された。

 その後ろで隠蔽魔法を使っていたのであろう  リリアが、二つの魔法陣を瞬く間に描いていくのが見えた。

「騙すような真似をして、申し訳ありません」

「何よりも大切な君と、セレネを失う訳にはいけない。エレノア、愛しているよ」 

 そう言った二人は、次の瞬間消えていた。


 気づくと私は、リリアとして生きていた。

 愛娘であるセレネが、幸せな毎日を過ごしてあること。

 それだけが、夫を失った私の生き甲斐になった。

 でも、再び魔力が足りなくなってしまった。

 そして、セレネが心を病んだ末に失踪してしまう。

(そんな、どうして?)

 必死で見つけ出したセレネは、もう体を宙に浮かせていた。

 それを見た私は、ほとんど反射的に魔法を使った。

 ーー正確には、最後にリリアが残した魔法陣を発動させた。

 彼女はそうなることを、予測していたのかもしれない。

 それは、命を失わない代わりに、肉体と魔力を全て失って、転生する魔法だった。

 優秀な彼女が作ったその魔法は、使われた痕跡を一切残さずに消えた。

 

 これで、分かったかしら?

 セレナは国を救おうとしたのではなく、いくつもの要素が重なって、結果としてそうなっただけ。

 セレネがどこかで幸せに生きていることを願い続けていた私は、一週間ほど前に貴方にあった。

 そして、貴方がセレネの生まれ変わりであることに気づいた。

 だからこそ、貴方に今度こそ後悔ない人生を歩んでほしい。

 そう言ってリリア、いやエレノアは一度話を切る。


「どうか、幸せにね」


そう言って慈愛に満ちた笑みを浮かべた、彼女はうちのもう瞳に映っていなかった。


ー最後の時をー

 書斎に戻ってきた私は、その瞬間首を絞められた。

 ーー正確には、ノアがそれくらい強くうちを抱きしめた。

 イケメンに抱きしめられているというドキドキよりも先に、死ぬんじゃないかというドキドキを感じた。

「良かった、千紘まで、いなくなったのかと…」

 文句を言おうと思って口を開いた私は、心底心配していたであろうノアに、何も言えなくなった。

「ごめん?」

「ほんとだよ、心臓が止まるかと思った」

 そう言って、ノアはもう離さないと主張するように、ますます強く力を込める。

 子供みたいにしがみつくノアと、困った顔で立ち尽くすうち。

 数分後に私たちを探しにきたレオと王様に見つかり、二人で全力で逃げた。

 ーー耳まで真っ赤になったまま。

 このことは、墓場まで持っていこうと思う。

 その後すぐメイドに見つかって、玉座の間への連れて行かれた。

 

「それで何が、あったんだ?」

 私たちを面白そうに見ていた王様が、ふと真面目な顔で聞く。

 二人で顔を見合わせて、譲り合う。

 それを見たレオが、笑いを堪えるような顔で「千紘が先に言った方がいいと思うよ」と言う。

 その言葉に従って、今まで聞いた話を丁寧に、拾い直すようにして語る。

 最後まで聞き終わった三人は、三者三様の反応を返してくれた。

 王様は、ポーカーフェイスのまま凍りつく。レオは「訳がわからない‼︎」と叫んで頭をグシャグシャにした。ノアは全てを悟りきった顔で、頷いた。

 共通していたのは、その後に誰も口を開こうとしなかったこと。


 どうしたらいいか分からなくて、オロオロしていたらノアと目が合う。

 ハッとした顔をしたノアは、自分の知ったことを教えてくれる。

「あの魔法陣は、今すぐ国を満たすものではなく、次世代へと魔力を託すもの」

 とても難解で複雑なものを思いついたリリアは、すごいらしい。

 それから、どれくらいあの魔法陣が完成されていて、美しいのかを語り出した。

 ーちょっと、ずれてきてない?

 他の二人を見ると、ため息をつきそうな顔をしていた。

 延々と続くノアの話を遮るようにして、王様が大きく咳払いをする。

「アルよ、千紘と過ごせる時間はあと五時間ほどしかないぞ?」

 それを聞いたノアは「五時間……?」と呟いて、窓の外を見る。

 ーー太陽はもう、真上に近い位置まで登っていた。

 固まってしまったノアを見て、二人は「ごゆっくり〜」と言ってさっていった。


ー約束をー

 ノアが何も言わずに向かったのは、やっぱりグラティア庭園だった。

「ねぇ、千紘」

「何?」

「……好きだよ」

 思わず、逃げ出したうちは悪くない。

 ーーいきなりすぎんねん!心の準備をさせてくれ!

