星は見ている。
すっかり暗くなった街を東の方に向かって歩く。
空には星が見えている。風も心地よく、このまま散歩でもしたい気分である。
高級住宅街に入ったあたりで街の空気が変わる。今までの、街が生きている活気がある感じではなく、なんというか優雅な感じがする。
「僕、こんなところには初めて来たよ。」
「俺もだ。」
「そうじゃろうな、わしも用でもなければこんなところには来んな。」
目指す伯爵邸は白亜の建物で、やたら大きいがしっかりと手入れが行き届いているようだ。花壇の花も綺麗に咲いている。
重そうな扉の呼び鈴をカティが鳴らす。
しばらくして、若いメイドが顔を出す。
「マーサに会いに来たんじゃが。」
「承知いたしました。こちらへどうぞ。」
メイドに従い、応接室へと案内される。
見るからに豪華な調度品で整えられた部屋で、ふかふかのソファに座るように促される。
「こんなふかふかのソファ、初めて座るよ。」
ヨシュアは少し興奮しているようだ。
しばらくして先ほどのメイドが、少しやつれてはいるが、それでもその美しさを覆い隠すことができないほどの美女を伴って部屋に入ってきた。
美女は倒れ込むように向かいの椅子に座り込み
「カティ、探してくれるの?」
「うむ。この二人が探すのを手伝ってくれる。」
「私の愛しいローザちゃんを早く連れ戻して。」
ローザ、ちゃん?
「子供に恵まれなかった私たちにとって、あの子は子供みたいなものなのよ。一刻も早く探し出して下さい。」
「それじゃ調べるかの。猫がいなくなったところに案内してくれるか。」
「ええ。」
マーサに連れられて、ローザちゃんの部屋へ。
しっかりとした調度品に、猫が遊ぶおもちゃが綺麗に並べられている。
「マーサちゃんがお散歩できるように、小さな子猫ちゃん用のドアを作ったの。そこから出ていって、戻って来ないのよ。」
俺たちは、部屋の中を一通り確認し、猫用のドアの周辺も確認する。ドアは小さな猫でも開け閉めできるように軽く作られている。ここから人が出入りすることは出来ない。
人が出入りするドアを開けて、庭に出る。
綺麗に整えられた芝が敷き詰められた庭。足跡の確認はできそうにない。
「奥様。大変です。」
メイドが息を切らして駆け込んできた。
「玄関のドアの隙間から、こんなものが…
『猫を返して欲しければ、金貨30枚を持って夜中の0時に奥様一人で、街の広場の時計塔の下まで来い。』
と書かれたメモ。
「ローザちゃん…。」言葉を失うマーサ。
「ふむ。金目当ての誘拐か。」
カティは腕を組む。
「金額が安すぎないか?だが金を払えば、無事に返してくれるんだろ。」
「そうとは限らんぞ。」
「だったら、僕たちでマーサさんを遠くから見守りながら、猫ちゃんの安全も確保しなくちゃね。」
かくして、マーサを俺たち3人が目立たないように護衛し、犯人に金貨を渡す段取りとなった。
金貨30枚程度すぐに準備できるほど、伯爵家は余裕がある暮らしをしているらしい。
空には雲ひとつなく、星が広がっている。
星に照らされて、灯りをつけなくてもある程度周りの様子がわかる。
街の広場の時計台は、夜の静かさに包まれている。
夜中の0時には少し早い時間に到着した。
俺たちは、三方に分かれそれぞれ身を隠す。
俺は時計台が見える路地裏の物陰に。
ヨシュアは俺と反対側の路地裏、手にはスリングをいつでも使えるように準備している。
カティは、近くの建物の屋根にヒラリとひとっ飛びで。黒いマントで顔を隠し、シルエットだけが見えている。
静寂の中、時計台が時を刻む音だけが聞こえる。
いつのまにか、俺も緊張しているらしい。手に汗をかいている。一つ深呼吸をして、軽く肩をほぐす。
時計台が動き、0時を指す。
しばらく、何も起きず時間だけがすぎていく。
闇の中で、歩く人影が見える。
「あんたがマーサさんか?金は持ってきているんだろうな?」
低く押し殺した声だが、深夜の静寂の中しっかりと聞き取れる。
マーサは、男に金を差し出す。
「ローザちゃんを早く返して。」
「このまま俺が無事に帰れたら、家まで届けてやる。」
男は金を握りしめ、マーサに背を向け走り出す。
このまま逃がすと、猫が無事に帰ってくるかわからない。
俺は路地裏から飛び出して、男を追いかける。
その時、空気を切り裂く音がする。
男が倒れ込む。
俺は男の上に馬乗りになり、押さえつける。
よく見ると男の額から血が流れている。これが男が倒れた原因のようだ。
「猫は何処だ。」
男の顔面を一発殴って聞く。
「お前誰だよ。一人で来いって言っただろ。」
もう一発。男は呻いている。
俺は拳を振り上げる。
「俺は頼まれただけなんだ。…わかったよ、猫は返してやる。だから、俺の上から降りてくれ。重いんだよ。」
俺はポケットの革紐を取り出して男の両手を縛りつけ、勝手に逃げられないようにして立ち上がる。
気がつけば、カティとヨシュア、マーサが集まっている。
男は観念したように星空を見上げて、座り込んでいる。
「僕のスリングが役に立ったね。」
ヨシュアは深夜のこの捕物に興奮しているようで、薄暗がりの中でもわかるほど、頬を紅潮させている。
俺たちは、男を立ち上がらせ案内させる。
広場から少しだけ歩いて路地裏に入っていくと、古ぼけた小屋。男は顎で中に入るように促す。
小屋の中には乱雑に荷物が積まれている。物置として使っているようだ。
小屋の片隅には、意外なほど綺麗に片付けられたスペース。
小さな黒猫が、すやすやと眠っている。
見れば、周りには猫用のおもちゃや、飲みかけのミルクが入った皿。
雑に扱われていたわけではないようだ。
「ローザちゃん。」
言いながら、マーサは猫を抱き上げる。猫は迷惑そうに目を開けるが、再び安心したように目を閉じる。
そのまま、ヨシュアがマーサと猫を家に送ることになった。
残されたのはカティと俺と犯人の男。
「さて、色々話してもらおうかの。」
言いながらカティは近くにある椅子に腰掛ける。
「俺は頼まれただけなんだ。小遣いを稼ぎたかったら、いうとおりにしろって。」
俺は拳を握りしめる。
男は怯えたように続ける。
「もう勘弁してくれよ。知っていることは全部話す。」
俺は腕を組む。
「酒場で出会った男に頼まれたんだ。伯爵の家の猫を連れ出して、身代金を奪えって。どうやって猫を連れ出すのか、身代金の受け渡しはどうするのかも全部言われたとおりにやったんだ。」
「その男の事は覚えているのか?」
カティが男に尋ねる。
「知らない男だ。初めて会ったよ。」
「怪しいと思わなかったのか?」
俺の問いに男は黙り込む。
「…怪しいとは思ったよ。だが、今すぐ金が必要だったんだ。」
続きを話しかけた男を俺が遮る。
「お前の事情は関係ない。また今度こんなことしたら、どうなるかわかってるんだろうな。」
男は黙って頷く。
男は抵抗する気を完全に無くしている。俺はナイフで革紐を切り、男を離してやる。男は振り返りもせずに、夜の闇の中へ走り去っていった。
カティと俺は、小屋の外へ出る。
まだ夜空に星は輝いている。消え入りそうな三十日月と共に。




