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【書籍化決定】どうやら私は悪役のようですね。それで?【第二部完結】  作者: 重田いの
序章

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薔薇が花開くまで【12/21追記】

 

 母ルクレツィアの身体を癒すのに三年間をかけ、彼女が立ち直ると一家は旅へ出た。商売に明るいフュルストにとって旅は日常であったし、ガイガリオン伯爵家が諦めたとも考えづらかった。事実、追っ手らしき者が家の近くまで来ていたときもあった。おそらくこれ以上の大騒ぎはガイガリオン伯爵家にとっても避けたいところだろうが、ルクレツィアと子供たちを取り戻したがる伯爵の心情もあるのだろう。アレクシアはぞっとする。


 旅から旅へ、商談から商談への子供時代をアレクシアたちは送った。読み書き、計算など初歩的な勉学から、人間同士の感情の機微まで。普通に暮らしていれば経験することのないたくさんのことを、二人は子供たちに伝えた。


 三人の子供たちはすくすく大きくなった。ときには間借りした薪小屋で暮らしたこともあったし、ピカピカの大理石づくりの屋敷の片隅に部屋を貰って身を寄せ合って暮らしたこともある。


 古王国が築いた街道をたどり、ドレフ帝国から南国ファーテバへ、ファーテバからテトラス王国へ。リュイスの辺境を通ることはあっても、都アリネスには近づかないように。花が開いては散るのを見、おしりが痛くならない座り方を学ぶ日々。


 幌のない露馬車に揺られながら、父フュルストとアレクシアは声を合わせる。

「一ソルダ金貨は二十ダリア銀貨。一ダリア銀貨は十二ミル銅貨。一ミル銅貨は二分の一ペン銀貨。黒パン一斤は三ペンで、安ワイン一杯一ミルで……ええと」


「麦穂の借り入れの季節労働者の日当は、ミルとペンだといくら?」

「一日五ミルだから、十ペン。ええと、ミルがリュイスの通貨でペンがテトラスの。銅貨で言えばリュイスのミルの流通が多いけど、庶民の間ではペンの方が多いわ」


「正解正解。アレクシアは覚えが早いなあ」

 それを見ている双子の方も、まだ話すのもおぼつかないくせに真似をして歌うのだった。

「ペンぎんかあー」

「ダリア! ダリア! きゃははは」


 ドレフ帝国の北方山地に貯水湖をつくり、南国ファーテバの西の港で手堅く大きな商いをした。土木工事から通訳まで、フュルストは仕事を選ばない。養わなければならない家族がいるのに、プライドなど構っていられない。アレクシアは彼の商談の末席で書記官の真似事をさせてもらったこともあれば、流れの魔法使いに初歩的な魔法の手ほどきを受けたこともある。商人たちが使う独特のスラングを聞き取れるようになり、測量方法を聞きかじった。多言語を扱えるようになったのは十二歳のときだ。


 根無し草の生活だと、笑う者はいるのかもしれない。だがアレクシアは幸せすぎるほどに幸せだった。フュルストは優しく、ルクレツィアも旅に出てからはますます輝くばかりにうつくしい。二人とも愛し合っているから、その愛のおこぼれを子供たちに注ぐことにためらいはない。


 正直言って、双子が育てば家族の中でいらないもの扱いされることも覚悟していた。だってアレクシアは憎きガイガリオン伯爵の子であり、家族の中で文字通り毛色が違うのだから。もしそうなったら姿を消すつもりだった。何か一つ学ぶたび、これでなら身を立てられるかしら? と考えた。だがそうはならなかったのだ。その兆候さえなかった。


 そんなことを考えること自体がフュルストに失礼だということにようやく気付いたときには、もう十五歳になっていた。


 正式に商会を立ち上げ、ギルドからの承認を得たフュルストは南国ファーテバに大きな屋敷を買った。そこには当然のように、アレクシアの部屋もあったのだった。アレクシアの好みより、ちょっと少女趣味すぎたけど。


「アレクシア、いい?」

 コンコンとノックを響かせながら、母ルクレツィアが入室してきた。

「なあに、お母様?」


「今度のパリス夫人の晩餐会、あなたも一緒に出ない? そろそろファーテバの社交界に顔を出していい頃合いでしょう」

「私デビューしてないわよ?」

「貴族じゃないんだから正式デビューなんかにこだわらなくっていいのよ」


 ルクレツィアはくすくす笑った。ゆるく波打つ金髪が、ところどころ渦巻きながらさらさらと白い肩の上を流れる。うつくしい人だ、とアレクシアは思う。我が母ながらぜんぜん老けなくてちょっと不気味だ。


 双子が大声を上げてはしゃぎまわりながら上の階を駆ける音がする。そろそろ父の堪忍袋の緒が切れて大声が出るだろう。母は白と金の色調の部屋を優雅に進み、窓際のオットマンに腰かけた。


 あの小説は、ルクレツィアの不倫を徹底的に罵倒する。心の弱い女、間違った女、淫売女、邪悪な女……であるルクレツィアとフュルスト卿の『愛情』こそが悪の元凶なのだと。悪から生まれた双子も邪悪なのだと。だから物語の中盤で、ライアンダーとルルシエルはひどい死に方をする。戦争の中、異母弟ザイオスに殺されるのだ。残酷に斬り殺される……。


