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軽薄公爵のお気に入り  作者: 宝月 蓮


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ヤンの過去

 イリスがヤンに気持ちを伝えてから、数日が経過した。

(思い切ってルーヴェン公爵閣下に気持ちを伝えたけれど……やっぱりご迷惑だったかしら……?)

 少しだけソワソワしつつ、イリスの胸の中は曇り状態である。


「このハーブは……免疫力向上の効果があるのね」

 イリスはルーヴェン公爵領に自生するハーブや薬草の特徴、効能をメモしている。

(今は待つ期間よね。……薬草やハーブの勉強をしていると、ソワソワした感じを忘れられるわ)

 薬草やハーブのことを学ぶことに没頭し、ソワソワした気持ちを表に出さぬよう誤魔化しつつ日々を過ごすイリスであった。


 そんなある日の夜。

 イリスが夕食を終え、ルーヴェン公爵城の書斎で勉強をしていた時のこと。

「イリス嬢、今良いかな?」

 本棚と本棚の間からスッとヤンが現れた。

 いきなりのことだったので、イリスはアメジストの目を丸くした。

 しかし、すぐに柔らかな表情になる。

「ええ、大丈夫です」

「ありがとう、イリス嬢。……ついて来て欲しいんだ」

「はい」

 ヤンからそう言われたので、イリスは読んでいた本を閉じ、ソファからゆっくりと立ち上がった。






♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔






 ヤンに連れられた場所は、以前イリスがヤンに想いを告げた部屋だった。

 ヤンの家族と、イリスの見知らぬ貴族の女性の肖像画が飾ってある部屋だ。

 イリスは思わず肩に力が入る。

「多分イリス嬢も分かったかもしれないけど、この肖像画は父上と母上と俺だよ」

 ヤンはルーヴェン公爵家の家族が描かれた肖像画を見て、エメラルドの目を懐かしそうに細めている。

 いつもの軽薄な仮面は、外されていた。

「やはりそうでしたか」

 イリスは少し緊張していたのか、声が掠れてしまう。

「それから、その隣の肖像画の女性。彼女はティルザ。……俺の婚約者だった人だ」

 ヤンのエメラルドの目は、哀しみに染まっていた。

「まあ……」

 婚約者だったという言葉に、イリスの胸は少しだけズキリと痛む。

 しかし、目の前にいる悲しさをまとったヤンを見ると、恋情による胸の痛みなどどうでもよくなってしまう。

 そのくらい、目の前にいるヤンは今にも消えてしまいそうな雰囲気だった。

「ルーヴェン公爵閣下は……ティルザ様のことがとても大切だったのですね」

 ヤンに近付き、そっとその背中をさするイリス。

 どうかヤンの悲しみが癒えますようにと願いを込めるイリスである。

「そうだね。とても大切だった。ティルザも、父上も母上も」

 ポツリと呟かれた言葉は、小さかったが真っ直ぐだった。


 ヤンは悲しげにフッと笑い、イリスに目を向ける。

「去年、ヴィルヘルミナ女王陛下が革命を起こすまでのドレンダレン王国は本当に酷かったよね。イリス嬢、君もそう思うだろう?」

「ええ、そうでしたね。……私のお父様とお母様は革命推進派でしたから、いつベンティンク悪徳王家に殺されてしまうか分からない。そんな状態でした」

 イリスは数年前のことを思い出し、表情を曇らせた。


 国中、秘密警察が監視しており、言論の自由が認められず、少しでもベンティンク家に逆らえば処刑されてしまう、恐怖で支配された時代。

 まだ十五歳のイリスは、人生のほとんどがそんな時代だった。

 それは十七歳のヤンにも言えることである。


「そうだよね。今はまだ国全体に混乱が残っているけれど、かなり平和になっていて……ベンティンク悪徳王家の時代が夢だったんじゃないかと思う時もある。……むしろ、夢だったら良かったのにとね」

 ヤンの笑みは、悲しみに染まったままである。

「そうしたら、両親もティルザも殺されずに済んだのに……」

 ポツリと呟かれた言葉は、重々しかった。






♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔






 それは二年前の寒い冬の日。暗い夜の出来事だった。外は雪が降っていて、視界も悪かった。

 当時十五歳になったばかりのヤンは、当主である父の代わりに領地の視察をした帰りだった。

 ヤンが乗った馬車は、視界が悪い中カタコトと規則正しい音を立ててルーヴェン公爵領を走っている。

(……思ったより遅くなってしまった。父上と母上も、ベンティンク悪徳王家に目を付けられないようにやってくれていたのか)

 初の領地視察をしたヤン。慣れないことも多く、おまけに当時はベンティンク悪徳王家の恐怖政治の時代だったので、気を張らなければならなかったのだ。

 ルーヴェン公爵家は表立って革命推進派には加わっておらず、ひたすら息を潜めて暮らしていた。

(……早くルーヴェン公爵城に戻らないと。父上と母上がきっと王都から戻って待ってくれているだろう。それに……)

 ヤンの表情が少しだけ柔らかくなる。

(今日はティルザも来ている。最近あまり会えていなかったから、会って色々話したいな)


