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【書籍化決定】どうやら私は悪役のようですね。それで?【第二部完結】  作者: 重田いの
テトラス編

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ミーゼリアン⑥


ムズはアレクシアの胸の高さまである鉄の欄干を撫でる。そこは度重なる雪と雪解けによって塗装が剥げ、錆びていた。

「そんな。それじゃあ、何故最後の一人は死んだの?」


「最後の一人が四人とも河に落としてしまうと、荷馬車の影からまた男が出てきた。そして最後の一人を河に突き落とした。それが真相だよ」

「……その、一人の顔は」


似顔絵も描かれた検死結果をもう一度突き出そうとすると、ムズは首を横に振った。

「実際に見たこともない人間の顔形なんてわかるわけがない。私のする幻視はかつてあったことの土や水の記憶を闇を通じて垣間見るだけで、土や水が人間の顔なんて詳しく記憶しているわけないだろう。だから言ったろう? 魔法は万能じゃないのさ」


アレクシアはすんでのところで、ムズに殴りかかるところだった。彼女が魔法使いだとか、自分より背が高いことなどは吹き飛んでいた。かろうじて、深呼吸する。怪訝そうに眉を上げた魔法使いに向き直り、区切るように告げた。


「違うわ。それは、きっと何かの間違いよ。間違っている。フュルスト商会の者は、仲間を裏切らないわ」

「事実だよ、誰が何と言ったって。この幻視を一緒に見せてあげられないのが気の毒だね」

「違うわ。違うわよ。もう少し、別の時間軸も見て。真犯人が映っているはずよ。そうでなければ――そうでないなら、」


こんなに寒いのに、脂汗まで出てきた。アレクシアはハアッと呼吸を整えた。

「……いいえ。ごめんなさい。無礼なことを言ったわ」


「いや、昨日会ったばかりの魔法使いの言うことを、魔法使いだからって信じろというのはそれこそおかしいことだよ。私だってたまに、自分の見たものが幻視なのかただの夢なのか判断に迷うこともある」

ムズは乾いた笑い声を立てる。本音のようにも、冗談のようにも聞こえる声音だった。


「だが少なくとも嘘ではないよ。魔法について嘘を言うなんて、生まれ故郷の神様に向かって石を投げるようなことだもの。私たちはそんなことはしない。どうしても信じられないなら、もう一度幻視してあげよう。結果は同じだと思うけれど」


アレクシアは逡巡したが、結局のところ首を横に振った。

ムズが疲れ切って見えたこと、熱を出したエマが気がかりだったこと、そしてこの寒さが原因だった。灰色の髪の魔法使いは頷く。


「さあ、言ってもらうよ。あの子は、シルヴァンはどこにいる? 哀れなオストンが死んで、麗しきアリエナは我が子を助けるため共に崖から落ちて。そんな悲劇を生き延びた、あの子はどこに?」


通りすがりの馬車が水たまりの氷を踏み割り、アレクシアは泥水を避けて欄干の一番下の鉄棒に飛び乗った。バランスを取るため手を置いた鉄の飾り枠は、革手袋を突き刺してくるほど冷たかった。


「都モルセリア」

河の流れ、浮き沈みする何かのごみ、時折飛来する鳥の群れを見ながらアレクシアは告げる。

「今、なんと言った?」


「都モルセリアで、ヴィヴィエンヌ王女殿下のおそばにいるわ。シルヴァンは生き残って、ヴィヴィエンヌ様のものになったのよ」


ムズは目を見開き、わなわなと唇を震わせ、やがて身体を二つに折り曲げて哄笑しはじめた。あまりに大きく、大型の犬か大男でも吠えているのかと思われるほどの笑い声。道行く人々がなにごとかと足を止める。婦人の胸に抱かれた小型犬が吠え、野良猫が身体を弓なりにする。氷が割れるかと思った、とのちにアレクシアは語った。そのくらいの音量、そのくらいの勢いだった。


「あーっはっはっはっは!」

涙を拭いながら、ムズは笑う。喉から血を吐きそうなほど、苦し気に喘鳴しながら。

「それじゃ、それじゃあの子は、あの子はバルドリック王の元にいるわけか!」

「そうなるわね」


「ああ、それじゃ――なんてことだ。ミストヴェル侯爵家の、タルヴェルのやったことはなんだったんだ!? すべて無駄だった、無駄無駄、無駄足さ! 兄貴を手にかけてまで欲しがった爵位が……嫂と甥っ子を追い詰めて、その結果がこれか。エヴレン王家の小娘が、バルドリック王の末娘が、あの子を持っていったのか! そうか」


氷が砕けるより一瞬短い時間で、ムズは真顔になる。

「未来が見えるという商人の娘、おまえの知る中でミストヴェル侯爵家はこれから、どうなる?」

「……わからないわ。私の知っていたことと、今は、もう違うものだから。知っていることからどんどん現実が離れていくの。確かなのはあなたの存在くらいよ」

アレクシアの知る小説の中では、いわゆる中ボスのタルヴェル・ミストヴェルが死んだあと、跡継ぎのいないミストヴェル侯爵家は没落して消えていく。だがその歴史は起こらない。


ムズは顎に手を当てて唸った。

「ふむ。【夢見】の魔法かね。不思議なものだ。魔力は感じないが」

「どうかしら。これが魔法でも、その他の何かでも、結局無意味になっていくのなら変わらないわ」


アレクシアはゆるく手を振る。そもそも彼女の転生? は奇妙だ。小説を読んだという記憶だけを後生大事に抱えて、転生してきた? それとも、前世のその記憶だけがよみがえった? ピンポイントで?

