転覆劇③
シルヴァンの父を殺した叔父。彼が復讐さえ望まなかった、因縁の相手。腰を折り曲げてへどもどする姿から、彼が兄を殺した若者だったとは想像もつかない。湿布と整髪料の匂いが強烈で、思わず足の指に力が入るほどだった。
王妃は汚いものを見る目で侯爵を見下すと、扇をはらりと開いて横を向く。ランデリオ公、バルドリック王の弟が王妃を庇うような仕草で彼女の肩に腕を回した。エマが思わず俯くほど、淫靡さ漂う慣れっぷりだった。
「とはいえ、そなた、我々の望むような連絡役はできなかったではないか」
「そ、それは! 平に、平に! 次こそ決してご期待に背くような真似はいたしません。どうかもう一度、試させてください……!」
慌てふためく様子は可哀そうになるほどだった。シルヴァンが復讐より未来を取ったことに、アレクシアは初めて納得した。――これは、復讐の対象ではない。
タルヴェルは罪の意識に怯えていた。小さな物音にびくりとしては、王妃と公爵をまるで忠誠を誓った主夫婦のように崇めている。もしかして、いつかシルヴァン含むオストンの部下たちが復讐に来るかもしれないと、常に怯えているのかもしれなかった。
それだというのに招集に従いのこのこ都モルセリアまでやってきたのは、おそらくこれ以上ミストヴェル侯爵家がどんどん没落していくのに耐えきれなかったのだろう。
アレクシアはそういう人間の顔を飽きるほど見た。自分が選んだ道が思った以上に茨だらけだったのに、びっくりし続けている顔だ。ふらふらしながらも案外歩き続ける者もいれば、どぶに落っこちる者も数えきれないほどいた。
(あ、勝負どころだわ、ここ)
とアレクシアは思った。シュカルムが無言のまま必死にやめろ、やめろと訴えているのを無視してエマと目を合わせると、彼女はわずかに目で微笑んだ。それで心が決まった。
アレクシアはくどくど言い訳を並べるミストヴェル侯爵の前に出た。
「おそれながら、キュリアナ王妃殿下。ランデリオ公爵閣下。――もしや、お二人の意図するところとはこちらのタルヴェル・ミストヴェル侯爵とヴィヴィエンヌ王女殿下のご結婚により、ローデン騎士団とランデリオ公爵家のトナム騎士団を合併させることにあるのではありませんか?」
ミストヴェル侯爵の声がぴたりと止まった。無礼な、と騎士たちの間から声が漏れる。王妃は明らかに絶句し、ランデリオ公ばかりはにやりと笑う。エドレッドの歌さえ止んだ。
「想像力豊かな娘さんだな」
「そ、そうですわよ。急に何を……」
「確かにローデン騎士団とトナム騎士団が合わされば、バルドリック王陛下の聖騎士団と相対することも可能でしょう。まあ、どうしたこと。今私はテトラス王国を二分する、玉座を賭けた内乱の瀬戸際にいるのですね! まるで物語のよう――」
アレクシアは両手で顔を包んで肩をすくめた。ランデリオ公が右手を上げると、騎士たちがアレクシアを取り囲む。エドレッドがシュカルムの腕から飛び出し、エマに抱き着いて庇おうとした。シュカルムの顔色ときたら、真っ白に近い。
もう誰も、一言も、発さない。
「お手伝いさせてくださいな、ランデリオ公閣下」
「手伝うだと?」
「ローデン騎士団の主力の騎士たちはすでに国を立ち去り、残るは三下ばかりだと言うではありませんか」
ミストヴェル侯爵の凄まじい目つきを背中に感じながら、アレクシアは言う。
「わたくしどもフュルスト商会はドレフ帝国の傭兵団とも繋がっておりますゆえ、きっとお役に立てるかと。その過程で、ヴィヴィエンヌ王女殿下の捜索にもご協力できるかもしれません。中央大陸じゅうから集まる傭兵たちの情報網といえば、商人に勝ると有名ですもの」
部屋の中央で騎士たちを見回し、両手を合わせてにっこりしてみせる。誰しもがアレクシアを、無礼で出しゃばりなリュイスの小娘を見ていた。借り物のドレス、髪飾りも宝飾品もなく、土色の髪ばかりがくるくると広がる。
そんな粗末な立ち姿なのになぜか目が離せない者がいたし、中にはそのことに本気で腹を立てている者さえいる。ランデリオ公が一声発すれば、たちどころに袋叩きにされたことだろう。
「傭兵たちを集め、閣下に従わせてみせましょう。仕事があることを聞きつければ、彼らは続々と集まってきます。ローデン騎士団の勇名が復活したとなれば、トナム騎士団も悪く思わないのではありませんか?」
「報酬は何を望む?」
「まあ、公爵様はお話がお早い。何故私が王宮ルム・ランデへ分不相応にも乗り込んでまいりましたかをご存知でしたでしょうか?――我らがフュルスト商会の身内五人を殺した犯人は、バルドリック王陛下のお力により見つかりましたが……しかし、ああ、これははたして申し上げていいものかしら?」
公爵は哄笑した。部屋のあちこちに取り付けられたカーテンが揺れ、エドレッド王子が動揺の余り悲鳴をあげてエマの後ろの隠れるほどの声だった。この部屋にはさっきから、誰も入ってこない。彼と王妃はそれが可能になるほどの力を持っているのだ。
「ああ、つまり! つまり、お前はバルドリック兄上の決定に不満だと言うのだな? あの犯人をもらい受けたそうではないか。自国に送ればよい。父親が拷問でもしてくれるであろう。鬱憤を晴らせばそれでしまいではないか」
「いいえ。それだけじゃ気が済みません」
アレクシアは馬鹿っぽく両手を頬に当てた。美貌が台無しになるほどの勢いで王妃が顔を歪め、自分の男に媚を売る小娘を睨みつける。
「なぜなら、王陛下は私どもを侮っておしまいになりました。あの半ドレフ人を投げ与えて、それでいいだろうとお思いになりました。私、悔しゅうございますの」
ランデリオ公はアレクシアに歩み寄ると、エマがヒッと息を吞むほどの勢いで薄い肩を掴み、揺すぶった。
「よう言うた。その言葉忘れるでないぞ。――俺と王妃殿下のため粉骨砕身して働くのであれば、十分な見返りをやろう。兄上の首をな。だが話を漏らしたり、その察しの良さでよからぬことをした場合は、こうだ」
と、親指で首の付け根にぴっと線を描く。
アレクシアは満面の笑みでお辞儀をした。掴まれた肩はズキズキ痛んだが、そんなことに意味はなかった。
それで、話はまとまった。
公爵は後になってから、あんな小娘を信じるんじゃなかったと思うかもしれない。思わせてみせる、とアレクシアは決意した。




