転覆劇⑦
あらかた契約はすみ、王宮ルム・ランデは上を下への大騒動になった。部屋は十分にあるにしろ、突然、むくつけき傭兵団がいとけない見習いやしとやかな侍女のいる王宮に滞在することになったのである。衝突が起きないわけはない。
王妃キュリアナは怒り狂って、あの小娘のせいだとわめいているらしい。ランデリオ公には頑張って抑えてもらいたいものである。それにしても、二人の王妃の間を行ったり来たりしているのが事実だとすれば、彼も隅に置けない男だ。
シュカルムがぐったりした様子で接触してきたのは、三日目の昼日中のことだった。
「アレクシア様、あー、傭兵たちの中に、あなたに会わせろと主張する者がいます。いったん来ていただけませんか」
「よくってよ」
と即答し、部屋から部屋へと彼についていきながらアレクシアは問う。
「それにしてもいったい誰かしら? 商会のお客様かしら?」
「だったら直接あなたを尋ねることでしょう。違いますよ、なんというのだったか、どこかの団が荷物持ちに雇っていた少年です」
ますます首を傾げるアレクシアだった。だがすぐに疑問は溶けた。連れていかれた先の部屋で、シュカルム配下の侍従にぎゃあぎゃあ噛み付いていたのは、デルマンスだった。カーミエールの街の十八歳、守備隊に所属していた混血の男である。
「デルマンス……」
アレクシアは額に指を当てて嘆く。
「アレクシア……様!」
とデルマンスは顔を輝かせた。浅黒い肌がますます汚れて見えるほど汚れていた。
「きちんとお供しなさいと言ったはずでしょう。どうしてここにいるの。あなた私に命を助けられたことを忘れたんじゃないでしょうね?」
「覚えてたよ、ちゃんと。あんたに忠誠を誓ったのも……忘れていない。でも、どうしても気になって。カーミエールに戻ったんだ。それで、それで――伝えようと思ったんだ。伝えなきゃいけなかった」
誰もいない部屋の一画。窓からはさんさんと日が差し込み、少しだけガラス越しのぬくみが肌を温める。暖炉の火は熾火となってくすぶり、隣室からは傭兵たちの騒々しい騒ぎ声が聞こえる。
「俺は、会わなきゃいけなかったんだ。あんたに」
「どうして?」
と尋ねたところで、扉の開く音がする。見ると【破壊の魔女】、ヴァレスカ・ムーンジェイドだった。黒髪を後ろで束ねた踊り子姿の細身の女で、儚げな美貌とは正反対に中身は己の魔法に溺れた爆発魔である。
「あたしに縋りついてきたんだよォ、頼むから城内に入れてくれって。だから一緒に来てあげたの。うふっ。かわいかったんだから!」
「あー、ちょっと。メイジ・ムーンジェイド、話が進まないので戻ってもらっていいですか」
と横合いからシュカルムが手を出してきて、彼女を締め出した。ふう、と重たい溜息をひとつ。
「彼女は仲間なんですが、協力してくれる動機が『睨み合ってるだけの国境にいるより暴れられそうだから』というもので」
「アハハ」
アレクシアは乾いた笑い声を漏らした。
「でも彼女を仲間にできたんなら大したものだわ」
「先日までリュイスにいたらしいんで、最新の情報が欲しかったら彼女に聞いてください。中継ぎします」
アレクシアが虚を突かれて見つめると、シュカルムは肩をすくめる。
「助け合い、なんでしょう? 私たちは」
「――助かりますわ、本当に」
それで、視線をデルマンスに戻す。彼は主の命令を待つ猟犬のように大人しく待っていたが、アレクシアが首を傾げると堰切ったように話し出した。
「俺の、母さんのこと、覚えてるか? 話したと思うけど」
「確か、ドレフ人の傭兵だったのよね。傭兵業の途中であなたを産んで、カーミエールの街に住んでいた」
デルマンスは頷いた。アレクシアを見上げ、彼らしくないか細い声を、絞り出すように言う。
「母さん、死んでた。アルバ河に身を投げたんだ」
アレクシアは頷く。動揺はあったが、かすかに指先がピクリと動いただけだ。
「それで?」
「遺書があった。俺たち親子にだけ通じる暗号だった。――また、利用されてしまったって、言ってた」
がばりとデルマンスは頭を下げた。衝立の向こうに戻ったシュカルムが、こちらを気にしている気配がする。
「すみません! ごめんなさい。あんたの仲間たちを、フュルスト商会の五人を誑かして殺したのは、俺の母さんだった」
「……詳しく聞かせて頂戴」
デルマンスは語った。彼の幼さが残ったあやふやな話し方は、聞く者の胸を打つ響きがあった。
