【不遇令嬢はエルフになりたい】出発前に村で買い物するだけの話(CASE2:アリアの場合)【番外編】あるいは、旅の途中で知り合った魔法使いが、急に保護者面して貢いでくる件
これは番外編です。本編こちら→https://ncode.syosetu.com/n1824ia/
* 急募:Aランク冒険者
お買い物に来た。
わたしたちはこれから、魔法学術研究都市アレスニーアまで行く。そこまでの旅の準備をするためだ。
大都市であるアレスのギルドへ行き、辺境まで旅するのに必要な戦力を募集する計画なのだ。
辺境まで行く途中には“荒野の谷”という恐ろしい魔物がでる地域があって、そこを抜けるためには、最低でもギルドランクAの冒険者が必要らしい。
Aランクの冒険者パーティーを雇うのは、とてもお金がかかる。
だからわたしたちは、フリーのAランク冒険者がいないか探しに行くのだ。
聞いた話によると、ある程度の実力がある冒険者の中には、団体行動を嫌って単独で活動している人がいるのだという。
冒険者のランクはA〜Fまであるけれど、リオンとクロスの二人は中級でCランク。荒野の谷で巨大サンドワームを相手取るには、少々、力不足らしい。
本来は、安全に通行するためにはAランク冒険者のパーティーが必要な場所だというのだから、仕方がない。
それでも、無制限で治癒魔法を使えるわたしが一緒ならば、あと一人か二人、高火力のソロ冒険者を雇えば行けるかもしれない、とのことだった。
(だから装備や食料を買い足しに来たのだけれど……)
店に着くなり、わたしは速攻でクロスに拉致され、魔法付与された装備品を探すために特別コーナーへ連れて行かれた。
一緒に来たレッドは、リオンによって古着コーナーへ連行されていった。
「お前はこっちだ」
腕を掴まれ、よそ見は許さないとばかりに目当ての売り場まで歩かされる。
ゆっくりお店の中を見たい気もしたけれど、どうせ手持ちのお金では買うことができないので諦めた。
ここは村で唯一の道具屋だけれど、村人のための雑貨屋でもあり、いわゆる何でも屋になる。冒険者向きの装備も置いてあるけれど、取り扱いは少ない。
その中でも魔法付与された装備や魔道具の類は高価なため、特設コーナーが設けられていた。クロスは他には目もくれず、そこへ向かう。
「お前はとにかく物理防御を上げないと駄目だ。ちょっと隣村までお使いに、っていうのとはワケが違うんだぞ」
そんなこと言われたって、衣類は普通の“布の服”しか持っていない。
王都の古着屋で買った、普通のワンピースだ。薬草採取に行くときも、アトリエで調合をするときも、完成した薬を納品に行くときも、普段着で特に困ることはなかった。
(近所の村の女の子だって、同じような布の服で野山に行ってるもの)
戦闘はしない──採取依頼しか受けないのに、冒険者用の装備なんて買えるはずもない。確かに防御力は高いけれど、値段も高い。
「そんな町歩き用の格好で、よく辺境へ向かうと言えたものだな。アレスまでは街道を外れて平原を突っ切るから魔獣も魔物もわんさか出る。お前みたいな紙装甲の女、怖くて後衛にも立たせられるか」
売り場の通路をあちこち連れ回されながら、怒濤の説教が始まった。
「覚えておけ。パーティーで真っ先に狙われるのが回復役だからな」
「知っているわ」
「わかっているなら、なぜ」
* 昔の話
昔、加わったことのあるパーティーでは、誰も守ってはくれなかった。
パーティーに誘ってくれたのは、ほんの駆け出しの冒険者たちで、最初こそ治癒魔法を賞賛してくれたけれど、レベルが上がって怪我する回数が減ってくると、わたしをお荷物扱いし始めた。
攻撃対象にされていても、盾役の代わりにちょうどいいからと言って放置された。
“迷惑なんだよな。治癒魔法しか使えないくせに、一人前のツラしてパーティーに居座られても”
“何もしてないくせに取り分だけ持って行きやがって”
攻撃で役に立っていない分、分け前の減額を申し出ることもできたかもしれない。
そうやって、しおらしい態度を取っていれば、パーティーに置いてもらえたかもしれない。
でも、わたしは申し出なかった。
それを判断するのはリーダーの役目だ。
わたしは稼ぐために冒険者になったのだ。だから、自分から減額を申し出るような真似は一切しなかった。
リーダーが、わたしの働きを鑑みた上で、減額を言い渡してきたり、抜けてくれと言ってくるなら仕方がない。指示には従う。
けれど、メンバーが陰口を叩くというだけでは、自主的に報酬の減額を申し出たり、パーティーを抜けたりする理由には足りない。
わたしだって、陰口を叩かれながら、居心地の悪いパーティーになんか居たくはない。
だけど、そのときはお金が必要だったから、我慢するしかなかったのだ。
“ほんと、図々しいったらありゃしねえ”
“どれだけ面の皮が厚いんだか”
“あの子、自分が役立たずだってわかってないんじゃない? 誰か教えてあげなさいよ!”
今でもあの女──あのときのパーティーにいた、軽戦士の声を覚えている。
わたしにパーティーを抜けて欲しいのだったら、直接そう言えばいいものを、あの女は言葉巧みに他のメンバーを誘導し、わたしが居づらい雰囲気を作り出した。
特別に嫌がらせをされたわけではない。
戦闘中に偶然を装って、攻撃対象になるよう前衛に押し出されたり、遠距離攻撃の対象になっているのを放置されたり、陰で嫌味を言われた程度だ。
それも、自分だけが悪者になりたくないから他のメンバーを巻き込むという、姑息なやり方で。
確かに、わたしは役立たずだったかもしれない。彼らが望んだ通りの働きをできなかったのだから。
けれど彼らは“回復役”として、わたしをパーティーに勧誘したのだ。
攻撃ができないことは、最初から承知していたはずだった。
それを後から愚痴られても困る。
攻撃ができない分、加入条件にはなかったバフとデバフによる支援もきっちりやったし、防御力が低いせいで怪我をしたときも、文句も泣き言も一度たりとも言わなかった。
けれど──
“どうせ自分で治癒魔法を掛けられるんだから、少しくらい怪我させたって構わないわよ”
“そうだな。うちのパーティー、盾役がいないから代わりに囮になってもらおうぜ”
“っていうか、ここまで言われて泣きもしねえなんて、可愛げのねえ女”
そこまで言われては、こちらも考え直さざるを得ない。
回復役と支援役を兼任した上に、さらに盾役まではこなせない。
その上、おそらく彼らは魔法使いを過大評価し過ぎている。後衛の魔法使いには、治癒魔法での支援に加え、固定砲台のような大火力を期待していたのだろう。
(それは、おとぎ話の読み過ぎです)
そんな都合の良い存在はいません。いても、あなた方の前に現れません。
よっぽど、そう言ってやろうかと思った。
潮時かなと感じ始めたある日のこと。
リーダーがおずおずと、わたしにパーティーを抜けてほしいと言ってきた。
軽戦士の女が、リーダーに「そこは“抜けてくれ”じゃなくって“お前はクビだ!”と声高に宣言するところでしょ?」と、キャラキャラと笑いながら言い募った。
わたしはこのとき、このパーティーに見切りをつけた。
リーダーが自主的に判断して“パーティー編成を見直すから抜けてくれ”と言うのだったら、理解もできる。
けれど、女の意向と仲間の愚痴を唯々諾々と聞き入れるようなリーダーが、今後も円滑にパーティーを率いていけるとは思えなかった。
同年代の冒険者パーティーなんて、そんなものだ。
だからわたしはパーティーを組まなくてもできる採取依頼しか受けないし、他人に期待することもやめた。
* ゴブリン退治の話①
「わかっているなら、なぜ……いや、何でもない」
「いやね。言いかけて、途中でやめたら気になるじゃない」
「……望んでも、叶わないことはあるだろうからな。そう言いたかっただけだ」
「よくわかってるじゃない。そうよ。資金には限りがあるのだもの。レッドの装備に全振りするのは、わたしの生存戦略よ」
わたしは町歩き用の普通の服。古着屋で買った、ちょっと流行遅れのワンピース。平民なら、三人姉妹で一番上の姉から、一番下の妹まで着回した程度の傷み具合。村娘なら、普段着にしているような布の服。
平民としては特に珍しくない格好だと思う。
レッドには、早くに服の他にも中古の防具を揃えてあげた。軽い革製の部分鎧だ。
あのときは、目を見開いて驚いていたレッドの顔が面白かった。
契約奴隷が主人から装備を与えられることなど、普通はないらしい。冒険者として働く奴隷も、町の中で労働力として働く奴隷も、必要な服や装備は自分持ちなのだという。
一般的な奴隷よりも、冒険者になれる奴隷のほうが稼げると言われているけれど、冒険者は別に装備代がかかる分、普請場や荷運びなどの重労働をする奴隷に比べて、決して余裕があるわけではない。
レッドも例に漏れず、擦り切れた服と誰かのお下がりだろう防具を、何度も修繕して使っていた。おそらく装備の耐久値なんか、いくらも残っていないだろう。
“いいのか? その、奴隷なんかに……”
“わたしは討伐や探索のクエストは受けない。採取専門よ。だから、あなたを一人前の冒険者らしく扱ってあげることはできない”
“じゃあ、なんで装備を?”
“あなたには、アトリエに賊が来た場合に応戦してもらわなきゃならない。一撃で死なれたら困るのよ。それと、採取依頼で王都の外へ出るときには、護衛として付いてきてほしいから”
“そんなに強敵が出る地域なのか?”
“今までに見たことがあるのは野生の獣、ゴブリン、ツノウサギ、ツノネズミくらいよ。あとスライム”
“その程度で護衛? あんた、魔法使いなんだろ?”
“わたしは、一切の攻撃魔法が使えない。戦闘中は、治癒と支援はするけれど、攻撃は期待しないでちょうだい”
“あ……ああ?”
“本当にわかっているの? 敵が出たら、あなたが一人で対処するのよ。クエストを受ける都合上、あなたをパーティーの一員として登録するけれど、わたしは何もしないから”
“治癒と支援はする気あるんだ?”
