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最終章

東の町エルマリアの朝は、いつもざわざわとうるさい。


 人の声、馬車の軋む音、売り子の叫び。

 焼きたてのパンの匂いと、油で揚げた肉の匂いと、少しだけ下水の匂い。


「おとーさま、あれまた値上がりしてる!」


 市場の一角でリリーが指さした先には、山盛りになった赤い果物。

 店主は大きな声で、「今日は特別価格だよ!」と叫んでいる。


「物価変動。最近の魔物被害増加が影響していると推測」


「むずかしいこと言ってるけど、“たかい”ってことね?」


「肯定」


 ゴーレムはそう答えながら、リリーの前に片手を差し出した。


「転倒防止。ここは人が多い」


「はーい!」


 小さな手が、岩の指にぎゅっとしがみつく。

 頭の上では、白いマスコット――シロが「きゅい」と鳴きながら、通りの匂いをくんくん嗅いでいた。


 西の砦から東の町までは、今やリリーの転移魔法で定期的に行き来するルートになっている。

 冒険者ギルドの依頼をいくつかこなし、食べて、砦に戻り、また来る。そんな日々がもう何度も繰り返されていた。


 最初こそ物珍しい視線を向けていた町の人々も、いまでは「変わった親子」としてそこそこ受け入れている。


「あ、西のおっきい人だ!」


「今日も娘さんかわいいわねぇ」


「おじょうちゃん、昨日の魔物退治、すごかったって噂だよ」


 声をかけられるたびに、リリーは照れくさそうに笑った。


「えへへ……おとーさまも、すごかったんだよ!」


「否定。昨日の依頼の主戦力はリリーとシロ。私は周辺環境の保全を担当」


「それもすごいって言うんだよ、おとーさま」


 砦しか知らなかったゴーレムにとって、この町はあまりにも変化に満ちていた。

 だが、それは悪くない変化だった。リリーの笑顔が増える場所は、彼にとっても“良い場所”である。


 ――その朝までは。



 ギルドの扉をくぐると、いつもより空気が重かった。


 冒険者たちはざわつき、受付嬢の顔色も冴えない。

 壁には新しい紙が何枚も貼られている。


「なんか……こわい雰囲気」


 リリーが小声でつぶやく。

 ゴーレムは壁の紙に目を向けた。


『東方の旧戦域にて、異常事態発生』

『魔物の急増および、人間の“魔物化”事例を確認』

『原因不明の身体変質、記憶欠落の報告あり』


「……ビオロジー的異常」


「びおろじー?」


「生命の情報を書き換える魔法体系。改ざん、増殖、融合……東の砦にも、その研究施設があった可能性」


 そこへ、ギルド長と思しき壮年の男が近づいてきた。


「おお、西の砦のゴーレム殿か。それにリリーちゃん」


「こんにちは!」


「おはようございます」


 ゴーレムが機械的に頭を下げると、男は困ったように眉を寄せた。


「……今日は、あんたたちに頼みがある」


「依頼?」


「そうだ。ランク的には最上位。だが受けてくれそうなのが、もうあんたらしかいない」


 ギルド長は壁の紙のひとつを剥がし、カウンターに置く。


「ここからさらに東、かつて魔王軍の“東の砦”があった地域でな、異常な魔物の発生と、人間の変質が続いている」


「変質……」


「魔物に噛まれた訳でもないのに、体の一部が鱗になってきたり、記憶が飛んだりするんだ。治癒魔法も祈りも、ぜんぜん効かねぇ」


 リリーの顔から笑みが消える。


「なおらないの?」


「今のところは、な」


 男は苦々しく言った。


「だから“原因”をどうにかしてほしい。魔物退治だけじゃなくて、このわけの分からん変質を止める手がかりを――」


「ビオロジー」


 ゴーレムが遮るように呟いた。


「え?」


「生命情報への干渉。魔王軍時代、一部の研究者が扱っていた。東の砦がその拠点だった可能性が高い」


「じゃあ……魔王の、置き土産みてぇなもんなのか?」


 ギルド長の問いに、ゴーレムはすぐには答えなかった。


「不明。ただし、このまま放置した場合、被害範囲は拡大する。……危険だ」


「行こ、おとーさま」


 リリーがゴーレムの腕を引く。


「変なの、やだ。みんなが苦しんでるの、やだ。わたし、なおしたい」


 その言葉は、誰よりも“ビオロジー”が似合っていた。


