二章
砦の上空を、冷たい風が流れていた。
かつて魔王に託された西の砦。
百年ものあいだ、ただひとりの番人だけが門を守り続けてきた場所。
今では――その石畳を、小さな足音が駆け回っている。
「おとーさまー! みてみてー!!」
白銀の髪を二つに結んだ少女が、石段を一段飛ばしで駆け上がってきた。
その名は、リリー。
「危険。段差のある場所での全力走行は禁止」
砦の門の前に立つ巨体――ゴーレムが、低い声で告げる。
岩と鉄で組まれたその身体は、百年前と変わらず頑強だ。
違うのは、その胸の奥に、淡い光が宿っていること。
「だいじょ……わっ!」
リリーが石につまづき、前のめりに倒れ込んだ。
膝から鮮やかな血がにじむ。
ゴーレムは、ほとんど反射でその小さな身体を抱き上げていた。
「損傷確認。膝部擦過傷。痛覚、推定中等度」
「いったーい……」
「処置開始」
ゴーレムの胸に刻まれた紋章――丸と星と稲妻の混ざった奇妙な印が、ぼうっと光った。
暖かな魔力がリリーの膝を包み、傷口は数秒で塞がっていく。
「なおった!」
「当然。私は、父だ」
ゴーレムがそう告げると、リリーは満面の笑みを見せて首に抱きついた。
この砦に、「父」という言葉が生まれる日が来るとは、百年前のゴーレムは想像もしなかっただろう。
魔女が残した刻印は、単なる“記憶”の器ではなかった。
魔王から与えられた命令が一部ほどけた空白に、魔女の魔力が入り込み、やがて形を成した。
生まれたのは、ひとりの少女。
ゴーレムはその現象を、どれほど解析しても合理的には理解できず、最終的にただひとつの単語で記録した。
――奇跡。
魔女はどこかへ消えた。
死んだのか、生きているのかも分からない。
だが、魔女の魔力は確かにここに残っている。リリーという形で。
それだけで、十分だった。
「リリー。砦の外周は崖が多い。危険区域での走行は禁止」
「はーい! ……って言いながら、ちょっとだけ走っちゃう!」
「その宣言は、すでに規律違反を含んでいる」
「ひいっ。おとーさまが論破してくる!」
砦の前で、父と娘のようなやりとりが交わされる。
百年前、この場所にあったのは命令と沈黙だけだった。
◇
「リリー。今日の魔力安定テストを開始する」
「まっかせてー!」
砦から少し離れた平地に、ゴーレムは黒い球体をいくつも浮かべた。
爆発、雷撃、氷結――内部に危険な魔力を詰め込んだ、即席の標的である。
「属性複合球体、計六個。破壊目標」
「ぜんぶやっちゃう!」
リリーは胸の前で指を組み、小さく息を吸った。
彼女の足元に、三重の魔法陣が花のように咲く。
「【花蝶散華】!」
短く詠唱すると、色とりどりの光の粒子が風に舞った。
蝶の形をとった光が黒球へと群がり、触れた瞬間――静かに霧散する。
爆発も、轟音もない。ただ、魔力そのものがほどけて消えていく。
「破壊率百パーセント。制御誤差、二・一。……優秀」
「えっへん!」
リリーは得意げに胸を張る。
その魔法は、単なる“花っぽい派手な技”ではない。
複数属性を同時に扱い、対象の魔力構造を解析し、もっとも効率よく“解体”する。
魔王軍でも、一部の高位魔族しか扱えなかった純粋な魔力制御の応用――それを、この年でやってのけている。
ただし、技名を考えたのはリリー本人だ。
ゴーレムは命名規則の合理性のなさに若干首をかしげているが、本人が楽しそうなので黙認している。
「リリーの魔法、最強!」
「事実。現在確認できる範囲において、お前は“ほぼ最強”」
「おとーさまより?」
「否定。私は最強」
「むーっ!」
リリーはぷくっと頬を膨らませ、ゴーレムの足に抱きついた。
「じゃあ今度、勝負ね! リリーが勝ったら、おやつ二倍!」
「勝負の勝敗と食料供給量は連動しない」
「なんでー!!」
砦の外に響くその声は、あまりに人間らしく、生きていた。
◇
その日、砦に久しぶりに「外の気配」が近づいてきた。
