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赤龍亭と天井桟敷の人々  作者: now here man


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2/19

赤龍亭へようこそ。

魔王討伐後の平和な世界で繰り広げられるささやかな日常。

月明かりだけが頼りだ。霧に包まれた薄暗い街路を、俺は音を殺して歩いている。


この時間に外を出歩く人間は、だいたい二種類だ。

命知らずか、今日を生き延びるために帰路を急ぐ俺のような男か。


「……運が良かっただけだな」


誰に聞かせるでもなく呟き、俺は小さく笑った。

狩で疲れ切った身体が、まだ熱を持っている。


赤龍亭。

見慣れた看板が霧の向こうに浮かび上がる。


そういえば――

ヨシュアと名乗った、あの少年は今頃どうしているだろう。


三日間、何も食べていないと言っていた。

それなのに、あの目は死んでいなかった。


そして思い出す。

確かに、あの時――

誰かの声が聞こえた。


理由もなく、胸の奥がざわつく。

俺は軋む身体に鞭を打ち、赤龍亭の重い扉を押し開けた。


薄暗いランプに照らされた店内は、いつも通り静かだった。

俺は決まっているカウンターの端に腰を下ろす。


「ジョニー、ひどい顔してるわ。大丈夫?」


馴染みのある声に、思わず息が緩む。

ルーシーだ。


「まずは酒をくれ。今日のおすすめは?」

「大蜥蜴の香草焼きと、コカトリスの卵のオムライス」

「大蜥蜴の方で頼む」


ルーシーが厨房に向かって声を張り上げる。

奥から、酒に焼けた野太い声が返ってきた。


葡萄酒のコップを受け取り、一口含む。

喉を焼く感触に、ようやく生きている実感が戻ってきた。


店の奥では、冒険者らしい一団が一卓を囲んでいる。

酒の勢いか、話し声も大きい。


「魔王がいなくなって、すっかり平和だな。商売上がったりだ」

「何言ってるんですか! まだ魔物を見たって話はありますよ」

「どこの話よ。ダンジョン以外で魔物なんて、もう何年も聞いてないわ」


魔王。

俺にとっては、遠い国の御伽噺みたいな話だ。


日々の糧を得るだけで精一杯の中年狩人には、関係のない世界。

今日が何もない一日で終わるなら、きっとそう思っていた。


『お待たせ。今が食べ頃だ』

マスターの声と、鼻腔をくすぐる匂いが思考を遮る。

湯気を立てる料理を一口頬張る。


温かさが、染み渡る。

…生き延びた。

それだけで、今日は十分だ。


無心で食べているうちに、冒険者たちは会計を済ませたらしい。

足元のおぼつかない法衣の男を、若い戦士が支えながら店を出ていく。


『ルーシー、今日はこれで店仕舞いだ。上がっていいぞ』


ルーシーは頷き、手早く片付けを終えると、軽く会釈して霧の中へ消えていった。


厨房の奥から、豊かな髭を蓄えたマスターが葡萄酒の瓶を持ってくる。

俺の隣に腰を下ろし、コップに酒を注いだ。


『相棒、今日の狩はどうだった?』


俺は、一瞬だけ言葉に詰まる。

――あの視線を思い出していた。


森の奥で、確かに感じた。

ドラゴンが、こちらを「見た」あの感覚を。


「散々な一日だったよ」


葡萄酒を一息で飲み干し、空のコップを差し出す。


店内に、静寂が戻る。


俺は大きく息を吐き、語り始めた。

この世界の片隅で生きる、取るに足らない男の話を。


その始まりが…

ヨシュアと名乗る少年との出会いだったことも、

まだ知らずに。


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