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【書籍化決定】どうやら私は悪役のようですね。それで?【第二部完結】  作者: 重田いの
序章

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3/75

はじまり【12/21追記】

 


 目覚めた翌朝、アレクシアの中には前世で読んだ小説の記憶が渦巻いていた。全身がずきずきする。横たわったまま、呆然と目を見開くと、端に残った涙がこぼれる。早朝。薄暗い小部屋。隣で眠っている人がいて、確かめずとも母だとわかった。ルクレツィアのうつくしい金髪は無惨に引きちぎられ、半分ほどの短さになっている。それを見て、頭がぐわんぐわんするほどの怒りが満ちる。母の寝息をアレクシアは確かめた。


 生きている。母は、生きている。二人とも傷だらけだけれど、生きている。

 ああ。安心と同時に記憶が、赤が。血の赤が。母ルクレツィアの恐怖の涙がリフレインする。


「ああそっか。私、悪役だあー……」


 そっかあ。だからか。――だから母はこんなに不幸なのか。悪役の母親だから、こうされて当然だって? アレクシアの、母ルクレツィアの、こうあるべしと定められた人生がこれだって?


「ちくしょう……」


 前世の知識がよみがえったからだろうか、やっとわかった。この小部屋で衰弱していく母の記憶。双子から引き離されて気落ちするあまりのご病気なのだと思っていた。だがあれは――あれは。


「お母様、あの男に強姦されて痛めつけられていたのねえ……」

 そっかあ。あの野郎、七歳の実の娘が寝ている横で、妻を。無理やり。不倫の腹いせに。そうかあ。


 殺す。

 怒りが。憎悪が。みぞおちから喉の奥までを一直線に焼く。

「殺す。お前も、お前の持ち物すべて、家も妾も婚外子も残さない。王もだ。お前の権力の源。皆殺しにしてやる」


 不倫した妻だから強姦しても殺してもいい、そうか、それがお前の考えなら否定はしない。だがその理屈に基づき虐げてくるなら――アレクシアもまた、自らの価値観に基づきお前たちを再定義する。


 ルクレツィアとアレクシアを虐げたガイガリオン伯爵は、悪だ。

 見るだけで何もしなかったタリオン王は、それ以上の悪だ。


 だってこの不幸な婚姻をまとめたのは王なのだ。国の守護者、民の保護者にして法律の順守者。誰よりも清廉で公平でなければならない立場のくせに、彼は弱い者を見捨てた。母に不幸な結婚を強い、結果として夫に殴られるのを見世物のように観察した。


「あんな男を王とは認めない……。あんなものが王であってはならない」

 許さない。両手がわななく。心臓が痛い。身体じゅうが痛い。だが父に殴られた痛みより、王に嘲笑された屈辱の方が痛かった。


「お前の玉座を私が奪ってやる」


 あそこに座り、眼前を見下ろす、その地位に就いてやる。そしてお前たちの改革の結果を覆す。よい成果も悪い結果もやったことは何一つ残さない。そうでなければこの胸の穴は一生塞がらない。


「女王になってやる。一生をかけてお前たちが間違っていたことを証明してやる」

 アレクシア掴んだ毛布に向かって囁きかける。血が煮えたぎるように熱かった。私は好き勝手に虐げていい存在ではない。


「女王になって、私の存在価値を証明する。お前たちのやったことは未来に何一つ残さない。――ぶっ殺してやる、セオドア・ガイガリオン」

 アレクシア・ガイガリオン。ふわふわと伸びた土色の髪、青い目、白い肌をしたガイガリオン伯爵家の令嬢。父はセオドア・ガイガリオン。母はその妻ルクレツィア。タリオン王の王命により娶せられた夫婦の間に産まれた長女である。小説では、それだけの存在だ。


 タリオン王は、専制君主を目指す王。主人公ザイオスのよき理解者。つまり善側。そしてアレクシアと母ルクレツィアは、タリオン王とザイオスの覇道を阻む古き悪しき貴族の一員側……。


 ハッ。鼻で笑ってしまう。あの王の、どこが善人だって? ずきり、ずきり。痛みと復讐心と憎悪と生理的嫌悪が一体化して、アレクシアの人格を塗り変えていく。構うものか。私は私だ。この憎しみは、私のものである。私は憎しみそのものではないが、彼らは私の一部である。