 運動神経の悪いうちと人外のノア。

 非常に残念なことに、唐突に行われた鬼ごっこは数秒後に終了した。

 

 ーーこれほど、自分の足の遅さを後悔したことはない。

 綺麗に熟した林檎みたいになった自覚のあるうちは、『穴があったら入りたい』という言葉の意味を悟った。

 「……千紘、好きだよ」

 ーーもう一度、イケメンに耳元で、掠れた声で囁かれたうちの気持ちを想像してほしい。

 しかも今度は、逃げられないようにガッチリホールドされたまま。

「千紘は、僕のことをどう思ってるの?」

 子犬みたいなウルウルした目で、ノアはこちらを覗き込んでくる。

「うちも……好き」

 独り言のつもりで、口の中で転がした言葉はしっかりノアに届いた。……届いてしまった。

「ほんと?」

 そう言って大はしゃぎしだしたノアに、発してしまった言葉の訂正などできなかった。


 それから二人でタイムリミットを忘れたように、恋人らしいことをした。

 二人で手を繋いだ。散歩をした。飲み物を分け合った。くだらない話をした。

 思いつく限りのことを、片っ端からした。


 帰らなくてはいけない時間まで、あと十分。

 澄んだ湖の淵で、時間を惜しむように言葉を交わす。

「ノア?」

「うん」

「来年も、来てくれるやんな?」

「もちろん」

 ふふっと笑う。

 ーーいつの間にか、似てきてしまった笑い方。

「初めて会った時みたいに、『Trick or Treat?』って言ってくれる?」

 少し恥ずかしそうに黙ったあと、いつかみたいにノアが言う。

「……約束」

 その言葉を聞くとほぼ同時に、私の体が淡く光を放ち出す。

「次は、一年後」

 泣きそうなのをなんとか堪えて、笑顔でお別れを告げる、

「……忘れないでね」

 そう言ったノアの姿が、少しずつ薄くなっていく。

 

ーいつもの通学路ー

 気づけば、いつもの通学路にいた。

 隣を見ても、いつもいたノアはいない。

 そう思った瞬間、頬を伝った涙が地面に落ちた。

雨なんて降っていないのに、足元だけが濡れていく。

 ふと見上げると、月の位置も、形も変わっていなかった。

 ハッとして、スマホを見る。

 10月31日。

 ノアと過ごした一週間は、こちらの世界では一秒も過ぎていなかった。

 それでも――来年、もう一度来てくれる。

 私は、彼を信じ続けることを決めた。

 

 そして、一年後。

 私は、一人、そこに立っていた。

 もう日はとっくに沈んでいるのに、彼は来ない。

(もしかしたら、約束を覚えていないのかもしれない。ノアに、もう会えないのかもしれない)

 そんな諦めや悲しみに似た気持ちになって、帰ろうとした、そのとき。


 「Trick or Treat?」

 一年間、聞きたくてたまらなかった愛しい人の声がする。

 振り返ると同時に、駆け寄って抱きつく。

「……よかった」

 そう言って泣き出した私を見て、ノアはクスッと笑う。

「約束を果たしにきたよ、My Princess」

 そんなキザなセリフが似合わなくて、思わず笑ってしまう。

「ノア、大好き」

 初めてはっきり伝えられた。

 その言葉に、ノアは驚いたように目を見開いたあと、花が綻ぶように笑った。

 最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

 おそらく初めまして。水縹詩雨と申します。

 僕が本気で取り組んだ作品、楽しんでいただけましたでしょうか?

 この作品を書こう! と決意したきっかけは、「ハロウィンって面白いな」と、なぜか唐突に思ったことでした。

 そこからさらにハロウィンについて調べてみると、お菓子を渡す風習や、ジャック・オ・ランタンの由来など、いろいろな物語があることを知りました。

 そして、それらを調べていくうちに、この作品の構想が少しずつ浮かんでいきました。

 ちなみに、書き始めた当初は、ミステリー要素<恋愛のつもりだったんです。

 ……それが、いつの間にか逆転していました。

 ミステリー要素>恋愛

 なんでなんでしょう?(笑)

 それでも、千紘とノアの物語を最後まで書き切ることができて、本当によかったと思っています。

 ここまで読んでくださった皆さんに、少しでも楽しんでいただけていたら嬉しいです。それではーーTrick or Treat.皆さんも、夜道にはお気をつけください。

 また別の作品でお会いできますように。

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