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【書籍化】どうやら私は悪役のようですね。それで?【外伝完結】  作者: 重田いの
外伝 フィリクス

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邂逅①

 


 フィリクスは次第に、なんでもできるようになっていった。


 なんでも、というのは比喩ではなく。


 炊事洗濯家事掃除、それから暗殺や誘拐や密売、それらの護衛、逆にその現場を襲撃すること。五年も経つ頃にはフィリクスは立派な人殺しとなり、傭兵として一本立ちした。


 ドレフ帝国軍との縁はとっくに切れていた。彼は正規の兵隊になるには――あまりに、物騒な人格だ、と上官は言った。総督の横顔が刻まれた金貨をあっという間に使い果たし、フィリクスは傭兵団に入隊した。


 その頃、彼には仇名がついていた。普通なら名誉なことである。何かしら人に知られるようなエピソードを持っている傭兵は、就職が少しばかり容易になるし尊敬や畏怖を集めるから。だがフィリクスは、自分の仇名にやや不満だった。


 その仇名はこうだ――放浪皇子。


 いったいどこから何をどうして話がこんがらがったのか。フィリクスはどこか遠くの国の皇子だったのが、数奇な運命により傭兵になった男である、ということになっていたのだった。まったくもって中らずとも遠からず。生粋のドレフ人だと証明するような顔立ちと肌の色を見れば、古い血筋を感じる者もいるだろう。といっても、東の平原の遊牧民が傭兵と恋して産み落としたのだとトンチンカンを言う奴もいるが。


(俺の剣を見ろよ。どっかのバカがうそぶいた生い立ちなんかじゃなく)


 とまあ、本人の言い分としてはこうであった。口に出すことはない。何しろ、今の彼は傭兵団の切り込み隊長である。妙なことを言い出せばもっとも誉ある地位を脅かされかねなかった。


 傭兵も傭兵団も、子供時代に憧れたようなよいものではなかった。だが彼は今の立場も自分も気に入っている。手放すつもりはない。ただ、思っていた大人にはなれなかったと思うだけ。


(シンクレア先生は、もうお亡くなりだろうか……)

 ふと、立ち止まって考え込んでしまうときもある。彼の孫娘は、ひ孫は、元気だろうか。一度も会ったことはなかったけれど、フィリクスにとって彼女らはごく親しい親戚のように感じられた。


 彼は伝手を辿って先生のことを知ろうとした、だが皇族でさえ後宮と内宮、各軍隊の壁に阻まれて情報が降りてこないのに、ただの一個人のことなど誰が教えてくれる? 心配しながらも、目の前の仕事をこなすしかなかった。


 ドレフ帝国の東から、西へ西へとフィリクスは流れた。傭兵団から傭兵団へ。ときには正規の騎士団に雇われたこともあった。ドレフ人の集団、そうではない集団、中央大陸じゅうのあらゆる国の人間が寄り集まった集団。誰も彼もが彼を便利な突撃要員と捉えていた。どこにも馴染みきれない気がして、どこの集団からも一年を待たず脱退した。引き留められても留まらなかった。


 とある夏のことだ。

 テトラス王国とドレフ帝国の間には、セルマディア渓谷が天然の国境を形成している。


「セルマディア渓谷から魔物が湧いている」

 とカザールに聞いたとき、フィリクスは一瞬、自分の耳がおかしくなったと思った。


「馬鹿なことを。……どこの間抜けがそんな不始末を? ありえないだろう」

「困ったことにありえてしまったから、こうして依頼が来たんだよ」


 カザールは巨大な肩をすくめた。かつてドレフ帝国軍で中隊長まで上り詰めたものの、酒の勢いで上官をぶん殴って放り出されたという傭兵である。ちなみに家族にも酒癖のせいで逃げられたらしい。短く刈り込んだ赤毛、筋骨隆々の身体に鎧だけを身に着け熊のように戦う。


 酒ですべて失ったのにまったく反省せず、酒宴には必ず顔を見せて酒を煽り、せっかくの正規兵の立場をもったいないことしたなあと自嘲してみせるのだから始末に負えない。だが戦闘の腕は確かな男だった。


 この世界では放置された人間の死体が魔物に変わる。出現した魔物は群れを成し、人里を襲い人を食らう。どこの国のどんな人間であろうともそれを見過ごしてはならなかった。魔物が目撃されているということは、その近くで一定量以上の人間の死体があるということだ。


