闇色の愛
闇に潜む怪物は
闇に囁く
闇に蠢く愛を
◇◆◇◆◇◆
「あなたー、朝よー♪」
天上の楽器が奏でる音色の如く美しい声で、目を覚ます。
「お早う、アマリリス」
「はい、おはよう、あなた♡」
むにむにと指で頬を突かれる。
お返しに、彼女の頬を撫でる。自然に妻の顔をじっと見つめる事となる。
ああ、今朝も俺の妻は可愛い。そして美しく、優しく、綺麗で、華憐だ。
だが、いつまでも見惚れているわけにもいかず、促され、食卓に着いた。
「今日は早く帰って来れるんでしょう?」
朝食を摂りながら、妻が尋ねた。
「ああ、今日はダンジョンの浅い階層を、調査するだけだから。夕方には帰るよ」
「じゃ、今日はあなたの好きなシチューを作って待ってるわね」
嬉しい~。妻の頭をなでなでとしてみる。絹のように滑らかな撫で心地。妻はにこにこと微笑んでいた。
朝食を終え、手早く身支度をすませ、出発する。
「じゃあ、行ってくるよ」
ぎゅっと抱き着いて来る妻。二十分ほどそうして、さすがにもう行かなくてはと、名残惜しく手を振って、家から出る。
俺は主にダンジョンを探索し、素材を収集する事を生業としている。
特に、魔導石と呼ばれる、魔力の結晶である鉱石をメインに集めている。動力、燃料、魔法のアイテムの素材などに使われる物だ。
ダンジョン内の空気には、魔力が含まれている。漂う魔力が濃いほど、魔導石が生成されやすい。もっともその分、強い魔物が発生しやすくもあるのだが。
今日は初めて行くダンジョンの魔力濃度を計測する予定だった。
ゴツゴツとした岩で出来た、ダンジョンの入口をくぐり、魔力測定器を起動させる。
かなり高い数値だ。この分なら期待できそうだが、魔物への警戒も怠らない様にした方が良いだろう。
しばらく奥へ進むと、悲鳴が聞こえた。
悲鳴の元へと駆けつけると、数体の魔物を前に、子供が腰を抜かしていた。引ったくるように抱え、走る。
「どうしてこんな所に来たんだ!」
「ううっ、お母さんが……病気で……、魔法の石を拾って売ったら、薬が買えると、思って……」
怒りにくい理由だな。
暫し走り、開けた場所に出る。多少引き離したのか、背後から追って来る音は小さくなっている。このまま逃げ切れるか?
だが、それは甘い考えだった。前方からも数体の魔物が現れた。
俺は舌打ちして立ち止まる。挟み撃ちにされてしまった。
子供を地面に下ろし、一枚しかない転移魔術の力を封じた札を取り出す。念を込めて掲げると、子供は光に包まれ姿を消した。札の効果で街まで飛ばしたのだ。
転移魔術の札で飛ばせるのは、一枚につき一人のみ。効力を失った札が灰となり、はらはらと花弁のように散っていく。
枯れて逝く花のように、死を連想させる。だが、俺は死なない。妻を遺して逝く訳にはいかないから。
片刃の剣を抜く。
俺は冒険者になってから、極力殺生はしない事にしていた。例え、相手が魔物でも。だが、生き残るためには、避けられない事もある。
心の中で、十字を切る。それは唯の自己満足か。
懐から取り出した、火炎魔術が封じ込められた札を前方に投げる。翻り、飛来する霊符の着弾点から業火が舞い上がり、数匹で固まっていたスライムが音を立てて蒸発した。火の粉がキラキラと舞い上がり、俄かに洞窟内を照らし出す。
振り返ると、後方から追ってきた二体の小鬼が飛び掛かるところだった。迎え撃つ剣が、銀色の軌跡を描き、ボトボトと小鬼たちの首が落ちる。
そのまま踏み込み、斬りかかって来た骸骨の騎士と剣を合わせる。剣戟の最中、相手の膝に向けて関節蹴りを放った。
バランスを崩した骸骨から剣を奪い取り、二本の剣で襲い来る獣人の群れを斬り刻む。飛び交う咆哮と血飛沫。鋭い爪や牙も、俺の速度を捉える事は出来なかった。
ガシャガシャと音を立て骸骨が起き上がる。
「返すぜ」
骸骨に向けて、拝借した剣を投擲した。アンデッドモンスターの核とでも言うべき部分を貫き、骸骨はバラバラと崩れ落ちる。
微かに地面が揺れた気がした。
ずしん
地響きのような足音。残っていた魔物達が、血相を変えて逃げていく。
現れたのは、二メートルを優に超える人喰鬼だった。
「この階層のボスか?」
人喰鬼は問いに答えず、手にした巨大な戦斧を振るう。当たれば即死だろうが、大振り過ぎる。避けるのは造作もない。
躱しながら懐に潜り込み斬り付ける。だが――
キィン!
