ガイガリオンの場合⑤
「それで、あなたの行く先だけれど。お母さんには再婚相手を、妹さんにも嫁ぎ先を考えているわ。あなたはフュルスト商会で雇ってあげましょう」
「誰が――」
「勘違いしないのよ、ザイオス。あなたたちはこの家の内情を知っている。ないことないこと触れ回られては困るから、そうした処遇にするというだけ。憐れみではないわ」
「てめえっ。まずは謝れよ! パパに謝れ!」
「父親はもういないのよ。わかっているでしょう? 王宮に拘束され、追放令が出て帰ってこないなんて。いずれにしろもう会えないのよ。生きていても死んでいてもね――さあ、どうするの?」
ザイオスは沈黙した。アレクシアは彼のことが憎いのではない。彼のような人間に自分の立ち位置を強奪されたのが気に食わないだけだ。もし彼が恵まれた立場を自覚して研鑽に励むような子供であれば、印象も変わったかもしれないが――。
いずれにせよ、彼女が彼を蹴落とすことは決定事項だった。
だってアレクシアは、母ルクレツィアから貴婦人としての人生を奪った奴らのことを決して許さないと誓ったから。
そもそもまともな知能と理性があれば、自分がどういう理屈で生まれてきたのか理解できるはずだ。本来、生まれてきてはいけなかったのだと。貴族の家を崩壊させる因子でしかないと。少なくとも、爵位を主張できないことくらいはわかったはず。理解できない頭しか持たないのは可哀そうだが、だからと言って許されるわけではない。
「負け犬のくせに……お、俺の名付けは父がやった!」
「それで?」
「ペルアもだっ、父と母とで話し合って決めたんだ。俺たちはふたりの愛の結晶だ!」
「それで?」
「お前なんか誕生日を祝われもしなかったくせに、嫉妬してんじゃねえ、雌犬! 俺たちの方がパパと過ごす時間が長いからって!」
「それで?」
アレクシアはたんたんと告げる。
「そうね、嫉妬。もうそれでいいわよ。言ってもわからないんだから。それで? どうするの?」
「う、ううう……おまっ、お前の慈悲で就職なんかしねえよ!」
「あら、いいの? 助かるわ。じゃあ自力でやっておいきなさい。もちろん、下手なことを喋らないよう喉を切って舌を抜くわ」
「めっ……雌犬! クズ女がァ!」
「それで?」
ザイオスは悲劇の主人公のように呻くと、大声で叫んだ。
「うわあああああああああ! ウワアアアアアアアァァァ!!」
どたばたと大きな足音が階段下から聞こえてくる。アレクシアはため息をつく。
「あたしのザイオスちゃあああああああん!」
「ママああああああああ! 置いてかないでしょ、ママァァァア!!」
賑やかなことである。
エイナはザイオスが男に抑えられているのを見るや、金切り声で叫び始めた。
「キャー! キャーアアア、キャーイイイィィヤァァァアアアッ! 誰かああああああ! 跡取りが襲われてるのおおおお、イヤァアン誰かああああああああン!!」
絶叫しながらデーケスに飛び掛かる。港で働く男は拳を受けて迷惑そうである。エイナは豪奢な金髪を振り乱し、喉だけで叫び続けながら男をぽかぽか殴った。ペルアといえば、呆然としている。母親のそんな姿を見るのは初めてなのだろう。
「イイヤァァァアアアアアッ! イイイィィヤァァアアッ! イイイィィヤァァァアッ!」
こういう叫び声を出す武術があった気がする。階段下から追いかけてきた若い男たちがエイナを取り押さえた。実害が出ているので、容赦なく汚い床に突き飛ばし、一人が上に乗り動きを封じ、残り二人がかりで手足を抑える。
「あっ、ねーえ? ママっ。ママにひどいよう。やめてよーお? んねっ?」
ペルアは身体をくねくねと揺らし始めた。スカートを撫でつけ、髪の毛をいじりながら若い男たちに向かって唇を尖らせる。
「ねえねえっ。アレクシアに脅されてるのっ? かわいそ。あたし、あなたのこと助けてあげたいなっ」
「ペルア、あなたの嫁ぎ先は騎士様よ」
「ええっ?」
少女は弾かれたように顔を上げ、喜色満面の笑みを浮かべた。
「どっ、どんなあ? どんな人ぉ?」
「直接王族にお仕えする、それは立派な人よ。あなたより四つ年上で、腕も立つわ」
「やんっ、そんなあ……ゆ、ゆ、夢みたあああい……!」
言うなり、アレクシアに抱き着いてこようとした。アレクシアはさっと身をかわした。ペルアはにやにやと両手を上げたまま、兄とアレクシアと交互に眺める。
「さて、ザイオスはこちらへ。母親と妹のことは安心なさい。よいようにしてあげるから」
「……マ、母さんの嫁ぎ先は、どんな?」
「有能な大工よ」
「ふうん……」
彼はふてくされた様子で荒れ果てた屋敷を眺める。未練、だろうか。
務めて抑えた怒りが膨れ上がりそうになり、アレクシアは虎のように笑う。こんなことで終わったとでも思っているの? 家をとられ、父が消え、爵位を手に入れられず、屈辱を味わい――こんなことで終わったとでも?