 焚火を囲んでの打ち合わせの最中、舌打ちしたのはドゥラシャンだった。他に比べれば小柄で、すばしっこくずる賢い男である。

「大方、どこかの村同士が積年の恨みをぶつけ合ったんだろう。あるいは食い詰めた逃亡者どもが集団自決でもしたか。迷惑な話だよ」


「奴隷商人がいらない奴隷を捨て置いたのかもしれないよ」

 歌うように唇に手を当てるのはハルザミア。治療の術を知る珍しい女傭兵だった。元々は傭兵稼業中に殺された夫の敵討ちのため剣を手に取り、そのままずるずると故郷に帰れなくなったという経歴の中年女である。


「ともあれ、放ってはおけないね」

 そうとも。傭兵団は顔を見合わせ頷きあう。


 放ってはおけなかった。かつてこの世界を去り行く精霊族と始祖王が交わした【雪花の誓い】は、決して同類を見捨てるなと説く。人と人が殺し合い、世界に魔物が溢れると、精霊たちがこの世に戻ってくる……。


 精霊が戻れば、破滅が始まる。

 誰もが知っている、この世界の真理だ。


 気づけば焚火の光があたる全員がフィリクスの顔をじいっと見つめていた。彼はまだ若い、タコまみれの手を挙げてその視線に応える。月明かりがこうこうと一団を照らし、煙はなかなか天に帰らず周囲にくすぶった。誰かの咳が聞こえる。明かりがない範囲にも、傭兵どもは黙って控えている。


 構成員は総勢三十一名。フィリクスはそのうちの一人に過ぎなかった。一番血の気が多く一番首級を挙げる一人だ。

「わかった。俺がまず偵察に行って、様子を伝えるよ」


 それで、そういうことになった。

 反対意見は誰からも出なかった。彼はこの傭兵団の、あくまでその他大勢であったから。


 少し経つと雲が出て月は隠れた。フィリクスは渓谷の底へと降りていった。静かな夜である。月明かりは差し込んでは消えた。空を振り仰ぐと、谷底へ至る急勾配やせり出した崖に遮られすでに月そのものは見えない。白い光だけがほのかに谷を照らし出し、フィリクスに次に足を運ぶ場所を知らせてくれた。


 あの古いナイフはとっくになくしてしまって、上着の裏に縫い付けた金の腕輪だけがかつて彼が誰の息子だったかを知らせている。過去をひとつずつ失くし、そのうち完全に現在だけになって歴史の狭間に消えていくことができたなら……それはきっと、幸福なことだろうとフィリクスは思う。


 彼は口元に手を当てて、ホウホウとふくろうの鳴き真似をした。魔物は五感が鋭いから、もし聞こえたら何かしらの反応があるはず。だがそれらしいものは何もなかった。だから、迷わず闇の中へと足を進めた。


 セルマディア渓谷は国境線であると同時に、天然の要塞でもあった。大地に走った深い亀裂の底には金銀財宝が眠るとも、はるか太古に生きたまま投げ込まれた生贄の骨が積まれているとも言われる。この谷底を探検できた者はいまだかつていなかった。


 テトラスとドレフの交易は、もっぱら南方諸国家を経由しセルマディア渓谷を迂回する。それはこの谷がひどく不気味である以上に、【大氷河】の地下から這い出る瘴気が人の気を狂わせるからだとも言われる。


 目には見えなくても、足元の小さな穴や岩の存在が手に取るようにわかる。フィリクスは転ぶことも迷うこともなく、ひたすら谷の奥の奥へと突っ走る。腰には剣。身体は十分以上に成長して、全身に力がみなぎっている。何がでてきても負ける気はしない。


 戦うことを求めていた、のかもしれない。


 もう会えない人たちへの思慕が、負の感情へ変換され吹き出す口を探しているような……そんな奇妙で危険な感覚に、最近、ずっと付き纏われている。


 谷の亀裂の狭いところで入り込んでしまったのか、とうとう道がなくなるまでフィリクスは進んだ。月の気配も感じない。いちめんの闇である。懐かしささえ感じるほど落ち着いた心地だった。


 彼は踵を返し、今度はややゆっくりと来た道を戻り始める。傭兵たちには、魔物は見当たらなかったと言おう。そもそも人間どころか小動物の死体さえ見ていない。悪質なデマに引っかかったのだ。そうに違いない。


