イリスの姉
「イリス嬢、せっかくだしさ、俺のことはルーヴェン公爵閣下ではなくて、ヤンと呼んで欲しい」
ヤンは甘い笑みでイリスを見つめている。
「ヤン……卿?」
「そんな仰々しい敬称はいらないよ」
「……ヤン様」
イリスは顔を赤く染めながらそう呼んだ。
「何だか……照れてしまいますね」
イリスは鈴の音が鳴るような声ではにかんでいる。
「そう?」
ヤンは嬉しそうに首を傾げていた。
「ルーヴェン公爵閣下……あ、ヤン様は最初から私のことを名前で呼んでいらしたからですよ」
イリスは上目遣いで軽く抗議する。
するとヤンは愛おしそうにエメラルドの目を細めた。
「イリスー? どこにいるの?」
その時、部屋の外からリンデの声が聞こえた。
「リンデお姉様……!」
イリスはハッと扉の方へ目を向けた。
「この部屋かしら?」
リンデはイリス達がいる部屋の扉を開けようとしている。
(リンデお姉様にルーヴェン公爵閣下……ヤン様と二人でいるとろを見られたら、ヤン様が怒られてしまうわよね)
イリスは扉とヤンを交互に見て、打開策を考えていた。
その時、部屋に置いてある人が入れそうなクローゼットが目に入る。
「ヤン様、隠れましょう。リンデお姉様に見つかったら大変ですから」
「そうだね」
リンデには何度か怒りをぶつけられたことがあるので、ヤンは困ったように苦笑している。
二人は部屋のクローゼットに隠れた。
クローゼットの中は、人が二人入るには少し狭かった。
「ごめんね、イリス嬢。どうしても体が当たってしまう」
ヤンの甘く優しい声が、耳元で聞こえてイリスの体温は上昇する。
「いえ……仕方のないことですから」
イリスはバクバクする心臓を必死に落ち着かせていた。
「あら? この部屋にはいないのかしら……?」
リンデはイリス達がいる部屋に入って来たようだ。
クローゼットの中で息を潜めるイリスとヤン。
お互いの吐息と、リンデの足音だけが聞こえる状態である。
リンデの足音は次第にクローゼットの方へ近付いてくる。
イリスは緊張のあまり、思わずヤンを抱きしめていた。
するとヤンもイリスを抱きしめる。
「……まさかクローゼットの中とか?」
すぐ側から聞こえたリンデの声に、二人は肩をピクリと振るわせた。
お互いを抱きしめる力が強くなる。
(お姉様がクローゼットの扉を開けたらどうしよう……!?)
イリスは別の意味で心臓がバクバクしていた。
「……いや、そんなわけないわよね」
リンデがそう呟くと共に、足音は遠ざかっていく。
そして、部屋の扉が閉まる音が聞こえた。
「君の姉君、行ったみたいだね」
「ええ」
二人はホッと胸を撫で下ろしていた。
そして、ようやくお互いが抱きしめ合っていたことに気付く。
「ヤン様、咄嗟のこととはいえ申し訳ございません……!」
イリスの頬は、真っ赤に染まっている。
「いや、気にしないで。俺としては……嬉しかったかな」
ヤンも頬を赤く染めて優しい笑みを浮かべていた。
その後、二人はクスクスと笑い合いながら、クローゼットの中から出るのであった。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
翌日。
「一体どういうつもりなのです!?」
リンデの怒鳴り声が聞こえ、イリスは何事かとリンデがいる場所へ向かう。
(リンデお姉様、一体どうしたのかしら……!?)
不安や心配に支配されるイリス。
自然と、リンデの元へ向かう足が速くなった。
イリスが向かった先には、ヤン、リンデ、ニールスの三人がいた。
「リンデ、落ち着くんだ……!」
いまにもヤンに殴りかかろうとしているリンデを、ニールスが必死に宥めている。
「貴方なんかが、どうしてイリスと!? イリスを騙そうとしているのでしょう!? 私がそうはさせない!」
リンデは物凄い剣幕である。
「えっと……」
リンデの口からイリスの名前が出るということは、恐らくイリスは当事者だろう。
しかし、話の前後が見えないので一体何が起こったのか分からないイリスである。
「イリス嬢、君の姉君に……俺達の関係、それから、イリス嬢と婚約しようとしていることを話したんだ。いずれ釣書を送ってイリス嬢のお父上にも話すつもりだけど、まずは今ここにいる姉君にね」
混乱するイリスに、ヤンはそう説明してくれた。
「婚約……!」
ほんのりとイリスの頬が赤く染まる。
それはヤンと気持ちが通じ合った先にあるものだ。
イリスは婚約のことを考えていないわけではないが、今はヤンと想いが通じたことでいっぱいになっていたのだ。
「軽薄公爵なんかとイリスを婚約させるわけないでしょう! イリスには、もっと相応しい相手がいる! 誠実で真面目で優しい相手こそが、イリスに相応しいのよ!」
激しい怒りをヤンに向けるリンデ。そのアメジストの目は、妹のイリスを本気で案じるものであった。
「私は、イリスには幸せになって欲しいのよ! イリスが傷付くかもしれない相手なんて、認められるわけがないわ! 貴方なんかに、イリスは渡せない!」
リンデはヤンに対してそう言い放った。
(リンデお姉様……)
悲しさや申し訳なさが溢れ、イリスはどうしようもない気持ちになっていた。
それでもヤンを想う気持ちや、リンデが大切だと思う気持ちは本物である。
イリスはゆっくりとヤンの隣に立つ。
「リンデお姉様、私のことを心配してくださりありがとうございます。ですが私は……」
いざ、リンデに自分の正直な気持ちを告げるとなると、緊張するイリス。
ヤンに想いを告げた時よりも緊張しているかもしれない。
少しだけ震える手を、イリスはギュッと握った。
「ヤン様のことをお慕いしているのです」
アメジストの目を真っ直ぐリンデに向けるイリス。
「イリス……!」
リンデはアメジストの目を見開き、ショックを受けた表情になる。
「イリス、貴方はきっと騙されているわ。相手は軽薄公爵よ。絶対に不誠実な奴よ。そんな奴にイリスが傷付けられるなんて、耐えられないわ。やっぱり私は貴女のように、軽薄公爵を信じることは出来ない」
リンデはイリスの肩を掴み、必死であった。
「リンデお姉様……」
イリスはそっと肩を掴んでいるリンデの手を下ろす。
「ヤン様はそんなことをしないと信じております。それに、たとえヤン様に傷付けられたとしても、私は絶対に後悔しませんから」
イリスのアメジストの目は、どこまでも真っ直ぐで力強かった。
そんなイリスに、リンデのアメジストの目からは涙がポロポロと零れ落ちる。
「イリス……そんな……!」
リンデは絶望したような表情になり、その場から逃げるように駆け出すのであった。
「リンデお姉様!」
「リンデ嬢!」
イリスとヤンはリンデを追いかけようとしたが、ニールスに止められる。
「ルーヴェン公爵閣下もイリス嬢も、少し待っていてください。多分今のリンデは落ち着いて話が出来る状態ではないので」
「ニールス卿、ですが……」
イリスはリンデのことが心配だった。
「イリス嬢、僕はリンデの婚約者で、彼女のことは昔から見て来た。ここは僕に任せて欲しい」
ニールスは穏やかな表情だが、そのムーンストーンの目は力強かった。
「分かりました。ニールス卿、リンデお姉様のことをよろしくお願いします」
ニールスにリンデのことを任せておけば、きっと大丈夫だろう。
イリスはそう感じたのである。
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