“当たり前じゃない。でも、経験値は山分け。ドロップ品はわたしが選別するわ”
“いいぜ。ゴブリンだろ? 十分、役に立てると思うぜ”
最初のころの会話を思い出すと、今でも恥ずかしくなる。
(ゴブリンって、ダンジョンに潜れる程度の冒険者にとっては、雑魚なのよね……)
冒険者登録をしてすぐのころ、初級の新人冒険者たちと何度か組んだだけだったから、すっかり忘れていた。
* ゴブリン退治の話②
新人冒険者にとって、ゴブリンは最初に出会う「人のような姿をした魔物」である。
スライムのような明らかな魔物や、角の生えた獣のような姿をした魔物や魔獣とは、一線を画する。
強さもそうだけれど、奴らはズル賢く生き汚い。恐れることはないが、警戒するべき魔物だと、ギルドの初心者講習で教わるものだ。
(でも初心者がゴブリンを恐れる本当の理由は、警戒すべき魔物だからではなく“人のカタチ”をしているから)
人間のように二足歩行をし、武器を使い、多少なりとも知恵がある。
そんな生き物と殺し合うのは、冒険者になりたての少年少女にとっては、かなりの度胸を必要とする。
わたしは最初に入れてもらったパーティーでは、冷静に対処しすぎて他のメンバーと足並みが揃わず、ドン引きされた。
六匹のゴブリンを前に、打ち合わせた手順通りにわたしはゴブリンを鈍化させた。スロウ魔法でゴブリンの動きを鈍らせ、スリープ魔法で眠らせる。
そのころはまだ、弱い敵を短時間眠らせることしかできなくて、前衛の剣士たちに早く倒してと叫んだのだけれど、結局、彼らはゴブリンのスリープが解けるまで動けなかった。
先制攻撃をかけてられていたら、わたしたちは全滅しているところだった。
“おまえはいいよな。安全な距離から魔法を打つだけだもんな”
“おれたちは、直接あいつらと斬り結ばなきゃならないんだぜ!?”
戦闘が終わった後、前衛の剣士たちが文句をつけてきた。
わたしと同じように後衛にいたもう一人の魔法使いは、擁護してくれなかった。
(それもそうよね。仲良し三人組のパーティーに、数合わせで入れてもらった余所者はわたしだもの)
どうしたって、友達の側に立つだろう。
“君は短縮詠唱を使うんだね。困るよ、そういうことは先に言っておいてくれないと、連携が取りづらいだろう”
魔法使いが言った。
珍しく、ただの罵り言葉ではなく「嫌み」を聞いたので、わたしはうっかり言い返してしまった。
“連携する気、あったんだ?”
あったのなら、なぜスリープが解ける前に攻撃を仕掛けて制圧してくれなかったのだろう。
なぜ戦闘中に、長ったらしい正規詠唱なんかを使うのだろう。
全員、わたしが治癒魔法を掛けたから大事には至らなかったけれど、最後のほうは作戦もへったくれもない、泥沼のような戦いだった。
“てめェっ! 治癒と支援しかできないくせに、生意気だぞ!”
“そうね。でも回復役ってそういうものでしょう?”
竦んで動けなかったくせに、よく言うわ──と、直接的な言葉で言い返さなかった自分は偉いと思う。
攻撃魔法が使えるのなら、回復役なんてやっていない。それこそ、固定砲台でも目指しただろう。
隣の魔法使いは、確かに攻撃魔法が使えた。だから彼ら仲良し三人組の、貴重な魔法使いとして頼りにされていた。
でも、彼一人では攻撃魔法と治癒魔法を両方扱うのが難しかったため、回復特化でもいいからとわたしが勧誘されたのだ。
“僕は攻撃魔法に集中したいから、君には回復魔法をお願いするよ”
そう言っていた魔法使いは、わたしが全部のゴブリンにスロウとスリープを掛け終わっても、呑気に正規詠唱を続けていた。
本当は、わたしがゴブリンの動きを止めた後、前衛の剣士たちが斬り結んで弱らせ、そこを攻撃魔法の一撃で仕留める予定だった。
彼としては、新入りのわたしが怯えて作戦通りに魔法を使えなかったとしても、前衛の二人が止めるから問題ないと考えていたのだろう。
その隙に攻撃魔法の詠唱を完成させ、とどめに大きい魔法を炸裂させれば、弱ったゴブリンを掃討できる、と。
ところが、初めての戦闘に前衛は竦んで動けない。わたしは短縮詠唱で、さっさとゴブリンの動きを止めた。前衛の剣士二人が動けるようになったころ、ようやく攻撃魔法が完成したけれど、ゴブリンどもが弱り切っていない上に、このタイミングで魔法を放てば戦闘中の仲間を巻き込んでしまう。
結果、攻撃魔法は目標からわずかに逸らして打つしかなく、思ったほどの威力が出ない。ゴブリンの数が減らない。剣士たちは苦戦を強いられる。
攻撃魔法使いは、魔力回復薬をガブ飲みするのに忙しい。
次の指示もないようなので、わたしは前衛の剣士たちに、攻撃力アップと防御力アップの支援魔法を掛けまくった。
すると、魔力回復薬の小瓶を握り締めた魔法使いに、魔力の使い過ぎだと怒鳴られた。
そんなに支援魔法ごときを乱発したら、回復が必要になったときにどうするんだ! と。
“問題ないわ。魔力にはまだ十分に余裕があるもの”
“だったら魔力回復薬をこっちに寄こせ!”
“ごめんなさい、それは持っていないの”
“なんでっ!?”
“必要ないからに決まっているでしょう”
そしていつも通り、魔力回復薬に関する問答が始まる。
さすがに今回は、事情を説明して取り繕う気は起きなかった。
結局のところ、冒険者をやる魔法使いの多くは、他人の魔力回復薬を当てにして魔法を使う節がある。
仲間同士なら助け合うのが当然だという、正当に聞こえる気持ちの悪い理屈でもって。
(その“仲間”であるはずの回復役を、敵前に放り出すような鬼畜な戦法を取っておいて、今さら“仲間”とはどの口が言うのかしら)
厚顔無恥にもほどがあろうというものだ。
そこから先は泥沼だった。
魔力が尽きかけている攻撃魔法使いは、弱いファイアーボールしか打てなくなり、魔力回復薬が足りないことを愚痴り、剣士二人は自分たちが貧乏くじを引かされたと文句を言う。
誰にもゴブリンにとどめを刺すだけの決定的な攻撃力がないため、罵り合いながらの戦闘はひどく長引いた。
早々にわたしは、治癒魔法を放つだけの装置と化した。
前衛は、怪我をしても疲れても、治癒魔法ですぐに回復されるから倒れることがない。──休むこともできないけれど。
それがまた剣士二人からの恨みを買ったようで、最後にはわたしを「ゴブリンを見てもビビりもしない、頭のおかしい女」と、散々罵ってから解散した。
(立ち竦んで動けなかった役立たずはそっちでしょうに! わたしはちゃんと役目を果たしたわよ!!)
以来、わたしはパーティー戦での短縮詠唱をやめた。
少なくとも、最初の一回は正規詠唱で様子を見た。または、アイテムを併用するようにした。
ただ単に、役目を果たすだけでは駄目なのだということを学んだ。
(ゴブリンを見たら、最初は怖がらないといけないのね)
怯んでみせないと、頭がおかしいと思われる。
それから、パーティーの人間関係を把握して、空気を読んだ支援をする。先輩魔法使いの顔を潰すような真似をしてはならないのだ。
ゴブリンは、攻撃力のない人間にとっては恐るべき魔物だ。けれど、魔法で動きを鈍らせて、逃げる時間を稼ぐことはできる。
わたしは一人で採取に行ったとき、ゴブリンと遭遇したことが何度かある。
ギルドの規定に従って、初心者向けではない場所には出向かなかったから、複数のゴブリンに出会うことはなかったけれど、一度は目が合うほどの至近距離で正面から対峙した。
それを思えば、仲間がいる状態でゴブリンに魔法をかけることなど、造作もない。
そもそも、わたしはゴブリンを「人のような姿をした魔物」だとは思っていない。あれはただの、緑色の皮膚をした魔物だ。
わたしには、人間こそが「人の姿をした魔物」に見える。
皮膚は緑ではなく、美しく着飾ったりもするし、知性もある。けれど、狡猾で生き汚いことは変わりない。
平気で他人を害するところも、仲間や身内を、そのときの気分で守ったり見捨てたりするところも、同じに思える。
ゴブリンは、明確に敵同士だとわかる分、まだ付き合いやすかった。
人間は、敵と味方の線引が曖昧すぎて、付き合いづらい。
わたしを罵ってきたパーティーのメンバーは、人間だけれど、本当に味方と呼べるのだろうか──?
* 前髪にまつわる話
「わたしとレッドは、便宜上パーティー登録はしているけれど、実質は護衛と護衛対象みたいなものよ」
「奴隷をパーティー登録しているのか?」
「悪い? ドロップした素材はわたしが全部もらうけど、経験値は折半よ」
採取依頼で野山に出かけた際、魔獣や魔物に遭遇したら、攻撃力のないわたしには逃げることしかできない。
けれどレッドがいれば、戦って素材を手に入れることができる。
レッドは冒険者として経験値を貯めることができるし、わたしは素材を得られる。魔法使いとして経験値が貯まれば、より高度な調合もできるようになる。
逃げるだけでは、何も採取できない日もあって、依頼を失敗することが多かったのだ。
レッドは、属性魔法を使えないわたしの、唯一の攻撃手段なのだ。
爪であり牙であり、刃でもある。
「そもそも、わたしが買える程度の装備でわずかに防御力を上げたところで、有効な攻撃手段がないのだから無意味だわ。攻守をバランスよく整えるより、極振り一択しかないのよ。回復役として標的にされるのも、慣れているから平気。魔法結界を張れば、単時間なら持ち堪えられるわ」
怪我をしても、治癒魔法がある。
再生能力にも近い自己回復力も備わっている。
「……なんて危なっかしい真似を」
クロスが絶句した様子で、手に取ろうとしていた商品を棚に戻した。
「もちろん、ギルド推奨の比較的安全な場所にしか採取に行かなかったから、ゴブリン程度しか出なかったわよ」
レッドは素早いし、ダンジョンで鍛えられているから、わたしの短縮詠唱にもついて来られる。どこかの無能な剣士たちと違って、ゴブリンごときに遅れを取ったりはしなかった。
「──結界が壊される前に、レッドが片をつけてくれなければお終い。レッドにも対処できないような強敵が現れたら、それこそお終い。残ったわたしに何かできると思う?」
先週の馬車襲撃事件のときが、まさにその状況だった。
「だから、わたしが生き残る唯一方法は、わたし自身より先にレッドを強化することなのよ。彼の役目は守ること、わたしの役目は守られること。それがわたしたちの役割分担よ」
パーティーとしては歪かもしれないけれど、それで上手くいっていたのだから問題ないだろう。普通のパーティーに入れてもらったときより、よっぽど上手くやれていた。
惜しむらくは、レッドの盗賊ジョブを活かしてあげられないことだった。
わたしの力ではダンジョンには入れないから、宝箱を開けるような局面は永遠に訪れない。鍵開けの腕前を錆びつかせてしまわないか、それだけが心配だった。
「オレたちがいる以上、今後一切、その戦法は許さないから覚えておけ」
商品を棚に戻したその手が、すっと伸びてわたしの頭を鷲掴みにした。
一瞬、殴られるかもと身構えたけれど、口調はいつになく厳しいのに、その手は不思議な動きをした。
クロスは、毛足の長い動物でも撫でるかのように、わたしの頭を撫で──というか、わしゃわしゃと髪をかき乱した。
(これは、撫でられ……ているの?)