「母さんは……戦傷で足が悪くて、歩くのがやっとだった。だから俺が働けるようになってからは、できるだけ楽をさせたかったんだ。あの人は俺の誇りだったから。母さんが……何かをすごく大事にしているのは知っていた。俺には絶対見せてくれない棚の引き出しがあって、夜中にたまにその中を見てるのを知ってたんだ。きっと父さんとの思い出の品なんだろうって、そっとしておこうっと思ってた」
アレクシアは辛抱強く話に聞き入った。戦傷を抱え、異国の血筋と容貌によって差別を受け、それでも子を育てるために働く母。どこの国にでもある悲劇の一例だ。
だが、ここからが違った。話すというより熱に浮かされて口走るうわごとのように、デルマンスは続ける。
「俺が守備隊の仕事をもらったとき、母さんはすごく喜んだ。良かったね良かったね、って。デル、これで少しは未来が開けるよって。……そこから母さんは壊れ始めた」
「精神を病んでしまわれたの?」
デルマンスは頷く。
「たぶん、そのもっと前からおかしかったんだ。俺がチビだったから隠してただけ。あんたの話を、金の指輪の話を聞いてピンときたんだ。おかしくなった母さんは、いつもあの秘密の引き出しの前に張り付いて中身を見てたから。俺も垣間見てわかるようになってたんだ……母さんが見てるものは、指輪なりイヤリングなり、小さい装身具だなって」
アレクシアの眉がわずかに動いた。彼女は指を組み合わせる。
「それで?」
「それで……それで……、俺も嘘だと思いたかった。でも。なあ、その指輪はフュルスト商会の支部の中にあったんだろ?」
「ええ。厳重に封鎖された建物の一番奥の部屋の、机の上に」
デルマンスは俯き、がしがしと青色がかった髪を片手でかき回す。
「母さんは、傭兵として潜入任務を受けることが多かったって言ってた。気づかれないようにお城や野営地に忍び込んで、さも味方の兵士ですよって顔で闊歩して。だから、封鎖された建物に忍び込んで指輪をひとつ置いてくることくらい、造作もなかったはずだ」
「あなたのお母様が、あの指輪を? 何故彼女がそんなものを持っていたのかしら。この世にふたつとない貴重なものなのに」
王家の指輪にインクをつけて判子として押すと、それはサインと同等の価値を持つのだ。仮にデルマンスの言う通り、彼の母がずっと隠し持っていたのだとしたら……そんなことはありえない。いったいどうして、何年も前に死んだレイドニー王子の指輪がカーミエールの街なんてところにあるのだ?
わからないことだらけだ、とアレクシアは言おうとした。それを遮るように、突如、デルマンスは叫んだ。
「もらったからさ!」
「え?」
「俺の、母さんが! 他ならない指輪の持ち主に。誓いだよって、証だよって言って、もらったから! だからウチにあんな綺麗な指輪があったんだよ!」
彼は酸欠じみてハアッと息を吐き、呆然とアレクシアを見る。
嘘をついている人間の目ではなかった。少なくとも、アレクシアの目で見る限り。彼は嘘つきではない。
「傭兵としての母さんの役目は間諜だった。重要な情報を盗んで、自分の大将に持っていくんだ。秘密の兵器の設計図や借金の証文や、あと人間も。魔法使いや王子や司令官を誘拐することもあった、らしい。それで、それで! 母さんは大昔、王子様を攫ったんだって。それで。王子様を追いかけてきた若い騎士と切り合いになって、人が来て。その二人は取り逃がしたんだけど、そこから三人は戦場でよく会うようになったんだそうだ。ああいうのが青春っていうのかもって、笑って……たよ」
……驚愕と納得がアレクシアの背筋をゆるやかに這い昇る。
「待って。まさか。まさか、ねえ、それはいつの話?」
「俺が生まれる前」
「十八年前……」
レイドニー王子は狩猟の際の事故で死んだ。だがそれは嘘で、本当は殺されたのだとバルドリック王は口走った。
オストン・ミストヴェル侯爵が殺したのだと。
まさか。まさか。……でも、つじつまが合う。
「あなたのお父様って、まさか」
デルマンスは泣き笑いの表情で首を横に振った。
「そりゃ、俺だって信じてないよ! 俺の父親がその王子様か、その騎士のどっちかだなんて。三角関係がもつれまくって、騎士が王子様を殺しちまって、母さんはそれを止めようとして足を怪我しただなんて。嘘みたいだろ? 芝居みたいだ。そんなこと現実で起きると思うか? でも起きたんだよ、俺が証拠だ!――母さんはいつも言ってた!」