謎は多い。たぶん解けることはない謎だ。だがそれはどうでもいい。小説の知識が役立つなら、せいぜい利用させてもらうというだけだ。


アレクシアが知る既存のキャラクターはもうムズくらいである。強いて言えばヴィヴィエンヌの馴染みの女官長くらいだろうか、ネームドキャラは。それ以外はもう、主人公が脱落したこの世界を生きる本物の人間ばかり。ムズだって女官長だって、もちろんアレクシア自身だって、自分の人生を生きている。


ムズの目つきが鋭くなった。欄干の間を通る風の冷たさ。

「では、何故タルヴェルが兄であるオストンを殺し、甥のシルヴァンをも手にかけたか知っているの?」

アレクシアは遠い記憶を探った。確か読んだ覚えがある。


「タルヴェルはテトラス王妃と裏取引をしたの。王家直轄地の支配権および王族の姫との婚姻を約束され、ミストヴェル侯爵家の当主としてエヴレン王家のもっとも近しい場所に君臨するはずだった。でも違った。王妃は亡くなってしまい、華々しい未来はふいになり、彼は自暴自棄になって侯爵領に引きこもる、という未来になるはずだったわ」

「……それは事実と違うね」


「ええ。キュリアナ王妃は生きていて、今も王宮ルム・ランデにいる。バルドリック王の子供たちは私の知る通り、三人死んで三人生き残っている。それがすべてね」

ムズはしばらく、目を伏せた。自分の死に際、財産のことで争う子孫たちを見てため息をつく老婆のように。


「あの子の様子を見に行ったことも、ある」

「……タルヴェルの?」

「あんな子だが、ウラリールの孫だ。見捨てられない。姿は現さずに囁いてみた――後悔しているか? と」

「彼はなんて答えたの?」

ムズは謎めいた笑みを浮かべる。灰色の太いお下げがぶらりと揺れる。


「私はもう行くよ。部屋に訪ねてきても、もういないからね。連れの娘のことは心配しないでいい、心が疲れて熱を出しただけだ。渡したぶんの熱さまし草で足りるよ。それでも心配なら治療師ギルドに行って、ステラという女がいないか聞いてみな。彼女は腕がいいし、誠実だ」


アレクシアは頷いて一歩下がった。魔法使い相手に踏み込み過ぎてはならないのだと、忘れるところだった。

「どうも……お世話になりましたわ、レディ・ミーゼリアン」

「その名で呼ぶ必要はないよ」

「ムズ様」


魔法使いはふっと微笑む。その重ねた年月を透かし見るような老成の笑みだった。

そうして彼女は立ち去り、アレクシアは河べりに残った。複数の軍靴の足音に気づかなかったのは、ひとえに疲労のせいである。みんなが死んでしまったのが、堪えていたから。


振り返ったときにはもう遅い。背の高い、がたいのいい、複数の男たちが無表情に彼女を取り囲む。


「――何か?」

と低い落ち着いた声でアレクシアは言った。どうやら逃げ道はなさそうだった。周囲を行き交う人々はぱたりと絶え、ああそうか、この男たちがやってきた時点で逃げ散ったのだとわかる。


彼らはカーミエールの街の守備隊だった。領主の私兵の寄り集まりで、つまり法に則るのではなく雇い主の顔色をうかがって仕事をするたぐいの者どもである。


「あなたに逮捕状が出ています」


と、隊長格らしい男が跳ね上げた髭を撫でながら言う。慇懃無礼を絵に描いたような態度だった。確かに守備隊には街の治安維持のため逮捕権がある。だがアレクシアは眦をきつくして彼に向き直った。こういうとき、おろおろしたりくどくど言い訳するのは逆効果だ。


「いわれがありませんわ」

土色の髪とスカートの裾がふわふわ揺れて、ヒールの音がカツリと響いた。男の一人がクソ生意気だなと呟いた。


「あー、詳しい話は詰め所で聞くから」

「その逮捕状を見せてください」

「本当に生意気だな。俺が黙らせますよ、隊長」


白手袋をした大きな手が頭に向かって伸びてくる。瞬間、アレクシアはたっぷりした袖を翻しそれを払った。ピシャリ、文字通り鋭い音がするのに、男の顔は憤怒に歪む。アレクシアは商会の中の揉め事を仲裁するときの声で叫んだ。


「無礼な。人を呼びますよ!」

男たちの怒気がぶわりと熱気となってアレクシアを取り囲む。


語尾が消え入るような猫撫で声で、隊長は眉を下げた。ぞっとするほど不快な声と顔だった。


「困りましたなあ。では、もう一人のお嬢さんの方にお伺いするしかありますまい。我々も仕事ですからな、お具合が悪そうな若い娘さんを連れてくるのは気が咎めるが」

アレクシアの顔色を見て、彼はにやりと相好を崩す。


「致し方ない、それが仕事だというのなら、我々はやりましょう。ええ、きっとやり遂げましょうとも」

「……決して手荒にはしないこと、もしそうなった場合、私は我が父フュルスト卿の名誉に賭けてあなた方を法廷へ訴えます。そのことをご理解いただけて?」


隊長は頷き、不服そうな男たちがアレクシアを真ん中にして、歩き始めた。さながら貴族が領地を見回るときの行列のようである。何より彼女が不愉快だったのは、隊長の男の話し方が父親に――実の父親、この手で殺す算段を立て実行した、今やもういない男に似ていたことだった。生理的な嫌悪に、背骨が突っ張る。


二の腕を握られそうになるのを避け、なんどか身を捩りながらアレクシアは進んだ。目的地はすぐそこだった。ほとんど罪人の扱いであることに異論はあれど、公権力に逆らうのは父も望むまい。


そのようにしてアレクシアは守備隊の詰め所に連行された。そこは真四角い煉瓦づくりの建物で、地下には尋問室があった。



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