ラズナディア騎士団
空は青く澄み渡っていた。こうしてみると大地は広く、荒野といえど下草が生え花が咲き、決して不毛なばかりでもなかった。
青と、土の色と。
フィリクスの目にまず飛び込んできたのはそれら二色である。
続いて、血の色と呻き声が知覚された。砂塵を含んだ風に混じる悪臭も。血と汗と傷口のにおい。生きようとあがく生命が発するにおいだ。
目の前の惨状を自分が引き起こしたとは思いたくなかったが、どうやらそうらしい。
一面に、傭兵どもが落ちていた。倒れていた。天を仰ぎ、あるいは地面に伏し、それぞれに死にかけている。もう死の迎えが来た者もいれば、それを待つばかりの者、手足の一部を失ってまだ逃げる元気のある者もいた。あちこちに砕けた剣のかけらや切れたベルト、人の手足、それからあまりに多くの血と肉が飛び散っていた。見たくないものだが生首なども落ちているようだ。荒野のこの部分だけ、赤と黒に浸食されている。
フィリクスは目線を遠くへ戻す。夏の朝の空の目を射るような濃ゆい青色と、はるか遠くに霞むにつれて一層灰色に色濃くなる土の色を。
不思議と疲れていなかった。二色を追ってより遠くまで行けばもっと楽しい気さえした。
だがガクッと視界が下がったかと思うと片膝をついてしまう。彼は剣を突き立てて倒れ込むのを防いだ。衝撃で、ピシリと剣に罅割れが入る。もうこの剣はだめだ。新しいのをあつらえないと。上着の下地の下に縫い留めた金の腕輪がチャリっと鳴った。
物音に反応してフィリクスは顔を上げた。
岩場の物陰から恐々と顔を出した者たちがいる。堂々としたというよりはすばしっこい体躯の男が立ち上がり、こちらへ向かって歩いてくる。武器は持たず、両手をまるで旧友の息子にするように広げて。
フィリクスは立ち上がって剣を構えた。すると剣先から半ばまでがぽろりと落ちる。仕方ない。根本だけでどこまで戦える? こいつを殺しても仲間がいる。追いかけられて、どこまで逃げられるだろうか?
それでも彼はそうする。
生きていくために。
「落ち着きなさい。我々は君に敵対する者ではない。この場に顔を出しておいて何を、と思うだろうが。我々はただの見届け人としてこの場に来たんだ。どうにも素行の悪い若者を仕方なく排除することに決めたと言われてね。その中で卑怯な手段が用いられなかったか、確認してくれと言われて。蓋を開けてみれば、ぜんぜんきいていた話と違うので驚いている」
男は苦笑した。くっきりした二重まぶたの目を細め、こけた頬を太い腕が撫でる。
「思っていたのとは違ったよ、何もかもね。どうやら我々には行き違いがあるようだ。少し、話をしないか?」
「……これまで」
フィリクスはのろのろと口を開き、舌の上に溜まっていた血と泡が混じった液体をベッと吐き捨てた。
「俺にそれを言ってきた奴らはみんなろくでもなかった」
「そりゃかわいそうに」
男はゆっくり近づいてくる。誰かの声が飛ぶ。団長、危ないです。
大きな手がフィリクスの肩を優しく掴み、間近に黒い目同士のまなざしが合わさる。ドレフ人の黒い色の目だ。黒玻璃色の目。
「私はハルサディル・ミルザシャン。ラズナディア騎士団の団長をしている者だ。気安くハル団長と呼んでくれて構わないよ?」
と言って彼は両目をギュッとつぶった……片目を閉じたつもりらしい。
フィリクスはふっと笑った。全身から力が抜け、ズキズキと痛みが戻ってくる。切り傷と打撲と、あとこの痛みはなんだろう? 内臓の上に一発くらったらしい痛みが一番ひどかった。
「な? 若者よ。もう剣を振るわなくていい。こっちへおいで。私がろくでなしかどうかは君の判断に任せるが、妙な動きをしたら逃げて構わないから」
フィリクスは頷き、ハルサディルは太陽のように破顔した。あたりいちめんの死体と死体未満のことには誰も目もくれない。傭兵同士の争いがあり、一方が負け一方が勝った。それだけのことである。一方の頭数が多く、まだもう一方がたった一人であったことは――ただの話に華を添える閑話に過ぎない。
フィリクスは勝って立っている。それだけが事実だった。
***
ラズナディア騎士団はかつてドレフ帝国にあったシュミラーナ自治領の流れを汲む騎士団だった。シュミラーナ自治領は皇帝グリアリスが生まれた頃に総督カルハミンによって自治権を奪われ、一属領に成り下がった。ハルサディルを始め一部の騎士たちはそれに反発して生まれ故郷を捨て、流浪の騎士団となったのだという。