たぶん、そうなのだろう。
前に、近くの村で見た。
牧場主が飼っている犬を撫でるときの手つきだ。
もしくは、下町で男親が幼い息子を誉めるときの──。
城壁の外まで採取に行って、帰りが遅くなったある日のこと。
城下のはずれにある下町で、道すがらに見た光景。
夕暮れ時にお使いから帰ってきた少年を、父親が出迎えて「よくできました」という様子で、わしゃわしゃと頭を撫でていた。
夕陽も、夕陽に染まった少年の笑顔も、妙に眩しかったのを覚えている。
「わかった。努力するわ」
わたしは、クロスの手元から逃れると、乱れてしまった髪を直した。
別に、わたしもレッドも好きで極振りしていたわけではない。他に方法があるのなら、こだわる必要はない。
けれど、頭ごなしに言われるのは少し腹が立った。
(何も知らないくせに)
そう反論したくなった気持ちを、乱れた前髪と一緒に押さえつける。
ぐしゃぐしゃになった髪は、言外に「よく頑張ったな」と聞こえた言葉を、担保しているような気がしたから──。
「でも、髪には触らないでほしかったわね。前髪が上がっちゃう」
一応、魔法でセットしてあるから、軽く風が吹いたくらいでは右目が顕わになることはないけれど、さすがに手で触られたら崩れてしまう。
長く伸ばした前髪で隠しているのは、ハーフエルフ特有の目の色だ。
本来のわたしの目──左目は薄紫色なのだけれど、右目は違う。
左右の目の色が異なる虹彩異色は、ハーフエルフの特徴の一つである。
ハーフエルフの特徴としては他に、エルフ特有の尖った耳や、魔法に秀でていること、種族特性として全体的に線が細く、色白で美しい容姿をした個体が多いことなどが知られている。
特徴が全く外見に表れないハーフエルフもいるようだけれど、生憎、わたしはそうではなかった。
ハーフエルフとしては、ごく普通のオッドアイである。
人間とエルフの混血の場合、人間の魔力とエルフの魔力は上手く馴染まないことが多く、その弊害が虹彩異色となって現れるのだと言われている。
昔、気になって調べたことがあった。
(本当は、ハーフエルフでもないけれど……)
わたしのオッドアイは、大病の後遺症のようなものなのだ。
けれど、説明するのも難しいのでハーフエルフで通している。
(説明したところで、信じてもらえるとも思えないし……)
客観的に見て、わたしがハーフエルフ特有の容姿をしていることは事実なのだ。
魔力の偏りによって生じる虹彩異色は、だから人間同士の間に生まれる子供には存在しない。
左右の目の色が違う子供は、すぐに混血児だと見抜かれる。
外見に特徴が表れず、運良く見抜かれなかった者たちも、年月を経るうちに怪しまれる。
ハーフエルフは、長命種であるエルフの血を引いているため、異様に成長が遅いか、長じた後に不老となるからだ。
化け物呼ばわりされるか、住み慣れた土地を離れて一生、流浪の民として暮らすしかなくなる。
どちらにしても、ヒト族が主体の社会では、生き難いことに違いはない。
だから人間に擬態するのだ。
(人間が人間に擬態するというのも変な話だけれど)
長く尖った耳や、獣人族の獣耳や尻尾は隠すのが難しいけれど、片目だけなら不自然ではない程度に隠すことができる。
つまりわたしは「人間の振りをしているハーフエルフの振り」をしていることになる。
猫族の獣人であるレッドと、ハーフエルフのわたし──亜人種二人が連れ立って歩いても、不利益しかない。
それよりは、わたしが獣人奴隷を従えている人間の振りをするほうが、いくらか社会に溶け込みやすい。
採取しかできない底辺ランクの冒険者でも、人間である限り、亜人種よりはマシな待遇を受けられる。
亜人種だけでは出入りできない店も「亜人種奴隷と亜人種奴隷を従えた人間」という組み合わせなら入れる。
ギルドでも、受けられる依頼の幅が増える。
採取依頼には種族指定はないけれど、手伝いや配達などの雑用系の依頼には“人間限定・亜人種お断り”の依頼がちらほらあるのだ。そういった依頼も「獣人奴隷を連れたヒト族の冒険者」ならば受けることができる。
その一方で、奴隷の種類にも格がある。
貴族令嬢なら、希少で高価な亜人種奴隷を連れていても当然だと思われる。
平民でも、奴隷を持てる程度の裕福な家の娘なら、使用人としても使い勝手のよい、全体的に能力値の高い者を好む。
決して、冒険者崩れの安っぽい猫族盗賊なんかを選びはしない。ましてや、道端で拾ったりはしない。
不釣り合いなことをすれば、無用に他人の興味を引いてしまう。
けれど、顔を隠した陰気な小娘──最下級の軟弱な冒険者──が連れるなら、拾った猫族盗賊でも問題はない。割れ鍋に綴じ蓋と思われるから、自然な形で擬態が成立する。
「別にいいだろ、前髪くらい」
「よくないわよっ」
そう言って、わたしが一生懸命に前髪を直していると、クロスが再び手を伸ばしてきて、よけいに髪をぐちゃぐちゃに弄られた。
「ちょっと、やめてったら!」
わたしは慌てて髪を押さえて抵抗したけれど、逃げ切れずに前髪を掻き上げられてしまう。
(この人、こんないじめっ子気質だったっけ!?)
下町の子供みたいな手癖の悪さだ。
と思った矢先のことだった。
「顔が見えたほうが可愛い。表情がよく見えるほうが好きだ」
「!」
何を馬鹿なことを言っているのだろう、としか思えなかった。
「髪を引っ張るのはやめてって言ったでしょ!」
わたしは、音を立ててクロスの手を払いのけた。
“可愛い”というのは、普通の人間の女の子に対して使う形容詞だ。
(──わたしは“秘匿すべき化け物”なのに)
異常なほどの毒耐性を持ち、手指が欠けても再生する。さらには、本人にも理解が追いつかないような特殊スキルを発揮する右目。──ハーフエルフの虹彩異色と言うには、異常なまでのそれ。
もはや、亜人種とも異なる化け物だ。
シャーリーンが戯れにナイフで刺した傷は、治癒魔法も使っていないのに、翌日には回復した。
イーリースお継母様が何度、食事に毒を混入させても、一度も死ななかった。
わたしを殺すために強盗を装って送り込まれてきた刺客は、翌朝、黒焦げの焼死体となって見つかった。
シャーリーンとお継母様は、わたしのことを“この化け物め”と罵った。
それは毎日のことだったから、特別に気にするようなことでもなかったけれど……
“あれは秘匿すべき化け物だ。あのように常軌を逸した者が、我が伯爵家に存在するとは、絶対に知られてはならん”
さすがに、お父様にそう言われていたことを知ってしまったときは、ショックだった。
面と向かって罵られるよりも、陰で言われるほうが、何倍も堪えた。
(お父様は実の娘に興味がないだけで、嫌われているわけではないと思っていたから……)
罵ったり、手を上げたりという直接的な手段に出られたことはなかったから、憎まれているわけではない──と思いたかったのだ。
実際は、興味がないどころか“表に出せない恥ずべき存在”として認識されていたことがわかっただけだった。
(わたしのような異物に関わりたくなかっただけ……)
多額の持参金を付けたところで、地方の貧乏男爵家にさえ嫁に出せない。政略結婚の道具にさえならない、完全なる厄介者。そうとも言われた。
(ならば、さっさと殺せばよかったのよ……)
お父様はそうなさらなかった。
殺そうとして失敗したのが、イーリースお継母様だ。
結果、わたしは婚外子として寄宿学校へ押し込められた。
殺せないなら、監禁するしかなかったのだろう。
それでも、今も不思議に思うことがいくつかある。
殺せないなら棄てるとか売り払うとか、寄宿学校ではなく、もっと僻地の孤児院に入れるとか、他にも手段はあったはずだ。
(お父様はなぜ、婚外子という偽の名目を付けたとはいえ、わたしを伯爵家に連なる者として、寄宿学校に入れたのかしら──?)
