表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化決定】どうやら私は悪役のようですね。それで?【第二部完結】  作者: 重田いの
テトラス編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/81

ヤーヴェ・クラック

 


「何を頼む? なんでもいいですよう、じゃんじゃん好きなもの頼んじゃって」

 クラックはメニュー表を片手に楽し気に笑った。男にしては珍しく踵が高いブーツに締め付けられた脛は、踊り子のように細かった。


 確かに、いつの間にか昼時を過ぎていた。あの煉瓦づくりの詰め所にいる間、そんなに時間が経ったように思われなかったのだが、実際は半日ほど拘束されていたのだ。


 詰め所の敷地から出た瞬間、アレクシアは自分の肩の力が抜けるのがわかった。クラックはそんな彼女を見てからりと笑い、ジョードメル協会が所有する茶館に彼女を誘ったのだった。通りには早速、ジョードメル協会の紋章をつけた馬車が待っていた。


 アレクシアが誘いに乗ったのは、クラックから情報を聞き出したいの半分、ここで逃げてはあれほど主張した貴婦人としての名誉が損なわれると考えたのが半分だった。不名誉は、とくに恩を受けた相手への不義理という不名誉は、千里を走る。


 茶館は煉瓦の建物が大半を占めるカーミエールの街では珍しく、木の板を外壁に使った南方風の建物だった。ごみごみした裏路地からは距離があり、だが大通りの喧噪からも遠い場所、おそらくは大商人の邸宅やお忍びにやってきた貴族の別宅が立ち並ぶ区画にあった。


 建物に入ると、肌を貫く寒風がひたりとやんだ。広々としたエントランスの奥に巨大な暖炉があり、火が燃え盛っている。使用人たちの暖かな歓待を受け、クラックとともに二階へ案内されながら、アレクシアは少なくとも上機嫌ではなかったことは確かである。


 そうしてやってきた個室は、小さいながらも趣味の良い客室だった。シャンデリアは小さめで、明るさもそれほどではない。絨毯は薄めで壁にはやはり木の板が張られていた。それが赤茶けた色に塗られたオーク材で、品が良いのだった。


「温かいお茶をお願いしますわ、クラック様。ここの店主は趣味人ですのね」

 頷いたクラックはメイドに向かってメニュー表を指差す。彼女が立ち去ると、机に肘をついて向かいのアレクシアをじっと見つめた。


「アレクシア殿はお目が高いですね。ここは俺の主人が造らせた茶館ですから、嬉しいです」

「ジョードメル協会の長があなたの主人ですか」

「いいや? バルドリック王陛下です。俺のまごころをお受け取りくださったのは。俺は陛下のおんために動いているのですよ」


 アレクシアはかすかに瞬きをした。驚いた。それはあまりにも――あまりにも、見え透いた嘘だった。ヤーヴェ・クラックがそんな忠義者であってたまるものか。

 アレクシアは身じろぎひとつせず、涼しい顔で油を塗り込まれたテーブルを撫でる。


「まあ、存じ上げませんでしたわ」

「ははは、またまた――そこに置いておけ。誰も近づけるな」


 ちょうど入室したところだったメイドは、部屋の隅にある棚に銀の盆を置いて引き下がった。クラックはそこまで歩いていって、銀のティーセットを巧みにひらめかせ、手ずからアレクシアへお茶を淹れてくれる。


 南大陸でしか取れない、緑色の薬茶だった。コトリとテーブルに置かれた銀のカップには繊細な彫刻が施されている。こぼさずに飲む方が難しいとされる、最上級の南方茶器である。


「アレクシア殿、俺はね」


 自分の方にも同じようにカップを引きずりながら、彼は言う。目はどこか宙を見るようだ。父フュルスト卿の柔和を内面にまで染みこませた笑みが彼の仮面なら、クラックのそれはこの闊達で溌剌とした雰囲気なのだろう。


