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ランフォ衝撃小劇場

ランフォ衝撃小劇場VOL.4 バナナ

作者: 蘭芳琳楠



「午後の関東地方はおおむね晴れ。最高気温25度で平年並み。やや汗ばむ程度の日差しです。お出かけの際は日傘のご用意がよいでしょう」

 昼休みの庁舎内は、昼食のため職員の姿はまばらだった。

「続いてバナナ予報です。関東一円の降下量は平年並み。昨日にくらべても差異はないもようです」

 モニターの予報士が礼をすると、画面は高い建物からの街の様子に切り替わった。

「課長」

 (ほそ)(くち)義信(よしのぶ)が振り向くと、部下の熊井(くまい)晴樹(はるき)がコンビニのアイスコーヒーをふたつ掲げていた。

 わざわざ市庁舎前のコンビニに行かずとも、庁舎内の自動販売機でも買えるのに。

「やっぱり、このフレーバーには敵いませんよ」

「あ、ありがとう」

 細口が恐縮してカップを受け取ると、熊井は紙製ストーローもくれた。

 自分の分を少し口にすると何やら感慨深げに、節約のため一部消灯している天井を見上げる。

「こうして課長とコーヒーを共にするのも、今日で最後かと思うと、なんだかさみしくなりますねえ」

 環境整備局環境保全課のプレートに目をやる。異動して丸十年。明日、定年退職を迎える細口にも、さまざまな想いがこみあげてくる。

「あ、そうだ、課長」

 熊井が歩み寄る。

「あの歴史的な事件の日からも、ちょうど十年なんですよね、今日って」

「そうだな」

「いやあ、思い出すなあ。ボクもちょうど配属されたばかりで、まさかあんなことが起きるなんて夢にも思ってませんもの」

「そりゃあ、君だけじゃないさ」


 細口の想いは十年前のあの日のちょうど今頃の時刻に遡った。


「え? なんだって?」

 別の机で電話が鳴った。顔をしかめる職員を横目に箸を進める細口。

 57歳で独身。大学を出て以来、自分の弁当は自分で作る。そうしてきた細口は、今日も同じように自前の弁当を口にしていた。

井坂市環境整備局環境保全課の課長に就任して半年。東京郊外の井坂市は人口減少の続く昨今の我が国ではめずらしく、ベッドタウンとして人口増加が続き、それにともなうゴミ問題が深刻化していた。

また環境に関する苦情の電話かと、職員の応対に耳を傾ける。

「え? 何ですか? バナナ? はい。バナナが散乱ですね」

 不法投棄か。よりによって生モノを投棄するとは不届き者め。細口は清掃業者の手配について指示をするつもりでいた。

「はい。丸見町1丁目公園ですね。そこにバナナが散乱していると」

 電話を受けた者は内容が細口にも伝わるよう声に出してオウム返しをしているが、バナナの回収なら、腐敗しだす前に対応すれば大した労力にはなるまいと結論づけて、席を立つ。