 ゴーレムの胸の刻印が、かすかに熱を帯びる。


 ――魔女が残した、記憶と魔力の刻印。


 彼女なら、どう言うだろう。


『誰も信じてあげられない私が、あの魔王みたいにさ……』


 かすかな声が、過去から響く。


「……依頼、受諾する」


 ゴーレムはそう宣言した。


「ただし、リリーとシロの安全を最優先とする。危険度が許容値を超えた場合、即時撤退する」


「うん!」


 リリーは力強く頷いた。


 ギルド長はほっとしたように息を吐いた。


「助かる。――どうか、頼む」



「座標設定、東の砦……っと」


 西の砦の前に描かれた転移陣の上で、リリーが両手を広げる。

 シロは彼女の肩に乗り、きゅいきゅいと魔力の流れを整えていた。


「リリー。今回は通常の依頼ではない。危険度は想定以上だ」


「うん。でも、おとーさまが一緒なら平気」


「根拠が感情のみで構成されている」


「でも、それで十分でしょ?」


 リリーは笑った。


「だって、おとーさまは“さいきょう”なんだから」


「……訂正。私は、最強“だった”」


 ゴーレムは少しだけ空を見上げる。


「今は父だ。父として、最善を尽くす」


「それがいちばん強いよ」


 リリーが足元の陣に魔力を流し込む。

 転移の光が砦を包み――世界が、またひっくり返った。



 風が止んでいた。


 そこは、静かだった。


 空は曇り、地面は乾ききってひび割れている。

 遠くには、崩れた城壁の影が見えた。かつて東の砦と呼ばれた場所だろう。


「ここが……」


 リリーが小さく息を呑む。


「東の砦跡地。外壁の大半は崩壊。……しかし」


 ゴーレムは地面に手を当てた。

 石の下を、微かな“脈”が走っている。


「魔力の流れ、異常。地下に大規模な構造体」


「なにか“生きてる”感じがするね」


「正確には、“動いている”」


 崩れた城壁を越え、砦の中へと進む。

 廃墟のはずの場所には、妙な違和感があった。


 建物の影から、ふらふらと人影が現れる。


「……あれ?」


 リリーが駆け寄ろうとして、すぐに立ち止まった。

 人影の皮膚には、魚のような鱗、獣の毛、硬い殻――それらが無秩序に貼り付いている。


「き、きもち……わるい……」


「身体変質、進行度高。意識混濁。……ビオロジーの暴走による融合体」


 人影――いや、もう人とは呼び難い何かが、リリーたちをぼんやりと見た。

 瞳の奥には、かすかな助けを求める光と、凶暴な衝動が混ざり合っている。


「おとーさま、なおせない?」


「……この場での修復は困難。まずは、元を断つ必要がある」


 融合体が叫び声を上げ、駆けてくる。


「シロ。防御」


「きゅい!」


 白い膜のような障壁が展開し、融合体の突進を受け止めた。

 リリーは胸の前で手を組み、歯を噛みしめる。


「ごめんなさい」


 静かに呟き、小さな魔法陣を展開する。


「【花蝶散華】」


 今回は、いつものような花火のような光景ではなかった。

 淡い光の蝶が融合体に触れ、その構造を少しだけほどく。

 苦痛を最小限に、形を元の“静寂”へと戻す。


 融合体は、数秒後にはただの土と灰になって崩れた。


「……ごめんね」


 リリーは崩れた灰の前で、そっと頭を下げた。


「リリー」


「うん。分かってる。……いまは、“なおす”より、止めるのが先」


 子どもらしからぬ言葉。

 しかしその重みを、彼女はもう理解し始めていた。


「地下に進む必要がある。東の砦の“核”を探る」


「いこ。シロも一緒に」


「きゅい!」


 三つの影が、崩れた砦の奥へと消えていった。



 地下への階段は、崩れた石の間に隠されていた。


 かつては厳重な扉があったのだろうが、今は破壊されている。

 しかし、その先から漂ってくる空気は、確かに“生きた魔法”の匂いがした。


「ここ……あんまり好きじゃない」


 リリーの肩に乗ったシロの毛が、逆立っている。

 ビオロジーの核が放つ波長に、本能的な警戒を示しているのだろう。


 階段を降りるたびに、空気は重く、湿り気を帯びていく。

 やがて、広い空間に出た。


「……なに、これ」


 地下室の天井と壁、床一面に、脈打つように光る紋様が走っている。

 それは魔法陣とも回路とも言い切れない、巨大な“式”だった。