 ティルザとは、当時ヤンの婚約者だった侯爵令嬢だ。

 ティルザ・フレーチェ・ファン・ロッツェラール。彼女はヤンよりも二つ年上である。

 幼い頃からヤンとティルザは交流があり、気心知れた仲なのだ。

 

「もう少しだけスピードを上げてくれるかい? もちろん、安全第一で」

 ヤンは馬車の御者に少しだけスピードを上げるよう頼むのであった。

(父上と母上、そしてティルザと話したいことがたくさんある)

 誰がいつ殺されるか分からない中、両親や婚約者と過ごす時間だけが、ヤンにとって心の支えであった。


 しかし、呆気なくそれらを失ってしまう。


「え……!? 父上……!? 母上……!? ティルザ……!?」

 ルーヴェン公爵城に戻ったヤンが目にしたものは、両親とティルザが血を吐いて倒れている姿。

 既に両親は息を引き取っていたが、ティルザだけは息があった。

 しかし、息を引き取るまでは時間の問題だろう。

「ティルザ! 今医師を呼ぶ!」

 ヤンは必死だった。

 どうかティルザだけは死なないで欲しいという思いでいっぱいだったのだ。

 しかし、ティルザは力なく首を横に振る。

「良い……の。ヤン……貴方は……生きて……」

 まるで最後の力を振り絞るかのような声だった。ティルザはそこで息を引き取ってしまう。

「何で……父上と母上とティルザが……!?」

 大切な両親と婚約者を失い、ヤンのエメラルドの目は、絶望に染まっていた。







♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔






「そんなことが……!」

 イリスはヤンの過去を聞き、アメジストの目からポロポロと透明な涙を流す。

 まるで自分のことのように悲しくなり、胸が苦しかった。

「イリス嬢……君は……優しいね」

 ヤンはそっとイリスの涙を自身のハンカチで拭った。

「両親とティルザを毒殺したのは……ベンティンク悪徳王家の息がかかった家の奴らだった。奴らにとってルーヴェン公爵家は邪魔だったらしい。ルーヴェン公爵家の使用人の中に奴らの手下が紛れ込んでいたんだ。もう何年も前から」

 ヤンは悔しそうに唇を噛み締める。エメラルドの目は怒りと悲しみに染まっていた。

「そんな……!」

「イリス嬢も思っただろう? ルーヴェン公爵家の使用人が少なすぎると」

 イリスは黙ってヤンの話を聞いている。

「二年前に両親とティルザを毒殺されてから、もちろん俺はベンティンク悪徳王家の息がかかった家の奴らを撃退したさ。ルーヴェン公爵家の使用人も総入れ替えしたんだ。本当に信用出来る少人数に絞ってね。」

「だから……ルーヴェン公爵家の使用人が少なかったのですね」

 イリスは納得したような表情になる。

「イリス嬢、俺はね、もう大切な存在を作らないようにしていたんだ。二年前の両親やティルザみたいに、失うと(つら)いからね。社交界で顰蹙(ひんしゅく)を買う振る舞いをしたら、誰も俺に近づかないだろうし、必要以上に人と関わらずに済むだろうって思っていた」

 ヤンは再び悲しげな笑みを浮かべる。

 その表情が痛々しく感じ、イリスのアメジストの目からは再び涙が零れた。

 ヤンは優しくイリスの涙を拭ってくれる。

「やはり……軽薄に振る舞っていたのは本心を隠す為だったのですね」

 ポツリと呟くイリスに、ヤンはやや弱々しく頷く。

「でもね」

 ヤンのエメラルドの目は、イリスに向けられる。

 その目からは先程の弱々しさが消えていた。

 エメラルドの目は、真っ直ぐイリスを見つめている。

「夜会でイリス嬢が姉君のことを詫びに来た時、俺が寂しそうで何かに恐れていると言われて驚いたよ。それと同時に、イリス嬢は俺の心の奥にまで来てくれたと感じた。そこから君のことが気になり始めたんだよ。気が付いたら……君を欲するようになっていた。失うのが怖いから大切な存在を作らないようにしていたのに……」

「ルーヴェン公爵閣下……!」

 ヤンの真っ直ぐな言葉が、イリスの心の奥に響き渡る。

「俺も、君のことが好きなんだ、イリス嬢。だから君が俺に気持ちを伝えてくれた時、嬉しかった。それと同時に怖くなったんだ。失うのが怖いとね。情けないだろう」

 フッとヤンは自嘲する。

 イリスは首を横に振る。

「情けなくなんかありません」

「ありがとう、イリス嬢」

 イリスの言葉に、ヤンの表情は柔らかくなった。

「改めて言うよ、イリス嬢。俺は君を愛している」

 真っ直ぐ向けられたエメラルドの目。

 イリスはアメジストの目で真っ直ぐヤンを見る。

「私も、ルーヴェン公爵閣下を愛しています」

 イリスはそっとヤンの手を握った。


 肖像画のヤンの両親、そしてティルザに見守られる中、二人の想いは通じ合った。

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