「井上くん、それなら業者手配で」

「え? 降ってくる? 何がですか?」

 電話応対の井上という名の職員は受話器を握ったまま、細口に視線を向けた。

「バナナですか。バナナが空から降ってくるんですか」



「そ、それってファフロツキーズですよ」

 新人の熊井が声をあげた。

「なんだ、それ」

「ほら、竜巻とか暴風のせいで魚やなんかが空から降ってくるヤツですよ」

「バナナが近隣に()っててるとでもいうのか」

「うーん、そりゃたしかにそうですねえ」

別の電話が鳴った。

「はい、環境整備局環境保全課です。え? なんですか、バナナ?」

 また別の電話。

「はい、環境整備局環境保全……、ば、バナナですか」

 女性職員が悲鳴に似た声を上げた。

「課長、バナナが空から降ってくるそうです!」

 何が起こっているのかわからず細口も混乱したが、自分のデスクの内線にも呼び出しがあった。

「はい、保全課、細口です」

「交換です。外線からバナナに関する苦情が次々に寄せられています」

細口も顔をしかめた。

「どういった内容ですか」

「それがその。空からバナナが降ってくるって」

 細口は振り向いて窓の外を見た。青い空はいつものように晴れ渡り、わが町井坂の上に広がっている。

そして。

そして、何やら小さな黒いものがいくつもいくつもゆっくりと降下していくのを見止めた。

「あ、あれは」

「バナナだ」

 同じように窓の外を見ていた熊井が言った。

「降ってくるって、落ちてくるんじゃなくて、なんかゆっくりしてますね」

 バナナは房で()っているものだから、スーパーで売られているような房での姿を思い描いていたが、空から降ってくるバナナは一本ずつだった。

「熊井くん」

 細口は彼を従えると市庁舎の一階から玄関に出た。

 すでに昼食から戻ろうとしていた職員や、午後の用事のために市役所を訪れていた市民が物珍しそうにバナナの降下風景を見物していた。

「な、なんなんだ」

 思わず絶句したのは、このバナナを回収、後始末する責を負っているからではなく、ただただ奇妙な現象に遭遇したからだった。

「一本のバナナとはいえ、空から降ってくるなら、もう少し落下速度があって、地面にたたきつけられてブチャっとぶれちゃいますよねえ」

 熊井が一本を拾い上げていた。

 その黄色い皮をむいて食べようとする。

「よせ!」

「え? どうしてですか?」

「得体の知れないものを口にするな」

 まさかとは思うが、某国の謀略かもしれないし、どこかの新興宗教の科学実験のしくじりなのかもしれない。

 とにかく、市民に向かって、拾わないよう注意してまわった。

 そこへ細口の胸ポケットから着信音が鳴り響く。

「はい、細口です」

「課長、円見1丁目公園付近でバナナがあふれるほど積みあがっているそうです」


 

市役所周辺にもバナナが相当量降ってきていたが、市内にも至るところにバナナが散乱し始めていた。熊井の運転するクルマで現地に向かうが、車道にもバナナが落ちており、すでにトラックなどに踏みつぶされて、スリップの原因になりそうだった。

