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【書籍化決定】どうやら私は悪役のようですね。それで?【第二部完結】  作者: 重田いの
テトラス編

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ミーゼリアン②

 

 もう百年も昔、大陸西方を舞台にリュイスとテトラスの戦争があった。エルムスウェイン地方の小川が連なる草原の所属で揉めたのだった。同じくそこを舞台にした戦争であったため、そのままエルムスウェイン戦争と呼ばれる。


 数々の貴族、領主、果ては聖職者までもが己の利益のため、あるいは王への忠誠を示すため参戦した。


 そんな中の一幕に、【エルムス川の戦い】がある。【雪花の誓い】を謡いリュイス国土に取り残された友軍を救うべく進軍したテトラス王国ローデン騎士団と、リュイス王国オニキス騎士団が草原で激突した戦い。


 リュイスの黒鷲、レイヴンクール公爵シュタリオン。

 テトラスの銀狼、ミストヴェル女侯爵ウラリール。


 物語では壮絶な一騎打ちがあったとも言われる二人だが、実際に相まみえることはなかった。両者はこの戦いで、互いを好敵手であると認めたという。用兵は激しく、大量の死者を出した。油をかけて焼くのが間に合わないままピクシーが湧きかけたといえば、その無惨な情景が思い浮かぶだろう。


 人間の死体からは魔物が湧く。無数の死体があれば、なおさら。


 ピクシーが飛び立てば羽から鱗粉が飛び散り、それらが死体につくと腹を食い破ってゴブリンが現れ、小型の魔物たちが相食むことによってオークなど大型の魔物が誕生する。それを防ぐ唯一の手段が戦場での火葬であり、兵士の家族たちは皆、愛する者の死に顔も見れぬまま遺族になることを覚悟して送り出す。


 さながら、こんな悲壮な顔をして。


 湯気の立つティーカップを抱え込み、アレクシアは眉をひそめて茶葉の始末をするムズを盗み見る。彼女が年老いていることを、知らない者はきっと気づかないままであるのに違いない。目元にも口元にも皺というものはない。背は縮まることもなく、動きも声も溌剌そのものである。だが灰色の髪はそういう色に生まれ付いたのではなく、老齢のため。元の色は鳶色だと、アレクシアは知っている。


 魔法使いという生き物は、寿命が長いのだ。百年が過ぎ、知っている人が皆いなくなっても生き続けなくてはいけないほどに。


 アレクシアは一口啜ったお茶を背の低いテーブルに戻した。ひょっとしたらこれは患者が腰かけたり、怪我した片足を乗せたりするための台なのかもしれない、と思いながら。胃が痛かった。何も食べていなかったので、温かいハーブティーは正直助かった。


「扉の外」

「はい?」

 突然、告げられた言葉に虚を突かれる。ムズは小さな火鉢の上のやかんを見つめ、不機嫌そのものの態度でぶっきらぼうに言った。


「誰か待たせてるんだろ? 入れたあげな。このへんは治安が悪いから、誰かに絡まれるよ」


 アレクシアは揺り椅子に腰かけた年老いた、だが見掛けは若い女に頭を下げた。

「どうもありがとうございます。――エマ、聞こえたでしょう、入っておいで」

 緊張した面持ちの薄い金髪の娘が入室すると、ふっとムズは笑った。

「リュイス人だね。その金髪、リュイスでしか見ない色だよ。ああ、今日はいろんなことがありすぎだ。まだ昼前だってのに」


 ぶつぶつ言いながら、揺り椅子に体重をかけてムズはのびをする。ふんだんな薬草の香りが入り交じり、湯気に蒸されて、この部屋は芳香に満ちている。


「それで?」

 ムズは膝の上に乗せた手を組み、じいっと黒い目でアレクシアを見据える。

「すべて話せ。話すと言ったのだから。私を魔法使いと知るのなら、魔法使い相手に嘘はつけぬことも知っているんだろう?」

 アレクシアはそうした。


 己の素性と、生まれ育ちの話をした。エマと出会ったこと、学院の費用を出したことも含めて包み隠さず。壁際にまっすぐに立つ貴族の娘は、主君と定めたうつくしい女が何を言ってもぴくりともせず、ただよい侍女そのものの姿で柔和にしている。