 百歩譲ってアレクシアは、いい。いじめをしたのは事実だったのだから。だが何もしていない、どころか寄宿舎に入っていてザイオスとほぼ面識のない双子まで、奴は殺すのだ。


「はあ……」

 アレクシアはため息をつく。母はことんと小首をかしげる。

「お母様、ご苦労してようやくここまでこられたわねえ」

「なあに、急に。おばあさんみたいなこと言っちゃって」

「ミミがここにいたら可愛かったでしょうね。白いところと似合ってたと思うの」


 白猫は生まれたときからの友達だった。自分はもう終生猫を飼うことはないだろうとアレクシアは予感している。喪失感はずいぶん減ったけれど、忘れることはない。

「……アレクシアはミミが大好きだったものね」

 母は少しためらった。


「あのね、アレクシア。あの猫はあなたの父親から私へのプレゼントだったのよ」

「え? フュルストお父様の?」

「いいえ。ガイガリオン伯爵が。結婚当初は少しくらい、優しかったときもあったの」


 アレクシアは沈黙した。脳裏をよぎる、白いふわふわの毛並みと甘い声、時折そっけなさすぎて嫌われてるんじゃないかと思ったこと。大事な友達。一緒に双子を見つめたときの一体感。赤ん坊がしっぽを掴んじゃったときのシャーという声。


 やがて彼女は言った。何を聞いたところで決意が変わることがないのを再確認できたと、そう思った。

「あのねお母様、私リュイスの女王になってタリオン王を蹴落とすから。ガイガリオン伯爵も殺す。ご迷惑はかけないつもりだけど、応援してね」


 母はぴたりと動きを止めた。


 アレクシアは、未来が怖い。怖くて怖くてたまらない。だって小説の記憶はこれから先、ろくでもない出来事しかないぞと主張する。アレクシアはザイオスの有能さを際立たせるための悪役だ。その末路は辺境で魔物に食い殺されるのだ。なんて恐ろしい。


 どうすればいいのか? ザイオスと和解して友情を築く? 馬鹿を言え。あれは敵だ。敵にしっぽを振って媚び尽くせとでもいうのか? 人間として、女としての尊厳を捨てても生き残れれば御の字だって??


 かつて母に押し付けられた侮蔑と屈辱は、そのままアレクシアにも降りかかりうる未来である。

 ゆえに、アレクシアは胸を張る。


「お母様、忘れていないでしょう? あなたのおばあ様はエレオノーラ姫様、王家から公爵家に降嫁なされた青い血。私たちはその直系よ。そしてあなたは、公爵令嬢だったのよ。ただの伯爵夫人なんかじゃないわ。フュルストの血筋もまた、青い血よ。ガイガリオン伯爵のようなまがいものじゃないわ」


 というのは、ガイガリオン伯爵家は百年前に功勲にもとづき叙勲された元騎士の家系だからである。たった百年前! たかだか四代続いただけの称号。浅い、浅い歴史!


 始祖王に連なる享楽王アルシェンが興したエルルーン王家の歴史は八百年。分家にあたるレイヴンクール公爵家は六百年。現ストームヴェイル王家より古い、その血の青さ。


 アレクシアは白と金の部屋の中、くるりと回って笑った。赤いドレスは火が噴いたように、あるいは大輪の薔薇のようにふわりと広がる。味気ない土色の髪の毛はくるくるに巻いたセットを施され、青い目は楽しげに揺らいでいる。どちらも父親、ガイガリオン伯爵の色だ。だが。

 アレクシアの心はあの男のものではない。こんなにも生物学上の父親に似てしまったアレクシアを、それでも愛してくれる人のものである。


「だからお母様、見守っててね。私は女王になって、もう二度とあなたを傷つける者など出ないようにするから」

 長い沈黙があった。ルクレツィアはやがてふっと肩の力を抜いた。両手を組んで祈るような姿勢のまま、ゆっくりと顔を仰向ける。


「もし……逃げたら。私の子供たちは一生、逃げた女の子供と言われるようになる、それはだめ。そう思って私は逃げなかったの。お前を、ライを、ルルを、後ろ指さされる立場にしたくなくて」

「大丈夫、あいつも殺してあげるから」


 母はまじまじと娘を見た。なんで急にこんなことを言い出すの、この子? 次第に顔に血色が差し、面白がる光が瞳に踊る。彼女は結局のところ、貴族社会に生まれた貴婦人でしかない。それでいい。アレクシアはそれを越える。それだけだ。


「いったいどうやって?」

「今はまだ無理でも、いつか必ずそうしてあげる。考えられうる限りもっとも屈辱的な死をあの男に与えるわ。約束よ。アレクシアは嘘をつかないわ」


 ルクレツィアはころころと笑い出した。こんなにも軽やかさに彩られた殺意を、アレクシアは他に知らない。その声音は言外に、母もまたガイガリオン伯爵を憎み切っていたことを告げる。


 火種は、整った。

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