「熊井くん、慎重に運転してくれたまえ」

「はい、課長」

関東での降雪時のようにスローペースで運転するクルマが多く、市内には普段見られないような渋滞が発生しはじめていた。

目的の公園にようやく到着してみると、バナナが散乱しているのが見えた。そしてその量に圧倒された。

 きれいに整備された噴水のある公園だが、すでにバナナで埋め尽くされていた。

 まるで何台ものダンプトラックが荷物を投げ捨てていったかのような光景に、細口も熊井もしばし言葉を失った。

 すでに到着していた警察官も呆然としていたが、細口は環境保全課らしくこの処理について冷静に考えた。

「ざっと、10トンはありますよ、きっと」

 熊井が言うが、空にはまだ黒いシミのような落下物がいくつも見える。

「回収には廃棄物業者を呼ぶしかないな」

 目算のため、公園の周囲を回ろうとした細口の目に、小さな女の子が映った。

 幼稚園の黄色い帽子をかぶったその子は一心不乱にバナナを貪っていた。

「あ、あのね、キミ」

 まだ降りやまないバナナをよけながら、細口が駆け寄った。

「これね、汚いかもしれないから、食べちゃダメだよ」

 腰を折って、少女に話しかけたが、少女はそれでもバナナを食べ続けた。

「おじさんも食べる?」

 少女があどけない顔で言った。

「食べちゃダメなんだ」

 そう言うと少女がようやく手を止めた。

「ミヅキね、お腹が減ってたの」

 よく見ると少女の服装は薄汚れており、帽子の脇からこぼれる髪は油ぎっている。

 細口は市役所の研修で見た、育児(ネグレ)放棄(クト)対応マニュアルのビデオに出てくる事例を思い出した。

「おい、熊井くん」

 到着した消防署の連中と何やら話していた熊井を呼び寄せる。

 熊井に目だけで合図したが、新人にもかかわらず、熊井は細口の意向をくみ取ったようだった。

「おじょうちゃん、お名前は?」

「ミヅキ。サクライミヅキ、ゴちゃい」

 右手の指を全部広げて年齢を告げる様子はどこにでもいる普通の幼稚園児のように見えた。

 しかし汚れた服装と、手入れされていない顔からは、熊井も何かを感じ取ったようだった。

「ここね、バナナがいっぱい降ってくるから危ないよ。あっちいこうか」

 細口よりも幼児の扱いに慣れているのか、熊井は巧みに少女を公園から連れ出した。

「他に公園内にヒトがいないか確認してもらいます」

 そう言い残して、熊井は消防隊のほうへ走っていった。

 残された細口がふと視線を熊井の後ろ姿からミズキと名乗った少女に降ろすと、少女は右手を差し出してきた。

 思わずその小さな手を取る。しっとりと冷たい手だった。

「おじちゃん」

 そう言うと少女は左手を掲げた。そこにはあの無数にあるバナナの一本が握られていた。

「これ、あげる」



「これまでの調べのよると、最初に報告があったのは、井坂市丸見町1丁目の丸見町1丁目公園で、この地区だけで降下量は推定30トンに及びます。東京都の推計ではすでに1万トン以上のバナナが降下しており、バナナの降下エリアは井坂市を中心に同心円状に広がり始めており、明日の午後には列島全体に及ぶ見込みです」

 環境保全課のモニターがテレビのニュースを流しているが、観ているものはひとりもいなかった。

「とりあえず、焼却場の手配をですね!」

「そっちもいっぱいですか。待機している廃棄物業者の塵芥車(パッカー)があふれているんですよ、こっちも」

「大手の運送業者に運んでもらえないか?」

「災害時協定があるだろ!」

「もう、やってます!」

 怒号飛び交う中、細口は業者の手配だけではどうにもならないと確信し、市長へ直談判にでようと決意していた。

 しかし意を決して席を立った細口が見たのは、血相を変えて飛び込んできた市長その人だった。

「細口くん、ダメだ。通常収集のゴミすら処分が追い付かなくなってる」

「都知事に進言して至急に東京湾への埋め立て許可をお願いします」

「臨時のオンライン市長会でその話も出たが、条例を制定してからでないと無理だ」

「これから気温の高い季節になるんです。あれほどの有機物を放置すれば、腐敗によってどれほどの衛生環境悪化につながるか、想像もできません」

 細口は長い役人生活の中で、はじめて上席に反論した。

 都知事は翌日、緊急措置として東京湾への海洋投棄、ならぬ新埋め立て事業への利用を決定した。



「すでに世界各国に広がった想像を絶するバナナ降下問題ですが、今日はスタジオに専門家をお呼びしております。関東科学技術大学教授の正木市蔵名誉教授です」

「正木です」

「先生、すでに世界全体でバナナの降下量は10億トンに達しています。食糧事情の悪かった地域では思わぬ恵みとなった感はありますが、先進国ではゴミとして処理する以外になく、膨大な予算が必要となって危機的状況を訴える自治体も出ています」

「まず、バナナがなぜ降ってくるようになったかを考えなくてはならんね」

「おっしゃるとおりです。バナナはこれまでの調査で146.1グラムですべて均一であることがわかっています。また見た目にも差異がないことから、すべてのバナナがクローンではないかと推察されています。こんなものを大量に生産し、しかも高高度から落下させ、しかも地上すれすれで減速させて、破損することなく着地させることなど、とうてい我々の常識を超えています」

「これは神の御業じゃよ」

「神……様ですか」

「そうじゃ。神以外にこんな芸当ができる者などおるはずがなかろう」

「異星人の侵略行為ではないかという説もありますが」

「そうじゃよ。異星人、つまり神じゃよ」


 リビングでつまらないテレビを観ながら、細口はひとり食事を摂っていた。バナナが降下しはじめてから1か月。

 貧困にあえいでいた地域では歓喜をもってむかえられたバナナだったが、ヒトはバナナだけでは生きられない。飢餓から解放された人たちはすぐに別の物を要求するようになり、各地でデモや暴動が相次いだ。