 だがどうやら、引っかかったのはフィリクス一人きりだった。


 フィリクスがセルマディア渓谷に降りたのは、ドレフ帝国側にいくつかある小道のひとつだった。物好きな商人、谷底にだけある【大氷河】から流れ出た魔石を拾うハンター、冒険者と称する自殺志願者などがときどき利用する道だ。


 その道のはじまるところに、カザールがどっかりと座り込んでいる。

「よう、遅かったな」

「あんたが迎えに来てくれるとは嬉しいね」


 フィリクスは吐き捨てた。カザールはがらがら笑い、背中に背負った大ぶりな剣を抜いた。さあっと風の音が聞こえ、フィリクスは耳鳴りがした。一瞬だけ。


 その一瞬でカザールは距離を詰めてきた。フィリクスは剣を抜き、斬撃を受け止める。さすがに重たく、速く、文句のつけようがないほど素晴らしい一撃だった。


 突き、薙ぎ払い、再び突いてくるのをフィリクスはいなす。殺される。今のは確実に心臓を狙っていた。


 傭兵同士がこうなってしまうと、結末はどちらかが死ぬしかない。カザールは理由を言わず、名乗りを挙げず、もちろん不意打ちもしなかった。ならばこれは、正当な決闘だ。


 フィリクスは死力を尽くして戦った。こちらが探索の果てに疲れていて、そっちは焚火に当たったあとだろう――とは思っても言わない。いつだって状況は彼に不親切である。


 だから足元に開いた小さな亀裂に気づかなかったのは、カザールの自業自得である。巨大な身体がかすかに傾いだ、その隙にフィリクスはまず相手の脇腹を裂いた。これで一撃。


 互いに体勢を立て直す。カザールが疲れるのを待っていてはやられる。フィリクスは谷の壁を駆け、頭上に剣を構え足の力の許す限りを飛んだ。カザールの目前に防御として構えられた剣のギリギリ手前で逆手に持ち替え、勢いをそのままに大男の目を斬る。


「ぐお……っ!」


 見えなくなってもなお剣を落とさず、振り回す胆力。称賛に値するし、羨ましい限りだ。いつか誰かに殺されるとき、フィリクスはこれほどふてぶてしくあれるだろうか?


 彼は地を這うように姿勢を低く、カザールの足首を薙ぐ。血が吹き出す。谷底の淀んだ空気はすでに鉄のにおいに占領されている。倒れた身体に跨り、フィリクスはカザールの喉を突いた。


 言葉はなかった。

 喉笛を突いて、首の後ろまで貫通したのだから当然のことである。


 フィリクスはカザールが死ぬのを見届けた。もがく手、痙攣する足が動かなくなると、腰や懐をあさっていくばくかの銀貨と指輪を手に入れる。報酬は手に入れば入るほど、今後動きやすくなることを彼は学んでいた。


 一体だけなら魔物も湧かない。ただ腐って忘れられるか、あるいはドゥラシャンかハルザミア、他の連中が心優しくも捜索にくるだろう。


 フィリクスは自分が下ってきた小道を見上げたが、すでにそこをよじ登るだけの気力はなかった。ハアハアとけだもののようにうるさい息の音が自分の喉からする。水、水がほしい。何よりも、休息が欲しかった。


 彼は歩き始めた。もう少し南へ行けば、這い上がるための次の道があるはずだ。あるいは古い鎖とロープがぶら下がっている箇所もあったはず。頭の中の地図を参照するのもなかなかうまくいかない。


 身体じゅうがズキズキと痛んだ。足を引きずっていることには気づいていたが、どこを怪我したか確かめるよりも、死体から離れたかった。カザールを探しにくる者が再びフィリクスに襲い掛からない保証はないからだ。


 怪我にも関わらず、彼はできる限り機敏に動いた。目がかすみ頭が重たいのも無視して。

 フィリクスは粘り強く、生き残るためならばどんな労苦も惜しまない。彼は生きなければならないからだ。あの宮殿で、北の離宮で、豪奢さの中に溺れて死ぬことになる前に、そう決めたからだ。


 やがて彼はそれを見つけた。谷の壁に小さな穴が開いている。入り口の大きさは屈めば入り込めそうなほど。フィリクスは迷わずその中に侵入した。



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