「あなたの力になりたいんです。そのためにはまず、あなたのことを知らなければ。お身内にご不幸があったのは知っています。その解決のため、協力したい」

「妙なことを仰いますのね。カーミエールの街で起こることのすべてはあなたの手のひらの上、なのではないですか、クラック様?」

「我々は商人です。お互い騙し合いはしても、貴族の下っ端になって争い合うことはない。そうでしょう?」


 にっこり。二人は同じような笑顔で笑いあった。

 騙し合いというのなら、まさしく今がそれである。


「五人、死んだんですって?」

「ええ。そしてどうやら犯人はそのうちの一人のようですの」


 一瞬だけ、クラックの黒い目に衝撃が走ったように見えた。だがすぐにそれは茶の湯気に隠れてしまう。


 ――闇の魔法を操る魔法使いムズ、またの名をウラリール・ミストヴェルの魔法使いレディ・ミーゼリアンのことを、おそらくクラックは知らない。彼の数多いるだろう密偵も、知らないままだろう。


 なぜなら闇の魔法は人間の精神に作用する。小説では、ムズはその力を用いて己の姿を隠し通した。ウラリールとの約束のため、ミストヴェルの子孫たちを見守るため、そしてテトラスの人々を治療術によって助けるために、正体を知られて祀り上げられることを避けたのだ。人の目をくらませ、記憶を攪乱する魔法を使えば、女魔法使い一人が身を隠すことくらい造作もないということだ。


 ムズの存在はアレクシアの持つ数少ないカードの一つだった――本人には、そんなものになったつもりはないだろうが。


 見られることを嫌い、己を見た者の記憶と認識を少しずつずらす魔法を常時発動させていた彼女。ムズから見ていわゆる『モブ』である人間はすべて背景のように一律にその魔法にかかっているのだ。


(初めに名乗らなければ、きっと私も『モブそのじゅうさん』くらいだったのでしょうね)

 と、頭の片隅で思う。


 クラックはゆっくりと銀のカップを持ち上げてみせた。

「あまりに悲しみが大きかったのですね。ご心中お察し申し上げます。俺も、もしジョードメル協会の仲間たちが殺されたらと思うとたまらない。きっと今のあなたのようになってしまうことでしょう」


「ご冗談を。ジョードメルの実力主義は有名ですわ。我がフュルスト商会とは違い、補佐同士が争ってもっとも有能な者が長になるのだという」

「ええ、まあ……」

「ご立派なことですわ。それほどまでして次世代を教育なさるから、テトラス一の商会としてやっていけるのでしょうね」


 語りながら、クラックの表情の作り方に内心、舌を巻く。まるで本物に見える同情や驚愕。まるきり本心に聞こえる息の音。

(これは、敵に回していい相手ではないわね)


 ジョードメル協会はバルドリック王の後ろ盾によって勢力を伸ばしてきた、テトラス一の大商会である。テトラスでは国境を越えてくる塩はすべて国家が買い上げ、その後許可を得た商人にのみその販売を許す。その許可というのは今のところ、ジョードメル協会にしか下されていない。


 人間は塩がなければ生きられないのだから、塩の専売権を得ている以上、ジョードメル協会がテトラス国民の生命線を握っていることは事実なのだった。


「我らはまだ、内輪で切磋琢磨できるほどの強さを持ちません。団結して、外の敵に当たらねば。――ゆえに私は、なんとしてでも犯人を見つけなければなりません」

 アレクシアの指の跡がついた銀のソーサーが、庭から洩れる光にきらきら輝いた。


 彼女は両手をテーブルの上で組み、まっすぐにクラックを見つめた。

「クラック様。私のことを助けてくださるという、その真意は何ですか?」


 男の白い髪がソーサーと同じ色に輝き、アレクシアの知らない感情が彼の目の中に渦巻いたように見える。だが彼女はそのことを知らないし、理解しようとも思わないのだった。


 目の前の男は敵か、味方か。

 知りたいのはそれだけだ。


 やがてクラックはゆっくりと脚を伸ばし、くつろいだ様子を見せつけてから口を開いた。すでに大仰な演技は搔き消えて、商人同士、商談の時間である。


「テトラスとリュイスの間に戦争が起きるかもしれない。ならばどちらからをも稼がせてもらうのがジョードメル協会というもの。俺が言いたいのはそれだけですね」


 アレクシアは頷いた。

 テトラスが対リュイス防衛線を結成したのは当然のことだ。二国は古い時代から国境線をめぐり合い争っていた。シルヴァンの父オストン・ミストヴェル侯爵が実弟タルヴェルによって命を落としたのも、何回目かの対リュイス戦争の際だ。


