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【書籍化決定】どうやら私は悪役のようですね。それで?【第二部完結】  作者: 重田いの
テトラス編

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モルセリア⑩

 


 ――困ったことになった、とデルマンスは内心わなないていた。彼が忠誠を誓ったのは、もとい短期的に主従の契約を結んだのは、隣国リュイスの風変わりな令嬢だった。聞けばフュルスト商会というところの商人の娘だというから、貴族ではないのかと思えば血統的には貴族らしい。彼女はどこか誇らしげに、自分は母の努力と忍耐の結晶だと言う。それ以上のことを聞ける雰囲気では、今のところ、ない。


 王女ヴィヴィエンヌの部屋で、そんなことを思う暇もない。ああ、まったく。


(ただの商人かと思っていたのに……王女殿下に直に拝謁できる立場だって!?)

 しかも、内装を見るにここはどうやら人に会う用の部屋ではなく王女の私室のようだ。悲鳴を上げそうだったが耐えるしかなかった。今はただ、母に教わった正しい立ち姿で壁の傍に立つばかり。


 デルマンスを従えたアレクシアは先触れも出さず堂々とヴィヴィエンヌの部屋に入っていって、それだけでも絶叫しそうだというのに、主不在のその部屋の中に居座った。その上、悪びれなく侍女たちに指示を出し、お茶までもらってデルマンスを振り返り、


「飲む?」

 とカップを振ってさえ見せたのだった。


 テトラス臣民としては噴飯もの、である。王女殿下のご名誉を何も考えていないと言わざるを得ない。だがデルマンスはアレクシアに忠義を誓った身、無言でかぶりを振るだけに留めるしかなかった。


 王宮ルム・ランデは臣民の憧れである。廊下のない、古い時代の様相をそのまま残した聖なる宮殿。そこを外国人に付き従って歩くというのは、思った以上に居心地の悪いものだった。


 キイと扉が鳴る音がして、一人の護衛騎士が入室してくる。なんて颯爽とした立ち居振る舞いだろう、とデルマンスは見惚れた。すぐにエスコートされた貴婦人がしゃらしゃらと衣擦れを鳴らして後に続く。ではおそらくその人こそ、バルドリック王の末娘ヴィヴィエンヌ王女殿下なのだ。


 デルマンスは必死に無表情を保った。

「ああ、おかえりなさい。大変なご用事でしたの?」

「アレクシア様、いらしてたんですか。いいえ、ちょっと母に呼ばれただけですの」


 と、和気あいあいとする女性二人の様子にさえ飛び上がりそうだ。王女と彼女の護衛騎士を前にして、いったいどうすればあんな自然に振る舞えるのだろう? まるで街でちょっと行き会った友達と挨拶するかのように。


 ぱたぱたと向こうの部屋から足音が近づいてくる。と思うと、二つある扉のうちデルマンスに近い方の扉がぱたんと開いた。

「ごめんなさい、遅れました。この時間に集合だったのに」


 と言いながら入ってきたのは、薄い金髪をひとつにまとめた華奢な娘だった。デルマンスを見てあれ? という顔はしながらも、会釈だけですませる。ソファに腰かけるアレクシアを見て彼女は言う。


「アレクシア様、こちらは?」

「ええ、みんなに紹介しようと思って。――こちらはリシャール・デルマンス。カーミエールの守備隊の人で、五人殺しの犯人に仕立て上げられようとしていたところを拾ってきたの」


 室内の視線が一斉にデルマンスに向いた。緊張がぎゅっと心臓を縮み上がらせる。とくに王女の視線はデルマンスには眩しすぎて、胃液までせり上がりそうだった。少なくとも、同じ部屋に職務以外でいることを許されない尊い人である。


 王女殿下は口元を手で隠し、息を吞む。

「なんてこと。いったい誰がそんな冤罪を」


 護衛騎士の青年が彼女の後ろにつき、静かに首を横に振った。

「生贄を差し出して、解決したことにする。よくある話ですよ。彼は巻き込まれたんだ」


 金髪の娘が胸の前で手を握って、痛ましげにデルマンスを見た。街でよく見る目だった。決して助けてはくれないけれど、同情だけはくれる人の目。


 彼はくらくらする。朝、寝ているところを叩き起こされて捕縛され、都モルセリアまで縛られたまま運ばれた数日間の記憶に息が詰まりそうだ。それまでの日常とはあまりにも状況が変わりすぎた。


