表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

初めての食卓

「キミをこの世界に呼んだのは、ボクだ」


 渋谷の人混みと喧騒の中、純白の獣がこちらに語りかけてくる。


「あの子は悪い人ではないよ。キミを助けてくれるだろう」


 交差点のど真ん中。行き交う人々が異形の生物に気づく様子はない。


「理由? 面白そうだから。それだけだよ」


 スポットライトが当たっているみたいに、そこだけがはっきりと見える。マイクを通しているかのように、その声だけ聞き取れる。


「選択はキミ次第。まあ、うまくやりなよ〜」


◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「おはようございます。ノア様。お目覚めでいらっしゃいますか?」

「んむ……」


 ドアの向こうから陽斗、いや、ラインハルトに声をかけられた。とたんに心拍数が急上昇する。恋愛のソレではなく、慣れない状況への警戒心からだ。


「う……ん。起きてるよ。どうしたの?」

「いえ、うなされている様でしたので……。心配で。悪い夢でも見られましたか?」


 夢……そうだ。昨日の夜、あの後の夢を見ていた。なぜか背景が草原でなく、渋谷の街並みに変わっていたけれど。

 心配性なところは変わってないんだな……と考えて、やめる。彼は陽斗ではない。別人なのだ。脈打つ胸を落ち着かせるためにそっと撫でた。


「ううん。大丈夫。ありがとう」

「いえ、勤めですから。──朝食の用意ができておりますので、よろしければ」


 足音が遠ざかっていく。



 ゆうべ突然現れて、ナツメグはすぐにいなくなってしまった。意味深な言葉を残して。だからあんな夢を見てしまったのだろう。

 あれからラインハルトが来て「夜風はまだ冷たい季節です。寝室の準備ができましたので、今日はこちらでお休みください」と、結局泊まることになってしまった(もちろん部屋は別で)。なかなか寝つけない……と思ったけれど、疲れからかすぐ睡魔に襲われた。


「うむむ」


 どうしよう。どう接していいのかわからない。これからよろしくお願いしますとでも言えばいいのだろうか。


 最低限の身支度をして居間の扉を開けた。途端、小麦の香りが鼻腔をくすぐった。思わず胃の上らへんを手で押さえてしまう。食欲をそそられる匂いだ。

 木のテーブルにはクロスがかけられ、食器が並べられている。カトラリーはまさかのゴールド。メニューはバター付きのパン、黄金色のスープ、煮込んだ豆等々。カフェのモーニングでしか見たことないスタンドに乗ったゆで卵まである。これを全部ひとりで作ったのだろうか。

 ラインハルトは椅子を引き、にこやかな笑みをこちらに向けていた。促されるまま椅子に腰掛ける。

「すごいねこれ、全部ラインハルトが作ったの?」

「はい。苦手なものがあれば仰ってください」

「ううん。えっと、いただきます」


「? それはなにかの呪文でしょうか」


 冗談かと思ったが彼は真剣な表情だった。


「ご飯たべる時の挨拶だよ。食材とか、作ってくれた人への感謝を表す言葉」

「なるほど……。ですがノア様。糧となった命はともかく、わたくしへの感謝など必要ありません。従者として当たり前のことをしたまでですから」

「やだ。そんな人になりたくない。わたしが感謝したいからするの」

「それは……失礼しました」


 やばい。接し方がわからなくて、なんか変なこと言っちゃった。

 そこはかとなく気まずい。しかもラインハルトはホテルマンのように姿勢よく立っていて、席に着く様子はない。食べるのはわたしだけということだろうか? なんだかそれも落ち着かない。

 ナツメグの姿が脳裏に浮かぶ。本当に神様ならこんな時、助け舟のひとつでも出してくれればいいのに。

 沈黙を破ったのはラインハルトだった。


「お召し物の丈、合っていたようで何よりです」  

「あ、そういえば」


 わたしは立ち上がってくるりと一回転してみせた。ひらりとスカートが舞う。ネグリジェ? と呼ぶんだったか。ワンピースタイプの寝巻はわたしの体にぴったりだった。新雪を思わせる純白の生地はとても着心地がいい。異世界にこんな上質な生地があるとは思わなかった。建物などの様式から文明レベルは低そうに思えるが、何もかもがそうではないらしい。ジェラポケもびっくりの高級感。

 こんなおしゃれなパジャマは着たことがないので、ちょっぴり気恥ずかしいけれど。


「ほんとにぴったり。よく合うやつ用意してあったね」

「もちろんでございます。どのような方が召喚されても良いように、あらゆるサイズ、デザイン、形状の洋服も仕立ててあります」

「うそでしょ!?」


 にこやかな笑みが逆に怖い。


「なんにせよ、よくお似合いですよ。ノア様」

「……ふふっ、変なの。でもありがとう」


 なんだか緊張がほぐれてきた。

 そう思ったのも束の間、


「おや、お(ぐし)に埃が……」


 と、ラインハルトの顔が急に近づいてきた。ふわりとした感触が頭を撫でる。石鹸のような香り。ワイシャツの襟元から覗く、真っ白い首筋や喉仏。


「うん。大丈夫、ありがとう。さ、冷めないうちに食べなきゃね!」


 自分でもわかるくらい挙動不審だが、こうでもしないと何かが変になりそうだった。顔が熱い。


「では食べさせて差し上げますね。はい、あーん──」

「いや自分でやるからスプーン返して⁉︎」


 なんやかんやありつつスープを口に含むと、その味の豊かさに驚かされた。前時代の料理は現代よりも薄くて味気ないと聞いたことがあるが、全然そんなことはない。異世界なので完全に同じかは不明だが、玉ねぎ(っぽいもの)や人参っぽいものが具として入っているようだった。


「おいしい。すごいね、前は──」

 

 料理なんてできなかったのに、という言葉を慌てて呑み込む。

「前、というのは?」

「な、なんでもない! おいしいよ。それより、あなたは食べないの?」

「ええ。三日ほどは飲まず食わずでも問題ありません」

「いやそういう問題じゃなくて」


 テーブルの端に目をやると、まだ食器は余っているようだった。


「一緒に食べようよ。朝からこんなに入らないし」

「……そうですか」

「ごめん、嫌だったかな」

「いえ、嫌というわけでは。ただ……」

「ただ?」


 ラインハルトは言い淀む様子で、どこか気恥ずかしそうだった。


「その、今まで他人と食卓を共にしたことがないのです」

「えっ」

「どのようにすれば良いか分からなくて」

「今までって、一回も?」

「はい」


 彼の過去を知りたくなった。どんな境遇で生きてきたんだろう。従者となるために育てられてきたと言っていたが、それはわたしの想像より遥かに過酷なものだったのかもしれない。


「普通にしてればいいんだよ。いつもご飯食べてる時の感じで」

「しかし、それでは主人に対して無礼なのでは……」


 冗談めかして、胸を張ってみせる。


「主人として、わたしと一緒にご飯たべることを命じますっ」

「な……。まったく、ノア様は意地悪なお方ですね」


 弱っている様子のラインハルトは可愛らしくて、素を見せてくれているようで嬉しかった。眉尻を下げて困った表情だが、その笑顔が満更でもなさそうだったのは、きっと勘違いじゃないはずだ。

 

 そうして二人で囲んだ食卓に、気まずい沈黙が訪れることはなかった。

 

 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