 とっくの昔にバナナプランテーションは壊滅し、バナナの市場価値はゼロになった。

我が国では雇用創出とバナナ対策事業という新ビジネスが活況を呈し、世界経済はうまく回るかのように見えた。

 しかし。

 このままでは人類、いや、地球上の生きとし生けるものの全てがバナナに埋め尽くされるだろう。

 これはウワサされるような異星人の侵略なのかもしれない。はたまた、神の人類への戒めか。

 しかし細口はそこで思い至る。

 すくなくともあの幼女、桜井美月ちゃんを救うことにはなった。

 あの日、熊井と二人で彼女を保護し、あの混乱のさなか、無事に彼女を施設に送り届けることができたのは、家族のない細口にとってはある種の自慢の種となっていた。

 もちろん、そんなことは誰にも言えないのだが。


 テーブルの上に置いていたスマートフォンが鳴る。市長だ。

「時間外だぞ、ったく」

 そういいながら、細口は電話に出た。

「すまん、細口くん」

「何かありましたか」

「電話では話せないんだ。傍受されているかもしれないから」

「傍受? ですか」



「我が国をはじめとした世界各国はこの原因不明事態に対して、地球外知的生命体の関与を懸念し、来るべき時に備える準備を始めることとなりました。そして、国民のみなさまには、まずは平穏にお過ごしいただくことをお願いいたしますとともに、我が国が国連主体にて創設される地球人類防衛軍に参加することをご理解いただければと思います」

「そりゃそうだ」

 内閣総理大臣の国民向けテレビ演説はこの国では珍しかった。悲壮感ただようその表情に細口は嘆息した。

 やがてテレビのリモコンをフリップしはじめる。

「こりゃ、もう完全に侵略だもん。やがて、地球はバナナに埋もれちまう。人類は滅亡だよ」

 アイドルの歌声がリビングに拡がる。

「ああ、始まっちゃってるよお」

 細口の唯一の心の拠り所が、アイドルの推し活であることを知る者はごくわずかだ。リビングテーブルの下に置いていたペンライトを取り出すと、細口は誰も見ていないことをいいことに、一心不乱にペンライトを振り乱した。

「チョーゼツ、カワイイ! ありさ~っ!」

 いわゆる地下アイドルの劇場公演を専門に放送しているチャンネルで、画面に合わせて踊り歌うことが細口のストレス解消法だった。

 しかしこの日の細口はいつにも増しての熱の入れようだった。

「ちっくしょー! どうしてオレが地球人類防衛軍へ出向なんだよー! しっかも、任期五年ってなんだよー! たまたま職責で最初に現場に入っただけなのによー! まったくツイないぜ!」

 そこまで言うと細口は踊るのをやめた。

「ニューヨークでもこのチャンネル観れるのかな」



「あの忌まわしいバナナの日から五年。今もバナナの降下は続いており、一時期に比べ安定したとはいえ、今も深刻な環境悪化の原因となっています。我々はこの未曾有の現象に関与する者、つまり地球外知的生命体が存在するものとして、宇宙観測と軍備増強、世界各国の連携強化を進めてきました。しかし、異星人の痕跡、たとえば、宇宙船や前線基地のようなものは、月面はおろか、火星や木星に至るまで確認されておらず、異星人の侵略行為とされるバナナ降下以外の動きも一切検知できず、そもそもバナナの降下が侵略行為であるのかすら疑わしくなってきました」