 アレクシアは偉そうにソファにふんぞり返って、くすりと笑う。この女の笑い声には死の匂いがする。


「それでは、情報交換とまいりましょうか。それから、これからの計画ついても話し合いを。――ここで、信頼し合えるのは私たちだけなのですから」


 そうして始まった話は、彼がそれまで知らなかった、知るべきではなかったことばかりだった。


 ***


 情報は一通り出揃った。シルヴァンが休憩所に出入りして探り出した近衛兵、近衛騎士の巡回の時間。ヴィヴィエンヌがお茶会で微笑みの合間に垣間見た宮殿内部の勢力図。そしてエマが子供たちから集めた王侯貴族に対する使用人たちの本音。


「困ったことに、父上はミストヴェル侯爵を王宮に呼び寄せるおつもりのようです。てっきり正式なお見合いは来春かと思っていましたが、下手をすれば冬の間に行われかねませんわ。氷に閉ざされたルム・ランデで、何度も何度も」


 吐き気をこらえる表情で、ヴィヴィエンヌは言う。

「堪えて、ヴィヴィ」


 と背もたれごしに彼女の手を握るシルヴァンも、顔面蒼白である。

 王がそれほどことを急いでいるのなら、時間は思ったより少ない。一刻も早くここを出ないといけない。


「逃走経路はほとんど整っているわ。買収は成功したし、オルベッド女官長は目を瞑ってくれるでしょうから。エマ、下働きの子たちは信用できそう?」

「十分お金を渡せば聞き入れてくれると思います」


「念のため、理由はお二人が都見物に行くからということにしておいて」

「わかりました」

「じゃあ、明日にでも決行しましょう。早いけれど、きっとその方がいいわ」

 ヴィヴィエンヌはしっかりと頷き、それが決定になった。


 シルヴァンを呼び止めたのは、そのすぐあとのことである。人気のない一室の、さらにカーテンで仕切られた窓際。庭園の風景は変わらず平和に整えられ、その向こうのモルセリアの街並みも変わらなく見える。


「シルヴァン、少しいいかしら?」

「何ですか、お嬢さん?」

「あなたたちの逃避行に、もう一人、連れていってほしいの。例の犯人扱いされた彼を」


 ピクリとシルヴァンの目元が反応した。彼はかすかな笑みを浮かべた口元に手をやる。

「それは信頼できるんですか?」

「いいえ、できないわ。あまりに怪しすぎる。だからよ」

「……俺が奴を連れ歩くことで、ヴィヴィに危険が及ぶかもしれません。それはできない相談です」


 シルヴァンが赤茶色の前髪をかき上げると、陽の光が形のいい額に当たる。そうしてみると、まったく顔も身体もよく整ったいい男である。


 もちろんアレクシアだって、昨日今日でいきなりデルマンスを信頼したわけではない。これは賭けの一種でもあった。彼が何者かによって王の御前へ送り込まれた者である可能性は、まだあるのだ。そしてアレクシアが彼を助けることを見越していたのだとしたら? 彼はとんでもない伏兵になりかねなかった。


 アレクシアの手元にいるより、ヴィヴィエンヌたちと共に逃走ルートを辿らせた方がむしろ安全である。行く先々のフュルスト商会の手の者によって監視できる。それにシルヴァンはデルマンス一人ならねじ伏せられる。実戦経験の差とはそういうものである。


「通信機の片方はヴィヴィエンヌ様に持っていらっしゃるもの。もし彼に何か動きがあったら知らせてちょうだい。それでこちらは、出方を考えることができるわ」


 アレクシアの鎖骨の上で、ネックレスの魔力石が熱を持った気がした。もう一対のネックレスはヴィヴィエンヌが持っている。二つのそっくり同じ魔力石同士が、離れたところからの会話を届ける魔法。


「もし彼が鳩だの手紙だので誰かに連絡を取っているなら、その人物は王宮にいると思うの。もしそんな素振りがなく……完全に何も知らない犠牲者で、濡れ衣を着せられた哀れな若者であったなら、フュルスト商会は悪いようにはしないわ」


「……あなたとあの若者、二人ぶんの利益になるというわけですね。わかりましたよ。俺はヴィヴィが安全ならそれでいいです」

「ありがとう」

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