 再び火鉢の上に戻されたやかんが、コポ、と泡の音を立てた。


「そして私は父親のガイガリオン伯爵とその家族を殺したわ――すべては、リュイスの女王になるために」

「女王!」

 はん、とムズは半笑いである。

「面白い話じゃないか。お続け」


「我が父フュルスト卿の商会はテトラス王国に支部を設立する途中だった。そこに、ドレフ帝国での反乱が」

「皇帝と皇后が殺されたんだってね。大変なことだ」


「ええ。そしてテトラス王国は再び、対リュイス防衛線を敷いたわ。歴史上何度もあったことだから驚きはない――それに前後する軍事衝突や、民間人の強制的な撤収も含めて」


「それでさっき言っていたことに繋がる、と」

「ええ。商会の人間と連絡が途絶えた。彼らを探し出すため、私はここカーミエールを訪れて、そして……」


 思い出したアレクシアの手が震えた。吐き気が襲い掛かってくる。壁際のエマが心配そうに見つめる中、それを推し堪えてアレクシアはムズにまっすぐ向き直る。


「全員が殺されていたわ。エドマンド・ハロド、ナッサン・フィリオ、リトルト・グレゴー、ロズ・クォウッド、トリエッテ・ハミルト。五人、五人もよ? 全員が。我が父が手塩にかけて育てた商会員たちが皆、惨殺されていた。あたりは血の海だった。――誰がやったか探し出すわ。そして制裁を加える。そのために力を貸してくれたら、改めて、シルヴァン・ミストヴェルの居場所を教える。こういう取引よ。どう?」


 ムズは何もいわない。沈黙の価値をわかっている、やりにくい相手だった。こんなときは焦った方が負けで、アレクシアは負けかけている。自分が誰かのために、身内だと決めた相手のためにこれほど必死になれる人間だとは、彼女は思ってもいなかった。

 これまでは復讐のために、あまりに向こう見ずになりすぎていたのかもしれない。視野狭窄な、暴走する馬のようなものに。


 長い沈黙の間、灰色の髪の女はぼんやりと天井に吊り下がる乾いた薬草を眺めていた。剝き出しの梁から下がる、すでに色合いを失った、だが十分に役に立つ物言わぬ木々の葉や草や花を。やがて揺り椅子に沈み込むような姿勢のまま、低い声でムズは言う。


「その話を信じる証拠がない」

 アレクシアはスカートに括りつけた小型のポシェットから、そっと紙の束を取り出した。シルヴァンの手で書かれた手紙である。


 手渡すと、ムズの黒い目から光が消えたようになる。手紙の内容は、アレクシアも知らない。これを書いてほしいと言ったときシルヴァンは、失われた記憶をたぐるように眉間を押さえて苦しみ、ああ、と気づくまで時間がかかった――あの、ひいおばあ様が重用していたという魔法使い? 会ったことあったかな。生きているんですか? へえ……。


 シルヴァンはムズのことを知らなかった。それも当然だろう。ムズはおそらく、ミストヴェル家からあえて身を隠しただろうから。

 ミーゼリアン・トレイズモアは、かつてミストヴェル女侯爵であったウラリールの無二の親友であり、戦友であった。ウラリールが生きたのは、百年前の戦乱の時代。


 彼女の愛する人はすべて死に、ムズはただ一人、今の世を生きている。


 ムズは手の中にある幾枚かの手紙を貪るように読んだ。黒い目が忙しく動き、やがて静かに手紙をくしゃくしゃに握り込んだ。


「あの子の字だ……」

 呻くような声で言う。アレクシアは彼女が泣いているのかと思ったほどだった。

「どうして、私があの子の字なら見分けがつくと知っている?」


「……あなたは時折、身分を隠してミストヴェル侯爵家を訪れていたと。その中で、幼いシルヴァンやヴィヴィエンヌ王女殿下とまみえることもあったのだと、知っているわ」


「だから、何故? そんなことを誰かが知るはずないんだよ。私はいつだってミストヴェル侯爵家の味方だが、あの家には時折魔に魅入られた者が出る。そんなときは距離を置くようにする。私はもう十年はあの家を訪れていない。だから、知るわけがないんだ。赤の他人が。それも、リュイスからやってきた商人の娘がそんなことをね――さあ、お話し。すべてを」


 射貫くような目である。

 アレクシアはゆっくりと話し出した。エマは遠い目をして考える、もうこんな不思議なことには慣れたけれど。アレクシア様は、私が話していない私のことを、いったいどれほど知っていらっしゃるのだろう……。


「私には未来を知る力があったの。これまでもその力で得た知識を使って色々、悪いこともやってきたわ。そうして知った中には、前ミストヴェル侯爵、シルヴァンの父であるオストン殿は弟タルヴェルに殺されたということもある。タルヴェルは落馬した兄を見殺しにしたのよ。恥ずべき罪人よ。そして甥のシルヴァンを殺そうとした。でも、彼は生き延びて、逃げ延びた」