ぎし、ぎし、と石を踏む、重くゆっくりした足音。
ゴーレムが目を向けると、山道を登ってくるひとりの老人の姿があった。
背は曲がり、髪も髭も白くなり、杖を頼りに歩いている。
だがその身体から立ち上る魔力の質には、覚えがある。
「魔力分析……一致率六十三パーセント。対象、かつての“勇者レオン”に類似」
老人は顔を上げ、ゴーレムを見て、ふっと笑った。
「……やはり、お前は変わらんか。西の門番」
声の響きも、目の奥の光も、若い頃の面影を残している。
ゴーレムはゆっくりと頷いた。
「確認。あなたは、勇者レオン」
「今はただの老いぼれじゃよ。勇者と呼ぶには膝が笑いすぎる」
老人――レオンは杖を突きながら門の前まで歩み寄り、深く息を吸った。
「かつて、お前に叩きのめされた。わしはあれから、すべてを投げ出して極めたつもりじゃよ。剣も、魔も、己の限界も」
「極めた?」
「歳を取ると、下らん誇りは自然と削れてな。残るのは、あの時の“悔しさ”だけじゃ」
レオンは静かに剣を抜いた。
鞘はボロボロだが、刃そのものはよく研がれている。
「頼む。一撃だけでいい。全力でお前に斬りかかりたい」
「却下。あなたは高齢。生命活動に支障が出る可能性」
「ならば、手加減するのか?」
「私が手加減すると、真の“記録”が取れない」
「記録?」
「はい。あなたの最終到達戦闘値を、正確に記録したい」
レオンは目を細め、それから小さく笑った。
「……そうか。そういうやつであったな、お前は」
そのタイミングで――
「おとーさまー! 今日のおやつ何?」
リリーが駆け込んできた。
「リリー。来訪者あり。危険度、未知。後方で待機」
「えっ、おじいちゃん?」
レオンはぽかんと口を開ける。
「……お前に、娘?」
「肯定。リリー。私の娘」
「さらっと、とんでもないことを言うな、この石は……」
レオンの動きに迷いが混じる。
「……そうか。ならば、なおさら手を抜けん。父の威厳というものを、少しは見せてやらんとな」
「父の威厳?」
「あとで説明する」
ゴーレムはレオンと向き合った。
「一撃のみ。受ける。全力で」
「――恩に着る」
老人は背筋を伸ばし、若かりし頃の構えを取った。
老いさらばえた肉体の中に、一瞬だけ、全盛期の気迫が宿る。
大気が震えた。
「ふん――っ!!」
レオンが踏み込み、剣を振り抜いた。
空気が裂け、大地が抉れ、砦の壁の一部が振動で砂をこぼす。
長い年月をかけて磨き上げられた、一切の無駄のない斬撃だった。
「計測完了」
衝撃が収まる頃、ゴーレムの胸に、傷一つなかった。
レオンはその場に膝をつき、そして笑った。
「……やはり、届かんか。……これで、悔いはない」
「あなたの戦闘値、百年前の自分と比較して二・四倍。成長値、優秀」
「ふ、はは……石に褒められても、妙な気分じゃな……」
老人の身体が前のめりに倒れそうになるのを、リリーがあわてて支えた。
「おじいちゃん!? だいじょうぶ!?」
「……おお。天使かと思ったら、石の娘か」
「わたし、リリー!」
「いい名じゃ……」
レオンは目を閉じた。
死んだわけではない。ただ、全力を出しきって気絶しただけだった。
「おとーさま、この人……」
「生命活動継続。問題なし」
「よかったぁ……」
リリーの掌から、無意識に癒しの光があふれる。
それは彼女がまだ自覚していない、もうひとつの得意分野――生体修復魔法の片鱗だった。
しばらくして目を覚ましたレオンは、砦の外れまで歩き、振り返らずに言った。
「西の砦のゴーレムよ。……お前は、わしらが勝手に“魔王の残滓”と呼んでおったが」
「事実」
「違ったようじゃ。お前は――“魔王と、魔女の約束の証”じゃな」
その背中を、ゴーレムは静かに見送った。
◇
「おとーさま。きょうはぼうけんに行きたい!」
その日の朝、リリーが宣言した。
「却下。この周辺は危険生物の密度が高い」
「もー! だいじょうぶだよ、リリー強いもん!」
