ラズナディア騎士団②
「お話中ごめんなさいねえ」
横からひょっこり、中年の婦人が顔を出した。ころころと笑う。
「あなた、ハキムとラーカンがまた馬の轡のことで揉めてます」
「あーあ、まーたか」
苦笑するハルサディルもどこか楽しげである。
「まあ、やらせとけ。喧嘩にならないようだけ見といてくれや」
「はあい、わかりましたわ」
婦人はおかしそうに退散した。首のところで丸くまとめた藍色の髪の毛がツヤツヤ光った。ハルサディルは誇らしげに彼女の後ろ姿を眺めていたが、フィリクスの物言いたげな顔に気づいて誤魔化すようにお茶を啜った。
「ん。女房だ」
「……こんなところまで、妻を連れてくるなんて」
「だってもう家もないのだものなあ。我々はずっと長い間こうだったから。あれも慣れているよ」
本当になんてことなさそうに言うのだった。婦人が馬のところに行って、二人の少年を仲裁しようとする。その足元に小さな子供たちがうろついている。きゃらきゃら笑う声がここまで聞こえてきた。
フィリクスには信じられない。――まさか本当に、妻子を連れて戦場を巡る傭兵がいるだなんて。
「確かに、着いてくるのを望まなかった女たちもいたさ」
彼の心を読んだのか、ハルサディルはお茶の泡に向かって話しかけた。
「そういう女と子供たちは故郷に残って、今はまあ色々だ。一人で子供たちを育ててる者もいれば、ドレフ帝国の男と再婚したり。夫の親の面倒を見てくれたり、自分の親元に戻ったりな」
「そっちの方がよかったんじゃないか。危険じゃないのか」
「危険は危険さ。あいつも肝が据わっているからな。ちょっとした危険なら自力でなんとかできる。子供らも、もし人質にされたら慌てず騒がず、せいぜい父ちゃんは身代金を弾んでくれる優しい父ちゃんなんだって騒げと教えてある」
フィリクスは首を横に振る。それしかできない。――絹の衣装を身に纏えないことをこの上ない屈辱だと感じない女がこの世にいることも、戦場を駆け回る父の背中を見て育つ子供がいることも、彼の理解の範疇外だった。
「信じられない。ここは、なんなんだ? まるで村がひとつぶん丸々移動しているかのようだ」
実際、そうだった。けたたましい鳴き声は鶏のもの、追随する太い声は乳牛のもの。荷馬車に所狭しと積まれた鍋や布や大工道具、織り機や糸車。子供たちが駆け回り、老人が焚火を囲んで話し込み、男たちは剣を研ぎながら豪快に笑う。何かを持ち運ぶ少年に、持ち方のコツを教える女がいるが顔立ちや年齢から母親には思われない。渓谷の暗い雰囲気にそぐわなさすぎるほど牧歌的な光景だった。
「そうともさ。村ごと傭兵団になったんだ、私たちは」
ハルサディルは誇らしげに胸を張り、フィリクスは膝を抱えそうになった。怪我をしていなければそうしていたことだろう。
「私たちはなんだってやる。傭兵として働くし、賞金が稼げそうなら剣術大会にも出るし、戦うより実入りがありそうなら商売人の真似事だってする」
「誇りは」
思わずフィリクスは言ってしまった。
「誇りはないのか。そんなことをして、騎士の誇りは傷つかないとでもいうのか」
「傷つかない」
ハルサディルの口調はあまりに断固としすぎていて、フィリクスの方が気圧された。
「何故なら我々は生きるために流浪しているからだ。故郷の言葉を、ならわしを、一族の神の伝説を語り継ぐためこうしている。もし帝国の傘下に入ったら、子供らは神殿前の広場で国が寄越してきた神官から話し方を学び、書き方を学び、やがて皇帝を讃える歌を歌うことになっただろう。そうなってから嘆いても遅い。子供らが私たちの子供らでなくなってからでは遅いんだ。だから旅に出た。戦場で生まれた男の子は傭兵になり、女の子はその妻になるだろう。どんな敗北を経験しても一族は一緒だ。離れない。こうして我々は続いていく」
