モルセリア⑤
王家の子供というのは、短命なものである。死産、病死、事故死、行方不明。ありとあらゆる死にざまが記録には残されている。リュイスのタリオン前王とフィルセナ王妃は五人の子をもうけたが、マリウス王子一人しか成人しなかったのは有名な話である。――そのうち何人が暗殺の犠牲者だったのか。すべては歴史の闇の葬られた話だ。
テトラスのエヴレン王家、現バルドリック王には六人の子がいるはずだった。だが今は三人しか残っていない。長男レイドニーは狩猟の際の事故で。長女リオネラは死産。次男アステリオンは熱病によりそれぞれ死去。王太子に繰り上がった三男グリムヴァルは王立聖騎士団の団長として、今は戦果と功績を積み立てることに奔走している。第五王子だったところを第二王子に繰り上がったエドレッドは見ての通り、少なくとも継承争いの頭数ではない。そして隣国の留学から帰ってきた末娘ヴィヴィエンヌと、キュリアナ王妃。
フュルスト商会の面々を殺すよう指示し、見せつけるように拠点に王家の指輪を置いた人物が、いたはずだ。そいつがアレクシアの敵である。
以下の五人。バルドリック王、キュリアナ王妃、グリムヴァル第一王子、エドレッド第二王子。それから王の弟、ジルナール・ランデリオ公爵。
愛しか知らないエドレッド王子だって油断してはならない。彼を焚き付け、利用した者がいるかもしれないのだから。
それにしても。
「レイドニー王子は、殺された……?」
アレクシアは口の中で呟いた。
見慣れぬ真四角の一室である。彼女の退出を先導した侍従は、ヴィヴィエンヌの部屋ではない部屋に案内してくれた。エマはもうすぐ来る、という。
バルドリック王はすぐに動揺を鎮め、アレクシアへの協力を約束してくれた。カーミエールの領主に連絡し、王権に基づいて事件の捜査をすると。
――王たる人が直々に、そこまでの協力を申し出たのだ。どうして、ただの一個人であるアレクシアに?
疑問はあったが、彼女はそれを受けた。王のまなざしは遠くを見つめ、片手はエドレッド王子の髪を撫でていた。侍従に促されるまでもなく、退出のタイミングだった。
廊下のない道なき道を、見知らぬ人たちの気配をかたわらに感じながら進みつつ、アレクシアは考えていた。王の意図はわからない。ヴィヴィエンヌの紹介で王宮ルム・ランデにやってきたアレクシアだから、かもしれないし、おそらくつい口から出てしまったのだろうレイドニー王子の事情について口封じの意味かもしれない。私情で動く人ではない、必ずそれ以上の原因があったはずだ。
だが今のアレクシアは、ご厚意をありがたく受け取るばかりである。
何しろここは、外国の王宮なのだ。もしここがリュイスであれば何かしらの情報をくれる者がいただろうが、フュルスト商会の拠点さえ生まれる前になくなってしまった以上、彼女は圧倒的に弱者である。
(気に入らない)
と、思う。純粋に。
(腹立つ。この状況、好みじゃないわ)
むらむらと負けん気が湧いてくる。アレクシアはここで止まるような人間ではないし、止まっては失礼だと思う――前へ進むため踏み躙ったすべての人々に対して。
殺したくて殺した実父と異母弟、破滅へ追いやった父の妾と異母妹に対してさえ、アレクシアは誠実でありたいと思う。彼女なりの誠実さ、であるが。
アレクシアが負かしたすべての者のためにも、勝ち続けなければならない。それが彼女の人生であるから。
「よし、反省終わり」
ぱしっと両手を叩いて頭を切り替える。
「アレクシアお嬢様? ここですか?」
と、ちょうどエマがやってきたのはそのときだった。彼女は自分の女主人を認めてほっと相好を崩し、それからぴたりと立ち止まった。
広い部屋の真ん中で、アレクシアは虎のように笑っていた。土色の髪がふわりと伸びて、広がったような錯覚。
「エマ」
「はい」
「これから忙しくなるわ」
「わ、かりました。お嬢様」
エマはスカートを広げて一礼する。
「わかりました。なんでもやります。どんなことでも」
それでそのようになった。
バルドリック王は、調査の結果が出るまで一週間がかかると言った。その一週間を、アレクシアはじりじりと待つつもりはなかった。彼女はエマを連れ、王宮ルム・ランデを駆けまわった。
まず、顔見知りの貴族に挨拶回り。以前テトラスを訪れたとき、茶葉なり香水なりを気前よくばら撒いたのはまだ彼らの記憶にも新しい。もちろん、開戦の不穏さが漂う中でリュイス人に対する反応は芳しくない。
「どなた? ああ、……あいにくですが急いでおりますの」
「フュルスト商会? 記憶にございませんわねえ」
「やあ、君か。急ぎの用向きかい? でないならあとにしてくれたまえ」