 長年の敵国の反対側の国境の向こう、ドレフ帝国で政変が起こった。しかもドレフ帝国皇帝直轄領の分領アミラコムを治める分領公子がリュイスにおける反乱に手を貸したばかり。ならば次の侵略が間近であると考えるのも、当然のことだろう。


「ざっくばらんにいこう、アレクシア殿」

 クラックは苦笑する様子で両手を広げる。


「あなた方はずいぶん阿漕なやり方でテトラスに進出しようとした。表向きはごく普通の貿易商の事務所。だがその実、フュルスト商会の本質は金貸しだ。違う?」


 違わない。

 アレクシアは微笑む。銀のティーセットはきらきらと眩しいほど光る。木の香りの室内に、土の匂いの風が入る。


 フュルスト商会の商売は手広い。主たる事業はコトル運河を介した南方の文物を北方に卸す貿易商。それから鉱山開発にその支援、貸付。小売店の買収。その中でいわば裏家業にあたるのが、傭兵団や騎士団への金貸しだった。フィリクスが感服したとさえ言った、あの細かく人の言動を縛る金の鎖。それこそがフュルスト商会の要である。


 戦う者たちというのは常に手元不如意だ。大規模な戦乱が起きれば略奪など実入りもできるが、そうではないなら給料頼みの生活になる。その給料というのも、どこの国でも常に遅延が起きる。王侯貴族は彼らが必要としていないときにまで騎士に支払いをするという行為を嫌う。必要経費とは思わず、侮辱と思ってさえいる。王権が及ばない地方の領主とその家臣団であれば、先祖代々の絆によって結ばれているから問題ないだろう。騎士の方にも自分の畑があったりするものだから。


 だがそうではない主従には、金の問題がつきまとう。そして大概にして、金の切れ目は縁の切れ目である。


 フュルスト商会はそこの隙間を突く。金を貸し、甘い言葉で諫言し、借金で縛って配下に置く、あるいはいざというとき働いてもらうよう契約する。


 アレクシアは静かに言った。

「目的は、フュルスト商会が持つ借用書ですか」

「その通り。債権は売買できる。テトラスでも、リュイスでも。違わないでしょう?」


 クラックは薄く笑う。黒い目は、もはやなんの感情も映さない。

 アレクシアは窓の外を見た。静かな風景だった。あまりにも完璧に作り上げられすぎて、いっそ不気味なほどに美麗だった。

「父はよく申しておりましたよ。金によって心を縛ることはできないが、誇りを挫くことはできるのだと」


「なんていいことを言うんだろう。まさしくその通りと思いますよ。アレクシア殿、あなたがお父上から現地での采配のかなりの部分を任されているというのは調べがついております。あなたの持つ債権のほんの一握りでいいんです。お譲りください。相場に色を付けて買い上げましょう――そうして、あなたの知る以上のことを調べ上げ、必ずやお仲間の敵討ちを成し遂げさせて差し上げましょう」


 しん、と沈黙が生まれた。風の音さえ止んだかに見えた。

「お断りいたしますわ」

「ふむ?」


 クラックは首を傾げる。まったくもって、意味がわからないと言いたげに。


「なるほど、確かに商会の生命線を売り渡すのには躊躇されるでしょう。では、いかがですか、お父上にお声がけをお願い致します。フュルスト卿といえばなかなか本拠地ファーテバを離れてくださらないですからね。しかし娘御の頼みとあればきっと――」


「いいえ。父は私のために指一本動かさないでしょう」


 アレクシアは立ち上がった。土色の髪がくるくると渦巻いて流れ落ち、生まれた影によってティーセットの輝きが消えた。


「私は商会員としてここに来ているのではありませんから。友達のため、一個人としてここにやってきたのです。父にはすべて事後承諾ですわ」


 クラックは残念そうに項垂れる。腹立たしいほど芝居がかった仕草だが、この男には奇妙にそれが似合う。

「そうですか。それはなんとも、残念です。あなたならと思ったのですが」

「こちらこそ。それでは失礼いたします。――ああ、そうそう、クラック様」


「はい?」

 みごとな透かし彫りの施された扉の手前で足を止め、アレクシアは室内に微笑んだ。


「バルドリック王陛下によろしく」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