 中心には、水晶のような透明な柱があり、その内部で粘っこい光がゆっくりと回転している。


「ビオロジーの中枢……“核”」


 ゴーレムが呟く。


「生命情報の収集、解析、書き換えを自動で行うための魔法生体装置。魔王軍時代の禁忌研究」


「魔王さんが、これ作らせたの?」


「……魔王は戦争を終わらせるため、いくつかの危険な研究を黙認していた。そのひとつが、これ」


 ゴーレムの記憶が、過去を呼び起こす。


 魔王の側近。

 穏やかな笑みを浮かべながら、生体実験の成果を報告していた男。


『陛下、これで兵士は疲れを知らず、死んでもすぐに戦場に戻せます』


『そんなものは要らん。……と言いたいところだが、現実は厳しいな』


『戦争を終わらせるための犠牲だと思えば、安いものです』


 あのとき。

 魔王は、明らかに迷っていた。

 だが最終的に、「必要悪」として研究を止めなかった。


 その結果が――今、目の前にある。


「おとーさま……」


「これは、魔王の過ちの一部。……そして、私もその過程に居合わせていた」


 責任の一端が、自分にもあることを、ゴーレムは理解していた。


 そのとき。


 地下室全体に、低い声が響いた。


『――認識。適合体、接近』


「だれ……?」


 リリーが身構える。

 声は特定の方向からではなく、空間全体から聞こえていた。


『生命情報、解析中……混成体検出。魔物由来核+人間型構造+未知の刻印……』


「……私のこと?」


『ビオロジー制御権限候補――リリー。あなたは最適な器です』


 透明な柱の内部の光が、ゆっくりと回転速度を増していく。


「やな感じする」


 シロが低く唸った。


『世界は壊れかけています。命は不完全で、すぐに傷つき、簡単に死ぬ。

 私たちの目的は、それを“直す”ことです』


 ビオロジーの核の声は、穏やかだった。

 だがその穏やかさが、逆に不気味でもある。


『あなたの力を貸してください。全ての命を一度“作り直せば”、苦しみは消える』


「全部……作り直す?」


『そうです。傷ついたものは“破棄”し、完璧な形に再構築する。

 あなたには、そのための才能がある。魔物と人間と魔女の力が混ざった、稀有な器』


 リリーは一歩、後ずさった。


「……なおしたい。でも、“こわしたい”は、やだ」


『破壊ではありません。改善です。より良い姿へのアップデート』


 声が、優しく囁きかける。


『あなたはすでに、壊れかけた命を何度も見てきたでしょう? あの融合体のように。

 痛みを消してあげたいと思ったでしょう?』


「それは……」


『この世界は、あまりに不完全だ。選ぶことを知らぬ者たちが、無駄に傷つき、無意味に死んでいく。

 だから“選べる者”に、全てを委ねるべきなのです』


 核の光が、リリーに向かって伸びる。


『あなたはその“選べる者”になれる』


 リリーの足元に、いつの間にか細かな紋様が広がっていた。

 ビオロジーの回路が、彼女の身体に接続されようとしている。


「リリー!」


 ゴーレムが一歩踏み出す。

 だが、足に絡みつくような魔法陣が動きを鈍らせた。


『あなたにも感謝しています、西の砦のゴーレム。

 あなたが守ってきた時間は、この世界の膿をここまで溜めこむために必要でした』


「膿?」


『戦争、裏切り、実験、絶望――全て、この地に集まっている。

 今こそ、それらを利用し、世界を“作り直す”時です』


 リリーの胸が熱くなった。


「……おとーさま……」


 目の奥に、さっきの融合体の姿がよぎる。

 東の町で見た、怪我をした人々。

 笑ってはいたが、その影にある痛み。


 ――なおしたい。


 その気持ちは、確かにある。

 だが、そのために「全部作り直す」という選択肢を選んでいいのか。


『迷う必要はない』


 核の声が、リリーの耳元で囁く。


『あなたのビオロジーなら、もっと“うまくやれる”。

 苦しみを最小限に抑え、効率よく、静かに世界を変えられる』


 足元の紋様が、彼女の足首を絡め取り始めた。

 シロが前に飛び出そうとするが、透明な糸に捕まって動きを封じられる。


「きゅ……!」


「シロ!」


『暴走魔力抑制装置も、制御下に置く必要があります。どのみち、世界を作り直すなら、あなたの周囲も例外ではありません』


