宴のあとで影が踊る②
追放刑に処された元国王……今はただの父親であるタリオンと息子マリウスは、辺境に落ち着いたようだった。二百年ほど前にも王族が入ったといういわれがある、粗末でわびしい細い塔が住まいだという。螺旋階段を上がるたびに土が舞い上がるような、煉瓦づくりで、窓もないのだそうだ。鍵は三重にかけられ、それぞれ別の監視役が持つそうだ。
王がいなくともリュイスは続く。しかし、議会だけでは限界がある。
季節は秋。レイヴンクール公爵軍による反乱が収穫期に入る前に収束したのはもっけの幸いである。冬が来る前に、次の王を選定しなければならない。政界はにわかに賑やかになった。
そんな中、アレクシアは時間を作ってガイガリオン伯爵家へ足を運んでいた。ザイオスを始末してスッキリした二日後。その母エイナが新しい夫の元へ出発する日である。わざとこの日付を設定したのかと言われたら、偶然だとアレクシアは言うけれど。
引きつった笑顔で馬車に乗りこむ実父の妾だった女を見る顔は、虎のように笑み崩れていた。
「じゃ、じゃあー、あたし行きますけど……。あの、娘のこと……」
「ええ。きちんと面倒を見させていただきます。長い間、ガイガリオン伯爵家によく仕えてくださいました」
ぼろぼろになった生家の大門の前から旅立つ、紋章のついていない馬車。アレクシアの手配したフュルスト商会所属の貸し馬車である。御者は信頼のおける男だ。必ずエイナを送り届けてくれるだろう。いつだったか見た童話で、継母に殺されかけた少女は身代わりの猪の死体で死を誤魔化したが、少なくともそんなことにはならない。
(私は彼女らにとってただの悪役ですものねえ)
とアレクシアは思う。異母姉の周囲をうろうろしていたペルアは、馬車が見えなくなると弾かれたようにアレクシアへ向き直った。それにしてもどうしてこの子はいつだってこんな目なのか。斜め下から睨み上げるような目つきをして、顔はこんなにかわいいのに。
「ママは幸せになれるんだよね? あんた約束したもんね」
「それは当人次第でしょう」
「はあ? 嘘ついたってこと? お兄ちゃんを処刑してもまだ気が済まないの? やっぱあたしたちのこと妬んでるんだ。嫉妬して、あたしたちをばらばらにしようとしてるんだ!」
「ああ、そろそろあなたの迎えの馬車も来るわよ、ペルア」
「えっ」
少女の顔はぱあっと輝く。アレクシアの言うことは嘘ではなかった。郊外ののどかな道を、馬車と騎馬がたどってこちらへやってくるのが見える。ペルアの顔は途端にとろけ、とくにその馬と騎士をうっとりと見つめた。
「あれがあたしの旦那さん?」
「ええ」
「偉い人なのね?」
「前王子マリウス様の側近であった騎士よ」
「すっごぉおおい……。あたし、王子様とも喋れるようになるってわけ? え? でも、王子様って王様と一緒に辺境に行っちゃったんじゃなかったっけ?」
「さあ、来てくれたわね。――コンラート卿、こちらです」
「アレクシア様。ご健勝そうで何よりです。お父上はお元気ですか?」
馬から降りて近づいてくるコンラート卿は元王子マリウスの配下であり、彼が王族位を剥奪されたのに連座させられ、辺境への蟄居を申し付けられた騎士である。ストームヴェイル家への恨みを持っているかはわからないが、少なくとも二度と都アリネスに戻ってこられない身の上の男だった。アレクシアは軽く首を傾げる。
「おかげ様で健康に過ごしております。――こちらが異母妹ですの」
「やあやあ可愛らしいお嬢さんだ」
笑う男の目は笑っていない。体格や身長はみごとなものである。頬をピンクにして彼の顔を見上げたペルアの顔が曇った。確かに、コンラート卿はやや凡庸な顔立ちである。
「ねえ、あたしどこ行くの。どこに住むか聞いてないんだけど。なんか馬車も古いし、ねえ! ちょっとあんた――おねえさま!」
「私を姉と呼ぶな」
アレクシアはペルアに視線を戻さない。ぴしゃりと叩きつけられ、ペルアは固まった。口を開いて金切り声を張り上げようとする、刹那、コンラート卿の平手打ちが少女の頬を襲う。
「なるほど、躾がいのある娘で」
「きちんと躾ればいいおかあさんになりますわよ、きっと」
「ははは。母親の方は大工でしたっけ?」
「ええ。村の方ですわね」
失脚した家に召し抱えられていた騎士をはじめ使用人一同は、次の職場を見つけて同じ土地で生活を成り立たせるのが普通だ。大抵は、その家を負かした勝者側の貴族家に吸収されることが多い。
だがストームヴェイルは王家だった。負けてはならない側だった。貴族であれば辺境に追放された後も細々と畑を耕して生きることが許されたかもしれない。だがまがりなりにも王族であった彼らには監禁しか待っていない。食事は乾いたパンと水があればいい方、夏に開ける窓もなく、冬に火を焚く暖炉もない生活だ。