 オートタクシーの中でテレビのキャスターが語っていた。

「細口さんがお役御免で戻ってきてもらえて、ほんとありがたいっす」

 空港まで迎えにきてくれたかつての部下である熊井が言った。

「で、あっちではどんなテンションだったんすか」

 熊井は相変わらずだ。年嵩(としかさ)の上席にこの口のききようはないが、そこは受け流すことにする。

「宇宙核戦術やら、高速宇宙戦闘艦の建造とか、勇ましい部署もあるにはあるが、オレのいたとこはもっぱらバナナ降下の理論的背景の推察さ」

「へえ。それで結論は出たんすか」

「んなもんでるわけねえだろ」

 熊井が苦笑いする。

「そりゃそうっすよね」

 鼻歌まじりの熊井とようやく帰国できたのに不機嫌な細口が乗るタクシーが高速道路に乗る。

「ところで」と細口。

「なんでしょ」

「美月ちゃんだが」

「ああ」

 遠くニューヨークにあってもその名を忘れたことがなかった。メールのやりとりもしていたし、成長の記録もひっそりとだが残している。

 家族のない細口にとっては、美月の成長はまるで実子のことのように思えていた。

「最初にバナナを手にした人物として話題になったりしましたが、今では平穏な生活を取り戻しています。施設にも馴染んで、学業も順調なようです」

「それはよかった」

 彼女が迎えに来てくれるはずもないし、そんなことを望んでもいけないのだ。

 一瞬でもそんなことを考えた自分が恥ずかしくなった。

「彼女も小学校の高学年です。課長に会いたがってましたよ」

 細口は動揺を隠そうとあえて、返事をしなかった。



「来るべき時に備えよー。われらは偉大なるバナナ神を崇め奉り、いま、ハライソへの門出を迎えるのじゃー」


「またやってますね」

 駅前広場ではバナナ降下現象以降に立ち上がった新興宗教団体の説法が続いていた。

 市役所員としての最後の日。

 最後の仕事に細口が選んだのは、円見町1町目公園の視察だった。

 お供の熊井とともに、市役所の第二駐車場へと向かう道すがらで、二人のやりとりが続く。

「にしても、神様はどうしてバナナを選んだんですかね」

 自動運転公用車に乗り込んだところで熊井が言った。

 円見町1丁目公園までの道のりで、熊井は次々と答えの出ない質問を口にしていた。

「それがよりにもよってこの町だなんて。一度は観光資源になんていうアイディアもあったけど、掃いて捨てるほどあるバナナを誰も見に来たりなんてしませんよねえ」

 道路は絶えずバナナ処理車が文字通りの掃いて捨てるほどあるバナナを除去しながら走り回ってくれるおかげで、安全に走行できるようになっていた。

 それでも道路わきのバナナ回収カゴは今日もバナナで溢れ、ロボット運搬車が次のローテーションで訪れて回収してくれるのを待っている。

「にしてもすげえ時代になりましたねえ」

 熊井に言わんとすることはわかる。

 しかし細口はこれも普通のことなのかもしれないと思っていた。

幼いころ、地震があった。大きな地震はないものとされていた地域に生まれ育った細口にとって、それは大きな恐怖だった。

 それが引き金となって困難に立ち向かい、市民の役に立ちたいと願うようになり、市役所の職員をめざしたのだが、あの地震以降、この国にはたびたびの大地震が発生し、その都度、多くの困難がもたらされた。

 しかし今では大地震は必ず突発的にやってくるものであり、その災害がどこでいつ、誰の身を困難に陥れるのかはわからないものの、やってくるものであることは誰でも認識している。

 地球温暖化もしかり。大雨や台風の上陸は当然で、この国のどこかに毎年被害がでることは、もはや生活の一部なのだ。

 だからバナナの降下という自然現象も、ごくごく当たり前のこととして生活の一部になってきている。

 考えてみれば、人間というものは適応力に優れた生き物なのかもしれない。

「着きましたよ」


 円見町1丁目公園、今では「バナナ降下原初地記念公園」の名で知られる公園の、整備されて大きく広くなった駐車場にクルマを入れる。世界一バナナが降下してくる地ではあるが、市と都と国が完全自動除去システム、受け止めネットとロボット回収機を組み合わせた装置を構築したおかげで、今では地面にバナナが到達することは少ない。

 熊井とともに歩みながら、細口は感慨を深めた。

「あの日のことが、まるで昨日のことのように思い出されるね」

 予想していた報道陣の姿はない。ちらほらと見える観光客や地元の人もいるが、バナナ型の記念碑とバナナを使った料理を提供する屋台には閑古鳥が鳴いている。

「上空の網のおかげでバナナは降らなくなりましたけど、ここが世界を混乱に陥れた世紀のバナナ降下事件の最初地だなんて、ピンときませんねえ」

 異星人の仕業かもしれない。神の御業だという輩もいる。10年を経過したものの、その真相はいまだに不明であり、バナナが宇宙空間のどのあたりで出現し、どう大気圏を突破して降下にいたり、なぜ、地表の手前で減速して静かに着地するのか、まったくわかっていないのだ。

