そして、運命の歯車が動き出す。
頬に滴り落ちる水滴の冷たさに意識を引き戻される。どのくらい気を失っていたのだろう。周囲は薄暗がりに包まれて上手く把握できない。
ふと息苦しさを感じ、大きく息を吸い込む。肺に刺すような痛みが走り顔をしかめる。
自分が置かれた状況を確認しようと上体を起こすと、全身に雷に打たれたような衝撃が走る。全身を包む痛みに、何があったかを思い出す。
赤龍亭で食事をしていた時だ。見知らぬ男が話しかけてきた。
「あなたがジョニーさん?」
少し訛りがある喋り方。浅黒い肌、ランプに照らされた彫りの深い顔立ち。薄汚れた上着、よく見るとところどころに解れがある。どこかで会ったことがある気がする。
「確かに俺がジョニーだ。失礼だがどこかで会ったことがあったか?」
「いや初めてだ。カティさんにあなたのことを教えてもらった。多分ここにいるって。」
男は俺の隣に椅子を引き寄せて座る。
「頼みたいことがあるんだ。」
男はルーシーが持ってきた水を一口飲み話し始めた。
「俺の名はベル・ヴェデール。アキダリア教皇国からの留学生だ。命を狙われている。」
理解が追いつかない。命を狙われている?何故俺にそんな話を?
俺は葡萄酒を一口飲み、口を開く。
「俺に何をしろって言うんだ?ボディガードか?なんで俺に。」
「ボディガードはすでにいる。あんたに頼みたいのは、犯人の身柄の拘束だ。」
俺は男の顔をまじまじと見る。快活そうな顔だが目元が笑っていない。冗談で言っているわけではなさそうだ。
「今は詳しい話は出来ない。」
「それはわかった。だがなんで俺なんだ?俺はただの狩人だ。」
「カティさんが『狩をするなら狩人だろ。』と言ってあなたを教えてくれた。信頼できる人物だと。」
カティよ、余計なところで俺の名前を出さないでくれ。
「だが当然危ないんだろ、命の危険なんてごめんだね。」
「もちろん報酬は出す。これは前金だ。」
言いながらテーブルの上にずっしりと金貨が詰まった皮袋を置く。男の右手に不釣り合いなほど大きな指輪が光る。
「犯人の拘束ができたら残り半分を出す。俺はこの国を後3日で去る、国に戻るんだ。それまでに頼む。」
確かに金は欲しい。カティの奴、俺の懐具合まで把握しているとは。
「悪いが他を当たってくれ。金のために危ない橋は渡らないよ。」
下手に踏み込んだら戻れなくなる。
ベルは俺の顔を値踏みするように見つめる。そして一つ息を吐き、
「そうか、邪魔して悪かったな。気が変わったら教えてくれ。」
ベルは立ち上がり、カウンターに小銭を置いて去っていった。
いつのまにか近くのテーブルにいた二人の男も立ち上がり、ベルに続いて店を出ていく。奴らがボディガードか。
「ジョニー、サプールと知り合いなの?彼が噂のサプールよ。」
どこかで会った気がしたのはそのせいか。残りの葡萄酒を飲み干し、今までの話を忘れることにする。
しばし赤龍亭の喧騒に身を任せる。
会計を済ませて店を出ると、外は深い霧に包まれていた。
後は家に帰るだけ。通い慣れた道だ、満たされた腹を抱えて鼻歌でも歌いたい気分だ。
気分上々で帰路についた俺の背後から押し殺したような慎重な足音が聞こえる。身の危険を感じて振り返ろうとした俺を鈍い衝撃が襲った。
痛みに反射的に振り返ると、全身黒ずくめの男。手には棍棒を持っている。
布で顔を覆っており、黒く光る無表情な目だけが見えている。
背が高く、俺が若干見上げる格好になっている。
「人違いじゃないのか?」
俺の問いかけを無視して男が殴りかかってくる。
男の全身を視界に収め、行動を予測する。
直線的な足の運び、振りかぶった棍棒は頭狙い、俺を殺すつもりか?
視線を外さず、相手との距離を取るため僅かに後ずさる。男の棍棒が空を切る。
一瞬の静寂の後に後頭部から全身に雷に打たれたような衝撃が走り、俺の視界は暗闇に包まれた。