隠さなければならないような恥ずべき娘なら、名前など剥奪してどこか遠くへ──それこそ辺境の地へでも──棄てればよかったのだ。教育など受けさせる必要はない。
何度も理由を考えたけれど、わからなかった。
クロスから距離を取って、わたしは目元を片手で覆った。
すかさず、装身魔法の一つを使って目の色を変える。
両目が同じ色にならないと意味がないから、右目の紅玉色を隠せるように、左右ともを濃い紫に変えた。
生来の左目と同じ、薄い紫では隠し果せない可能性があるから、濃い色にするしかないのだけれど──わたしはこの紫があまり好きではない。
「へえ、器用なもんだな」
「これくらい、クロスにだってできるでしょう?」
子供騙しの簡単な魔法だ。
「できるだろうが、やろうと思ったことはないな。それ、色を変えている間はずっと魔力を消費するだろう? 普通の人間は、補助の魔道具──魔力付与された装身具か何かを使っているはずだ。補助なしでは、術式を固定しておくだけでも難しいはずだが」
「そう? こんなの、教本の通りにやれば誰でもできる初級魔法でしょ?」
属性魔法でもない。生活魔法に毛が生えた程度の魔法のはずだ。
「そんなワケあるか。確かに術式自体は初級だが、補助魔道具もなく、鏡も見ずに思った通りの色や髪型を作るのは、上級の技術だ。──その色、何時間くらい保つ?」
「目の色だけなら、丸一日は保つわよ」
「それはプロの服飾魔法家の仕事だ」
顔立ちと髪色も変えて“アイリス”になるなら、半日くらいが限度だけれど、それは言わなくてもいいだろう。今ここで、試しに変えてみてくれと言われても困る。わたしが“アイリス”だということは隠しておきたい。
「“だけ”と言うからには、目の色以外もいくつか同時に変えられるということか……」
クロスが呆れたように言った。
「普通はそういう装身魔法は、補助魔道具を使っても数時間が限界だ。有名なおとぎ話にも、ちゃんと教訓として描かれているだろうが」
そんなことも知らないのか? と、クロスはわたしを常識に欠けた馬鹿女のように扱う。
「あれは物語上の演出でしょう。……だいたい、おとぎ話は嫌いなの。嘘ばっかりだもの」
特に“ガラスの靴”というアイテムが出てくる、有名な物語は嫌いだった。
下働きとして扱き使われる娘のもとへ、魔法使いが来て助けてくれるストーリーだったけれど、現実には助けなんて来ないものだ。読むだけで腹が立った。
どんなにイイ子で待っていても、魔法使いの助けが望むべくもないのはわかっていたから、わたしは自分で自分を助けるための魔法使いになった。
「お前が規格外なのは理解したつもりでいたが……。すまない、全く理解できていなかったようだ」
クロスは頭を抱えている。
その姿は、不出来な学生を前にして悩む教師の姿を連想させた。
ローランド寄宿学校でのわたしは、問題児のレッテルを貼られて、担任教師に匙を投げられていた。
しょっちゅう授業をサボり、寄宿舎を抜け出していたし、学内に親しい友人もいない。
けれど授業を妨害するわけでもなく、出席したときは真面目に受講し、試験でも十分な及第点を取る。
伯爵家に連なる者ではあるけれど、本家の伯爵令嬢として扱うことはできない微妙な立場であり、ならば下級貴族相当として扱おうとしても、当の本人が貴族でもなければ平民でもないような立ち居振る舞いをする。
そんな生徒に教師陣は手を焼き、最終的に見て見ぬ振りを決め込んだ。
空気のように扱われることには慣れていたから、むしろ居心地がよかったけれど、おそらく生家には扱いに困る問題児として報告されていただろう。
(それでも誰も咎めには来なかったから、完全に見放されていたのでしょうね……)
学内ではなるべく淑女らしい立ち居振る舞いを心がけてはいたものの、どこかしら浮いていたことは否定できない。
寄宿学校という閉鎖的な空間は、冒険者のような自由民の思想は受け入れられない。寄宿学校生の進路に冒険者という選択肢は存在しないからだ。
要は“貴族家の厄介者”と“富裕層の平民”が集まる空間で、わたしは異端者だったのだ。
貧乏貴族でもないのにお金に困っていて、平民でもないのに貧しい平民のように質素に生活し、授業をサボって冒険者ギルドに出入りするような──その上、授業で教えてもいないような魔法を使う人間は、誰の共感も得られなかった。
寄宿学校では気に掛けられていなかったから、担任教師が頭を抱える姿なんて見たことがなかったけれど、悩む教育者ってこんな感じなのだろうかと勝手に想像を膨らませた。
(この人、普段どんなふうに先生やってるんだろう?)
とても、教鞭を執っている姿が思い浮かばなかった。
魔法学校で魔法を学ぶ、ってどんな感じなのだろう?
生徒には、どんな子たちがいるのだろう?
昨日、アレスニーアの魔法学園には行かないと言ったばかりだけれど、少しだけ興味はあった。
叶うなら、ローランド寄宿学校ではなく、最初からアレスニーアの魔法学園に行きたかった。
たとえ属性魔法が使えなくても、魔法を学べる環境ならば、もう少し生きやすかったかもしれない。
(もう何もかも手遅れだけれど……)
わたしは辺境へ行ってお祖父様の助けを借りて、イーリースお継母様の悪事を暴く。そして、お兄様が殺されるのを防がなければならない。
ヴェルメイリオの家を継ぐのは、シャーリーンの婿などではない。正式な後継者はアルトお兄様以外にはあり得ない。
そのためなら、いっそわたしは消えても構わない。
すでに伯爵家からは追放された身だけれど、二度と復籍できなくてもいい。
(ハーフエルフのような容姿をした妹など、いないほうがお兄様も都合がいいでしょうから)
辺境で一生、冒険者として過ごす覚悟はある。
(ただし、あの女を断罪してからだけれども……!)
馬車襲撃で無関係の人々を殺した罪と、わたしの従者を傷つけた罪は、必ず償ってもらう。
(──レッドの右脚が斬り飛ばされた瞬間は、今でも鮮明に目に焼き付いている)
フィレーナお母様を殺した罪と、何度もわたしを殺そうとしたこと、シャーリーンの悪行を隠蔽した罪は、裁かれなければならない。
わたし一人が標的なら、そのうち飽きて諦めるだろうと考えていた。適当なところで、死を偽装して姿を消すことも考えに入れていた。
けれど、今となってはそうもいかない。
(巻き添えを出してまで殺そうとしてくるなら、逃げても絶対に追ってくるはず……)
次は何人の犠牲者が出るかもわからない。
今度こそ、レッドが犠牲になって死ぬかもしれない。
(それだけは避けなければ……)
呑気に学生生活を送っている場合ではない。
「魔法で目の色を変えられるなら、常にそうしていれば済む話だろう。髪で隠す必要はないと思うが?」
「目に直接魔法を掛けると、魔法が解けたときが怖いのよ。上級の魔法使いが見れば、すぐにバレてしまうし……」
それにわたしは、紫水晶のような濃い紫色が好きではない。
亡くなったフィレーナお母様を思い出すから。
嫌いではないけれど、ただでさえお母様と顔立ちが似ているのに、目の色まで同じになるのは堪えがたかった。
(鏡を見ると、そこにお母様の姿が見えるような気がするんだもの……)
その度に、幸せだった幼い頃のころ記憶がよみがえる。
フィレーナお母様が存命で、まだお父様も優しくて、お兄様もお屋敷にいて、乳母もメイドも揃っていて、イーリースとシャーリーンが存在しない時間軸。
そんな幻想は、生きるためには思い出さないでいるほうがいい。
「クロスだって、今、わたしの目に色違えの魔法が掛かっていることがわかるでしょう?」
ああ、とクロスが肯定する。
「術式がきれいに定着しているから、よく見ないとわからない程度だがな」
つまり、偽装を疑われている場合には、見破られてしまうということだ。
「だから、対策を講じておくのよ」
前髪を下ろして顔を隠していると、そういう髪型なのだと思われるだけだ。
魔法で髪をセットしているのがバレても、それ自体はよくあることだから、不自然ではない。
ところが、虹彩異色の疑いを持たれた上で、目の色を変える魔法を使っていることがバレれば、三段論法的にハーフエルフであることが確定してしまう。
でも、魔法が掛かっているのが前髪だけなら、他人は不躾に理由を探ることができない。
(たまに、クロスのようなデリカシーのない人もいるけれど……)
特に、女性が額から目元までを髪やスカーフで覆っている場合、口さがない人々はまず、顔にアザでもあるのかと疑う。危険と隣り合わせの冒険者なら、傷が残ることもあるから、なおさらだ。
理由を聞かれても、目ではなく額の辺りを押さえて“昔、ちょっと……”と口を濁しておけば深くは追求されない。
(冒険者でなくても、顔にアザを作っている女性は少なくなかったし……)
下町でも、貧民街に近い猥雑な地域では、妻に手を上げる夫は珍しくもない。
(近所のお姉さんたちも、男に殴られたと言っては、よく髪を下ろしていたわね……)
そう考えると、わたしが寄宿学校に入れられたのも、同じ理由かもしれなかった。
棄てたり監禁したりして、どこからか醜聞が広がることを恐れたのかもしれない。
(人の口に戸は立てられないものだから……)
取り返しがつかない醜聞が広まる前に、自分たちで噂をコントロールしようとした結果なのかもしれない。
寛大にも亜人種の私生児を養育してやっているのだと装うほうが、自宅敷地内に化け物娘を監禁していると噂されるよりは、幾分か体裁がいいのだろう。
わたしを婚外子とすることで、一族にとっては十分な醜聞であり痛手となる。
わざと世間の噂になる情報を漏らすことで、逆に真実を隠そうという腹なのだろう。
(どうでもいいけれど……)
ヴェルメイリオ家から縁を切られたわたしには、もう関係のない話だ。伯爵家の家名が地に落ちようと、わたしの知ったことではない。
(イーリースお継母様とシャーリーンの悪行が表に出れば、当然、お父様も責任を問われるでしょう。そこで、アルトお兄様に家督を譲って退場してくだされば、万事が上手く行くのだけれど……)
問題は、お祖父様が力を貸してくださるかどうか、だった。
わたしは、お祖父様がどのような人物か知らない。お祖父様にもお祖母様にも、お会いしたことがない。
介護が必要だと聞かされても、どのような病状なのかも知らされていない。
唯一、知り得たのはお祖父様が昔、冒険者だったということだけだ。
冒険者がどういう経緯を経て伯爵となり、なぜ今は辺境伯として僻地に住んでいるのか、そういった事情は全くわからない。
正直、他に行くところがないからお祖父様のお屋敷を目指しているだけであって、助けてもらえる保証などない。お父様が、わたしが訪れることをお祖父様に伝えているかどうかさえ、怪しい。
最悪、お前のような孫など知らんと突っぱねられる可能性もある。
この先のことを考えると、ため息が出そうになった。
(お祖父様に孫だと認めてもらえなかったら、アレスの魔法学園に行くしかないか……)
学園の寮に入れれば、とりあえず雨風はしのげるだろう。
後は、どうにかしてレッドも住み込みで雇ってもらえれば、住む場所だけは確保できる。
(その後のことは、また後で考えよう)
ため息を飲み込んで、アレスニーアで保証人になってくれそうな奇特な人物を見上げると、彼のほうこそがため息を吐いてわたしを見た。
(何よ、ため息を吐きたいのはこっちのほうよ!)