 リリーの手が震える。


「やだ……」


『怖れることはない。これは“良いこと”だ。

 不完全な命を、完全な命に置き換える。それは善であり、救済だ』


「やだ!」


 リリーが叫んだ。


「全部きれいにしちゃうなんて、やだ! 汚いまま、傷だらけのまま、それでも生きてるのが……」


 言葉に詰まる。


 胸の奥から、別の声が聞こえた。


『だからね、私は死に場所を探してるの。

 誰も信じてあげられない私が、あの魔王みたいにさ……』


「……魔女、さん」


 リリーは目を閉じる。


 ゴーレムから受け取った記憶の断片。

 砦の前で笑っていた女の姿。

 焚き火を前に、星空を見上げながら話していた横顔。


 彼女は完璧な世界なんて、望んでいなかった。


『結果最後が裏切りに終わったとしてもね』


 それでも信じようとした。

 馬鹿みたいに、愚かしく、でも眩しく。


 リリーは息を吸い込んだ。


「……おとーさま」


 目を開けた先には、動きを制限されながらも、自分に手を伸ばそうとしている巨体がいた。


「わたし、どうすればいい?」


 ゴーレムは、一瞬だけ迷い――そして答えた。


「リリー。選ぶのは、お前だ」


「え……」


「私は、命令に従ってきた。自分で選ばない方が、楽だったからだ。

 だが今は違う。魔王の契約を、一部破り、魔女との契約を受け入れた。

 私は、“父”として、お前に選んでほしい」


『選ばせるのですか? そんな不完全な子どもに』


 核の声が嘲るように言う。


『選択は苦しみを生む。過ちを生む。――あなた自身が、よく知っているはずでしょう』


「知っている」


 ゴーレムは短く答えた。


「だが、それでも選んだ先にしか、“約束の果て”はない」


 胸の刻印が、強く輝いた。



 その瞬間、地下室の別の部分が淡く光った。


『……記録再生、起動』


「え?」


 空間の一角に、かすかな映像が浮かび上がる。

 椅子に座った魔女の姿。服はボロボロで、顔色は悪いが、いつものように笑っている。


『あー、繋がってるかな、これ。ビオロジーの核くん、聞こえる?』


 声が、はっきりと響いた。


『あんた、世界を“直したい”んでしょ。考え方は分かるのよ。

 私も昔はそうだった。壊れてるなら、一回全部ひっくり返した方が早いって』


 魔女は肩をすくめる。


『でもさ、それやるとね、“間違えた”って気づいた時に、戻せないのよ』


 核は黙っている。

 だが、光の回転がわずかに乱れていた。


『人ってさ、何度も間違えるの。魔族だって、同じ。

 でも、間違えたまま生きてるから、面白いんじゃない』


 魔女は、映像越しにこちらを見た。


 ――本当はこちらを見ているはずはない。ただの記録だ。

 それでも、視線が合ったような錯覚を覚える。


『ビオロジーって、命の“情報”をいじる魔法でしょ。

 なら、その“間違い”まできれいに消しちゃダメだと思うのよ』


 魔女は笑いながら、薄く咳き込んだ。


『私はね、死に場所を探してた。

 でも最後の最後で気づいたの。“死に場所”より、“生きる場所”見つける方が難しいんだって』


 リリーの胸が締め付けられる。


『だから、もしこの記録が再生されてるってことは、あんた、まだ迷ってるってことでしょ?』


 魔女の声が、少しだけ優しくなる。


『だったら、世界をぜんぶ作り直すんじゃなくてさ。

 ――生き続けることを選んだ奴らのために、“少しだけ守る”方を選んでみない?』


 映像が、ふっと薄くなっていく。


『ビオロジーの核くん。あんたの仕事は、“全部書き換えること”じゃない。

 “書き換えすぎたものを、元に戻すこと”にしなさい』


 最後に、魔女は誰かに向かって手を振る。


『ゴーレム。見てる? もし見てたら、これ、あんたの娘に渡してあげて』


 映像が消えた。


 静寂。


 核の光が、ふらりと揺れる。


『――記録確認。魔女の提案、評価中……』


 ゴーレムは、胸の奥が熱くなるのを感じた。


 魔女はもういない。

 ここに残っているのは、彼女の“記憶”だけだ。


 それでも、その記憶は、確かにこの瞬間を動かしている。



『結論。既定のプロトコルに反する提案――却下。

 世界の完全な再構築が、最も効率の良い解であることに変わりはない』