「時折、傭兵団と変わらないなどと悪口言われることもあるが。いいや、なに、私たちは騎士だよ。かつて確かに叙勲されたことがあるのだからね。騎士の誓いも誇りもまだまだ有効で現役だ。ならば、我らが騎士を名乗って不足なことはあるまい」
と、ハルサディルは胸を張る。
フィリクスは鋳物のカップの中で揺れる薬草茶を覗き込み、ため息をつく。全身に貼られた包帯を取ってしまいたくてたまらなかった。
「コラ! 今掻こうとしたね? 傷を掻いちゃいけないと言ったろう!」
と、どこからか鋭い声が飛んできた。フィリクスが答えないのを見て、ハルサディルがなごやかに応答した。
「はあい、ドゥミナ婆。ごめんよー」
「なんで団長が謝るんだね!?」
と叫んで老婆は、よぼよぼと行ってしまう。耳が遠く、声が大きいのだった。まったく忙しいったらとぶつくさ言っている。
彼女は団長に連れてこられたフィリクスを見て絶叫し、せっせと彼を全裸に剝いた。天幕の影で、目にも止まらぬ早業で。その時点でフィリクスは死にそうになっていた。女に身体の世話をしてもらうなどいつぶりだったか思い出せないほどだったから。
老婆は傷の手当に一切の手加減をしてくれず、傷に入った小石を抉り出されたときは別の意味で死ぬかと思った。自分でやった縫合にケチつけられ糸を抜かれ、再度縫い直された。新鮮な痛みが戦闘後の眠気や弛緩を追い出してくれた。
最後に全身に薬を塗り込まれ、包帯を巻かれて初めてハルサディルと二人になれた。
野営地であった。フィリクスは傭兵団――騎士団が、たったひとつの軍勢でこれだけの野営を張る場面を見たことがなかった。天幕がひしめき合う光景は見たことがあったが、軍のそれのように整然と白いものだけが並ぶということもない。もっと雑多で、不規則で、おまけにその持ち主が思い思いに焚火まで焚くものだからそこらじゅうを煙が漂っている。
――焚火。そう、焚火だ! フィリクスはカップを握りしめ、言った。
「ここは……火の始末の責任は誰が取っているんだ?」
「なんだって?」
「こんなありったけに火を焚いたら、火事になるだろう。誰かが見て回って、延焼していないか確認しているのか?」
……火事を出した者は、少なくとも軍では即座に叩きのめされ、降格され、責任を取らされる。そうならないよう、厳格な基準と見回りの兵がいた。フィリクスの知る火といえば、離宮の暖炉、小さな小屋の炉、暖を取るための川べりの違法な焚火。これらはそのどれでもない。
ややあってハルサディルは豪快に笑い出した。団長付き侍従である、ラシムという少年もふふっと笑いながらフィリクスのカップにお茶のお代わりを注いだ。
「なんで笑うんだよ」
と彼は不貞腐れる。身体は痛いわ、笑われるわ。腰かけている野営用の簡素な折りたたみ椅子に尻が収まりきらないわでさんざんである。足を動かすと傷口が引き攣れるように痛かった。
……これは谷底で負った傷だ。カザールにやられた。それはわかる。また口を開けてしまったのだ。治ったのではなかったのだ。ただ痛みを忘れていただけ。だが、どうして痛くなかったのか、自力で傷を縫ったとき何があったのか、どうにも記憶があやふやだった。
フィリクスは戦闘の興奮で我を忘れたことなどなかった。つまり、多くの傭兵がそうであるように気を大きくして賭け事や娼婦にのめりこむようなことは、ついぞなかったと言っていい。彼はどんな戦いのあとだって奇妙に冷静で、他と一線を引くところがあって、有体に言えばスカしていた。
人が生きるために必要とする数々のよくない刺激の必要性を理解できなかった、と言っていい。フィリクスはどこか欠けた部分のある青年であり、自覚がないのがまた危ういところだった。
「ああ、いやいや。我々は火とは個人に属するものだと考えている。火の始末は個人の責任だよ。火事を出したならみんなで協力して消火するがね、その結果の賠償だとかはその焚火を興した者が行うんだ。そういうものだよ」
「……ふうん」
フィリクスは頷き、カップの中身を啜った。傷の治りを早くするというお茶は苦い中に芳香があって、かなり好みの味だった。
「帝国の中でもかなり、異質だな」
「そうかな?」
「そうだ。それで、あんたは俺を……」




