それはデートのような
イリスはヤンに誘われ、王都マドレスタムの街を一緒に回ることにした。
ゼーラント伯爵家の馬車には侍女と共に先に戻ってもらい、ヤンにエスコートされてルーヴェン公爵家の馬車に乗るイリスである。
(何となくルーヴェン公爵閣下からの提案に頷いてみたけれど……何だか緊張するわね。相手が格上の公爵だからかしら……?)
馬車で座っているイリスの肩には力が入っていた。
体が少し硬くなっているのが、自分でも分かった。
「イリス嬢? どうしたんだい?」
ヤンはイリスに甘い笑みを向けている。
「……いえ、何でもありませんわ」
イリスはヤンから目をそらす。
ほんの少しだけ、心臓が煩かった。
(この気持ちは……何なのかしら……?)
初めて抱く気持ちに、イリスは戸惑っていた。
(それに、リンデお姉様から今日帰りが遅かったことを色々と聞かれそうね。一応ルーヴェン公爵家の使用人がいるから閣下と二人きりではないとはいえ、リンデお姉様はきっと怒るわよね。付き添いの侍女には、ルーヴェン公爵閣下とのことを黙っておくように頼んであるけれど……)
イリスは悶々と悩んでいた。
リンデに対して隠し事をする罪悪感があったのだ。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
そうしているうちにヤンに連れられたのは、王都マドレスタムで貴族御用達になりつつあるカフェである。
イリスとヤンはルーヴェン公爵家の使用人と共に二階の個室へと案内された。
「イリス嬢、何を頼む?」
ヤンからメニューを差し出されたイリス。
「では……ハニークッキーと紅茶を」
メニューを受け取り、少し迷った末イリスは控えめにそう言った。
「分かった。じゃあ俺はチェリーパイと紅茶にしようかな」
ヤンもメニューを決めたようで、給仕に注文した。
注文したものは割とすぐに運ばれて来た。
イリスはそっとハニークッキーに手を伸ばし、一つ口にする。
サクサクとした食感と、蜂蜜の優しい甘さ。そして、シナモンの香りが口の中に広がった。
(美味しい)
イリスは表情を綻ばせた。
「美味しそうに食べるね」
ヤンは軽薄そうな笑みだが、そのエメラルドの目の奥からは優しさを感じた。
「ええ。お一ついかがですか?」
イリスはハニークッキーが入った皿をヤンに差し出した。
「イリス嬢が食べさせてくれるのなら」
ヤンはニヤリと口角を上げる。
「え……!?」
イリスはそんなヤンに戸惑ってしまう。
(いつもみたいな冗談よね……?)
イリスの頬はほんのりと赤く染まり、鼓動は早くなっていた。
「冗談だよ。俺の言うことを真に受けたら駄目だよ」
ヤンはイリスに優しげな表情を向けていた。そのエメラルドの目の奥からは、少しの寂しさが感じられた。
「……左様でございましたか」
イリスは少しホッとしつつも、ヤンから目を離せずにいた。
ヤンはイリスが差し出した皿から、ハニークッキーを一枚取り口に入れた。
サクサクとした咀嚼音が聞こえる。
「うん。確かに美味しいね。蜂蜜とシナモンが絶妙だ」
ヤンはそう言い、紅茶を音もなく啜る。
その所作には品があった。
(そうよね。公爵家のお方だもの。流石だわ)
イリスはヤンの所作に感心すると同時に、自分ももっと所作を磨かなければならないと思うのだった。
(リンデお姉様や家庭教師にまた教えていただかないと)
イリスはゆっくりと紅茶を一口飲んだ。
「イリス嬢、お礼にチェリータルトを一口どうぞ」
ヤンは自身が頼んだチェリータルトを綺麗に切り、イリスの皿の上に置く。
一口分よりも少し大きいサイズのように感じた。
「こんなにいただいてよろしいのでしょうか?」
「ああ、構わないさ。イリス嬢ならね」
ヤンから甘い笑みを向けられ、イリスの鼓動は更に高鳴った。
「では……お言葉に甘えて」
イリスはゆっくりとチェリータルトを口に運ぶ。
さくらんぼの瑞々しい食感、甘さの中にもしっかりとした酸味があるが、タルト生地の甘さで中和され丁度良い。ふわりと香るタルト生地のバターもまた絶妙だった。
「どう?」
「……美味しいです。ありがとうございます」
感想を聞かれ、イリスはそう答えた。
少しだけ心臓が煩く、そう答えるのが精一杯のイリスであった。
イリスはふと窓の外の景色に目を向けてみた。
街を歩く人々の表情は明るいことが、二階からでもよく分かった。子供達ものびのびと駆け回っている。
(あ……)
イリスは民達の姿に釘付けになっていた。
「イリス嬢? 外に何か面白いものでもあるのかい?」
ヤンは不思議そうに首を傾げていた。
「いえ、その……ヴィルヘルミナ女王陛下が革命を起こしてから、人々の表情が明るくなった気がするのです。ベンティンク悪徳王家の時代と違い、言論の自由が認められましたし、明日殺されるかもしれない恐怖からも解放されているので……」
イリスは穏やかな表情になる。
「確かにね。俺は十七歳で、イリス嬢は十五歳。ということは、俺達が生まれてからのドレンダレン王国はベンティンク悪徳王家がずっと支配していた。締め付けが厳しくて、いつ殺されるか分からない恐怖がなくなるなんて、思いもしなかったよ」
ヤンも穏やかな表情で窓の外に目を向けていた。
「ええ。まだ国中革命による混乱はありますが……この国はきっと良くなっていくと信じております」
イリスは明るく表情を綻ばせた。
「そうだね」
ヤンも表情を明るくする。
しかし、次の瞬間ヤンの表情は曇ってしまう。
「でも……正直な話……女王陛下にはもっと早く革命を起こしてもらいたかったな。そうしたら……死なずに済んだ人も、もっといただろうに……」
窓の外に向けられたヤンのエメラルドの目。その目の奥からは、寂しさ、恐怖、後悔が感じられた。
「ルーヴェン公爵閣下……」
イリスはそんなヤンから目が離せなかった。
(閣下には……何かあったのかしら……?)
しかし次の瞬間、再びヤンは軽薄そうな笑みを浮かべる。
「なんてね。ヴィルヘルミナ女王陛下だって今年で二十歳だ。俺とそこまで歳が変わらない。それなのに、自ら王宮に潜り込んで革命を起こす準備をしていたんだ。この国の平和の為にね。その血筋がバレたら殺されてしまうのに。本当に頭が上がらないよ」
「そう……ですよね」
ヤンの様子に戸惑いつつ、イリスはそう頷いた。
「さて、そろそろ出ようか、イリス嬢」
ヤンが席から立ち上がると、その懐から何かが落ちる。しかし、完全に落ちる前にヤンはそれをキャッチした。
イリスがヤンに贈った小物入れである。
「あ、それは……!」
イリスはアメジストの目を大きく見開いた。
ヤンはニヤリと軽薄そうな笑みを浮かべる。
「ああ。君から貰った小物入れだ。大切に使わせてもらっているよ」
その言葉に、イリスは嬉しくなった。
「良かったです」
ふわりと花が綻ぶような笑みのイリスである。
ヤンは一瞬だけエメラルドの目を見開き、ほんのり頬を赤く染めた。
「まあ……君から貰ったものだからね」
ヤンは少しだけイリスから視線をそらす。
そしてまた軽薄そうな笑みを浮かべた。
「さあ、行こうか。イリス嬢。まだ時間はたっぷりあるのだから」
「はい」
イリスは微笑んでゆっくりと立ち上がった。
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