――それで満足できるのは大人だけだ、とフィリクスは言いたかった。子供は生き方を選べない。閉じ込められているようなものだ。戦場で育ったという人生に縛られているようなものだ、と。だが言えなかった。
この傭兵団がとてもうまくやっていることを彼は身体で知っていた。フィリクスを取り囲んだ傭兵たちのうち、本心では死にたくなく、逃げたかった者は何人になるだろう。だが彼らは逃げられなかった。臆病者呼ばわりされないため、彼らなりの誇りや義理に縛られてフィリクスに相対したのだ。むしろ、彼への純粋な害意によって立ち塞がった者の方が少ないかもしれなかった。
そんな中でも、ハルサディルは静観を選んだ。選ぶことができる強さが彼にはあった。よって彼の仲間たちは一人も死ななかった。フィリクスが野営地に立ち入ることができたのも、彼らとの間に直接的な加害被害の関係が確立していないからだ。
これほど強かで賢い男の元で育つなら、子供たちは戦い方を学べる。強い大人たちと同じくらい強い大人となって、ここがいやになれば自力で旅立つだろう。
「なんてことだ……」
フィリクスは項垂れる。ほんとうに、なんてことだろう。こんな人生が、あるだなんて。
顔を上げずに彼は言う。
「ここがあんたの小王国であることはわかった。俺を連れ込んだ目的はなんだ?」
彼らは彼らだけで完結している。あえて部外者を入れる必要はなかった。しかも傷だらけで得体の知れない、何十人もの傭兵を目の前で殺した危険な男だ。必要か不必要かで言えば、はっきりと不要だ。
ぎろり、黒い目でフィリクスはハルサディルを睨め付けた。
「目的? いや、そんなのはないよ」
と言われてもすぐには意味が理解できず、更に言い募る。
「では理由を。俺に何かやらせたいことでも?」
鼻で笑って腕の包帯を指差した。
「手当の礼に何をさせる気だ? いいだろう、やってやるよ。でも報酬はもらうからな」
「いやあー……」
困りきった様子でハルサディルは頬をかいた。
「すっかりひねくれてるねえー」
「さっきからわけがわからない。俺に言いたいことがあるなら直接――」
「うん! 決めた!」
傭兵団の長はぱっと立ち上がり、焚火の火の粉が舞いフィリクスは目を瞬く。
「この子うちの子にしよう! 異論がある者ー!」
野営地がどっと湧いた、としかフィリクスには思えなかった。突然、おのおの仕事に熱中していたはずのほぼ全員が笑い出したのである。
カップを持ったまま固まる彼の傷ついた肩に、ハルサディルはにこにこと手を置いた。
「はい、満場一致です。フィリクス、今日から君は我々の仲間だ!」
「は? え、ええ?」
「我々は君を歓迎しよう、色々教えてあげよう、必要なことはなんでも。その代わり、もちろん君の力も名声も活用させてもらう。どっちも得ができてどっちも少しばかり損をする、うん、いい取引だ。そうだろう?」
目を白黒させるうち、フィリクスは人々に取り囲まれた。老若男女、皆笑顔で楽しげだった。
ようこそ、ようこそ。
初めまして、傭兵さん。
一匹狼だったんだって?
じゃあこういうところで暮らすのに慣れていないだろう、いろいろ教えてあげるね……。
もちろん輪の外で苦々しげに、あるいは見物人気取りの者もいて、なんだって団長、あんなのを……と毒付く声も聞こえる。フィリクスとしてはむしろそっちの方が安心する。
なんだって急に、長が決断しただけで? ありえない。きっと何か裏が、あるに違いない――
「ちょっと待て、俺はこの団に入るだなんて聞いていない! 承諾していないぞ!」
もみくちゃにされながら彼は叫んだが、人々の耳には入らない、むしろあえて聞かないようにしている様子である。
助けを求めて見たハルサディルはさっそく妻の元に行って何やら耳打ちしているところ。孤立無援のフィリクスを助ける者はいなかった。
な。
なんだって、こんなことに。




