リュイス
どこの国の民も得てしてそういうものであるが、リュイス人ほど自分たちを典雅で優雅でみやびやかで流行の最先端だと自認している者たちはいない。
テトラス人にはまだ謙遜の美徳と自粛というものがあるが、リュイス人にそれはない。花を見れば衣服の刺繍に取り入れ、歌を聞けば次の舞台のネタにするのは芸術を愛するがあまりいっそ傲岸不遜、唯我独尊。
リュイス訛りは鼻につくといって嫌い抜く者が多いのも、ある意味頷ける。
フィリクスはこれまで、リュイスに対してさほど思い入れはなかった。ほっそりした乙女たちや背が高くせかせか歩く若者を見ては、
(ドレフ人と骨格が違う)
と感じ、まあそれっきり。
だから、いったいどうして自分が受け取った手紙にこれほど興奮しているのか説明できないでいる。
(ただのリュイス人――の、女)
である。
アレクシアはフュルスト商会の娘で、商会長の女秘書で、確かに類まれな才能と意志を持っている。彼にとっての意味など、たかだか金払いの良い客の一人、それだけだろう。
しかしまあ、困ったことに。
アレクシアからの助けを求める手紙を見た瞬間心臓が高鳴り、耳元でゴウゴウと唸る血流の音の大きさに回りの声も耳に入らなくなり、彼は椅子に腰かけ片手で顔を覆ってうなだれるしかない。
とりあえず、前回のような無様は決して晒さない、と心に決めてからフィリクスは軍団に号令をかけた。カフィール・ディアンがやってきたのはその直後である。目の下に隈を作りペンを耳にひっかけたドゥミルもくっついてきた。
「何がどうして出立の号令なんだ、大将?」
「前の報酬が入ってきてすぐなんです……すぐ次の仕事にかかるなら、先に兵たちに給料を支払いしないと……彼ら、怒りますよ」
「怒らせない。言い聞かせておくからドゥミルはちょっと寝てくれ」
フィリクスは大仰に両手を振って彼らを宥めた。ドゥミルはじろり、三白眼になって彼をねめつける。
「なんだってそう言い切れるんです?」
「俺が言えば聞くからだ。あれらは俺の兵隊になったから」
あっさり得られた返答に、会計係は腕を組んでぐったり壁に寄りかかってしまった。
「――で? カフィールは何を言いに来た?」
「不必要な危ないことに首を突っ込むつもりじゃないだろうな、と聞きに来た」
「ああ、危ないことだ。リュイス王国でリュイス人の政変が起きるようだから、軍事力を貸しに行くんだ」
二人は言葉を失った。隣の小部屋から小姓としてお茶を運んできたバリフも立ち止まった。少年がのろのろと動き出して、小さな丸テーブルに茶器を並べる間、誰もが無言だった。
「危険すぎる。リュイスに閉じ込められいいようにされる可能性もあるぞ」
ようやくカフィールが言うものの、すでにフィリクスは命令書にサインして封蝋まですませたあとである。彼は手紙と印が見えるように取り出してひらひら振って見せた。すでに配達夫の鞄の中か、鳩の足に括りつけるばかりの封筒を。
「そんなことにはならない。彼女は約束を破る人じゃない。俺たちは無事、帰れるさ」
「あっ、口を滑らしましたね」
ドゥミルは小声で毒づき、カフィールは苦虫を嚙み潰した顔をする。
「例の女か。フュルスト商会の?」
「そう嫌な顔するなよ。娼婦に入れ込んだ息子を見るような目だぞ」
「似たようなもんじゃねえか。――その手紙は誰に送るんだ?」
「ナイショだ」
「皇帝にか」
やれやれ。
腐っても同じ釜の飯を食った間柄、隠し事はできない。
「陛下はなんて命を出されてるんだ?」
「陛下は関係ない。これは俺と彼女の名誉をかけた約束だから、行くんだ。それだけだ」
「馬鹿野郎。皇帝の息子が自前の軍を率いて他国に侵入して、それだけですむわけがないだろうが!」
カフィールは凄む。フィリクスは穏やかな目で仲間を見る。
彼の中で仲間たちはあくまで仲間たちであって、部下ではない。命を使う決断に付き合ってくれることに感謝し、信頼し、同じものが返ってくることを期待する。一方兵士たちは、彼にとってかけがえのない戦力であり可愛い部下である。
「それですませる。俺の一個人の行動だった、少しばかり国境線を越えた行き来があったが、国の要人の誰も彼もが見過ごす。これはそういう動きになる」
国というものには面子がある。皇帝にも、王にもだ。アティフの小刀は即位式に用いられるもっとも重要な宝物である。それがなくなっていたことを、皇帝グリアリスはいつ知り、どう動いたのか……もし戻ってこなかったら、どうするつもりだったのか。