貴族の誇りを傷つけた代償がこんなものですむと、本当にそう考えているの?
あまりに馬鹿馬鹿しすぎる。あまりにあっけなさすぎる。反動で、逆に疲れてしまう。
「チッ。俺はお前なんか認めねえ。俺はな、アレクシア……」
「アレクシア様」
「な、なんっ――」
「私は貴族よ」
ザイオスは顔を真っ赤にしてわななくのだった。忙しい奴だ。
アレクシアは階下に降りた。玄関ホールはひそひそ話に満ちている。そこにいたのは使用人のお仕着せを着たり着なかったりする、平民の群れだった。使用人としての躾をされているとは到底思えない立ち居振る舞い。主が前にきたというのに私語をやめない様子。何もかもに頭痛がする。
じいやが聞きだしたことを伝えてくれる。彼らは妾エイナが平民の伝手をたどってかき集めたのだという。田舎の小さな村から出稼ぎに、あるいは家出娘、あるいは行き場のない六男だの元浮浪者だの。――なるほど、臭いの大本に見当がついた。リュイスでもあまりに田舎の方では、入浴の習慣がない。
ちんたらやってきたエイナとペルアが玄関ホールの壁際に立ち、つま先で汚れた絨毯の穴を広げる。
「あたしたち、この家離れるのいやよう――」
などと、まだ言っている。
彼らもまたガイガリオン伯爵の犠牲者なのだ、とアレクシアは考えようとしたが、無理だった。馬鹿なら貴婦人を家から追い出していいのか? 愚かなら権利もないのに貴族の子女を自称していいのか? そんなことはない。それが答えである。
ふと――タリオン元王が絶望したのは、こうした人間たちに対してかもしれない、と思った。
ガイガリオン伯爵を筆頭に、それでも彼らの愚かさを許容し、受け止めねばならない。彼は王であるから。だとしたら、辛かったろうと素直に思う。
(でも、許容したからと言って依怙贔屓するのは違う)
アレクシアは女王になりたい。王ならば民を愛すべきだ。
だからといって、王が何もかも許し甘やかす対象などというものを作っていいはずはない。寵愛にも限度というものがあり、ましてや半分の血のつながりなどという細い糸のために特別扱いはしない。
そんなことを考えながら、アレクシアは彼らの行く先を指示した。男たちの大半が港の日雇い人夫の組合に、女たちの大半はフュルスト商会の各事務所の下働きに割り当てられることになった。
アレクシアは哀れな使用人たちに対して注意を払い、半分、ザイオスのことを視界からも思考からも締め出していた。彼らは使用人としての訓練さえ受けていないまま、ガイガリオン伯爵家の屋敷で自由気ままに暮らしていたのである。ものを盗み、売り払った者もいただろう。これから次の環境でやっていけるだろうか。どうやって正してやればよいか――そのことを考えていた。
フュルスト商会の面々は、使用人たちを何人かずつ外へ誘導していた。じいやはその指揮に一瞬、気を取られ、デーケスは若い男に呼ばれ、イネスタは突然笑い転げ始めた汚い小娘の世話を焼こうとしていた。
皆が勘違いしていたのは、すでに商談は終わったと思ったということだった。商人には目に見えない厳格なルールがある。戦うなら商売で。嘘もおべっかもあえて本当のことを言わないやり口も咎められず、むしろ称賛される。それでも商売敵を闇討ちしたり、家族を狙うなどの行為は言語道断だった。
父親が死んでも家族は路頭に迷うことがないよう保護されるべきだし、商人の孤児は読み書き計算の能力を期待され率先して養子にもらわれた。それはむしろ騎士道にも似た、彼らの誇りの根幹をなすルールだ。
だがどんなルールにもそれを理解できない人間は存在し、往々にしてルールを破ることこそが賢いのだと思い込む。それを誰もが失念していた――
「ウアアアアアアアアアア!!」
ザイオスは絶叫した。アレクシアは耳がキンと痛み、一瞬、動きが止まる。彼は異母姉に向かって突進した。エイナとペルアが嬌声を上げ、ザイオスを応援する。駆け寄ってくる足音。異母弟はアレクシアの斜めにかけた鞄を掴むと、力任せにぶん取ろうとする。
アレクシアはあえて力を抜き、彼が肩にかかる革紐を引っ張るに任せた。少し首にガクンと衝撃が入ったが、それだけ。最高の職人が鞣した革を、最高の裁縫師が縫った鞄だ。少年の腕力に負けることはない。ザイオスはそのことにますます激昂する。母親と妹がキイキイと応援し、使用人たちもどんよりした目を輝かせる。素晴らしい見世物だ、あの気取った女はこれからどうなるのだ?