連座させられた大勢の元官僚、元騎士、そして元職人および元使用人たちは、タリオンとマリウスが封じられた塔周辺の土地を国家と議会により分配された。彼らは日の光を浴び、畑を耕して暮らしていくことが許される――法律の庇護は受けられないが。野の獣や魔物から守ってくれる勢力と言えば、ストームヴェイル家を監視する辺境騎士団程度だろう。それだって、元王家に連座させられた半罪人に親身になってくれる保証はない。
コンラート卿もその同僚も、エイナの夫となった大工を始め大勢の元使用人も、貧乏くじを引かされた。目が死んでしまったのはそのためである。だが、とコンラート卿は力強く言う。
「よかった。本当に、花嫁さえいてくれたら我らの血は続きます。我が家は魔力持ちの家系なのです。血を絶やすことは決して許されません」
「近頃は魔力が発現する貴族も少なくなりました。半分とはいえガイガリオンの血が入った子です。きっとご期待に添えましょう」
ペルアが『期待に添えなかった』場合、どうなるのかは二人とも口に出さない。飛んだ歯のかけらと血を出す口元を抑えて涙目になっていたペルアが、ふがふがと口を挟む。
「だ、騙したのえ、おねえしゃま!」
「お前は妹じゃないわ。何度言えばわかるの?」
「ははは。まあまあ。僕が向こうでちゃんと教えますよ。口を開かない方がいいってことをね」
コンラート卿は小さな馬車の扉を開いた。古くがたついた、饐えたにおいのするそこにペルアはしり込みする。彼は強引に少女の腕を掴むと、馬車へ押し込む。一人用の小さな客車はペルアが入ればいっぱいになった。御者が眠たげに目をこすり、元は荷役用だったのだろう年老いた馬が静かに佇む。
「それでは、よろしくお願いいたします。契約通り、借金は帳消しとなりましたから」
「ええ、とにかくそれがありがたくて。それでは、いただいていきます」
コンラート卿は賭博癖と借金があった。フュルスト商会は賭博場を経営していないが、伝手はある。アレクシアの力で肩の荷が下りたと笑う騎士は、もう三十の声も聞くのにまだ独身であった。――それだけ周囲から忌避される何かが、賭博以外にあるということだ。彼は辺境でも悪い方へ押し流されカードをやめられないだろう。馬車の扉がガタガタ音を立てたが、コンラート卿が馬にまたがる拍車の音をわざと大きく立てると、静かになった。
「カード仲間の大工さんによろしく」
「ええ。それでは、どうもありがとうございました、アレクシア様」
そうして騎士と馬車は立ち去った。連座刑に処された者のうち、彼は最後まで都アリネスに残っていた者たちのうち一人だろう。
先に辺境に行った大工、エイナの夫はコンラート卿の趣味仲間だ。そして酒癖の悪さで妻を殴り殺し投獄された前科がある。タリオンのとりなしで出てきてからも、王宮の職人区画に隔離され女と接触させてもらえなかったという。久しぶりの妻という存在、すぐ近所に住むことになるだろう義理の娘という存在が、慰めを与えてくれるだろう。
「身内贔屓も大概にしないと将来に禍根を残すわねえ」
アレクシアは微笑んで肩をすくめた。おべっかを使ってくる人間と、本当に優秀な人間の区別がつかなくなることが、彼女は恐ろしい。それはいつかやってくるかもしれない老いのせい、あるいはなんらかの理由で彼女が今の彼女ではなくなったときに必ず起こる。
「私も気を付けよう。絶対」
さて。午後には掃除を頼んだ近隣の村人たちと、不動産業者がやってくる。フュルスト商会の手を介さず生家を売りに出すことにしたのは、なんだか悪いものがついてきそうだったせいだ。
手を尽くして探させた、母ルクレツィアの輿入れからアレクシアが七歳まで生家にいた使用人たちは皆、居場所を把握している。またエイナが勝手に雇い入れた者のうち、明らかな窃盗犯や詐欺師も補足済みだ。彼らにはフュルスト商会に『保護』されてもらう手筈になっている。
母の苦しみを見て見ぬふりした――のは、身分が低いから仕方ないとしても、実父ガイガリオン伯爵に加担し積極的に嫁いびりをした使用人どもは生き地獄を見てもらう。エイナとペルアと同等の。ガイガリオン伯爵家を荒らした者たちもだ。
これにて悪い人間たちは皆いなくなった。
少しばかり綺麗になった生家を見て、母は喜んでくれるだろうか?
「まあ報せなくていいわよね、こんなこと。お母様には心安らかに過ごしていただきたいし」
結論付けて、アレクシアは屋敷の中へ戻った。ここを土地ごと売るとなると色々手続きが面倒だ。あー忙しい、忙しい。