 私はアレクシア。それ以外の誰でもない。

 母がかすかに身じろぎをした。

「お母様」


 アレクシアは上半身を起こした姿勢のまま、母の額に張り付いた金髪をかき上げた。

「アレクシア!」


 そうして彼女は目覚める。うつくしい碧の瞳に恐怖を宿し、先に起きた娘を見つけてそこに安堵が滲む。白い手が伸びてきて、アレクシアの頬を撫でた。


「大丈夫、アレクシア? 痛くない? ああ、ごめんね。ごめんね……」

 泣きそうな母のうつくしい顔。細く、白く、たおやかで繊細で儚げで、けれど決して弱くはない声。


「大丈夫よ。アレクシアは大丈夫。お母様の方が痛いでしょう」

 声が震えることはなかった。


 何も言わないまま、ルクレツィアは微笑んだ。アレクシアが愛しくて愛しくてたまらない、という、母親の顔だった。まるで痛みなど感じていないかのように。


「よかった。目が覚めてくれて、よかった……」

 アレクシアは微笑んで頷く。ああ、と母はため息をつく。


 どすどすと足音が聞こえた。アレクシアは素早く身を起こし、ルクレツィアは固まったまま娘を抱きすくめた。

「お母様」

「大丈夫よ、お母様が一緒ですからね」

「お母様、走れる?」

「え?」

「準備しておいて」


 アレクシアは立ち上がった。昨夜、あんなに苦労した毛布に足を取られることはもうなかった。小部屋にはいらないものを収納した小箱がいくつか放置されている。どれにそれ、が入っているのかはわかっていた。小説で、アレクシアはそれを異母弟ザイオスをいたぶるのに使う。小さな箱には蓋さえない。埃をたっぷり含んだ布の上、それ、は鎮座している。


「アレクシア」


 小声で母は娘を呼ぶ。扉がバンと開かれた。アレクシアは扉の陰に身をひそめる。錆びることのない小刀を両手に持って。「おい!……おん? 小娘はどこだ。お前の娘は」

「おやめください。あなたの娘でもあります」

「だから何だ? ったく、息子を産めといったのに女なぞ産みおって」


 震える声で返す母は、痛みを思い出しているのだろう、ひいひいと浅く呼吸している。走れるだろうか? 一緒に走ってくれるだろうか? それだけが心配だ。それだけが。


 アレクシアは飛び出した。男の、太腿に深々と小刀を突き刺す。遠い異国の宝刀を模して作られたそれは、不可思議な魔法によって研がずとも錆びることはなく、切れ味が落ちることもない。


「ぐおおおおおお、お!」

 ガイガリオン伯爵は咆哮した。母は声にならない悲鳴を上げた。

「立って、走って、お母様!」


 加害者などに目もくれず、アレクシアはルクレツィアに飛びついた。母の萎えた足は、それでも身体を支えて立ち上がった。母子は互いにぶつかり合いながら走り出した。暗い廊下を、先へと。


「きさっ、貴様アアアアア、待て、待てえええええええええっ!」

 悲鳴のような声が追いかけてきたが、振り返らない。振り返るはずはない。


 アレクシアには予感があった。あるいは確信が。――彼が母を見捨てるはずはない。


 庭まで逃げ切ると、西の方角で騒ぎが起きていた。騒々しい物音が聞こえたかと思うと、制止の声を振り切って走る人影が飛び出してくる。庭園の垣根を回り、走るフュルストの両手には大人しい双子が抱かれていた。


 フュルストと、ルクレツィア。ふたりの視線が絡み合う。屋敷の中から吠え声が、まるきりけだもののように響く。アレクシアは屋敷の裏門へ続く舗装された小道の入り口に馬を見つける。フュルストの愛馬である鹿毛だった。


「おじちゃん、早く!」


 少女の叫び声にフュルストは我に返ると、ルクレツィアの傷だらけの身体を双子ごと抱き上げた。ひらりと馬に飛び乗るなり双子を鞍袋に放り込み、ルクレツィアとアレクシアを両腕に抱く。かなり無理のある姿勢だが、それでも彼はやり遂げた。


 手綱に合図された馬は走り出す。木々の枝が垂れさがる小道を颯爽と疾駆する。

「誰か止めんか! オイッ、誰もおらんのかああああああ‼」


 と、叫ぶガイガリオン伯爵へ、アレクシアは嘲笑を浮かべた。ルクレツィアに抱きしめられ、さらにフュルストの腕にしっかり固定され――両親の腕の中で、怖いものなど何もない。


 馬は走る。人間より速く、またフュルストの乗馬技術は巧みである。使用人たちの顔が離れや本邸のおんぼろ窓に鈴生りになって、見物している。オロオロする門番の老人になど目もくれず、馬はガイガリオン伯爵家の敷地を抜け出した。アレクシアは母の胸に顔を埋める。


 空は抜けるように青く広く、街道は果てしなく広がっていた。

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