④-2
「本当にありがとうねえ、本当に良かったよ」
「それはなによりです。どうかお気をつけて」
俺は恭しくお辞儀をして、別世界に進む背中が曲がった小柄なお婆さんを見送った。
京都に来て3日目。本当に忙しい。次から次へと死んだ人間たち(もはや魂となっていて実態はないが)がやってくる。
「次の方どうぞー、
あなたはどこに行きたいですか。
今日から3日間なら好きな世界に行けます。
行きたくないという方は右側に進んでください。
そのまま生まれ変わりの道に進めます」
次にやってきたのは、20代くらいの女だった。・・・・病死か。こういう死に方をした人の大抵は未練を残している。結婚したかった、夢を叶えたかった、子供が欲しかった、と。若くして亡くなったからこその想いがある。
「何かやり残したことがありますか。
多くの人は現世ではできなかった経験をしたいと言い、空の上で生活する世界やアイドルみたいな服が普段着の世界とか、あとは、現世よりも機械が発達した世界とかに行かれることが多いですね。
あなたはどうですか」
彼女は無だった。実際は、実態のない魂だから表情はない。ただ、ボワッとした丸い球が浮いているだけだ。だが、人間の表情を当てはめるなら彼女はどこまでも無だった。
やれやれ、死んだことを受け入れられていないのか。まあそういうやつは多い。自分が死んだことすら気づいていないやつがいることもある。人間は大抵そういう生き物だ。他の動物は死をちゃんと意識しているものが多いが、人間は他の動物に比べて脳が発達しているのにも関わらず、死を遥か遠くにあるものとして、全く意識もせずに生きている。生きることは死ぬことだということに蓋をして生きているから、いざ死んだ時に受け入れられない。ほんとうに困った生き物だよ、人間ってのは。
「・・・・あなたは自分が死んだことを理解していますか」
「理解しています。ただ、・・・・びっくりしてしまって」
「わたしは本当に死ねたんですか」
「ええ、死んでおります。
25日04:17分に亡くなられました」
「そもそもわたしが見えているという時点で、残念ながら死は確定しております」
「そうですか。
ところで、あなたは天使なのですか」
「あなた様の世界で言うとそうなりますね。
まあ実態はこうして亡くなった方の魂を案内するというのが仕事で、生命そのものを奪うことはできませんが」
「そうなんですね。
・・・・良かった、私は死ねたんですね」
おっと、これは闇が深いパターンか?記録では病死となっているが自ら死んだのだろうか。それにしては未練が少ない色に見えるが。
俺たちの仕事は、案内ともう1つ受け入れ審査と前にも言ったと思うが、案内は字のまま、魂を別世界に案内すること。一方で受け入れ審査とは、未練がありそうな魂を選別することだ。その命を終えた時に確実に未練がある色をしている魂は、すぐに浄化人が派遣される。未練がないままで生まれ変われるようにするためだ。未練があるまま生まれ変わるとどうなるのかは俺たちにも知らされていないが、良くない方向に進むのだろうとは予想している。
しかし、すべての魂が未練をもつ色をしているわけではない。おおよそグレー〜紫色が未練の色だが、俺たち案内人のところに来るまで死んだことに気づいていない魂も存在しており、ここにきて未練に気づくものも少なくはない。俺たちはそういう未練がある魂を見分けることも仕事の1つであるのだ。軽い未練であれば、別の世界に行くことで昇華されることもあるし、俺たちと話しているうちに昇華されることもある。そういった魂はそのまま別世界や生まれ変わりの道に案内する。一方で、俺たちと話してても昇華できない魂や世界に入っても昇華されないであろう魂たちは浄化人の元に送る。さて、彼女はどっちなのか。
ごほん。
「少し込み入ったことを伺いますが、
・・・・あなたは死にたかったのですか」
少し彼女の魂が揺れた。
「・・・ええ、そうですね。わたしは死にたかった。こんな人生なんてどうでも良いとずっと思っていました」
「それはなぜですか」
少し逡巡してから彼女は話し出した。
「・・・わたしは子どもの頃いじめに遭っていました。いじめなんて最近はよくあることで、そんなことでって思われるかもしれないんですけど。わたしにとっては今でも消えない傷です。あの時言われた言葉が、あの時身についた人への恐怖が、自分なんてくそな人間なんだという思いが今も残っています。
だから、ずっと死にたかった。毎日毎日人に怯えて、自分を押し殺して、自分を責めて生きていくくらいなら死んでも良いと、死んでこの臓器を生きていたいと思う人に提供して有効に使ってくれたらと思っていました」
いじめか。よくあることだ。最近は増えた。生きたくないから死にたかったという若い世代は特に多い。自分と違うものを受け入れられない人間の弱さが生んだ必要のない死。こういう死に方は俺は1番、・・・・嫌いだ。人間は、いや生物は寿命を正しく全うして死ぬべきだ。戦争や自殺なんてものは悪でしかない。
・・・・おっと話がずれたね。すまない。だが、それにしては未練が少ないが。
「あなたは今、死んで後悔していますか」
「・・・いいえ。確かに病気になったことは悲しかったし、治療は辛かった。でも、わたしは1人で好きなことを沢山したし、幸いなことに大人になってからは周りに恵まれていたので」
「1人は案外良いものですよ。気を使わなくていいから楽ですし」
「ふ、そうだな。俺もそれには同感だ。
1人は気楽だ。自分の好きなように行動できる。誰にも怒られないし迷惑もかけない」
「・・・・だが、あんたは真にそう思っているわけではないだろう。あんたはそう思うことで自分を守っているんだ。傷つかないように。苦しくないように。
そう、あんたは、"愛して欲しかった"んだ。」
その瞬間、彼女の魂が激しく揺れた。
最初から分かっていた。普通魂は波打ってなどいない。ボワッとはしているが、それは暖かな灯りのように輪郭がぼやけているだけだ。だが、彼女の魂は初めから揺れていた。だから怪しいと思っていた。揺れていたのは悲しかったからだ。いじめによって傷つけられ、人を信じられなくなり、苦しくないように1人の道を進んできた彼女は、ずっと寂しかった。愛して欲しかったんだ。確かに、未練はなかったのだろう。1人で好きなことをして楽しんだだろうから。だが、1人では寂しさは埋められなかった。それが淡い未練の色として残っていたというわけだ。
「・・・・ そう、わたしは寂しかった。誰かに愛して欲しかった。ずっと周りを窺って、自分なんて居なくても良いじゃんってずっと思ってた。だから1人を選んでた」
彼女が本音を話した瞬間、彼女の魂が光り揺れがおさまった。
「それでは決まりですね。あなた様を"愛"の世界へお送りします」
「はい」
心なしか彼女の魂が微笑んだ気がした。
その後すぐに魂が生前の姿に形を変え、彼女は自分の足で別の世界に進んで行った。
はあ、やれやれ。ほんとうに人間は世話が焼ける。死んでもなお本音を隠す必要などないのに、すぐに隠したがる。
ふう、まだまだ今日は始まったばかりだ。さて、働くかー。
「次の方どうぞー」