「事実。だが、危険はゼロではない」
「じゃあ、おとーさまも一緒ならいいでしょ?」
即答できなかった。
かつてゴーレムは、砦から一歩も出られなかった。
魔王の命令と契約がそれを許さなかったからだ。
今は、魔女との“最後の契約”によって、その鎖の一部がほどけている。
砦から離れることが、絶対の禁止ではなくなっているのを、彼は理解していた。
――だが、踏み出したことはない。
「ね、いいでしょ?」
リリーが腕にしがみつく。
彼女の瞳は、魔女のそれによく似ていた。何か面白いものを探している目。
「……今回に限り、限定許可。条件付き」
「やった!! 条件ってなに!?」
「危険と判断した場合、即時帰還。私の指示には必ず従うこと」
「はーい!」
リリーが嬉しそうに手を叩いた次の瞬間――彼女の足元に、魔法陣が展開した。
「転移座標、設定中。目的地――魔王城跡!」
「待て。まずはもっと近距離からの――」
「発動ー!!」
光が弾け、世界が裏返る。
◇
視界が落ち着いたとき、そこは瓦礫の海だった。
黒い石の壁は崩れ、天井は落ち、柱は折れている。
昔、遠くに見ていた威容はどこにもない。
「……魔王城、跡地」
ゴーレムは周囲を見渡した。
かつて魔王が座していた玉座の間。
あの夜、炎に包まれ、部下に裏切られ、それでも最後まで誰かを信じようとした男の居場所。
「なんか、くらーい……」
リリーが眉をひそめる。
「事実。魔族の魔力反応、完全消失。黒い影も、存在しない」
魔女の気配もなかった。
彼女の残滓に触れようとすれば、何かが分かるかもしれないと期待していた。
――だが、何も感じられない。
瓦礫の中を、リリーがぴょんぴょんと歩く。
「ここに、おとーさまのご主人さま、住んでたの?」
「肯定。魔王はこの城を拠点としていた。私は西の砦に配置されていたため、内部に入ったのは数回のみ」
「ふーん……」
リリーは崩れた玉座の台座に上り、腰を下ろした。
「なんかさ。ここ、“だれもいない”って感じがする」
「事実。魔王も、魔族も、勇者も、誰もいない。……静かだ」
「魔女さんも?」
ゴーレムは答えられなかった。
魔女は――最後に「砦の先を見よう」と言った。
その後、行方は知れない。
今、ここに彼女の気配はない。
「……不明」
「うん」
リリーはそれ以上聞かなかった。
代わりに、窓のない空間の上――崩れた天井の向こうの空を見上げた。
「ねぇ、おとーさま。ここは“終わった場所”ってかんじがする」
「評価に同意」
「じゃあ、つぎは“始まる場所”行こ!」
リリーが立ち上がる。
「東の町! 人がいっぱいいるところ!」
「転移座標の設定、精度に問題あり。推奨しない」
「だいじょぶだいじょぶ!」
何ひとつ大丈夫ではない宣言とともに、彼女は再び転移陣を展開した。
◇
眩しい光が収まると、そこは賑やかな喧騒の中だった。
「わあっ、人いっぱい!」
石畳の大通り。
商人の叫び声、子どもの笑い声、馬車の音。
焼きたてのパンの匂い、果物の甘い香り、鉄と油の混じった鍛冶屋の匂い。
「……東方交易都市エルマリア。座標誤差、許容範囲内」
ゴーレムは周囲を観察し、結論を出す。
「おとーさま、あれなに! あれは!? あ、あっちからいい匂い!」
リリーは完全に観光モードである。
「リリー。まず安全確認。未知の都市での無秩序行動は禁止」
「じゃあ、安全確認しながら食べる!」
「論理が破綻している」
結局、ゴーレムはリリーに手を引かれる形で、通りの一角にある食堂へ入ることになった。
「いらっしゃ――」
店主はゴーレムを見て、言葉を飲み込んだ。
「……で、でっけぇ……」
「大丈夫です。この人、こわくないよ」
リリーが胸を張ってフォローになっているのかよく分からない説明をする。
それでも、店主は彼女の笑顔に少しだけ肩の力を抜いた。
「……まぁ、代金さえちゃんと払ってくれるなら、文句はねぇさ」
