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【書籍化】どうやら私は悪役のようですね。それで?【外伝完結】  作者: 重田いの
外伝 フィリクス

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禁忌

 ドレフ帝国で反乱が起きた報せは、見覚えのある鳩からもたらされた。フィリクスは鳩を宿舎の小屋に押し込むや、王城へ赴いた。


 リュイスでは国王が不在の折、議会が取り急ぎの仕事をこなす。とはいえ、大きな決断をすれば次代の王に処断される可能性があるため、あくまで必要最低限の決定だけだ。議長が気取り屋で、仮の王じみた振る舞いをすることもあるという。


 ――ドレフ帝国の一総督であるエミリオ・カヴィルが宮殿へ乗り込み、皇帝グリアリスと皇后レニノアを殺害し、皇太子エリシアスは行方不明、という状況に対処できるとは思えない。


 国境地帯の防衛はひとえにリュイス国軍へ一任されるだろう。


 王城へ急ぐ足は奇妙に重かった。ここのところ浸っていた甘やかな夢から覚めた気がした。馬鹿野郎め、と自分で自分を罵倒する。異国でちやほやされるうちに頭がぼけたのか。こうなるかもしれないと、どうしてわからなかった?


 父上様。

 ――本当に、お礼も言えないまま逝ってしまわれたのか?


 エミリオ・カヴィルは新皇帝に即位するという。皇太子エリシアスは決してそれを許してはならない。エミリオには敵が多い。対立する総督たちが更なる反乱を起こせば決定的に帝国は分裂する。戦乱の時代が訪れる。


 くそっ。

 混乱の最中にアレクシアに出会えたのは、何者かの導きによるに違いなかった。


 彼はバルコニーでアレクシアの隣に陣取り、短い会話を交わした。彼が何かを言っている間、彼女は思い詰めた顔をして、それでも不敵に笑った。


 彼は衝動のままに無様なことを言った。つらつらと、思いつくがままに。

「一緒に来てくれないか?」

「おそらく大陸は再び戦乱の時代に入るだろう」

「大陸のどこにいても危険だ」

「ドレフ帝国の俺の傍で守られていてほしい」


 断られるのは最初から分かっていたのだと思う。アレクシアは女王になりたいのだ。確固たる地位を手に入れたいのだ。アミラコム分領公妃でもだめだったのに、これからどれほどあやふやな立場になるかもわからないフィリクスの隣の地位など、歯牙にもかけられないだろうことは。


 だが意外なことに、否定を述べるアレクシアは逡巡しているように見えた。


 そのことがフィリクスの胸にかすかな希望の光を灯した。もしかしたら、彼は彼女を完璧に諦めなくてもいいのでは? もしかしたら――彼女の視界から完全に消え失せ、忘れられ、思い出されもせず、数いる言い寄ってきた男のうちの一人として笑い話に消化される分際にならなくても、いいのではないか。


 すぐ隣に彼女の体温と香りを感じた。陽の光がアレクシアの顔を照らして、どこか頬を赤らめたように見える。錯覚でも嬉しかった。


 彼女の語る未来の話は確固たる事実としてフィリクスの中に根付いた。彼は彼女を信じることにためらいなどなかった。あえて視線を彼女に向けることをせず、雑木林や光の方向を目に涙が滲むまで眺める。アレクシアを見つめてしまえば目が離せなくなる。視線は自然と分かちがたく絡みついて、取れなくなってしまうだろう。薔薇が生きるため蔓棚に絡むように、その結果花が咲いたとして、それは彼女の望む花ではあるまい。


 はるか上空を笑いながら鳥の群れが飛んでいく。無数の影がバルコニーに乱れ落ち、フィリクスがとうとうアレクシアの方を向いたとき、欄干を握りしめる彼女の手は白かった。ゆっくりと青色の視線が自分に向けられ、夏の空の色の海に落ちた気がした。卵の形の輪郭の中、その頬がほんのりと赤く染まっている。


 それは錯覚ではなかった。


 彼は瞬間、彼女を攫って連れていく自分の行動がありありと見えた。愛おしさと寂しさに胸の中が占領され、自分で自分を制御できなくなる恐怖に息が詰まった。


 間近に見ると、アレクシアの上半身全体は彼の胸の面積と厚さの半分にも満たない。片腕で攫っていくのは容易だった。馬の上に引きずり上げて、嫌だとかやめてとか言うのを聞かないで。


 大切な家族も命懸け守り抜くはずの商会も人生を賭けた復讐の成果も、何もかもはるかリュイスの土の上に放り投げさせ、そして、ずっと側にいてもらうのだ。


「それじゃあ次期女王様、また会おう」

「もし、神々がそれを許してくれるなら、また」


 彼女に背を向けるのがとんでもなく苦痛だった。気持ちに身体が引きずられ、背中の皮が剝がれたかと思うほどだった。だってもう二度と会えないかもしれないのだ。これから大陸がどうなるかわからない。彼が心配しているのは、ドレフ帝国からあぶれた傭兵どもがリュイスやテトラスといった国家に襲い掛かることだった。戦乱の火が彼女に及ぶのは耐えられなかった。


 フィリクスは宿舎に戻り、部下たちを引き連れてアミラコムへ戻った。


 街道は比較的安全だった。野盗が出るわけでもなければ、どこかの領地の騎士団が暗躍しているわけでもない。ただひたすら、不気味な平穏さが続くまっすぐな古代の道をフィリクスは走る。


