いただきへ登る③
そのような次第で、真夜中、月がてっぺんに昇る頃。討ち入りはつつがなく敢行された。拍子抜けしてしまうほどにあっさりした結果がついてきた。
屋敷は都アリネスの郊外にあった。アレクシアの目には貴族のそれというより、平民の成功した商人の館に見えた。真新しく、煌びやかさや風格とはほど遠い。
鉄門の塗装は剥げ、蝶番はひどく歪んでいた。夜中だというのにかがり火ひとつ、魔法灯ひとつなく、ひっそりしているのか不用心なのか。キイと音を立てて門が開くと、屋敷までは猫の額のような庭しかない。花壇には枯れた草花の残骸が朽ちるに任せて放置され、庭木もまた萎れかけている。明らかに庭師をはじめとする使用人の手が足りていないのだった。
「こんな古びたところに、すでに退位したとはいえ王妃が?」
とアレクシアが呟いたのも、無理からぬことだろう。
正門の前にはフュルスト商会から秘密裏に回した馬車と、荷馬車。エマは馬車で待機。荷馬車の方から続々と傭兵たちが飛び降り、音もなく配置につく。フィリクス、アレクシア、それからデルマンスが玄関口に立った。
先陣はフィリクスが切った。部下たちを裏口と正門に忍ばせ、自分は堂々と玄関扉を叩く。
「緊急事態! 緊急事態です! お開けください、緊急の伝令!」
すると驚いたことに、扉は内側から勝手に開かれた。
「な、なんです。夜中ですよう。奥様も寝ていて……ギャアッ」
中年のメイドはフィリクスの鎧を着込んだ風体と、腰の剣を見て腰を抜かす。へたりこむ肥った身体の脇を擦り抜け、狭い玄関ホールを通過。フィリクスの足は速い。彼とデルマンスに前後を挟まれる形で、アレクシアも可能な限り素早く走った。服装は簡素なワンピースドレスだが、それでも裾が邪魔で邪魔で、傭兵にズボンを借りればよかったと舌打ちする。
二階へ続く階段を駆け上がり(その時点でアレクシアはひいひい言っている)、出てくる使用人のことは意にも介さず各部屋を開けて中を見て回る。
「お、おい、誰だ?」
「ここがお屋敷だということをわかってるのか?」
「ちょ、ちょっと――」
誰何の声はいずれも弱弱しい。おそらく前王妃は、それほど腹心の配下がいるわけでも、それほど心から慕われていたわけでもなかったのだろう。
「見つけた、ここだ」
フィリクスが振り返って言う。何の変哲もない、他の扉と変わりなく見える扉だが、そこだけ厳重に鍵がかかっていた。アレクシアは胸を押さえつつ、笑って頷いた。
フィリクスがオーク材の扉を蹴破ると、中から女の悲鳴が上がった。
「なっ、なんですの! あたくしが誰だか知らないのかい!?」
カン高い震える年老いた女のキンキン響く声。
アレクシアは部屋の中に踏み入った。暗くてよく見えない。デルマンスがカーテンを開けると、月明かりが差し込んでようやく彼女が見えた。
白い寝間着はフリルまみれである。まっすぐな銀髪が肩から流れ、月の光の元こうこうと輝いた。まだ三十くらいに見えるが、実年齢は五十近かったはずだ。往年の美貌が偲ばれる、だが驚くほど若々しく幼げな顔立ち。タレ目、小さな鼻、ぽってりした唇は何も塗っていないのに赤い。顔の半分を占めるほどに大きな目は怯えに見開かれていたが、フィリクスを見つけるとぱっと表情に輝きが戻った。――なるほど、美男漁りが趣味というのは本当らしい。
「フィルセナ様ですね?」
アレクシアは低い声で問うた。
「お、お前は誰!」
「アレクシアと申します。父はヘンリー・フュルスト。母はルクレツィア」
はた、と驚愕の表情を浮かべてフィルセナは動きを止めた。裏庭から傭兵たちの声が漏れ聞こえ、束の間、そっちに気を取られる横顔は三日月のような細面だ。
「答えていただきます。フュルスト商会のテトラス支部を襲わせ、商会員を殺させたのは、あなたですか?」
「あ、あたっ、あたくし――誰か! 誰かー! いないの!? 誰かあああああああッ!」
女の金切り声がキンキンと部屋に反響する。デルマンスが進み出て、静かにアレクシアと目を合わせた。