しばらくして、テーブルに山盛りの料理が運ばれてくる。
「おとーさまも食べる?」
「不要。私は魔物。栄養摂取、不要」
「ひどい! 一緒に食べてよ!」
「見ている」
「……それ、ちょっとさびしい」
しばらく考えた末、ゴーレムはスプーンを手に取るふりだけして、リリーの食事を“観察”することにした。
「……咀嚼回数、少なめ。もう少し噛んだ方が消化に――」
「たのしければオッケー!」
砦では出会えない喧騒と匂いに囲まれながら、リリーは目を輝かせていた。
その姿を見るだけで、ゴーレムの胸の刻印が微かに温かくなる。
◇
食事を終えたあと、リリーの視線がある看板に吸い寄せられた。
「おとーさま、みて! “ぼうけんしゃぎるど”だって!」
古びた木の看板には、剣と盾の印とともにそう書かれている。
「依頼斡旋機関。危険区域への人材派遣……」
ゴーレムが解説しているあいだに、リリーはさっさと扉を押して中へ入ってしまった。
「ちょ、リリー」
「こんにちはー!」
カウンターの中の受付嬢が顔を上げ、リリーを見て微笑む。
その後ろから入ってきた巨体を見て、表情が固まった。
「ひっ……」
「おとーさま、こわくないよ!」
「……そ、そう……なの?」
「肯定。私は西の砦の守護者。現在、娘の外出に同行中」
ゴーレムのどう見ても脅し文句にしか聞こえない自己紹介に、受付嬢は引きつった笑いを浮かべた。
「ええと……ご用件は?」
「これ!」
リリーがカウンターの端に貼られていた依頼書を引っぺがした。
『近郊の森に出没する魔物退治 難易度:低』
「これやりたい!」
「……お嬢ちゃん、これは危ない仕事でね……」
「だいじょうぶ! わたし、さいきょうだから!」
「事実。リリーはこの依頼の想定危険度を大幅に下回る戦闘力を有する」
受付嬢はしばらく天井を仰ぎ、最終的にため息をついた。
「……分かりました。ただし、お父さんがちゃんと守ってあげること」
「当然。私は父だ」
「なんか説得力ありますね……」
こうして、リリーの“初依頼”が決まった。
◇
森の中は薄暗く、湿った土の匂いがした。
「おとーさま、あれ?」
「群狼種魔物。個体数、十前後」
牙をむいて飛びかかってくる狼のような魔物たち。
普通の冒険者であれば、かなり分の悪い戦いになるだろう。
「リリー」
「うん!」
リリーはひとつ息を整え、地面に魔法陣を展開した。
「【花蝶散華・れぼりゅーしょん!!】」
技名はさらに長くなっていた。
光の花びらが嵐のように舞い、狼たちを包み込む。
数瞬後、そこに残っていたのは、焼き切れた魔力の残滓だけだった。
「完了。脅威、殲滅」
「やったー! たのしい!」
「リリー、魔力使用量、やや多め。無駄撃ち、今後の課題」
「えー、だって花をいっぱい飛ばしたいし!」
依頼は、あっけないほど簡単に完了した。
ギルドに戻ると、受付嬢は報告書を見て目を丸くした。
「本当に……全部ひとりで?」
「うん! おとーさまは見てただけ!」
「監督と安全管理を行った」
「は、はぁ……」
報酬を受け取り、また食事をし、夕暮れの街道でリリーはぽつりと言った。
「おとーさま。……やっぱり、帰る?」
「帰還推奨。この街は確かに便利だが、長期滞在には費用とリスクが発生する」
「むずかしいこと言ってるけど、“おかねかかる”ってことでしょ?」
「肯定」
「じゃ、かえる! やっぱりわたし、西の砦すき」
リリーは笑ってゴーレムの腕を取った。
帰還の転移陣は、行きのときより少しだけ安定していた。
◇
暴走の兆候は、ある夜、突然やってきた。
「……あつい……」
寝台の上で、リリーがうめき声をあげる。
額には汗が浮かび、身体から異常な魔力が漏れ出していた。
「魔力偏差、規定値を大幅に超過。暴走の可能性――高い」
ゴーレムが駆け寄った瞬間、リリーの瞳の色が変わった。
赤黒い光。
背後に、黒い影が渦を巻く。
「き、もちいい……」