 核の声が戻った。


『ただし――魔女の記録は参考値として保持。新しい制御権限者の裁量に委ねることも可能』


「制御権限者って……」


『リリー。あなたです』


 光が再びリリーに向けて伸びる。


『選びなさい。世界を書き換えるか、魔女の提案に従って限定的に運用するか』


「そんなの、選べない……」


『選べます。あなたにはそれだけの情報と力がある』


 核はさらりと言う。


『迷うなら、いっそ私に全権を委ねてもいい。楽になりますよ』


「――それはダメだ」


 ゴーレムが声を上げた。


「それは、“命令に任せる”のと同じだ。お前が、私にしてきたように」


『命令は優しい。考えなくて済むから』


 核が言う。


『あなたも百年、それにすがって生きてきたでしょう?』


「肯定。だが、それで“魔王の約束”は果たせなかった」


 ゴーレムは足に絡みつく紋様を、力ずくで引きちぎる。

 鈍い音とともに、石の脚にヒビが入った。


「砦を守るだけでは、何も変わらない。

 通すかどうかを“選ぶ”ことでしか、あの約束は果たせない」


『約束……』


「魔王は言った。

 ――いつか、そんな砦をお前が通そうと思う者を、俺に見せてくれ、と」


『しかし、魔王はもういない』


「不在でも、約束は消えない。私の中で、まだ生きている」


 ゴーレムはリリーの方を見た。


「リリー」


「……うん」


「お前は、どうしたい」


 リリーは震える足で、一歩前に出た。

 ビオロジーの回路が足首を撫でるように絡みつく。


「わたしは……」


 東の町の人々。

 融合体になってしまった誰か。

 魔女の笑顔。

 おとーさまの不器用な優しさ。


 すべてが胸に渦巻いている。


「全部、作り直したくない」


 ゆっくりと、はっきりと言った。


「まちがってて、きずだらけで、そのままで生きてる人たちを、“なかったこと”にしたくない」


『しかし、多くは苦しんでいる』


「うん。だから――なおしたい」


 リリーは胸に手を当てた。


「“全部”じゃなくて、“行き過ぎたところだけ”戻すようにしたい。

 なくしていいのは、『もう生きられない“暴走”』だけ」


『暴走と許容範囲の境界を、どう決める? 主観ですか?』


「うん」


 即答だった。


「だって世界には、ちょうどいい答えなんてないもん。

 だれかが間違えるたびに、みんなで“ちょっとずつ直していく”しかない」


 核はしばらく黙った。


『非合理的。非効率的』


 それでも。


『――しかし、“生きる”とは、そういうものかもしれません』


 声のトーンが少しだけ変わった。


『新しい制御方針を提案します。

 ビオロジーは、世界全体を“作り直す”機構ではなく――

 “暴走した部分のみを検知し、元の“揺らぎのある状態”に戻す機構”に変更する』


「できるの?」


『理論上は可能。ただし、ひとつ問題があります』


「問題?」


『暴走の負荷をどこに逃がすか。

 今まで私は、この砦に全ての“膿”を溜めこんでいた。その結果が、この有様です』


 地下室の壁に刻まれた紋様が、不気味に脈動する。


『今後も世界中の暴走を検知し続けるなら、その負荷を受け止める“新しい砦”が必要です』


「新しい……砦」


『世界とビオロジーの間に立ち、暴走を吸収し、揺らぎの範囲に戻す“門番”。

 それを引き受ける者は――』


「私がやる」


 ゴーレムが即答した。


「おとーさま!」


「私は既に、“砦”だ。百年以上、命令に縛られて立ち続けてきた。

 今度は、自分の意志で立つ」


『西の砦のゴーレム。あなたが、新たな“世界の砦”になると?』


「肯定」


 ゴーレムは胸の刻印に手を当てた。


「魔女の契約。記憶を刻み、自分で選ぶ。

 魔王の契約。砦を守り続ける。

 その両方を、この場で“書き換える”」


 魔力が、ゴーレムの体内で渦を巻く。


「ビオロジー核。提案する」


『聞きましょう』


「私の核を、世界とお前の間に接続しろ。

 世界中の暴走の負荷を一度すべて、私に流す。その上で、“戻せる範囲”だけをお前が調整すればいい」


『それは――』


「おとーさま、死んじゃう!」


 リリーが叫ぶ。