 自然の摂理からは大きく逸脱しており、物理学の範疇からはみ出す奇妙奇天烈なこの現象が、地震や台風のような自然現象とは違うことは誰の目にも明らかだ。

 だが、しかし、だからといって、これが姿を見せぬ異星人や神の仕業であるという確証もない。

 我々の世界に書き加えられた新たなる物理法則、あるいは突然文字通りの降って湧いたような世界の綻びやバグのようなものかもしれない。

 しかし、世界に良い影響を与えたのも事実だ。

 人類は団結した。

 異星人の侵略に備えることを大義名分とし、民族や宗教の対立、そして経済格差による分断が一時的に収まったこと。

 バナナに対応するための新たな産業が立ち上がり、雇用が促進され、不要なバナナを有効活用する道や、バナナをこれ以上降下させないための科学技術的発展があった。

 今では成層圏をバナナ回収用の無人ドローンが周回している。

「どうです、課長」

 どうですと問われても、今思っていることは常日頃から考えていたことで、同じことは世界中の評論家も唱えていることだ。

 今更、口にしたところで何の新鮮味もない。

「あ」

 熊井が口を開いた。

「あ、あの子」

 指さす先にセーラー服の少女がいた。



「それでは地球人類防衛軍、市ヶ谷情報資料群より中継です。オオニシさん!」

「はい、こちらは地球人類防衛軍市ヶ谷基地内の会議室です。現在、担当官による説明が始まっております。マイクを切り替えます」

「……。はい、もう一度申し上げます。一か月前に偵察衛星によりもたらされた資料を解析したところ、土星の第二衛星であるエンケラドゥスの地表面において、これまでに観測されていなかった異常な二酸化炭素の噴出が確認されました。これが異星人のバナナ生産と、地球へ向けた運搬に関係しているのかどうかは、現在のところ確認中です」


「あ、あの子は」

 古風な、今では見ることが珍しいセーラー服の少女がベンチに座っていた。

 関東エリアでも有数の進学校で知られる正淳学園高等部の制服だ。

「あ、あの子ですよね」

 十年の歳月を経たとはいえ、その成長を見守ってきたともいえる細口と熊井にとっては忘れようもない幼女の成長した姿だった。

「サクライくん。桜井美月くんだ!」


10


「地球人類防衛軍はすでにエンケラドゥスに向けて、ありとあらゆる方法をもってコミュニケーションを試みているはずです。しかしながら今回の発表ではあくまで、噴出の事実があったことのみにとどめています。つまり返信や反応はなかったのではないでしょうか。そもそもこの二酸化炭素の噴出が異星人の生産活動に起因するものかどうかも特定できない状況では、なんらの進展も期待できないというのが率直な感想です。世論が冷めないように、興味を持たせるためだけに定期的に発表している根拠のない憶測情報の一種といえるでしょう。人類防衛軍がそのような情報を定期的に発信しなくてはならないほどに、我々はこの問題の興味を失くしつつあります」


「市役所のおじさん」

 その呼び名はうれしくなかったが、こうして会うは三年ぶりで、前回は中学卒業式の時だったか。

 三年ぶりに見る美月くんは美少女といっていいほどに美しく、まっすぐに成長してくれていた。

「前回は卒業式のレセプションで会ったよね。あれ以来だっけ」

「市役所のバナナ降下7周年イベントでごいっしょしました」

「あ、そうだっけ?」

 細口は顔を真っ赤にした。 

「ええ。バナナ降下の最初の目撃者として呼ばれたんですけど、ああいう会は苦手で。でも、立食パーティーがとってもおいしかったです」

 さすがに食に関しては貪欲なところがある子の感想だ。

「で、今日はなにしに?」

「10周年だっていうので、またお願いしたら何か降ってこないかななんて」

 育児放棄に遭い、幼少期を施設で過ごし、篤志家の援助によって私立の中学校に進んだ経歴を持つ彼女は、年齢よりも大人びた話し方をする。

「そうだったんだ」

「10周年のパーティーはないんですか?」

 少女の素直な感想だ。

「市も予算がつけられなくてね。今年はオンラインイベントだけなんだ。ほら、ゆるキャラの『バナいさかン』のぬいぐるみとオンラインステッカーがあたるキャンペーンならやってるよ!」

 自分のスマホの画面を示して熱弁をふるう熊井に、少女は愛想笑いを浮かべるだけだった。

 それより細口には聞きたいことがあった。

 しかし、アイドルヲタク歴四十年とはいえ、年頃の美少女には直接話しかけにくいのが正直なところだった。

「おじさん」

 ベンチから立ち上がるとスカートの裾が躍った。

「おじさんも何かお願いすることはないですか?」

「お、お願い?」

 美月のほほえみが眩しかった。

「そうです。わたしね。十年前のあの日、お腹がすいて、それで公園の水道で水を飲んだんだけど、その時ね。『ああ、神様。バナナが食べたい』って心の中でつぶやいたんです。そしたらね。あの奇跡が起こって」