「もうハーフエルフであることを隠す必要はない。尋常ではない魔力量から、半ば察していたことだ。オレたちは、お前がエルフでも気にはしない。鑑定魔法でも開示されていた事実だろうに、今さらだ。それに冒険者の間では、パーティーに亜人種が混じっていることなど珍しくもない」
「貴方たちには、隠すつもりはないからいいのよ。でも貴方たちが気にしなくても、周りの人が気にするわ。亜人種を二人もパーティーに入れていては、迷惑を被るのは貴方たちよ」
「他人が何を言おうと、気にする必要はない」
「気にしなさいよ!」
「残念ながら、オレもリオンも、他人の戯れ言を気にするほどガキじゃないんでな」
「わたしはこれ以上、貴方たちに迷惑をかけたくないから言っているのに……!」
「パーティーの仲間同士で、迷惑もへったくれもないだろう。そういうのはお互い様だ。……だが、まあ、気遣いには感謝する」
ありがとな、と言ってクロスがほんの少しだけ微笑った。
(……珍しい、かも)
ここ一週間ほど一緒にいるけれど、クロスが笑ったところはあまり見たことがない。
近くに表情豊かなリオンがいるから、比較して余計にそう思うのかもしれないけれど、クロスはあまり笑わない人だった。
昨日、レッドのやり取りに爆笑していたのは、年に数回あるかないかの珍事だったらしい。
そのときの話をリオンにしたら、もの凄く驚かれた。
わたしとしては、なぜ笑われたのか未だに納得できないところはあるけれど……。
「オレは魔力量が多い方ではないから、常に魔力を喰うような魔法は使わないようにしている。アレスに移る前──王都の学院に入れられた頃からずっと、な」
「?」
「オレのような黒い髪と目の色は、この国では珍しい。誰が見ても異国の出身だとわかるだろうよ」
本当のところは、オレも自分自身の出身国を知らないんだが──とクロスは続ける。
「どこの馬の骨ともわからない異国の孤児が、某貴族の養子に迎えられたってだけでも注目の的だってのに、そいつがあっという間にエリン・メルローズの一番弟子にまで上り詰めてみろ。好奇の視線を向けない奴なんかいない。嫉妬や羨望で陰口を叩かれることも、嫌がらせを受けることも日常茶飯事だ」
確かに、黒髪黒目は隣国──カルデモント神聖皇国の人間に多いと聞いている。髪の色と目の色が、両方とも黒というのはこの国では珍しい。
「髪色を変えて、ウェスターランドの人間らしく装っていれば、周囲の反応も少しは違ったのかもしれないが……」
ああ──そういうことか。
ようやく、クロスの言いたかったことが理解できた。
クロスほどの腕なら、髪や目の色を変える魔法くらい簡単だ。
けれど、魔力が少ないために魔法を長時間維持しておくことが難しい。もしくは、魔力を節約するために、維持コストのかかる装身魔法を捨てたということだろう。
結果、ただの“生意気な子供”なら見逃されるようなことにも目くじらを立てられ、異国の血を引く余所者として差別されてきたということだ。
他人の言葉に一喜一憂し、振り回されるような段階は、とうの昔に通り過ぎたということか。
今さら他人の戯れ言を気に病むほど、軟弱な神経は持ち合わせていないと言いたいのだ。
それが、いいか悪いかは別として……。
“亜人種とパーティーを組んでいるからといって、無関係の外野に好き勝手は言わせない。その程度の実力は身につけているつもりだ”
言外にそう聞こえた。
なんというか、難儀な人だ。
本当に言いたいことと微妙にズレたことしか言えないか、持って回った言い回ししかできないらしい。
(あと、歯に衣を着せるということを知らないか、知っていても必要性を認めないタイプよね……)
リオンなら、もっとわかりやすく安心できる台詞を言ってくれそうだ。
(クロスは苦労してそうだから、理解がある理由は察するけれど……まさかリオンも?)
クロスが無愛想な二枚目だとしたら、リオンは親しみやすい二、五枚目だ。
(あんなに愛想がよくて、誰にでも好かれそうなタイプなのに……)
お人好しで、明るくて社交的。
ちょっと軽薄に見えるけれど、実は正義感の強いしっかり者。
そんな印象を受けた。
村の人ともすっかり仲良くなって、だいぶ食費の節約に貢献してくれていた。
食材のお裾分けをもらってくる確率が半端ではなかったのだ。
(うーん……よくわからないわね……)
追々、考えることにしよう。
「リオンは昔から兄弟と色々あってな、子供のころから周りの大人に口さがないことを言われたり、利用しようと取り入ってくる輩を捌かなきゃならなかったから、ちょっとやそっとのことでは動じないぞ。人間の本性なんか、嫌というほど見ているからな。だから、あいつが是とするなら、それは是だ。信じていい」
考えていたことを見透かされたようにそう言われて、わたしは驚いてクロスを見返した。
「なんだ? 理由が知りたかったんじゃないのか……?」
クロスが首をかしげた。
「いいえ、そうじゃないのだけれど……」
なぜ、言いたいことがわかったのか不思議だった。
「……リオンは、パーティーに亜人種が二人も入っていたら、迷惑ではないかしら?」
獣人族のレッドだけなら、荷物持ちの奴隷だと言えば誰でも納得する。
けれど、非力なハーフエルフを荷物持ちの雑用係と公言するのは不自然である。
もっと可愛い高級エルフだったら、対外的には“愛玩用”で通用したかもしれないけれど、回復役の正規メンバーとして扱われるなら、その人物が亜人種というのは外聞が悪い。
「リオンは亜人種に理解があるから心配いらない。ご両親の教育の賜物だな。──というか単純に、可愛い女の子と旅ができると喜んでいるぞ」
「……」
また、可愛いって言った。
どうして、クロスもリオンも、そう簡単に人を誉める言葉を言えるのだろう。
(育ちの差……なのかな?)
身分の差、というのとは違う気がする。
ローランド寄宿学校には、貴族出身の子女がたくさんいたけれど、漏れ聞こえる会話の端々には、他人を誉める言葉より、貶す言葉のほうが多かった。
(何度聞いても、慣れそうにないかも……)
慣れなくて、落ち着かなくて、嫌だと思った。
一方的な悪意なら、いつものことだと受け流せる。
でも、厚意や善意は──わたしにとっては、喉に詰まるほど大きな感情の塊でしかない。吐き出すこともできないから、我慢して無理に飲み下すしかない。
そもそも、“厚意”や“善意”といったものには危険が伴う。決して無償ではあり得ないのだ。
「賭けてもいい。だが、リオンに親兄弟のことは尋ねるなよ。オレが言ったことも黙っておいてくれ。──オレなら理由を知りたいと思うだろうから、教えただけだ。恐らく、お前も同じように知りたいだろうと」
「ありがとう、わかったわ。今聞いたことは秘密にしておく」
「礼を言うようなことだったか?」
「ええ。親友の秘密を教えてくれたのだもの」
「別にあいつとは親友じゃあない。ただの腐れ縁だ」
「そういうことにしておくわ」
「馬鹿なこと言ってないで、次行くぞ。──この棚の装飾品は駄目だな。補正値が低すぎる」
* 値段の話
わたしはまた二の腕を掴まれ、隣の通路まで移動させられた。
「先にローブを選ぼう」
「うん……」
確かにそれは、防御補正の値がいくつであろうと、旅に必要なものだった。
わたしもレッドも、あのときの戦闘で武器もローブもなくしてしまった。
買っていただけるというのなら、ご厚意に甘えたいところではある。
端から、展示された服や人形、それに畳まれた衣類が詰まった棚を見ていくけれど、先ほどの小物が並んだ棚とは明らかに値段が違う。
情けないことに、あまりの値段の高さにわたしは途中で目眩がしてきた。
「ごめんなさい。少し、外の空気を吸いに出てもいいかしら」
とても、厚意だからと気軽に甘えていい種類の金額ではない。
(これ……下手すると、お姉さんたちが一晩で稼ぐ金額に匹敵する……)
お姉さんといっても、実の姉妹のことではない。アトリエの近所に住んでいた、花街で働いているお姉さんだ。
一番安いローブでも、彼女らのお客一人分くらいの値段がする。
迂闊に、高度な魔法付与が施されたローブを買ってもらうと、後でどんな奉仕を要求されても断れない可能性がある。
わたしは、棚伝いによろよろと店の外へ出た。
「おい、大丈夫か?」
「平気。外で休めば良くなるから……」
そう、値段の見えない場所で。
まさか、魔法付与された冒険者用のローブがあそこまで高価だとは想像していなかった。
王都でも冒険者用の専門店は、外から窓越しに覗いたことがあるだけだった。窓際に飾られていた何点かの値段しか見えなかったけれど、付いていた値札は、一週間前まで着ていたローブの十倍だった。
(王都の店で窓越しに見たローブとほぼ同等の物が、この田舎村でも売っているということは──)
上級冒険者御用達の高級品が、田舎の道具屋に卸されることはないだろうから、王都で見たローブは特別な高級品ではなかったということになる。
(つまり、魔法付与されたローブはあの価格帯が普通なの……!?)
それでもクロスが品揃えが悪いと言っていたくらいなのだから、専門店の奥では卒倒するような値段の装備が売っているのだろう。
恐ろしい恐ろしい。
* ブーツを選ぶ話
数分後、気を取り直して店の中に戻ると、カウンターに大きな角灯が四つ置いてあった。さっきまではなかった物だ。
「アリア、大丈夫か?」
角灯のそばには、クロスがいた。
「これ、どうしたの?」
「買った」
一言、クロスはそう言って角灯を魔法鞄に収納した。
ついでのように、その横の紙包みも収納する。
「大丈夫なら、見てほしいものがある。ちょっと来い」
また腕を引かれて、今度は通路ではなく壁際の陳列棚のほうへ連れて行かれた。
(まったく……。連行される囚人じゃないんだからっ、)
目的の売り場に到着したところで、ようやく腕を離してもらえたので、いい加減にわたしはこの不当な扱いに対して抗議した。
「物みたいに、鷲掴みにして引っ張るのはやめてくれるかしら。子供じゃあるまいし、店内で迷子になんかならないわよ!」
クロスがきょとんとした顔でわたしを見た。
次いで、自分の手を見る。
(ひょっとしてこの人、無意識にやっていたのかしら……?)