「裏で糸を引いてたのかこの人だってんなら、俺の母さんがああなった原因を知ってるはずだ。俺にやらせて、アレクシア」
アレクシアが頷くと、デルマンスはフィルセナの腕を掴んで身体ごと引き上げる。それから、彼女の全身を寝台の天蓋の柱に叩きつけ、声がしなくなるまで喉を締め上げた。たんたんと、ただ職務に邁進している彼になんらかの感情は見受けられない。
「ぎっ……がっ、ご、……」
全身を痙攣させて息をするのにやっとの前王妃へ、アレクシアは進み出た。その傍らにはフィリクスがいて、いかなる不測の事態にも対処できるよう剣の柄に手をかけている。
「改めて、お尋ねします。どうして、うちを狙ったの? ねえ?」
「ぶぶうううううー……ぶぶー……」
「デルマンス、少し弱めて」
彼はそうした。フィルセナは口からあぶくを吹きながらもがき、下目づかいにアレクシアを見つめた。必死にのけぞった喉笛を、無常な腕がいつでも押し潰せるよう待機している。
「あ、がが。ううー……っ、だ、だって。殺したはずう……」
「誰を、というの? そう――やっぱり、そうなのね」
アレクシアは冴え冴えと光る青い目を、フィルセナの顔にギリギリまで近づけた。彼女の息はあの香炉の甘い煙の匂いがした。近くで見ると白い頬はたるんでいる。
「あれは私への警告のつもりだったのね? 私に、王位争いから手を引けと言いたかったのだと、そう理解していいのね?」
いくぶんかのためらいのあと、前王妃はとうとう頷いた。アレクシアの合図でデルマンスは腕を下す。どうっと床に倒れた女は激しく咳き込み、身体を丸めた。
「あえてテトラスにいる人員を殺した理由は?」
「あっ、……ひ、ひいいい。ひいいいっ、だって、だってえ。そっちの方が、やりやすいからって……リュイスからも引き離せるし、その間に、ウウッ。殺さないでえ」
「誰に、言われたの? あなたの陰謀ではないでしょう。在位中にあなたのしたことといえば、慈善事業の名を借りたパーティーと王に隠れての男遊びばかり。そこまで知恵が回る女じゃないものねえ?」
土色の髪をふわりとなびかせたアレクシアの嘲りを、前王妃は憎悪の目つきで睨み上げる。だがフィリクスの剣を見るとたちまちのうちに敵意は霧散する。
その程度の、覚悟。それくらいの、生き方。
彼女は王妃になるのではなく、生まれついた男爵家の娘として相応な身分の男に嫁いだ方がきっと幸せだった。
「だ、だって……だってえ。あ、あたくしの子が、次の王になるのが当然だって、あたくし思うもの」
「ジルナール・ランデリオ公爵がそう言ったのね」
前王妃の震えは止まり、どうして? と彼女はアレクシアを見つめる。あどけない子供がぽかんとするような顔で。
「あなたは愛人に唆され、私を排除して子飼いの者を次期国王にしようとした。私が議会に根回しして、次代の王に推薦されようとしていたのを知っていたのでしょう。それはいいわ。権力に固執するのは、一度その座に就いた者であればあるほど当然のこと。でも、わからないことがひとつ」
アレクシアはすうっと羽根が落ちるほどの速さと軽さでしゃがみこんだ。老いて出っ張った女の目を覗き込む。
「何故私だったの? 私以外にも王の候補はたくさんいて、もっと血筋の正しい者もいれば、実績に優れた者もいたわ。でもあなたはその中で私を選んだ。その理由は?」
フィルセナ前王妃は呆然とアレクシアを眺めていたが、やがてプクンと頬を膨らませ、ダンダンと床を拳で叩いた。
「その、顔! あの女にそっくり! ルクレツィア。あいつのせいで、フュルストはあたしに目を向けなかったのよ、信じられない! あたくしが、このあたくしが誘ってたのに!」
小型犬が噛み付く勢いでより矢継ぎ早に。カン高く、耳障りな声でキイキイと始まったのは学生時代の話だった。
傭兵の一人がその喧噪にも負けず、部屋の前まで来て怒鳴った。
「大将、ガキがいないぜ。女王になるとかいう、セリナってガキは。どこにもいないぜ!」