 そうだった。その話は事件発生直後の報道や、そののちのテレビ番組でも取り上げられ、桜井美月という幼児が世間一般に知れることになったきっかけのエピソードだった。

 そして、その美月が有名になったことを巧みに利用して、お金持ちの篤志家に美月を紹介し、生活支援を引き出したのが細口だった。

『バナナを呼んだ少女』。当時から今でも彼女はそう呼ばれている。

「やっぱり、桜井さんの願いを神様が聞き入れてくれたことがきっかけなのかなあ」

 熊井が感慨深げに言う。

 しかし、美月はコクンと頷いただけで、細口の方に向き直った。

「市役所のおじさん。わたしがこうして勉強に集中したり、学校で友だちと楽しくやってられるのはおじさんのおかげです」

わずか14歳の少女が言う感謝の言葉に、細口の心は萌えたった。

「そ、そうかい、ありがとう」

 その澄んだ目を見ることもできずに、細口が答えた。

「わたしね。あの日、本当にお腹が空いてて、まだ子供だから死ぬとかはわからなかったけど、誰か助けてって思ったんです。それでね。バナナを食べさせてくださいって心の中で叫んだんですよ、きっと」

「そうだね」

 幼女でありながら、そんな想いをしたとはたいそう苦しい経験だっただろう。

「そしたら、本当に天からバナナが降ってきて」

 細口の目も湿る。

「そうだね、社会にとってはこの迷惑なバナナも、キミには幸運を呼ぶラッキーアイテムなんだね」

 少女はニコリと笑った。

「いいえ。いまでもおいしいおいしい食べ物です」

 通学カバンからバナナを一本取り出すと、きれいに皮をむいてパクリと食べた。

「いやあ、美月ちゃんにはなかわないねえ」

 熊井が横やりを入れる。

「そうだ、またお願いしたら、今度は何が降ってくるかなあ」

 少女が空を見上げた。上空のネットはバナナでところどころ光がさえぎられている。

 その隙間からまるで光芒が射すかのように太陽の光が降り注いでいる中、美月が胸の前で両手を組んだ。目を閉じ、祈るかのようなポーズをとる彼女は神々しいまでに美しく思えた。

「おじさん」

 呼びかけられた細口は動揺を隠せないままに返事をする。

「な、なんだい」

「おじさんなら、何を望みますか?」

 美月の問いに細口は一瞬、ほんの一瞬だが邪な想いを浮かべた。しかしそれを口にすることなどできるはずもない。

「そ、そうだな。やっぱり世界の平和かな」

 取り繕うかのように口にする。

「おじさんの願いが叶いますように」

 おそらく10年前と同じように祈ってくれたのだろう。

 細口は感激して空を見上げた。

 これで本当に世界が平和になってくれればいいのだが。


 二言三言言葉を交わして美月と別れた市役所の二人は車に戻ろうと、公園を

離れた。

「定年を迎える最後に、彼女に会えてよかったよ」

 公職を離れれば、彼女には近づけなくなることを覚悟していた細口は最後

の幸運に満足していた。

「あれ?」

 先を歩いていた熊井が立ち止まった。

「美月ちゃん」

 指さす先に公園で別れたはずの美月が立っていた。

 しかし清楚で古風なセーラー服ではなく、派手なトリコロールカラーのミニスカート姿だった。

「え? いつの間に着替えたんですかね」

「ま、まさか、そんな」

 その衣装は今、細口が推しているアイドルグループの代表曲の衣装だった。

「み、美月くん、『ラブリーミルキー』のファンだったのか……」

「え? 課長、今、なんとおっしゃいました?」

 そう尋ねた熊井が凍ったかのように唖然としていたので、自分の個人的趣味を暴露してしまったことを呆れられたのかと思った。

 しかしそうではなかった。

 熊井が細口の肩越しに後方を指さした。

 その先をゆっくりと振り返る。

「へ?」

 そこにも桜井美月くんがいた。

 関西で人気のある地下アイドルグループの『関西ローゼン同盟』の制服として名高いゴスロリ衣装を身にまとって。

「あ、あの。これって」

 熊井が恐る恐る空を見上げる。細口も続く。

「あ」

 何人もの桜井美月くんが色とりどりのアイドル的な衣装を身にまといながら空から降りてくる。


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