淑女扱いしろとは言わないけれど、農家の若者でも今時、もう少し分別がある。軽く肩に触れて注意を促すとか、背中を押して方向を示すとか、いくらでも他に方法があるはずだ。
(それを、囚人の連行でなければ、虫取りに行った子供みたいに……!)
「すまない。手首より掴みやすかった」
そういう問題じゃない!
手首ならいいのか、という話でもないのだ。
(わかってないなあ……!)
そう思って言い返そうとしたときだった。
「手首と肩は、触れたら折れそうに細いだろう。二の腕辺りなら、まだマシかと」
誉めているのか、貶しているのか、わからないことを平然と言い出した。
クロスが何も考えていなかったことが、はっきりした瞬間だった。
「もういいわ。──それより、ローブはどうしたらいいの?」
「もう買った。そこそこの補正値が付いたのは一着しかなかった。色柄が好みでないのは我慢しろ」
そうですか、私の意見は無視ですか。
まあ、贅沢を言える立場ではないので構わないけれど。
「それで、見せたいものって何?」
壁際の棚には靴が並んでいる。荒れ地を歩くのに適した冒険者用の装備──主にブーツだ。今履いている靴は、王都の町の中を歩くのに適した布の靴で、軽くて安い。確かに、耐久性は期待できそうにないので、長距離を歩くには不向きかもしれなかった。
昔はもう少し丈夫なショートブーツも持っていたのだけれど、野山に行っても薬草を摘むだけで、激しい戦闘をするわけではないから、買い換えるときに諦めた。丈夫な革のショートブーツは、魔法が掛かっていない中古品でも、結構な値段がする。ローブほどではないけれど、掘り出し物価格でなければ手が出なかった。
「魔法付与された物は、ある程度は魔力でサイズ調整が効くが、ローブと違って靴は、合わないものを履いていると足を傷めることになる。いくつか候補を選んでおいたから、試着して合うものを探せ」
わかったと答えながら、内心、値段に関してはもう諦めることにした。
魔法付与された冒険者装備に、安価なものなど存在しない。
安いものでも、二週間分の食費以上の値段がする。
選択肢として挙げられた靴は四足で、どれもショートブーツだった。
(何の革かしら?)
触って、一瞬だけ右目のスキルを使って、よく見てみる。
「一般的なリザードの皮ね。こっちは砂リザードで、軽くて丈夫。こっちは沼リザードで、水に強くて丈夫……か」
リザードの革は汎用性が高くて加工しやすいけれど、付与魔法を掛ける場合の素材としては、適しているとは言い難い。
「あれはグリーンボアで……あら、これはブラッド・ブル?」
値札には素材と付与効果、それにより補正数値が記されているけれど、どうも素材の表記が間違っているようだった。
「たいしたものだ。ブラック・ブルとブラッド・ブルの区別がつくのか?」
「薬草を見分けるのと似たようなものよ」
右目を使って簡易的な鑑定をしているのは、秘密だ。
この右目が持つスキルは、わたしにも全貌を解明できていない。
遠見や索敵のような能力もあるけれど、古代語や古代魔法語、いくつかの他国語の翻訳能力、見たものをそのまま写し取ったり、再現したりする能力──そのほかに簡単な鑑定スキルのようなものまで備えているのだ。
ただ、どれも“××のようなもの”という中途半端な能力であって、実戦で役に立つほど高いスキルではない。
例えば“鑑定のような能力”は、薬草や商品を見分けるのには役に立つけれど、補正値が数字として見えるわけではない。なんとなく良し悪しが判別できるようになる程度で、根拠がないから自分以外には適用できない。
(明確な理由もないアドバイスなんて、他人が聞き入れてくれるわけがないもの)
それこそ、気味悪がられるだけだ。
特に、人や魔物のような生き物は鑑定できないから、普通の鑑定スキルとも違う。レベルを問わず、動く生き物には通用しないのだから。
(たぶん、じっと凝視しなければ鑑定できないせいもあると思うのだけれど……)
つまり、敵についての情報は見えないから、戦闘では役に立たない。
こんな中途半端な能力では、仲間に迷惑をかけるのがオチだ。
「これ、値札間違ってるわよね?」
「そうだ。たぶん流通過程で間違われたんだろう。実物を触ったことのある者でなければ、気がつかない程度の差だ」
わたしも、触ったことはない。右目のスキルがなければ気づかないところだった。
「ブラック・ブルは水牛に毛が生えた程度の魔獣だが、ブラッド・ブルは違う。上級冒険者でも倒すのが困難な猛牛だ。触ると、血管の表れ方と魔力の通り方が違うからわかる。本来なら一桁違う高級素材だが……目利きのいない田舎では、たまにこういうことが起きる」
「掘り出しものね」
「足に合えばな」
履いてみろ、と自然に肩を貸す体勢を取ってくれるので、わたしは促されるまま、三週間分の食費を優に超える値段のショートブーツにつま先を突っ込んだ。
しゃがみ込んでブーツを差し出してくるクロスの肩につかまり、体を支えながら布の靴を履き替える。
きちんと両足とも履き替えると、彼の肩から手を離し、くるくると何歩か歩いてみた。
「どうだ?」
「まあまあね」
「正直だな」
三回、同じことを繰り返して残りの三足も試着してみた結果、わたしは砂リザードの、軽くて丈夫なサンド・グレーのブーツに決めた。色も素敵だ。
惜しいけれど、ブル革は選ばなかった。
ブル革のほうが少し踵が高いので、歩きやすさではリザードが勝《まさ》った。
「これにするわ」
試着を終え、わたしがサンド・グレーのリザード革のショートブーツを手にすると、同じようにクロスがブル革のブーツを手に持った。
「これも買おう」
「えっ」
「転売する」
魔法のことしか考えていないような顔をして、以外と狡っ辛い。
* いい加減、前髪の話から離れてほしい
ほぼ必要な買い物を終えたところで、ポンと頭に手が乗った。
「行くぞ」
腕をつかむなと言われたから、頭に合図することにしたのだろう。
「だから、髪とか頭はやめてって言ったでしょっ!」
「髪を引っ張るなとか、腕を引っ張るなとか、うるさい女だな」
市井の悪童でもあるまいし、普通、いい大人は女の子の髪を引っ張ったりはしないものだ。
あと、腕を鷲掴みにして引っ張ったりもしない。
「いいから来い。最後はこっちだ」
軽くわたしの頭に手を置いて、進め曲がれと指示を出す。無理に抵抗すると首が痛くなりそうだったので、仕方なく指示された通りについて行った。角度によっては一瞬、寄り添うような体勢になったりもしたけれど、そこにロマンチックなものは何もない。
(本気で拒もうと思えば拒めるけれど、)
たぶんこれは、揶揄われているのだ。
(いちいち怒るのも大人げないかな……)
わたしは諦めることにした。
最後だと言われて連れて行かれた棚は、最初に眺めていた装飾品の棚だった。一見、女性向けのアクセサリーが多いように見えたものの、男女兼用やペア使いできそうなものから、ハンカチやバンダナ、チャームのような小物類まで雑多に置いてあった。
「これ、補正値が低すぎるって言ってたのに……?」
「一つ一つはな」
何気なく一番手前にあったピアスを手に取ったら、台紙に三日間は豪華なランチが食べられそうな金額が書いてあった。
「うわ、」
また目眩がしそうになって、慌ててその高額商品を棚に戻した。
「何だ? 呪われた装備の類は置いていないだろ?」
「そうじゃなくて……」
駄目だ。たぶん、この人に値段の話をしても共感を得られない。
「一つでは防御補正も微々たるものだが、いくつか付ければそれなりの効果が出るだろう。三つ四つ、好きなものを選べ」
「え?」
「その鬱陶しい前髪を、切るか留めるかしろと言っているんだ。髪留めを買ってやるから、何とかしろ」
わたしは再び前髪を押さえてクロスから距離を取った。下手をすると毟られそうだ。
「そう怯えなくても、もう引っ張ったりしない。……その、顔が隠れていると、表情が読み取り難いだろ」
一瞬、言い淀んでから奇妙な告白をされた。
「オレは、他人の言葉は額面通りにしか受け取らない。微妙な差異だとか行間だとか、そういった言語化されないものを汲み取る気はない」
「……」
はあ、そうですかとしか言いようがない。
「その分、参考として人の表情や魔力波長を見ている」
「……魔力波長が見えるの?」
「魔法に精通した人間は皆、多かれ少なかれ視えているはずだ。お前だって、視えているんじゃないのか?」
「……」
その通りだった。
だからこそ、見え過ぎないように前髪を下ろしている。
左目は普通に見えるものしか見えないけれど、右目は違う。予期していない瞬間に鑑定紛いの情報が見えることもあるし、時には、生きている人間が視てはいけないものが見えることもある。
上手く制御できればいいのだけれど、今のところ、まともに使えるのは古代魔法語や魔方陣の解読くらいだ。
「見ないように……努力しているの……」
綺麗なものが視えることは少ない。
危険回避に役立つこともあるけれど、基本的に素材と魔法書以外には右目の力を使いたくなかった。
今まで“視える”という魔法使いに会ったこともなかった。
ずっと、自分だけが異常なのだと思っていた。
「一緒に旅をするのなら、いずれオレはお前に嫌な思いをさせるだろう。女ゴコロなんてものは、理解できないからな。だが、表情が見えれば少しはマシなはずだ。──ハーフエルフの一人や二人、パーティーにいたところで問題はない。外野は全部、オレとリオンで黙らせるから、何も心配しなくていい」
言外に「前髪、上げてもいいんだぞ」と聞こえた。
実際に聞こえたのは「どれでもいいぞ。どれも効果は似たり寄ったりだ」という投げやりな言葉だったけれど。
「あ……ありがとう……」
わたしは、もごもごと小さな声でお礼を言うしかできなかった。
これは受け取っても大丈夫な厚意なのかどうか、もはや正常な判断ができない。慣れない価格帯の品物を見過ぎて、頭が混乱していた。
結局わたしは、小さな花のモチーフが付いた髪留めと、後ろ髪をまとめたときに使う大きめの髪飾り、それとローブに付けられるブローチを選んだ。
どれも、混ざり物の多い安い金属でできていて、本物の宝石が付いているわけでもない。屑石を加工したオモチャのような石が付いている。城下の雑貨屋で売られているのと同等の品だ。
それでも、髪留め用の金具が付いているだけで結構な値段がする。魔法付与されていなくても、わたしは露店でさえ髪飾りを買ったことがなかった。髪をまとめるだけであれば、端布で作ったリボンで十分だったからだ。
クロスに選んだ品を見せると、ふーんと興味なさそうな顔をした後、わたしの手元にペンダントを一つ追加した。
「その三つにするなら、これも買って同じ色で揃えたらいい」
確かに薄紫と青の小花で、ブローチや髪留めとお揃いだけれども……。すでにローブと靴を買ってもらっているのに、色を揃えるためだけに買う物を一つ増やすのは、なんだか申し訳なかった。