出来事としては小さいことかもしれない。食うに困った宮廷務めの使用人が皇帝のものだと知りながら窃盗を働き、それに気づいた善意の外国人がフィリクスを通じてドレフ帝国に返還した。だがそのことで、皇帝と帝国はアレクシアに返すべき恩を受けたのである。
恩には報いるべきだ。アレクシアは彼女が必要とするとき彼女のために働くことをフィリクスに求めた。
そして今、要請が来た。恩を返せる絶好の機会だ。精霊族は見ている。ドレフ帝国はこの一件を隠し通すのか? それとも約束を守り、正直な行いでもって返すのか? 神々もまた、ご覧になっているのだ。もちろん始祖王も。ダークエルフも。
「お前はそのせいで部下が死んでもいいのか?」
だからカフィールがまっすぐなまなざしでそう言ったとき、フィリクスは痛いところを突かれたと思った。
「兵が死んだら恩給が出る。家族の生活は保障される」
とだけ、言う。元皇太子の、はるか天に近しい場所に生まれ育った者特有のゆっくりした口調で。
カフィールは鼻を鳴らした。彼の中に軽蔑が生まれたことを、誰も悟らざるを得ない音だった。
「そうかよ。アミラコムのためなら魔物狩りもいいと思ったが、見損なったぜ」
「それとこれと、何が違う?」
「何?」
「俺とお前たちと七人で、大陸のあちこちで戦っただろう。あの旅とこれからリュイスに行くことと、何が違うんだ?」
「兵隊は行きたくて行くんじゃない!」
「それも承知の上で、彼らは軍にいる。嫌なら傭兵になればいい」
チッ、と舌打ちが響き、カフィールは部屋を出ていった。領主にしては小さく簡素だが、十分に広く暖められた執務室はがらんともの寂しい。
ドゥミルが下手くそな空咳をしてフィリクスをちらりと見、バリフに微笑みかける。
「あー、ほら。カフィールの父親は司令官の無茶な突撃命令で死んでます。だからでしょう」
「だとしても、飲み込んでもらわなきゃ困るんだ」
思っていた以上に弱々しい声が出て、フィリクスは自分に困惑した。
「何の意味もない目的のため命を張らなきゃいけないのだとしても、そんなことは織り込み済みだ。兵隊とはそういうものだ。傭兵とは違うんだ」
バリフが恐々と頷き、かすかにどもった声で言う。
「カフィールさんは、出て行ってしまうのかな」
フィリクスは肩をすくめ、兜を手に取った。出陣の前に鳩小屋に寄れるよう、手紙を懐に押し込んだ。
「だとしても俺は止めない。彼は部下じゃない。……俺が引き立てた、俺の友達だ」
そうして執務室を出た。誰も追ってこなかった。
そうしてリュイスでの戦いが始まったが、それは戦いというよりは一種の占領作戦で、人死にどころか怪我人も略奪もない、お遊びのようなものだった。兵士たちの中に加害行動に出る者がいなかったのは、フィリクスへの警戒心が薄れ信用が生まれていたからだった。――この司令官ならば、自分たちから剥奪し収奪し私腹を肥やすことはしない、という。司令官として最低限度の資質を満たしていると思われた、その一点が確認できただけでもこの遠征の価値はある。
(本当ならこの程度のこと、どんな将軍でもできなきゃダメだ)
だができない者たちがいて、ふさわしくない地位に就き、下を虐げる。――帝国は末端から麻痺し、腐って、切り落とされていく。
フィリクスは悲しかった。中央大陸一の広大な帝国が、己の図体のでかさのあまり崩壊していく。戦争を終わらせることもできず、内乱の火種を抑えるのに精いっぱいで、魔物までも手段として用いる者が出始めた。
皇帝グリアリスの心境を思う。どこから手を付けたらいいんだ、いい加減にしてくれ! もしフィリクスが皇帝ならそう叫んで逃げ出していただろう。だが父は、そうしない。
だからこそ、フィリクスにとって唯一の父親はあの人だけだ。あの人の認めたエリシアスこそが次の皇帝だ。もし二人が望んでくれるなら、彼はなんだってしよう。
戒厳令が落ち着き、リュイスの政変は成った。タリオン・ガルヴェリス=ハ・ロンド・ストームヴェイルは退位した。
風の噂に、アレクシアという恐ろしい女がいると聞いたときは思わず笑みがこぼれた。あまりにけたたましい復讐を成し遂げたので、貴族たちはそのなりふり構わなさに眉を寄せているという。
いいじゃないか、アレクシア。やれるだけのことをやって、手に入れた甘露である。
思う様に味わい、飲み干すがいい。
彼女を見るとき、彼は現実を忘れて見惚れることができる。アレクシアのすることはほとんどすべて、フィリクスにはできないことであるから。