「大量の負荷がかかる。石の体は砕ける。意識も飛ぶかもしれない。……推定生存率、低」


「じゃあダメ!」


「だが」


 ゴーレムは淡々と続ける。


「私には、砦以外の“生き場所”を知らない。

 この役目なら――私にふさわしい」


『自己犠牲ですか』


「ちがう!」


 リリーが割って入った。


「おとーさまは、じぶんで選んでる! 命令じゃなくて、自分のやりたいこと選んでる!」


 その目には涙が滲んでいた。


「わたしだって、手伝う! 全部おとーさまに押しつけるなんて、やだ!」


「リリー」


『……補助案。

 ビオロジーの制御権限をリリーに与え、負荷をゴーレムと分割することも可能』


「やる!」


 リリーは即答した。


「でも、その前に――」


 彼女はシロを頭の上から抱き上げた。


「シロにも、手伝ってもらう」


「きゅい!」


 白いマスコットが、力強く鳴いた。



「条件を確定する」


 ゴーレムは、静かに宣言した。


「第一条件。世界中のビオロジー暴走を、ビオロジー核と私が共同で制御すること。

 第二条件。暴走の負荷は、まず私の核へ、次にシロを介して分散させること。リリーへの負荷は最小限とすること」


『承認。ただし、負荷は依然として致死レベルです』


「第三条件」


 ゴーレムは、リリーを見た。


「リリー。お前が、生きること」


「……うん」


「それが、私の新しい契約だ」


 魔女の刻印が、眩しく輝いた。


 地下室全体の紋様が、ゴーレムへと収束していく。

 石の体に、無数の線が走り、ヒビが入り、砕けては再生し、また砕ける。


「おとーさま!」


「問題ない。……まだ、立てる」


 声は震えている。

 だが、その足は確かに地を踏みしめていた。


『世界との接続開始。ビオロジー暴走データ、流入』


 核の光が一気に暗くなり、代わりにゴーレムの体内が青白く輝く。


 遠くの街で起きた変質。

 森の奥で暴走した獣。

 砂漠で倒れた兵士。

 その全ての“ずれ”が、一瞬、ゴーレムの中を通り過ぎていく。


 巨大な川の流れの中で、小さな石が何とか踏ん張っているような感覚。

 それでも、砦としての経験が、その足を支えていた。


「シロ!」


「きゅい!」


 リリーの手から飛び出したシロが、ゴーレムの胸に貼り付いた。

 白い身体が黒く染まりかけては、また白く戻る。

 そのたびに、暴走の一部がそぎ落とされていく。


「ビオロジー核。制御を――!」


『はい』


 声が重なった。


 世界と、核と、砦と、娘と、マスコット。

 全てが繋がり、巨大な魔法陣を成す。


 ゴーレムの視界が白く染まった。


 その中で、誰かの声が聞こえた。


『あら、がんばってるじゃない』


 魔女の声だった。

 もちろん、それは記憶の中の残響にすぎない。


『わざわざ一番しんどい役、引き受けるなんてさ。

 あんた、ほんと真面目ね』


「……これは、私が選んだ」


『そうね。

 ――選べるようになったね』


 声が消える。


 白い光が、ゆっくりと薄れていった。



 気がつくと、ゴーレムは膝をついていた。


 石の身体には、大きなヒビがいくつも走り、ところどころ欠けている。

 だが、致命的な崩壊は免れていた。


「おとーさま!」


 リリーが飛びついてくる。

 シロも、灰色がかった体色から徐々に白に戻っていくところだった。


「……生存、確認」


 自分の声が、ひどく掠れて聞こえた。


 地下室の壁の紋様は、静まっている。

 先ほどまでの不気味な脈動はなく、ただ淡く、一定のリズムで光っているだけだ。


『新しい制御方針、適用完了』


 核の声も、どこか穏やかだ。


『ビオロジーは今後、世界中の“行き過ぎた暴走”のみを検知し、元の揺らぎに戻す補助機構として機能します。

 完全な書き換えは行わない。全ては“生きようとする意思”を優先する』


「やった……の?」


 リリーが核を見上げる。


『ええ。

 ――あなたが選んだ通りに』


 透明な柱の内部の光が、静かに回転している。


『私はここに留まり続けます。世界とあなたたちとの間を繋ぐ、“古い装置”として』


 ゴーレムは、ゆっくりと立ち上がった。


 身体は重く、動くたびに石がきしむ。

 しかし、その胸の奥は、不思議なほど軽かった。