だが彼らが期待するようなことにはならなかった。
「これっ、これこれ! ここに、俺の書類だ! 返せええええええええ――ギャン!!」
日焼けした屈強な男たちの腕がザイオスを掴み、アレクシアから引き剥がした。積荷監督者リヤトフの大声が響き、寄ってたかって殴る蹴るの暴行が始まる。港では癇癪を爆発させた男はこういう目に遭う、常識だ。また、リュイスでは貴族の身体に傷をつけた平民は例外なく死刑である。
「あっ、ひどおい……んああ、あたしの息子……ちょっと! あんたひどいことするね。悪いと思わないの? あたしの息子よ、あんたの弟よお?」
駆け寄ってきたイネスタに傷の有無を確かめられていたアレクシアは、エイナに無表情なまなざしを向けた。髪型が崩れた土色の髪を撫でつけ、この愚かな妾にもわかるようゆっくりと言う。
「それ以上喋るなら、侮辱罪で訴えるわよ。いい?」
エイナはたちまち大人しくなった。母親と男たちの下で呻く兄の間を行ったり来たりするペルアが、顔をしわくちゃにしてアレクシアを睨む。
「お嬢様、首を動かしてはなりません。もし骨か神経が痛んでいたら」
「ありがとうイネスタ。たぶん大丈夫よ。――じいや、使用人たちをよろしく」
アレクシアは家の外へ向けて歩き出した。男たちとザイオスから響く打撃音に動揺もしない。彼らは慣れている、殺すまではしないだろう。
アレクシアにとって異母弟はそこそこ価値がある手駒だ。そのことがわからないようでは今日この場に呼ばれていない。
玄関先の荒れた庭にはフュルスト商会の馬車が並ぶ。――と、周囲と屋敷を隔てる柵に、何人か近隣の村人らしき人々が張り付いている。いずれも貧しい身なりながら時間だけはあると見えて、興味津々の目つきをらんらんと輝かせていた。
アレクシアは足元の縁石のかけらを拾うと、肩をすくめて馬車に乗り込んだ。斜め向かいにイネスタ、御者席には御者と一緒にデーケスが座る。栗毛の馬がぶるると鼻を鳴らす。
「――お嬢様っ」
馬車の扉が閉まった途端、アレクシアは手鏡を取り出し、石のかけらで頬を薄く切った。赤い血が滴り、ドレスの襟元とリボンを汚す。
「こうすれば私が傷つけられたということが誰にでもよくわかるわ。でしょう?」
「何もお顔になさらなくても……」
イネスタは眼鏡を中指で上げて嘆くが、アレクシアはどこ吹く風でひょうひょうとしている。馬車は中心部へ向けて走った。ホテルに戻り、次の一手に向かって進まねばならない。
アレクシアはうん、と伸びをした。血はすでに止まっていた。皮膚一枚の傷だった。
「それにしてもこんなにも早くやらかすとは思わなかった」
「はい。数か月かかるかと思っておりました」
「証人も目撃者もたくさんいたし、これで優位にことが運ぶことでしょう」
ザイオスをフュルスト商会に囲い込むことができれば、あとは何もかもが容易いはずだった。彼の罪を捏造するでも、逃亡を唆すでも借金を背負わせるでもなんでも。もちろんエイナもペルアも逃がしはしない。方法はいくらでもある。時間はかかっても、アレクシアは彼らを人間社会から排除する。
まあ、いい。大事なのは、今日のアレクシアの行動すべてが合法であったということだ。法律に基づきガイガリオン伯爵家の新当主となり、屋敷を手に入れた。その立場の義務に基づき前当主の家族を保護したのに、裏切りのように襲われたのだという『事実』が手に入った。
当座の収穫は、それでいい。