(お姉さんたちなら、喜んで買ってもらうのでしょうけれど……)
わたしはそういう気分にはなれなかった。
意味もなくプレゼントのような品をもらうのは、気が引ける。
(いいえ、これは防御力を上げるため。パーティーのレベル差を埋めて、バランスを整えるためなのだから……)
* 忘れずに薬瓶を買う
今度こそ会計に向かい、カウンターにブーツとアクセサリーを並べて置く。
リオンもクロスも、旅の冒険者にしてはたくさん買い物をしたものだから、お店の人は上機嫌で接客してくれた。
リザード革のショートブーツは、この場で履き替えることになったので、古い布の靴はお店で処分してもらうことにした。
もう一足のブーツは、クロスの魔法鞄に吸い込まれた。
小袋に入れられたアクセサリーは、わたしが受け取った。
ところで、支払いをしていたクロスが思い出したように言った。
「そう言えば、アリアは他に必要なものはなかったのか?」
今ごろになって思い出すところも、言葉の選び方が“欲しい物”ではなく“必要な物”というところもクロスらしかった。
「投擲用の薬瓶があれば、いくつか欲しかったのだけど……」
ハイエナ型魔獣に使ってしまった麻痺毒を、作り足しておきたかった。
素材となる植物や生き物の毒液などは、道中で採取できるとしても、薬瓶だけは店で買わないと手に入らない。
「店主、」
クロスが呼びかけると、お店の人は満面の笑みを浮かべて薬瓶の在庫を出してきた。
緩衝材の藁を詰めた木箱に、十二本の空の薬瓶が並んでいる。
「いかほどご入り用です?」
私が「二〜三本」と答える前に、クロスが涼しい顔をして「全部」と即答した。
「どうせ使うだろ」
「でも……」
わたしの魔法鞄には、1ダースもの薬瓶──それを木箱ごと収納するような容量が、もうない。1ダースでは、立て替えてもらったお金を返すことも難しい。
靴だって、古いほうを保管しておくスペースがなかったから、今まで履いていた布の靴を処分することにしたのだ。
「この先、魔法薬を提供してくれるなら、材料費はこちらで持つ」
今まで、そんなことを言ってくれたパーティーはなかった。
おろおろするわたしに構わず会計は進み、クロスは当然のような手つきで薬瓶の木箱を自分の魔法鞄へと収納した。
「預かっておく。どうせ、マジックバッグも容量が残ってないんだろう?」
「……うん」
道具屋を出る間際、クロスがそっと耳打ちした。
「アレスニーアに着いたら、もっと容量のあるマジックバッグを探してやる。薬瓶のような雑貨は田舎のほうが安いが、魔法付与された道具を買うなら断然、アレスだ。露店でさえもっといい物が揃っている」
それはいったい、どれくらいのお値段なのでしょう。
怖くてとても聞き返すことはできなかった。
* 羨ましい
ほぼ同じころ、着替えの服を買いに行っていたレッドとリオンが戻ってきた。
リオンはいつものように手ぶらだけれど、レッドは大きな紙袋を抱えている。リオンに服を見立ててもらったらしい。
レッドが連れて行かれたのは、古着のコーナーだったから、わたしの魔法付与された靴やローブよりはずっと安かったはず。
(あっちのほうが、精神的には優しかったかな……)
無用な精神攻撃を受けなくて済んだレッドが、少し羨ましい。
買ってもらっておいて“もっと安いのでよかったのに”と思うのは、遠慮を通り越して贅沢や我が儘になるのだろうか──?
親からも、誰からも、物を買い与えられたことなどなかったから、上手な受け答えの仕方がわからなかった。
店の前でクロスとリオンが、次はどこへ向かうかと相談を始めた。
レッドが図々しくも腹減ったと言い始め、二人もそれを咎めることなく、友人同士のように会話している。
男友達三人で集まって休日に買い物に出かけ、成り行きで付いてきた女子が一人、なんとなく疎外感を感じているという光景に近い。
いつの間にか、レッドとリオンが昔からの仲間のように気安く話していることが驚きだった。
(リオンは元々、人当たりがいいみたいだから不思議ではないけれど……)
最初は「胡散臭い」と警戒していたレッドが、今ではすっかりリオンと仲良くなっている。
(レッドもコミュ力高いほうだし、無理もないか……)
陽キャが二人揃うとこうなるという、いい見本である。
レッドがまるで、リオンの弟分のようだった。
(っていうか、むしろ先輩後輩って感じかな?)
──ああ、そうだ。昔、アルトお兄様が連れていた後輩の少年たちがあんな感じだったかも。
騎士見習いのお兄様と、いずれは騎士課程に進むであろう、貴族学院の新入生たち。
兄は交友関係が広かったから、学内外の友人や後輩、先輩方を家に招くことも多かった。
わたしは、シャーリーンや、お継母様がもてなす彼らを隠れて見ていた。
(絶対に姿を見せるなと厳しく言われていたから、)
窓からそっと覗くことさえ許されなくて、遠見の魔法を使ったこともある。
そのときに見た、新入生らしき少年たちが、あんな雰囲気で──憧れの先輩と話せて嬉しそうにしていた。
緊張してかしこまってはいるのだけれど、お兄様が気さくに話しかけるから、すぐに打ち解けて年相応の話し方に戻ってしまい、お互いに注意したりされたりしながら、懸命に先輩たちの会話に付いていこうと努力していた。
彼らの真剣の姿勢から、アルトお兄様のことを身分ではなく“騎士課程の優秀な先輩”として尊敬していることが、見ているこちら側にまで伝わってきた。
わたしは何度か、羨ましい気持ちでそれを眺めた。
学校に行って、友達を作って、あんなふうに楽しくお喋りできたらな──と。
その後、貴族学院ではなく寄宿学校に入れられて、学校に行くだけでは友人は得られないし、楽しいお茶会にも有り付けないのだと、思い知らされた。
(わたしは、お兄様ほど社交に長けていないから……)
そもそも、貴族社会に不向きだったのかもしれない。
ハーフエルフの疑惑がなくても、きっと上手く学校に馴染めなかったことだろう。
久しぶりに昔のことを思い出して、切なくなった。
お兄様と後輩の少年たちの、在りし日の姿が重なって見えた。
レッドの高い社交性は、天性のものでもあるのだろう。けれど、同時に処世術でもあり、ジョブ特性でもあるはずだ。
屈託ない態度で誰にでも話しかけ、積極的に情報収集をし、媚びを売ってでも上手く立ち回らないと、生き残れない環境だったからに違いない。
そういう処世術が苦手で孤立することを選んだわたしは、レッドの存在にずいぶんと助けられてきた。
獣人族には、獣人族同士の繋がりがある。独自の情報網を持っているのだ。
王都にいたころは、それで何度も役立つ情報を仕入れてきてくれた。
ギルドの依頼は、審査されてから貼り出されてはいるとはいえ、必ずしも正確とは言い切れない。
依頼人が故意に嘘を吐いたわけではなくても、素人には魔物の見分けなんてつかないから、事実と異なるケースが度々ある。自身の安全と正確な報酬請求のためには、独自の裏取りが欠かせない。──と、わたしはレッドに教わった。
冒険者として半人前で頼りなかったわたしを、レッドは甲斐甲斐しくサポートしてくれた。
(一蓮托生の身の上だから、っていうのもあったでしょうけれど……)
そんなレッドに対して、わたしは一瞬とはいえ嫉妬にも似た感情を抱いてしまった自分を恥じた。
* とっておきのローブ
四人で食事をしてから宿に戻り、それぞれの部屋の前で分かれる前、わたしはクロスから一抱えある包みを手渡された。
道具屋のカウンターに、角灯と一緒に置いてあった包みだ。
部屋に戻って開けてみると、やはり例の魔法付与されたローブだった。
(しかも一番高いやつ……)
もう、驚く気力も残っていない。
売り場に並んでいた──というより“展示”されていた外套類の中で、最も目立つところに飾ってあった人形が着ていた品だった。
色は無難な黒一色だけれど、逆にそれが魔法使いらしいとも言える。
吊るしで売っていたものと、展示用の人形が着ていたものの大きな違いは、袖口や裾などに華やかな刺繍が入っているかいないか、だった。
(この刺繍糸にも魔力が通っているのね……)
黒い生地の中で目立つ銀色の糸が、わずかに輝いているように見えて、とても美しかった。
ローブに付与される一般的な防御魔法に加え、魔力のこもった刺繍糸がさらに補正値を底上げしているのだ。
魔道具は、値段が高いものほど付与されている魔法が多い。
衣服や装備ならば、それは目に見える装飾の量となって現れる。
値札を裏返してみると、四属性への魔法耐性が1づつと、物理防御が二桁、さらに耐久値がほぼ丸々残っていて、まるで新品のようだった。
値札の表面は見なかったことにした。見なくても、高額なのはわかっている。
(お店の人も、まさか売れるとは思っていなかったのでしょうね……)
だから人形に着せて高いところに飾り、完全に店内の装飾として扱っていた。
(わたしもまさか、店主にあれを棚から下ろさせてまで購入していたとは思わなかったけれど……)
ほんの少し、店の外へ出ていた間の出来事だ。
知っていたら絶対に遠慮して断っていた。
(道理で店主の愛想がいいわけよね)
こんな田舎の道具屋には、珍しい上客だろう。
辺鄙な田舎の村にゴブリン退治に来るのは、たいていが稼ぎの少ない新人冒険者だ。必要最低限の道具を調達に寄ることはあっても、いきなり一番高いローブを買い求めることはないし、薬瓶を箱買いすることもないだろう。
村人は魔法付与された装備を買うことはないし、そもそも魔道具を買うことはないだろうから、よほど特設コーナーの売り上げが悪かったのかもしれない。
なんなら商品も薄らと埃を被っていたくらいだ。
わたしはローブに袖を通してみた。
魔法付与された装備は、魔法によってある程度のサイズ調整が利くようにできているそうで、着用してみると、袖や裾の長さはちょうど良いくらいに整っていた。
さすがに袖口にはやや使用感があって毛羽立っていたけれど、全体的にとても状態が良い。生地も、厚手でしっかりしているのに、見た目に反してかなり軽い。
女性用か男性用か、一見してわからないシンプルな作りだったけれど、そんなことは全く問題にはならなかった。
わたしはローブを着たまま、ダンスのようにくるりと回って、裾がひるがえる様子を楽しんだ。
未だかつて、服や装備の着心地を楽しんだことなんてなかった。
継妹のシャーリーンは、新しいドレスを買ってもらうたびに、くるくる回って裾をひるがえし、楽しそうに踊っていたけれど、わたしには縁のないものだったから。
フリルやレースのあしらわれたドレスも、たっぷりとした生地のドレスも、我が家では継妹とイーリースお継母様だけのものだった。
シャーリーンは、わたしがメイド服や下働きのエプロンドレスのお下がりを、さらに仕立て直して着ていることを知っていながら、当てつけるようにして目の前で舞うのだ。
“お継姉様、どう? 素敵でしょう?”