体表に弾かれた。何という頑強な肉体。
首や額に打ち込んでも、僅かに糸のような傷が付いただけだった。
正眼に剣を構える。
頭上から、全力を込めたであろう強烈な一撃が降り下ろされる。
己を遥に上回る力を、技を持って受け流す。その勢いのまま振るう刃は、人喰鬼の肋骨の隙間に流れるように滑り込んだ。
――剣技・流
人喰鬼自身の振り下ろす力を利用し、抉り込んだ剣。その刃で、引き斬りながら跳躍する。
逆袈裟に斬り裂かれた怪物の体から、薔薇が散り咲くように、深紅の血が噴き出す。
断末魔の悲鳴を上げて倒れた巨体は、ぴくりとも動かなかった。
大きく息を吐く。
俺の体は血に塗れていた。返り血で染まった、とても妻には見せられない姿。
王に仕える兵だった頃を思い出す。与えられる命令のまま、幾多の魔物を斬り伏せ、剣鬼と呼ばれていた頃。
恐ろしかった。
戦う事ではなく、傷付く事ではなく、命の遣り取りを楽しむ自分。その心の闇が、何よりも恐ろしかった。
だが、大丈夫だ。彼女がいてくれるなら、俺は人でいる事が出来る。
帰らなくては。
ぺたり
戦闘で疲弊した体を、引きずる様に歩く。
ぺたり
妙な音に、振り返る。
そこには、暗黒を塗り固めたような巨大な球体がいた。ぎょろりと、赤い単眼が開かれる。
悪魔……なのか? そう考え、剣に手を掛けた瞬間――
波動が放たれた。
「がはっ!!」
背中に感じる衝撃。反応する間も無く、勢いよく壁に叩き付けられた。痺れる様な痛みが全身に広がる。
馬鹿な、攻撃が全く見えないなんて――。
視界が幾重にもブレて、自分が気絶しかけている事を感じていた。
いま気を失ったら、確実に殺される。気力を奮い、立ち上がろうと力を込める。
もがく俺に、再び波動が放たれた。
全身を包む衝撃。
明滅する意識。
ああ、最期に、一目……。
♢
アマリリスは、人参を刻んでいた手を、ぴたりと止めた。
何かを感じ取ったように。
掌を重ね合わせる。祈る様に。
だが、纏っている瘴気は、祈りなどという、生易しいモノではなかった。
「百夜の闇、百八の願いよ」
華憐な女性の声でありながら、地獄から響くような恐ろしさを伴った声。
「呪い紡ぎし我が手に集え」
それは詠唱だった。仇為す者、すべてを殺し尽くすかのような。
「汝の敵は我が敵也」
膨大な魔力が、周囲の空間さえも歪めていた。
「圧し潰せ――『滅壊獄』」
♢
ぐしゃり
気絶から覚めると、悪魔は潰れて死んでいた。
ま、まさか、もしかして……
俺は、気絶すると真の力を発揮するのだろうか。死にかけた事は何度かあるが、結局いつも何とかなってるし。
外に出ると、もう日が沈んでいた。
小川で血を洗い流し、急ぎ帰ると、街の入口まで妻が出迎えに来ていた。
「もう、遅かったじゃない! 心配したんだから!」
涙目の妻が懐に飛び込んでくる。
「ごめんごめん。ダンジョンに迷い込んだ子供に、転移の札を使っちゃって、魔物と戦ったりもしたから」
「あんまり無茶な事はしないで……」
思い詰めたような妻の表情もカワイイ。
しかし、出逢ってから十年も経つのに、ずっと可愛くて美しいままで、俺の妻は凄いな。昔より少し肉は付いたけど、それもまた好き♡