瞬間、アレクシアは騒ぐ前王妃の胸倉を掴み上げる。デルマンスがしたほどには持ち上げられなくても、ある程度の腕力はある。老いた女の上半身に馬乗りになり、アレクシアは腹から出た怒号をその耳に叩き込んだ。
「どこ! その娘は⁉ 私を押しのけて女王になるのだという不届きな娘を、どこへやったの!」
前王妃は馬鹿にした笑い声を挙げようとしたが、アレクシアの後ろにデルマンスを見て押し黙る。それでも口元はニヤニヤと笑い、いかにも嬉しそうだった。
「さーあ? どこにいるかな? 考えてごらあん。ただねえ、そもそもあんたなんかが女王になれるわけないでしょ。もう無理よ。むーりぃー」
アレクシアの手から力が抜けた。前王妃を手放し、彼女は立ち上がる。その腕を取って身体を支えたフィリクスは頷いた。
「これで確認が取れた。行こう」
「ええ。――セリナは議会堂にいるわ。急いで馬車を回して!」
きょとんとしたまま床に転がるフィルセナ前王妃は、彼らの駆けだす足音と振動をただ聞いていた。のろのろと身を起こしてみると、目の前にはデルマンス、それからぞろぞろと入ってくる傭兵たちがいる。
「ひっ」
「こんなこともあろうかと、一番素早く動ける有能な奴を議会堂に行かせてたんだよ、アレクシア様は。まったく、抜け目ないお方だよ」
捕縛用の縄の強度をぴしりと張って確かめつつ、デルマンスは苦笑した。
「確かに、護衛騎士のシルヴァンといえば傭兵の間では有名だった。有能で、決して依頼人を傷つけさせない……フュルスト商会に拾われたと知って悔しがった奴も多かったさ。彼なら間違いなくどんな事態でも沈静化できるだろう。俺は、やっぱりこういう役回りがお似合いだな」
「ひぇーっ、来ないでえええっ、イヤーッやめてえええええ!!」
泣きわめく前王妃の身体を彼は縛り上げた。
「きゃあああああああっ。いやああああああああああッ」
「まさか犯されるとでも思ってんのか、このおばさん」
と傭兵たちを顔を見合わせると、図星だった様子でピタリと喚き声が止む。猿轡を使う手間が省けてよかった、あれ間違えて噛まれると痛いから、とデルマンスは思った。
そのようにして、前王妃をはじめ屋敷にいた使用人全員が捕らえられ、荷馬車に乗せられてフュルスト商会へと運ばれた。余計な噂が広まらないよう、身元を調べ上げ、口封じを施すまで解放されることはない。前王妃もまた、アレクシアの重要な手駒として使われる未来が待っている。
ことはすべらかに迅速に、あっという間に終わった。
この屋敷にやってきたフィリクス配下の傭兵たちは、総勢三十三人のうち半数ほどの十五人。残りの十五人はすでにシルヴァンに率いられ、議会が開催される議会堂へついた頃合いだろう。
腐っても王妃の地位にあった者が、女王候補と自分を同じ場所に留めてぬくぬくしているはずはない、というのがアレクシアの見解だった。おそらく大量の手勢が潜んでいるか、あるいは裏の裏をかいてここにセリナ、議会堂にフィルセナ前王妃がいることも考えられる……。正攻法に郊外の屋敷へ赴くことを選択したのは、シルヴァンが議会堂に向かうことを誤魔化すためである。
今だって、きっと大貴族の間諜がこの捕物劇を見張っていることだろう。報告がいった貴族はせせら笑うか、感心したふりをするかのどちらかだろう。そして明朝になれば、王杓を持っている者に頭を下げるに違いない。
貴族とは、政治とはそういうものだからだ。
デルマンスは一生に一度の恋さえも利用されて終わってしまった母親を思う。星がチカチカ輝き、金の指輪の煌めきのようだった。
(俺がいてもいなくても、きっとあの人はやり遂げた)
はあっと息をつくと、寒空に吐息が白く昇って溶けていく。
(母さん、俺――あの人を、アレクシア様を守っていいかな。恩返しと、生きる道筋を示してくれたことについて)
たぶん、その道が彼にとって一番いい。一番、何も考えなくてもよく、一番、誰かのために生きていると実感できるだろう。




