ミーゼリアン④
アレクシアとエマは一日、街を駆けずり回った。実際に足を棒にして歩くとなると、やたら広い街だった。人口は多く、過密状態で、その上旅人の出入りが多い。赤っぽい煉瓦の道や建物はボロボロで、境目に詰まった泥が渇いて砂塵となり目や喉を痛めそうだ。おまけにこの、コートを貫通する冷気。たまらない。
リュイスとの開戦が近いという情報も、真偽不明ながら出回っていた。ずっと長い間の隣国同士、どうしたってお互い戦う回数が多かったのだ、憎悪は簡単に燃え上がる。だが今のところは隣国への嫌悪や愛国心よりも、自分の身を心配し家財を移送する手間を考える気持ちの方が人々には強いらしかった。
アレクシアはあらゆる種類の商店を回って情報を集めたが、いなくなった五人のリュイス人を知る者はいなかった。まだ商会が完璧に商売を始める前だったこともあり、知り合いもいない。人脈はあれど、テトラス在住のリュイス人が続々と帰国し始めている中、気を利かせてくれなどと言えない。
とうとう、彼らが生きている可能性は低いのかもしれないとアレクシアは思い始めた。
門前払いされるのをこんこんと説得して、守備隊の詰め所にも入れてもらった。もし――遺体があったら必ず引き取ると約束して。
なかった、どこにも。誰も、いなかった。
古参のエドマンド・ハロドは父フュルスト卿がもっとも信頼する交渉役だった。支部の土地と家を見つけてきたのも彼だ。お腹が出た中年男で穏健で慎重な性格だった。紙のように静かで紙のように頭が切れ、誰よりも経験豊富。
ナッサン・フィリオは反対に気難しく短気だが、涙もろい側面があった。母ルクレツィアの存在を最初は不道徳だと嫌っていたものの、事情を知るといっぺんに気が変わって同情してくれたものだ。世話焼きで、若者に好かれていた。
リトルト・グレゴーはまだ二十三歳でアレクシアと同年代。真面目で勉強熱心で、ややお調子者の愛嬌がある若者だった。婚約者がいた。結婚資金のためテトラス行きを引き受けた。
ロズ・クォウッドは皮肉屋な女性で、だが責任感が強かった。彼女ほど帳簿づけがうまい商会員は他にいなかった。コトル運河における港湾業者との値段交渉が上手く、幼い双子やアレクシアにこっそり飴をくれた。
トリエッテ・ハミルトは何を隠そう、エマの推薦で商会に入ったまだ若い女性だった。好奇心旺盛で明るいところがエマによく似ていた。事務作業は苦手で、港での雑用や掃除、伝令を楽しそうにこなすさまが周りによい影響を与えていた。
誰一人代わりはいない。よく知っている者も、知らない者も。アレクシアのことを好きだった者も、そうではない者も。誰も欠けることは許されない、フュルスト商会の構成員だった。
だからアレクシアはカーミエールの街を、帰り道を忘れた盲目の猟犬のように走り回り、聞きまわり、そして見つけた。
見つけてしまったのだ。
カーミエールの街の真ん中を貫くアルバ河は、【大氷河】の山裾にあたる山岳地帯にあるクレストヴァーン湖から流れ出て都モルセリア、避暑地ルスビア、貿易の街カーミエール、その他多くの町や村、集落に新鮮な雪解け水を供給する。とくに都市のカーミエールでは飲用水は貴重なため、煉瓦により厳重な護岸工事が施されていた。
その、アルバ河の河べり。赤い煉瓦でできた広い道の上に、五つの死体が上がったのが、つい先日のことである。
早朝。まだ霧が出ていた。アレクシアは暗いうちに起き上がって、長い一日を思って早くもぐったりしていた。ブーツの底で霜が弾け、薄い氷の膜が煉瓦道を覆っていた。今日の宿は今日限りで出なければならなかったので、衣類を入れた大荷物を二人とも背中に背負っていた。
そこに、まるで見計らうかのように。最初は、どこかの運送業者が運びきれなかった荷物を廃棄したのかと思ったくらい、無造作に。
エドマンド・ハロドは仰向けに口を開け、手は空中を掻き毟る形で硬直している。ナッサン・フィリオはうつ伏せで、髪が乱れていた。固く握りしめられた拳と、片方の靴が脱げた足。リトルト・グレゴーは若い凹凸のある腹を出した状態で踊るように手足を投げ出している。ロズ・クォウッドとトリエッテ・ハミルトの二人は互いに顔を向けて横になっている。