「……おとーさま」


 リリーが心配そうに見上げる。


「だいじょうぶ?」


「解析中。……致命的損傷は、ない」


「でも、ガタガタだよ」


「事実」


 ゴーレムは、自分の胸に手を当てた。


「リリー。ビオロジーを、私に使えるか」


「なおすの?」


「試す価値はある」


 リリーは少しだけ不安そうな顔をしたが、すぐに頷いた。


「うん。やってみる」



 リリーの足元に、小さな魔法陣が咲く。


「【ビオロジー・リライト】」


 彼女の周りの空気が、そっと震えた。


 ゴーレムの体を構成する岩と鉄に、淡い光が染み込んでいく。

 ヒビは塞がれ、欠けた部分には新しい物質が埋め込まれる。


 それは、ただの石ではなかった。

 柔軟で、少しだけ“しなる”素材。

 石と肉と魔力の中間のような、不思議なもの。


「……」


 ゴーレムが腕を動かす。

 以前よりも、動きが滑らかだった。


「どう?」


「驚いた。私の体は今、“砦”というより――」


「なに?」


「“旅人向け”だ」


 リリーはきょとんとしてから、くすくす笑った。


「じゃあ、おとーさまはもう、“砦”じゃないんだね」


「西の砦は……」


 ゴーレムは、上の方を見る。


 地上はどうなっているだろう。

 西の砦は、遠く離れた場所で、今もそこにあるのか。


「……戻って、確認する必要がある」


「うん!」


 リリーはもう一度核を振り返った。


「ビオロジーさん」


『はい』


「わたしたち、もう行くね」


『ええ。あなたたちの役目は、ここではないでしょう』


 核は静かに答えた。


『ただし、時々は思い出してください。

 世界が変な方向に暴走し始めても、すぐ全部壊さないで、“話し合い”を試みた馬鹿がいたことを』


「うん」


 リリーは笑った。


「その人の“こども”として、生きていくから」


 魔女はもういない。

 だが、その記憶は、この地下と、ゴーレムと、リリーの中に確かに刻まれたままだ。



 地上に戻ると、空が明るくなっていた。


 砦の周辺に漂っていた不気味な気配はほとんど消え、遠くには倒れていた人たちがゆっくりと起き上がっているのが見えた。


「きもちわるいの、なくなってる」


「ビオロジー暴走、停止。……成功だ」


 ゴーレムは東の砦を一瞥した。


 崩れた城壁。

 ひび割れた塔。

 もうここが再び大規模な研究施設になることはないだろう。


「おとーさま」


 リリーが袖を引く。


「かえる?」


「……一度、エルマリアに寄ってから帰還しよう。報告が必要だ」


「うん!」


 リリーは転移陣を描き始めた。

 シロがその隣でくるくる回りながら、魔力の流れを整える。


「――発動!」



 エルマリアのギルドは、歓迎ムードだった。


「戻ったか!」


「本当に……東の砦方面の異常が一気に減ったんだ。何をしたかは、正直よく分からんが」


 ギルド長が両手を広げるようにして言った。


「世界の“膿”を、ちょっと掃除した」


 リリーが胸を張る。


「全部じゃないけどね!」


「全部は掃除してはいけない。残しておくべき“汚れ”もある」


 ゴーレムの言葉に、ギルド長は苦笑した。


「哲学的なことは分からんが……助かったよ。本当にありがとう」


 報酬の袋がテーブルに置かれる。

 リリーはそれをゴーレムに渡し、ゴーレムはいつものようにきっちり数を数え――途中でやめた。


「おとーさま、どうしたの?」


「いや。……今後の生活形態の見直しが必要だと思った」


「せいかつけーたい?」


「説明は後で」


 ギルド長は首をかしげたが、それ以上は聞かなかった。


「それで、これからも東の町に来てくれるんだろう?」


「……それについて」


 ゴーレムは少しだけ言葉を選んだ。


「頻度は減ると思う」


「え?」


 リリーが驚いて顔を上げる。


「おとーさま?」


「西の砦の状況を確認してからになるが、今後、我々は――」


 ゴーレムははっきりと言った。


「旅をする」


 ギルド長が目を丸くする。


「旅?」


「はい。砦から世界中を見てきた。次は、世界から砦の外を見たい」


「ちょっとまって、それどういうこと?」


 リリーがあわてて袖を引っ張る。


「おとーさま、旅って……」