嫌みたらしく言うのなら、まだわかる。
腹違いの姉が嫌いだから、意地悪をしたいだけなのだろうと、まだ納得ができた。
(でもシャーリーンは違う)
あの娘は他人の痛みを理解できない。
結果として我が侭な貴族令嬢が出来上がっているだけで、本来あれは社会に出してはならない存在なのだろう。
──先に“秘匿すべき化け物”として、存在を隠蔽されたわたしが言うのも可笑しな話だけれど。
ほんの少し順番が違っていれば、幽閉されることになったのは、シャーリーンのほうだったかもしれないのだ。
あの娘がペティナイフでわたしを刺した後、どんな言い訳をしたのか知らないけれど、あの件はなかったこととして処理された。
確かに刺したと言い張るシャーリーンに対し(加害を声高に言い張るのもどうかと思うのだけれど)、刺されたはずのわたしが生きていて、怪我もしていなければ傷も残っていないのでは、事故にも事件にもなりようがなかった。
けれどその後、屋敷では同じ年頃のメイド見習いが二人、姿を消した。
わたしはさらに二度ほど、シャーリーンに刺された。
いくら腹違いの姉妹が憎いからといって、十歳にもならない子供が姉を刺し殺そうとするものだろうか。
荒事が身近な冒険者の子供や、戦場育ちの傭兵の子供の話ではない。訓練や度胸試しで経験を積むのとはワケが違う。
蝶よ花よと甘やかされて育ったはずの、貴族令嬢の話である。
普通の親なら、何か異常性を感じるものではないのだろうか。
少なくとも、わたしが知っている大人の冒険者は、ものの試しに異母姉を刺し殺そうとするような子供がいれば、厳重に監視し、矯正を促す。
子供が笑って他人を害する──それは異常なことだからだ。
戦場やダンジョンのような特殊な場所ならいざ知らず、日常の一端でそのような行為が行われることは、あってはならない。
(何もかも“今さら”だけれど……)
今なら“異常だ”とわかることも、あの当時はよく理解できなかったから、継妹だけが令嬢として扱われ、わたしは“化け物”として一族から疎まれ、最初から居なかったものとして存在を消された。
存在しない者だから、幽閉さえされない。誰も、死なずの化け物には関わりたくないから、閉じ込めて管理することさえ、したくなかったのだろう。
誰もわたしに関わろうとはしなくなった。
あの家でわたしは、屋敷妖精のようなものだった。
存在しない者のように振る舞いながら、けれど生きてはいるので食べて眠らなければならない。存在しない娘に無償で衣食住が与えられることはないから、わたしはメイドに混じって働いて、賄いを分けてもらって食いつないだ。
場所が王都の路地裏ではなく、実家の広大な敷地内であるというだけで、やっていることは、貧民街の孤児や物乞いと同じだった。
いっそ、母の面影も知らない本物の孤児だったならば、見栄も矜持もなく盗み、騙し、奪うことを躊躇しなくて済んだかもしれない──と、考えたこともあった。
(本物の孤児たちに失礼だから、一瞬で考えるのをやめたけれど)
物置小屋とはいえ、屋根のある場所で寝起きすることができた者が、そんなことを言っては罰が当たる。
今さらながら、イーリースお継母様も、お父様も、上手くやったものだと思う。
敷地の一角に幽閉でもしようものなら、いずれ使用人の間に噂が広がる。
立入禁止の場所と、急に姿を消した長女──。それらを掛け合わせれば、下世話な噂話が出来上がることは請け合いだ。
たとえば“アリアお嬢様は寄宿学校に入学したと言われているけれど、実は継母に疎まれた挙げ句、立入禁止を言い渡された例の小屋に幽閉されているのではないだろうか”とか“実はもう殺されていて、あの小屋の下に埋められているのではないだろうか”とか。
けれど、幽閉せずに野放しにしておけば、わたしが使用人に何を言ったところで頭のおかしい小娘が一人うろついているだけになる。使用人を全て入れ替えてしまえば、真相をうやむやにすることができる。
わたしのことは、以前この屋敷にいたメイドの遺児だとでも言えば、取り繕える。
“慈悲で置いてやっているが、頭がおかしい。何を喋っても真に受けるな”とでも言っておけば、それで済む。
何より、誰も死んでいないことが強みだ。
虐待の証拠──幽閉されて衰弱した娘や、死体が出ない限り、何とでも言い逃れができる。
言い訳に穴があっても、死人が出ていないから誰も強くは詮索できない。
──というのが、イーリースお継母様の描いた筋書きだったのかもしれない。
(そして、折を見てもっと本格的に殺しにかかるつもりだったのだろう)
実際、そうだった。
子供が調理用のペティナイフで切りつけるような生半可なやり方ではなく、後日、何度か本職の方が送り込まれてきた。
お継母様の唯一の誤算は、わたしが泣き喚くことも抗弁することもなく、家出もせずにメイドとして働き出したことだろう。
かくして、伯爵家の長女は消え、出自のはっきりしないメイド見習い──屋敷妖精もどきが一人増えたというわけだった。
(だってあの当時は、あの屋敷がわたしの唯一の家だったのだもの)
追い出されるように出て行くのも、継母と継妹に負けたような気がして癪だったし。
屋敷を抜け出すことは簡単だけれど、町の中よりは実家の敷地内のほうが多少は安全だと踏んだから、わたしは家出をしようとは思わなかった。
何より、あの女の悪事を見届ける義務があると思っていた。
黙ってあの女の悪事を見ていることができなかった。あの女がフィレーナお母様の部屋や持ち物を荒らすことが許せなかった。
(許せなくても、何もできなかったけれど)
結局、殺しても死なないわたしの処遇に困ったあの女とお父様によって、わたしは寄宿学校へと押し込められた。
ちなみに“本職の方”は、一人目は魔力の暴走によって焼け死に、二人目は骨だけ残して消し炭に、三人目は灰も残らず焼き尽くされた。
制御できないために意図して使うことができない属性魔法も、とっさの瞬間だけは役に立った。
本来なら、目障りな前妻の娘など、いじめ倒した後に政略結婚の道具として遠方に売り飛ばすくらいはするのが、世に言う継母というものである。
わたしが政略の駒にされなかったのは、ハーフエルフのような虹彩異色の容姿をしていて、死なずの化け物であったからだ。
(ハーフエルフの容姿をしていて、得したことはそれだけだわ)
一族の恥を外に出すわけにはいかないとお父様がおっしゃったから、わたしは遠方の知らない男性のもとへ嫁がされずに済んだ。
残るは一生、屋敷で飼い殺しにされるだけの運命だった。
ところが幸か不幸か、今度はお祖父様の介護をするよう命じられて、辺境送りになった。
そんな境遇だったものだから、新しいローブは素直に嬉しかった。
値段のことは後で考えよう。
むしろ、値札が付いていてよかった。
プレゼントではないとはっきりわかる。
パーティーの必要経費から出費されている――パーティーの財産を借りているだけだと思えば、少しは気が楽になるというものだ。
くるくると舞いすぎて目が回ったわたしは、最後にはばったりと寝台に倒れ込んだ。
(誰にも見られていなくてよかったぁ……)
薄くへたってはいるけれど、この寝台にはマットレスが敷き込んであって、きれいにベッドメイキングがされていた。
物置の麻袋や、農作業小屋の藁とは違う。
クロスとリオンが宿を取ってくれたので、ちゃんと屋根があって、寝台のある場所で眠ることができた。
それだけでも十分にありがたいことなのだ。わたしとレッドだけの旅ならば、いつまでたっても野宿だった。
(レッドが戻って来る前に起きなきゃ……)
子供みたいにはしゃいで、目を回して倒れたところなんて、見られたくはなかった。
この旅の行く末がどうなるかはわからないけれど、実家で飼い殺しにされるよりは絶対にマシなはずだ。
少なくとも、継母と継妹の顔を見なくて済むだけで、清々しい気分になれる。
辺境でどんな酷い目に遭うとしても、腹違いの妹からペティナイフで刺されるよりも酷いことがあるだろうか。
しかも、道中はクロスが魔法を教えてくれると言った。ないと判定されていた魔力属性も、鑑定の間違いによるものだったから、これからは属性魔法が使えるようになるかもしれない。
そう考えると、意外と恵まれた環境に思えて笑えてくる。
ふふ、と一つ微笑って、わたしはそろそろと起き上がった。
本編こちら→https://ncode.syosetu.com/n1824ia/
姉妹編こちら→https://ncode.syosetu.com/n1340ii/