「力があった? 今はもうない?」

「もうないも同然。私にはもう、わからないの。これから先の未来がどうなるのか。テトラス王国で唯一、知っていたのもあなたのことだけだったから」

 ミーゼリアン・トレイズモアは過去の人間である。


 アレクシアが彼女を知ったのは、小説の記憶によってだ。テトラス王国の市井に潜む、百年前の出来事を知る長生きな魔法使いとしてだった。


 もうこれで、小説の知識はほとんどおしまいだ。だいたいは主人公である異母弟の活躍の記録だったわけで、奴がもういない以上役に立たない知識となり果てる。


「そもそも、私の知る限りではシルヴァンは子供の頃に死ぬはずだったのよ。母君と抱き合ったご遺体が……河べりにひっかかった状態で、見つかるの。どこかで、私の知らない奇跡があったのだと思う。それがシルヴァンを生かしたのよ。そして、本来なら今から八年後、リュイスとテトラスは再び戦争に突入するの。そこでタルヴェルの首級を上げる傭兵がいたはずだった。でも、彼は死んだわ」


 アレクシアは首を横に振る。

「タルヴェルがどこまで生きられるのか、わからない。でもあなたは彼を見限って、ミストヴェル侯爵家に行くのをやめた。それなら、シルヴァンに会いたいんじゃない? 会いたいでしょう?」

 そうあってくれ、と願いを込めて彼女は言う。


「どうか頷いて、ミーゼリアン・トレイズモア。私に協力すると言って」

 ムズは沈黙した。窓の外に目をやり、だが手の中の手紙の束は手放さない。

 あのお、と声がかかったのはそのときである。アレクシアとムズは同時にエマを見た。ひん、とやや肩をすくめつつ、エマはおずおずという。


「あの、シルヴァンさんがどうやって助かったのか、私知ってますよ」

「何?」

「なんですって?」


「ひゃえ。あの……あの、崖からお母上様に抱かれて飛び降りた、って言ってました。そして、名も知れぬ傭兵団に拾われたそうなんです。彼らについてテトラスからすぐドレフ帝国に行って、そこで傭兵として仕込まれ、商談でドレフに来ていたフュルスト卿に見込まれたと聞いています」

 新事実である。アレクシアは肩をすくめた。

「どうしてそんなこと知っているの?」


「あの人がご自分で言ってらしたんですよう。商会のみんなで待ち時間に茶飲み話をしたときに聞きました。みんなして生い立ちを話してて……案外、聞いたら答えてくれましたよ」


 涙目のエマ、仰向けになったムズ、額を抑えるアレクシア。三者三葉に、頭の中であの精悍でありながらどこかのほほんとした男の笑顔を思い浮かべる。――言いそう。案外、聞いたら答えそう。


 シルヴァン・ミストヴェル。いつまでも若い男である。さすがに家名のミストヴェルを名乗ることはしなかっただろうが、勘の良い商会員なら気づいたかもしれなかった。


 ともかく、とアレクシアは場を仕切り直した。ムズはぐったりと天井の薬草を睨みつけ、石のように黙りこくってしまった。シルヴァンを探しに行かなかった自分を責めるようにも、あるいは百年前を想ってくたびれているようにも見えた。


「百年前も今も、リュイスとテトラスは変わらず仲よくしてはいがみ合い、諍い合っては統合へ歩みよろうとする。ドレフ帝国内部のごたごたが片付いても、この二国は永遠にこのままでしょう」


 だから、私がリュイスの女王となり、二国を統合させるのだ――とまでは、言わないでおく。ムズは疑り深い表情で、貧乏ゆすりをしている。うろうろと、アレクシアを眺めては手の中の手紙を愛おしそうに見る。


 百年前に失った女侯爵の血筋を、ムズはあくまで愛している。だがそれはすべてを許容する愛ではなく、間違った人間が出て没落するならばそれもやむなし、と血筋を血筋として愛する神のような視点である。おそらくそれが五百年とも言われる寿命を持て余す魔法使いたちなりの、人間との距離の保ち方なのだ。


 ムズはまだ魔法使いとして若い。さらにどこの魔法使いギルドにも、学院にも所属していない。彼女を導く者も、あるいは行動を規制する者もいないのだ。アレクシアは身を乗り出した。


「あなたの魔法があれば、きっと犯人がわかるはずだわ。私にはあなたが必要なの、レディ・ミーゼリアン……ムズ。そうなればきっとあなたは再び、ウラリール様の血縁者の中に彼女を見つけるでしょう」


 ムズはゆっくりと揺り椅子から起き上がった。もったいつけたというよりは、あまりに身体が重たくてなかなか起き上がれない老人じみていた。


「魔法使いが世間に干渉することは許されていない。これは神殿所属、貴族家所属、はたまた俗世を離れ祈りや学問の世界に生きる魔法使いであっても同じことだ」

 よく通る低い声で言う。アレクシアを見つめる黒い目はドレフ人のように底知れない。


「私が魔法を使うのは、あんたに依頼されたことに対してだけ。それから我が身を守る場合のみ。その条件が呑めるなら、そして必ず私をあの子に会わせてくれると誓うなら、協力しよう」

 アレクシアは花がほころぶように笑った。花びらの向こうに虎が見え隠れするけれど、ただそれだけだった。


 そうして契約は成立した。



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