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軽薄公爵のお気に入り  作者: 宝月 蓮


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姉の非礼のお詫び

「君は……」

 ヤンはニヤリと軽薄そうな笑みを浮かべている。

 イリスの存在に気が付いたようだ。

 イリスはヤンの前でカーテシーをして礼を()る。

「また可愛らしい天使さんに会えるとは、俺は幸せ者だ。君の名前を教えてよ」

 頭上から、軽薄そうな声が降って来た。

(とりあえず、名乗るべきよね……)

 イリスはゆっくりと体勢を戻す。

「ゼーラント伯爵家次女、イリス・パウリーナ・ファン・ゼーラントと申します」

 緊張でイリスの声は少し震えていた。

「ゼーラント伯爵家の。イリス嬢と呼んでも良いかな?」

「えっと……」

 甘い声のヤン。

 ほぼ初対面なのにも関わらず、名前呼びであることにイリスは戸惑っている。

「イリス嬢、その髪飾り、似合ってるね。天使度が増しているよ」

 ニヤリと相変わらず軽薄な表情のヤンである。

 しかし、たとえその言葉が本心ではないとしても、リンデからもらった髪飾りを褒められたことでイリスはほんの少しだけ嬉しくなる。

「ありがとうございます、ルーヴェン閣下。お姉様からもらった髪飾りなのです」

「イリス嬢の姉君……。ああ、この前の」

 ヤンはリンデの存在を思い出したようだ。

 イリスはそこでハッとし、アメジストの目を見開く。

(そうだわ、私、ルーヴェン公爵閣下にお姉様のことをお詫びしようとしたのだわ)

 ヤンに話しかけた目的を思い出したのだ。

「ルーヴェン公爵閣下、この前は姉が大変申し訳ございませんでした」

 ヤンの怒りを買い、ゼーラント伯爵家が危険に晒されないようイリスは必死だった。

「まあ、確かにあの時は驚いたね。全くの初対面の君の姉君にあんな風に言われたのだからさ」

 軽く、本心が読めない口調のヤン。

 恐る恐るヤンの顔を見ると、やはり軽薄な笑みを浮かべていた。

「どうしようかな……?」

 少し考える素振りのヤン。そして、何かを思いついたようにニヤリと笑う。

「ならばイリス嬢が俺にキスしてくれたら許してあげるよ」

「え……? キス……!?」

 イリスは一瞬で顔を真っ赤に染めた。

(男性にキスだなんて……!?)

 イリスの心臓はバクバクしている。


『軽薄公爵と口付けを交わしたとなると、縁談は見込めませんわね』


 ふと、ラノワ伯爵家の晩餐会にいた令嬢の言葉を思い出すイリス。

「してくれないのかな?」

 悪戯っぽい表情のヤン。

「えっと……」

 イリスはヤンから目をそらした。

(ルーヴェン公爵閣下にキスをしてしまえば、私の縁談は見込めなくなる。ゼーラント伯爵家の為に、お姉様の為に良い縁談を結びたいわ。でも……キスしなければ、お姉様の非礼を許していただけない……)

 イリスは究極の選択を迫られていた。


 その時、イリスの脳裏に浮かぶのはリンデの姿。

 リンデは常にイリスを守ろうとしてくれていた。


(リンデお姉様のことを許していただけるのならば……)

 イリスは意を決してヤンに目を向ける。

「承知いたしました……」

 覚悟を決め、イリスはゆっくりとヤンに顔を近付ける。

 心臓はバクバクし、唇は震えていた。

 すると、ヤンはそっとイリスの肩を掴み、自身との距離を引き離す。

「冗談だよ、イリス嬢」

 エメラルドの目の奥は少しだけ悲しそうだった。そしてやはり、何かを恐れているような感じがした。

「え……?」

 その言葉にホッとした反面、イリスは少し戸惑っていた。

「駄目だよ、俺なんかの言葉を本気にしたら。それに、泣くくらい嫌なんだろう?」

 ヤンはイリスにハンカチを差し出した。

「え……? 泣く……?」

 何を言われているのか全く分からないイリス。

「ああ、だから涙を拭いて」

 甘く優しく、どこか切ない声のヤン。

 そこでようやくイリスは自分が泣いていることに気が付いた。

 イリスのアメジストの目からは、一筋の透明な涙が流れていたのだ。

「申し訳ございません」

 イリスは差し出されたハンカチで涙を拭った。

(少しだけ、怖かったのかしら……?)

 いまだに心臓はバクバクしており、呼吸は浅かった。

「イリス嬢、婚約者でもなく、ましてや泣く程の相手に自らキスすべきじゃないよ。たとえ俺から求められたとしても。君が傷物になってしまう」

 ヤンはイリスから視線をそらし、夜空を見上げている。

 そして次の瞬間ニヤリと軽薄な笑みをイリスに向ける。

「それに俺は女性からの非礼は全然気にしていないさ」

 エメラルドの目の奥は、以前イリスが感じた通りどこか寂しげで影があった。

(どうしてこのお方は……寂しそうで……悲しそうなの?)

 思わずイリスはヤンのエメラルドの目に引き込まれていた。

「あの……」

 イリスは思わずヤンに声をかける。

 バルコニーから見える夜空には、神秘的な光を放つ満月が見えた。

「もし間違っていたら、満月の独り言だと思ってください。……ルーヴェン公爵閣下は、どうしてそんなに寂しそうで……何かを恐れているようなのですか?」

 イリスのアメジストの目は、真っ直ぐヤンを見据えていた。

 ヤンはエメラルドの目を一瞬大きく見開く。そして、再び軽薄そうな笑みに戻る。

「何かを恐れているっていうのはよく分からないけど、俺が寂しそう……ね。だったら、イリス嬢が相手してくれる?」

 イリスに顔を近付けて、ニヤリと笑うヤン。

 イリスは少しだけ後ずさりした。

「なんて、冗談だよ。……良い夜を」

 ヤンはひらりとイリスに手を振り、バルコニーを後にするのであった。

(ルーヴェン公爵閣下……)

 イリスは立ち去るヤンの後ろ姿から目が離せずにいた。

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