空にある国境を越えて
年を越してしまったけど、投稿します。
「空にある国境を越えて」
街はイルミネーションに彩られ、冷たく暖かい幻想が街を包み込んでいた。行き交う人々の足取りはどこか不安定で、彼、彼女を浮遊感のある歩き方にしている。
それは恋人と過ごす人間だけに限ったことではなかった。ひとりで過ごす人も同様で、足の運びがいつもと異なっている。まるで空間の重力が乱れているようだった。
きっとこの時季に存在する人々の想いや、息を白く輝かす気温、そして赤や青の原色から淡い光を放つLEDの光源が混ざり合い、この空間、この瞬間を異次元のものへ変えているのだろう。
そんな人々からわたしは空に視線を転じた。
雲が流れ、星が瞬いている。どうやら空というのは見るものの心象を映し出すようだ。わたしにはそれらの光景すら浮かれたように見えたのだから。
知らない間にわたしはぼうっとしていたようだ。名前を呼ばれるまで彼がいることに気がつかなかった。
声の方に振り返ったわたしは巨大なクリスマスツリーを背に彼が立っているのを発見した。
彼はわたしの顔を見留める軽やかな足取りで近づいてきて、白い息を吐き出し笑い顔を見せた。
「待った?」
「ううん、いま来たとこ」とわたしは首をふった。
「そう。じゃ、行こうか」
そういうと彼はわたしの返事を待たずにすたすたと歩き出した。
わたしは小走りで彼の横に並んだ。
「どこ行くの?」
その問いに彼はニコリともせずに「国境を越えるんだ」と当たり前のようにいった。
意味は正直わからなかった。でもその言葉がわたしのイメージを刺激した。
わたしにとって彼の言葉は妄想のタネになり、様々な世界へと導いてくれる。だからわたしは彼の発するよくわからない、それでいて創造力に富んだ言葉が好きだった。
「国境を……?」
「そう、空にある国境をね」
その言葉でわたしの脳裏に、滑空する一羽の渡り鳥が浮かんだ。
その鳥が大陸を渡ろうと飛んでいると、見えない空気の層にばいぃぃ〜ぃんと阻まれ、くるくる回りながら落下しそうになった。鳥はなんとか体勢を整えもう一度試みるが結果は同じだった。ムキュという小さな声を漏らし、くるくると落下する。何度も何度も繰り返すその姿は悲しくもどこか愛らしかった。
「なに笑ってんの?」
妄想を楽しんでいた顔が表情が出ていたらしい。わたしの顔を覗き込んでいる彼は首をかしげ、いぶかしそうに眉をひそめていた。
「ううん。なんでもない」
わたしは首をふった。
「ならいいけど」
「ねえ。どうやって国境を越えるつもりなの?」
そういったわたしの手を、突如、彼が握った。
わたしは驚いて彼の顔を見つめた。しかし彼の視線は前を向いたままだった。そして、わたしは気づいた。彼の握るわたしの手が微かに震えていることに。その震えは寒さからくるものでないことはわかった。彼は緊張しているのだ。
彼と手を繋いだのは今日が初めてのことだった。
国境を越えるって、これのことだろうか、とわたしは思った。わたしと彼のあいだにある壁を。
自分の考えに、わたしは恥ずかしくなった。顔が熱かった。冷たい風が心地よく感じた。
しばらくして彼は手を離し、宙に向かって白い息を吐き出した。ついさっきまで手を繋いでいたことなど忘れたかのように。
その仕草が子どものようで、可愛くて、微笑ましくて、そして何故かちょっと腹が立った。
どうしてそんな顔が出来るのよ、と。
だけどわたしは、まあ、いいか、と思い直した。彼が吐いた白い息が、漫画の吹きだしみたいだったから、わたしは勝手に文字を頭の中で作り出して遊び始めた。彼が言わないであろう言葉を色々考えて。
わたしはそれが楽しくて、また自分の世界に入っていたらしい。
「どうしたの?」という彼の言葉がわたしの想念を破った。
彼の顔には窺うような表情があった。たぶん、手を繋いだことで、わたしがどう思っているか不安になったのだろう。
わたしは少し意地悪をしたくなり、無言で彼を見つめた。しかも冷たい目をつくって。
すると直ぐに彼はしどろもどろになった。
「ちょっ……え……? ごめん……違うんだ……いや、その、さ……」
その慌てっぷりに、わたしは堪えきれず、へへへと笑ってしまった。
彼は一瞬きょとんとしてから、笑っていいのか、怒っていいのかわからない複雑な表情を浮かべた。
「なに慌ててるのよ」とわたしは笑いを堪えながらいった。
「別に慌ててなんかいないよ」
彼は困ったようにいった。
「国境は越えれた?」
「……まだ」
「まだなの?」
「うん。時間がかかるんだ」
「そうなの。じゃ、ゆっくり行きましょ。鳥だってそう簡単には国境を越えられないんだから」
「トリ?」
「そうよ。見えない空気の層がね鳥を阻むのよ」
「……よくわからないけど、そういうこともあるかもしれないね」
「それってシャレ?」
彼は首をふった。「違うよ」
「まあ、いいや。いつ国境は越えられるのかしら?」
「わからない。でも、君と年を越せれば、新しい道が拓けるかもしれない。だれも知らない国、僕たちの新しい時間。それが国境を越えることに繋がるんだ」
「ふ〜ん」
「で、いいたいことがあるんだ」
「なに?」
「メリークリスマス」と彼はいった。
「メリークリスマス」とわたしは返す。
「来年もよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「それから……」
「それから?」
彼はわたしの手をとり、歩き出した。今度は彼の手は震えていなかった。わたしの心を捕らえようとするように、強く暖かくわたしの手を握りしめた。
手を繋ぐというのが、空にある国境を越えるための許可書みたいなものなのかもしれない。
わたしも彼の手を強く握り返し、ふたりで歩き出した。
気持ちが弾み、わたしは空にまで飛んで行けそうな気がした。
End
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他にも色々短編書いてますので、よろしかったら読んでみて下さい。