いずれも、絶命していた。動く様子はなかったし、すでに死後硬直が始まっていることは明白だった。
「……ああ、」
と呟いたきり、アレクシアは言葉もなかったし、エマはその場で膝をつき嘔吐した。彼女を介抱することで、アレクシアは正気を保てたのかもしれない。人間の死体は見たことがある、行き倒れや自殺した男や女、あるいはこの世でもっとも憎んだ敵の死体を。
だが家族とも思った人たちの、父の友人、姉と慕った女性、友達にも似た男……そんな人たちの、こんな無残な姿を見ることになるとは思わなかったのだ。ただ、思いもよらなかったのだ。エマがドレフ帝国での反乱のこと、テトラスの対リュイス防衛線のことを教えてくれてから、まだ四日しか経っていないのに。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
とエマは吐きながら謝る。一番年若いトリエッテに向かってだ。彼女はエマの学院時代の先輩で、同じく下級貴族の三女だった。親が見つけてきた嫁ぎ先よりも就職を選んだ先輩を、いい人ですよと自信満々に推薦したエマの喜びに輝く顔をアレクシアは覚えている。エマにフュルスト商会を誇りに思ってもらえているのが嬉しく、トリエッテには目をかけようと思ったものだった。それを……。
二人の若い女性は手に手を取り合って、よろよろと守備隊の詰め所へ急いだ。崩れ落ちそうになりながら、支え合って。
守備隊は軍の一種であり、構成員は確かに兵士であるのだが、評判といえばさんざんである。豪快、自堕落、給料泥棒、いざという時に限って役に立たたない傭兵未満、関所で商人をいじめるのが仕事と言われたい放題だ。というのも、彼らは領主によって領地に寄越された防衛力であるが、この土地の人間ではない。また国軍の兵士でもない。土地への愛着も、また住民からの信頼もほどほどといったところでしかないのだ。
だがアレクシアとエマのひどい顔色を見て、さしものカーミエール守備隊も一隊を河へ派遣した。死体は袋に詰めて衆目から隠され、守備隊づきの医者が呼ばれた。おざなりな検死と、おざなりなお悔やみの言葉があった。酔っぱらって河に落ちたんだろう、リュイス人だし、と誰かが吐き捨てるように言ったことをアレクシアは忘れられない。エマは吐きすぎて気分が悪くなり、また胃液を吐いた。自分もいつの間にか泣いているのがわかった。
「うちの商会員たちです。――いいえ、リュイスに送ります」
と受け答えする声がどこか遠かった。信頼できる運送商会を探し出し、フュルスト商会の印章を振りかざして輸送便に遺体をねじ込んだ。少なくない小切手も自腹で切った。構うものか、という気持ちだった。忘れかけていた炎が胸の中に再燃しつつあった。
検死も、お悔やみも、リュイスで最上級のものを受けてくれればいい。それが一番いい。
父フュルスト卿への手紙を書いた。状況の説明と、くれぐれも五人をよろしくと。鳩便でそれを出してしまうと、その日の残りは小さな旅籠を探して泊めてくれと交渉するのに費やした。そして、エマと二人、同じ小さな部屋で声を殺して泣いた。抱きしめ合うのは心地よく、胸の痛みをわずかに忘れさせてくれる気がした。
エマの嘆きはアレクシアの頭の芯をずたずたにする。
「なんで、なんでトリエッテさんまで……あの人まだ、商会に入って半年も……」
(ちくしょう)
「ロズさんもナッサンさんも、口は悪いけどほんとに優しくて……」
(ちくしょう、ちくしょう!)
燃え上がる怒りと、そのせいで生まれた余白にさえざえとした決意。
アレクシアはこれを知っている。
「泣かないで」
と言って、エマの涙をぬぐう。
「あんなことした奴らは全部、私が殺してあげるから」
エマのどこか怯えた大きな灰色の目に、虎のように笑う自分の顔が映っていた。