 黒い目がきらきら輝いていましたよ、とバリフは言った。黒玻璃みたいに。黒曜石みたいに。


 たどり着いたアミラコムで、執務室に駆け込み届いた手紙を軒並み開封した。重要な情報とそうでない情報を、元からの仲間たちおよびアミラコムの隊長格と吟味した。


 ……魔物を政治に用いることは、【雪花の誓い】に背く禁忌の一つとされる。


 アミラコムでは一度、それが起こった。兵士たちの巡回を増やし、二度と誰も、とくに領民が犠牲になることはないように気を配った。……誰がそんなことをしたのか、という疑問からは目を逸らした。彼の手には余ることだったからだ。彼が守るべきはアミラコムであり、アレクシアとの約束であり、そして二度と、二度と皇帝グリアリスに迷惑をかけないことだったから。


 そのうちに、答えの方から彼の元へやってきた。ぽつぽつと、他の土地から親戚や友人を頼って流れてくる者たちが出始めたのだ。元の領地で戦乱があったのかと聞くとそうではなく、ただ危険を予知して逃げてきたのだという。誰もが戦争の時代を予感しつつあった。もっとも弱い中でも土地を移ることが可能な解放奴隷たちは、先を争って住む場所を移っていた。


 その一人の手から、みごとな大皿がフィリクスへ献上された。皿の裏には文字が彫ってあった。それは宮廷内部で使われる暗号、言葉遊びの一種だった。


 ――魔物。

 ――エミリオ・カヴィル。


 それだけで十分だった。


 フィリクスは網掛け椅子にどさりと倒れ込み、皿を握ったまま暖炉の火を見つめた。

 エミリオは東方戦争で鹵獲した敵の捕虜たちを殺させ、魔物を発生させた。


 数々の手柄と、同じくらいたくさんの失態にも関わらずしぶとく帝国中枢に居残り続けた大貴族。フィリクスの実父であり皇后レニノアの永遠の恋人である、あの人でなしの麗しい男が。


 魔物を発生させ、帝国を混乱させ、とうとう皇帝と皇后を弑逆し、新皇帝に即位する、という。

「許さん」


 フィリクスが一番怒っているのは、奴が平民の命をもの扱いして政争の道具にしたことでも、その舞台に自分が任されたアミラコムを選ばれたことでもない。


 皇帝の治世に問題があると示すには、魔物の発生がもっとも効率がよい。


 魔物が出るということは、天がその皇帝に怒っているということだから。


 そういう、卑怯で卑屈な手段を取った挙句、合戦ではなく暗殺で父の命が奪われたことだった。奴と母の間にどんな愛情があり、会話があったかなどもうどうでもいい。くだらない恋愛感情にドレフ帝国の国体そのものを巻き込んだことも、いい。


「我が父の名誉を穢したこと、許さん」

 フィリクスは腕を振りかぶって暖炉の中に大皿を投げ込んだ。

「許さんぞ、エミリオ・カヴィル」


 それは彼がこれまでの人生で初めて感じた憤怒だった。直接的に命が脅かされたからではなく、憎みたくて憎むこの感情。身体ではなく理性と理屈で感じる義憤。


 フィリクスの行動は早かった。


 彼は行方不明となった皇太子エリシアスを血眼になって探し出した。その間、エミリオ・カヴィルに敵対する各地の総督に連絡を取り同盟を結ぶ。アミラコムの不作を理由に協力を拒む者もいた。彼らにフィリクスは穏やかに説明する。


「アミラコムの兵は逃げませんよ。俺は彼らを厳しく訓練しています」

 だが、と言われるとこう重ねる。


「それに、普段から給与をきちんと支払っておりますからね。俺は彼らと共に訓練し、共に食べ、学び、遠征しました。――ああ、魔物の討伐も一緒にやったんでした。彼らは俺を裏切りません」


 当て擦りに思うところある総督は黙り込み、あるいは罵声を浴びせるのだった。


 当たり前の話だが――給料を支払うアテもなく、十分な支援の見込みもなく、さりとて略奪も許さないでは兵隊はやっていけない。軍団を維持するのは一に金、二に食糧、三に名誉であってどれかひとつ欠けても立ち行かない。


 分領公の地位に支給された金をフィリクスはほとんどすべて軍団への支払いにつぎ込んだ。本来なら私腹を肥やすために使われる分、体面を保つため必要な衣類や装飾品の分まで。そうしてようやく、兵たちは自分たちがこれまで暮らすために借りた金の出どころを白状してくれるほどになったわけだ。次の支払いを確実にしてもらうためにも、このくらい教えなければという心理が働いたのだろう。


 そうまでしなければ把握できないほどフュルスト商会のやり口は陰険で精密だった。フィリクスはその賢さを真似したかったが、なかなか調整が難しいことは見てわかるから諦めた。


 代わりに彼は金ではなく脅しと恩によってかつて傭兵稼業で一緒だった者たちに連絡を取り、皇太子エリシアスの足取りを追った。エミリオ・カヴィルに襲撃されたとき、後宮から間一髪で逃れた彼は数少ない味方に守られ北方の土地に逃げ延びたという。


 北方にはオルシャリム領がある。そしてその領主はヴァルシャード将軍だった。将軍の足取りもまた掴めない。エミリオ・カヴィルは彼らの行方を追っている。華々しく戴冠式を行ったあと、皇太子エリシアスにひょっこり戻られては困るからだ。


 確証はなかった。情報も集まり切っていない。けれど確信が、あった。

 フィリクスはわずかな手勢を伴って冬が迫る街道を走った。


 向かうは帝国北方、オルシャリム。【大氷河】の腹の裾である。

 エリシアスはきっと、そこにいる。


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― 新着の感想 ―
フィリクスにとって、父親はどこまでも皇帝だったのね。 で、兵の手綱をしっかり握っている書類上の皇帝と正妃の長子は、エリシアスの側近にとっちゃ脅威よね。 フィリクスの弟への愛、届かないのか。
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