か細い声で、しかし、言葉の内容はあまりに危険だった。
「全部、こわしたい……やっつけたい……ころしたい……!」
砦の外壁がきしむ。
周囲の魔物たちの気配が、恐怖に逃げ散るのが分かる。
これは単なる魔力過多ではない。
“殺戮衝動”――魔族の深い部分に刻まれた、本能の解放。
ゴーレムは即座に判断した。
「リリー。停止。これはお前の望む感情ではない」
「やだ……やだ……でも、からだが――!」
黒い影が砦をなめるように広がっていく。
このままでは、砦そのものが暴走魔力に飲み込まれる。
――魔女の刻印が、熱く脈打った。
『記憶を刻んで。忘れないで』
魔女の声が、遠い記憶の底から浮かび上がる。
ゴーレムは胸の紋に手を当てた。
「記憶……解放」
魔女との会話。
魔王との契約。
砦の先で見た空。
初めてリリーを抱き上げた瞬間。
レオンとの再会。
東の町での喧騒。
ゴーレムが百年以上かけて積み重ねてきた“記憶”が、魔力に変換されてあふれ出す。
「リリー。私の記憶を、受け取れ」
「……おとー、さま……?」
暴走する魔力の波に、別の流れが差し込んでいく。
冷たい石の体の奥に宿った、奇妙な温度。
リリーの中で、何かがほどけた。
「ひとりじゃない……?」
「肯定。私はここにいる。お前の父として。魔女の契約の証として」
「……こわい……おとーさま、たすけて……」
「当然。私は父だ」
そのとき、リリーの胸の奥が眩しく光った。
◇
光の塊が、リリーの胸から飛び出した。
「え?」
それは空中で丸まり、耳を伸ばし、尻尾を生やし――
ふわふわの白い何かになった。
「きゅいっ!」
「……何だこれは」
「かわいい!!」
黒い影を食べるように、白いマスコットがぴょこぴょこと飛び跳ねる。
リリーの背後に渦巻いていた殺戮衝動の魔力が、その小さな体に吸い込まれていった。
「魔力構造分析……未知。高密度魔力圧縮体。危険度――測定不能」
「ともだち!」
リリーが宣言する。
白いマスコットは嬉しそうに彼女の頭に乗り、尻尾をふった。
「今、名前つけよ?」
「命名権を、私に要求?」
「うん!」
ゴーレムはしばし考えた。
「……特徴。白い。丸い。最強級」
「“最強”はいらないよ?」
「では、“シロ”」
「シロ! かわいい!」
「きゅい!」
シロと名づけられた最強クラスの魔法生物は、嬉しそうに鳴いた。
リリーの瞳から赤黒い光が完全に消え、いつもの色に戻る。
砦を覆いかけていた影も跡形もなく消えていた。
「……おとーさま、ごめんなさい」
リリーが小さな声でつぶやく。
「私が、ちゃんと止められなかった。分析不足」
「ちがうよ。わたしが、ちゃんと自分で止められなかったの」
「今後の課題として共有する。二人で、対策を立てよう」
リリーは目を丸くしてから、笑った。
「うん!」
ゴーレムはその頭を大きな手でそっと撫でた。
シロも一緒に撫でてしまい、ぐにぐにとつぶれる。
「きゅいぃ……」
「シロ、やわらかい」
「やわらかいね!」
暴走は収まった。
西の砦は再び静かになったが、その静けさは以前のような“死んだ静寂”ではない。
そこには、守るべき命と、分け合うべき記憶と、時々暴走する最強マスコットがいた。
◇
夜空に星がまたたいている。
砦の上で、ゴーレムはひとり空を見上げていた。
背後では、リリーとシロが寄り添って眠っている。
「魔女……私は、父になった」
あのとき、彼女が残していった刻印。
「忘れないで」と笑った顔。
「あなたの魔力は、形を変えてここにある。……結果報告としては、悪くないだろうか」
答えは返ってこない。
それでも、胸の刻印は、ゆっくりと熱を持って返事をするように光った。
「リリー。シロ。……行こう」
どこへ行くのかは、まだ分からない。
砦の先か、東の町か、あるいはもっと遠くか。
それでも、西の砦から見上げる空は――少しだけ、広く見えるようになっていた。