「読んで字のごとく。砦を出て、世界を歩いて回る。

 魔王の城も、東の砦も見た。次は、南や北、海や山、知らない町も」


「いろんなごはんも?」


「必然的にそうなる」


「やる!!!」


 リリーの返事は一瞬だった。


「おとーさま! 旅しよ! あっちこっち行って、たくさん人と会って、“なおしたい”って思う人を手伝って!」


「その方が、“父”としても有意義だと判断する」


 ゴーレムはうなずいた。


 ギルド長はぽかんとしていたが、やがて笑い、肩をすくめた。


「……そうか。なら、そのときはまた、この町にも顔を出してくれ」


「もちろん!」


 リリーが笑顔で手を振る。


「ここは、はじめて“おしごと”した場所だからね」


「“最初の依頼場所”として記録済み」


 ゴーレムも、ほんの少しだけ顔を緩めたように見えた。



 西の砦に戻ると、そこには見慣れた風景が広がっていた。


 崩れかけた城壁。

 ひび割れた塔。

 色の抜けた旗。


 その全てが、少しだけ角度を変えて見える。


「……あれ」


 リリーが首を傾げた。


 砦の正門の上部に、大きな亀裂が走っている。

 先ほど東の砦で繋いだ負荷の影響だろう。

 西の砦は、もう以前のような“完全な防壁”ではない。


「おとーさま。ここ、もう“砦”って感じじゃないね」


「事実」


 ゴーレムは門の前に立った。


 かつて百年立ち続けた場所。

 魔王との約束の場所。


 ――ここを通る者は、殺せ。


 その命令は、もうどこにもない。


「……さよなら、かな」


 リリーがぽつりと言った。


「さよなら?」


「だって、旅に出るんでしょ? ずっとここにいるわけじゃないんでしょ?」


「そうだ。だが、“さよなら”ではない」


 ゴーレムは砦の石壁に手を当てた。


「ここは、いつでも戻れる場所として残しておく。

 完全には壊さず、ただ“門番”は退任する」


「たいにん!」


「そう。私はもう、この門に縛られない」


 胸の刻印が、静かに温かく光った。


「魔王。私は、あなたの約束を、私なりに果たしたと思う」


 誰もいない空に向かって、ゴーレムは呟いた。


「通そうと思った者は、二人いた」


 ひとりは、死に場所を見つけた魔女。

 ひとりは、生きる場所を探し続ける娘。


「――私は、二人とも通した。これは、私自身の意志だ」


 風が吹き、砦の旗がかすかに揺れた気がした。



「じゃあ、おとーさま!」


 リリーが両手を広げる。


「これからどこに行く?」


「候補多数。北の砦跡、南方砂漠、海辺都市、空飛ぶ島……」


「そんなのあるの!?」


「伝承上は存在する」


「行く! ぜんぶ行く!」


「順番を決める必要がある」


「じゃあまずは――」


 リリーは少し考えてから、笑った。


「“なんにも決めない”!」


「非効率的思考」


「いいじゃん、旅なんだもん。

 行きたい方向に行って、出会った人を助けて、たまにエルマリアに寄って、帰りたくなったらここに帰ってくる」


 そう言って、砦の門を振り返る。


「ここは、“はじまりの場所”ってことで」


 シロが肩の上で「きゅい」と鳴いた。


「……合理性は低いが、魅力度は高い」


 ゴーレムは、少しだけため息をついたような気配を見せた。


「採用する」


「やった!」


 リリーが笑顔で手を伸ばす。


「じゃあ、おとーさま。いこ」


 ゴーレムは、その小さな手を、しっかりと握った。


「了解。父として、同行する」


 二つと一匹の影が、砦から外へと歩き出す。


 砦は、もう彼らを縛らない。

 ただ、帰る場所として静かにそこに在り続けるだろう。


 風が、西から東へと流れていた。

 その風の先に、どんな出会いと、どんな間違いと、どんな選択が待っているのか。


 それはまだ、誰も知らない。


 ただひとつだけ、確かなことがある。


 ――門番ではなく、旅人として。

 命令ではなく、意志として。

 死に場所ではなく、生きる場所を探す旅が、ここから始まる。


 西の砦の上空を、冷たい風が流れていった。

 その風は、どこか少しだけ、あたたかかった。

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