声をかけてもこんな反応ばかりである。とはいえ、めげない。アレクシアとて、伊達に父の代理で金策と商談に明け暮れた日々があるわけでない。
貴婦人の袖を捕まえ、貴公子の前に立ちふさがり、ありとあらゆる人間に声をかける。何を言われ後ろ指刺されようとも、痛くも痒くもなかった。
そもそもテトラスの冬といえば、貴族は領地に戻るもの。秋さえ過ぎつつある今、なおも王宮に残っている貴族には、それなりの理由がある。たとえばリュイスとの開戦に伴い旨味を吸えるのではないかと考えた者。領地の奥方より都の愛人を取った者。領地よりも王のご機嫌とりをせねば進退窮まる可能性がある者。いずれもアレクシアが商談の卵や投資話をちらつかせれば、興味を示した。
アレクシアは彼らと話し込む中で、王宮ルム・ランデにまつわる噂話を仕入れた。王族のごく親しい使用人として仕える侍女や侍従は口が堅かったので時間がかかったが、その分真実に近しい噂が手に入った。
自分の動きと並行させて、アレクシアはエマを王宮の子供たちへ接近させた。各貴族から王家へ身柄を預けられた従卒、小間使いの少年少女たち。王家の子供たちの遊び相手であり、将来の側近候補とされている子供たちは――つまり、体のいい捨て子である。行儀見習いや読み書きは仕込まれていてもそれだけで、大人との会話と触れ合いに飢えている。最初こそ、申し訳ございませんが後ほど改めて……とけんもほろろだった子供らが、エマが持っていくお菓子と温かな会話に飛びついてくるようになるのはすぐだった。
結果としてアレクシアが王宮の内部の人間模様を把握するまで、時間はかからなかった。
ざっと言って、バルドリック王とキュリアナ王妃の間には権力闘争があった。父親側についているのがグリムヴァル第一王子とエドレッド第二王子。一方、母親側についているのは王の弟、ジルナール・ランデリオ公爵。ヴィヴィエンヌ王女は国外に出されていたこともあって除外されているが、いずれ再び勾配に組み込まれ、父母のどちらを選ぶか迫られるだろう。
夜。
与えられた部屋の寝台の上で、アレクシアは膝を抱える。王宮ルム・ランデには、一人の善人もいないのだということが薄々わかりつつあった。どうしてシルヴァンがあれほどまでにヴィヴィエンヌに執着し、保護下に置きたがり、何もかも投げ打って仕えようとするのかも。そうしなければ追いつかないほど、この国の中枢の闇は深い。よそ者のアレクシアにさえそんなことがたった数日程度でわかってしまうほど、暗い。
アレクシアは音を立てて寝台の上に背中から寝転んだ。
目元をこするたび、借り物の寝間着のレースがシャリシャリ音を立てる。シャンデリアがゆっくり回転して見えるが、実際は動いていないのかもしれない。炎の揺らめきが反射したクリスタル、煙の香り、冬と雪と氷の気配。
「アレクシア様、何か必要なものはありますか?」
と、視界にエマがひょっこり顔を出す。お下げがぷらんと降ってくるのをアレクシアは猫のように掴まえた。
「ううん、何も。寝台がふかふかで気持ちいいわ」
「はい。やっぱり【大氷河】が近いからでしょうか? 羽毛布団をこんなに重ねがけできるなんて夢みたいです。うふふ」
エマは寝間着姿でくるくる回ってみせた。アレクシアは寝返りを打ってその姿を眺め、くすくす笑う。
「もう寝ましょうか。最近は色々あったから」
「はい。ありすぎましたよ。でもお嬢様のために働かせてもらえるのは光栄です。……王様のところで何があったか、聞かせてはもらえないんですよね?」
「ええ、ごめんね」
「わかりました」
アレクシアは枕元の魔法灯に手を伸ばす。わずかに発光する魔力石のおかげで、手元とその周辺くらいは照らしてくれる素敵な道具だ。百合の花が刺さった花瓶を模した形も、いかにも貴婦人好みである。
隣の部屋ではヴィヴィエンヌが眠っており、さらにその隣にはシルヴァンがいるはずだった。さらにさらにその隣は使用人たちの控室で、衝立によって細かく区切られた空間で一息つくメイドもいるのかもしれない。
すぐにエマの寝息が響いてきた。二人の間には衝立すらなく、暖炉の前に二つ並べられた寝台はほぼくっついている。客人用にと提供された寝台が簡易的な折り畳み式だったのにアレクシアは驚いたが、これは室内で一番暖かい場所で寝られるようにという配慮だった。暖炉やその熱が放射した石壁の前に寝台を置き、何枚もの毛布を敷き詰めて間に潜り込み、冬の寒さをしのぐのがテトラス流らしい。
アレクシアは目を閉じ、眠りについた。五人の夢を見た。エドマンド・ハロド、ナッサン・フィリオ、リトルト・グレゴー、ロズ・クォウッド、トリエッテ・ハミルト。
――我らの敵討ちはまだですか、アレクシア様?
そう、問いかけられて。翌朝、目元を濡らしながら身を起こした。




