表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

清純派アイドル出雲こころがウ◯コを我慢しているだけ


 小さいころの、私の夢。

 それは一つしかないです。

 アイドルでした。


 ほんとに小さなころからの夢だったなぁ。

 たぶん二歳とか三歳とか――とにかく物心つくよりも前の話。


 私のお母さんがですね、動画、持ってるんですよ。解像度の小さい、古っぽいの。

 その動画、テレビの前で女の子が両手両足ブンブン振り回してるところを撮ってて――そう、手足ブンブン。踊りなのかな……踊りでさえないと思うんだけどアレ……まあオマケしてモンキーダンスって呼んであげましょう。


 これ、自分でも覚えてないし、できれば認めたくないんだけど。

 動画に映ってるおサルさん、私の顔してるんだなぁ。


 いつから夢見てましたかって聞かれたら、そのときからって答えるのが無難かも?


 二歳のころからアイドル目指し。

 最初に覚えたのはモンキーダンスでした。

 そういうことにしておいてください。アハハ。


 それからだんだん物心ついてくると……私、女の子ですもん、わかりますよね?

 もうアイドルになってる気になって、毎日、毎日、下手なお歌を歌ってました。


 ほんと下手だった。

 ファンの皆さんは上手だよって言ってくれますけど、いまも自信無いな~。


 お父さんとお母さんがボーカルスクールに通わせてくれて。

 お仕事しませんかって言ってくれた事務所からも〝お前サッパリ上達しないな~〟なんて言われながら、それでも根気強く鍛えてもらって。

 それでようやく、アイドルの端っこ、くらいに並べてもらえました。


 がんばりました。

 いまもがんばってます。

 皆さんの期待、ひしひし感じてますからね。肌とか電気走ってるみたいに、ビリビリ~ってくるときあります。


 歌とダンス、妥協できません。

 体形も崩れないようダイエットして。


 ――え? ダイエット必要あるようには見えない?


 そう言ってもらえるのは嬉しいですけど、油断するとすぐお腹プニっちゃいます。

 だから大事なイベントの前とか、食事は脂肪抜きが基本。私、糖質はわりと平気なんですけど、脂質がダメなんです。DNAってやつ調べてもらった結果なので、間違いなし。油断しちゃダメなのに油は断たないと。


 ええ、いまもダイエット期間中です。

 ここ最近の食事。蒸したササミと、サラダと、あとなにか。なにかってなんだよ……なにかなんですよ。ドレッシングは当然ノンオイル。

 こういうの続けてるから、いまの私、すっごい油に飢えた状態なんです。ガルル。


 いや、油だけじゃないか。

 栄養自体がチョイ足りてない感じ。

 それが不健康なのはわかってます。あといくらか――おかず一品とごはんをもう少しくらいかな――多めに食べた方が確実にいいです。確実に。


 でも、このチョイ不健康を維持できるとキレイになれるんですよ。体脂肪率が減って、身体がスラッとします。筋肉がハッキリ浮き出てくると、女の人でもカッコいいですよね。あ~個人的な意見、お腹はあんま見ようとしないでほしいかな。腹筋割れてるってバレるの、ちょっち恥ずいんで。


 食べたいものを食べずに我慢して。

 身体を絞って、ステージに立つためのギリギリのところを残して。

 コレ、つらいんだけど、じつのところつらくはないんですよ?

 アイドルですもん。なりたかったものになれた証拠みたいなものです。


 繰り返しになりますけど、歌と踊り、しっかりこなします。スタッフさん、みなさんプロフェッショナルで尊敬です――それをぶち壊しにできません。

 礼儀作法、ときどきあやしいですが、勉強中と笑って許してください。


 ……恋人、作りません。

 ええ、作りませんとも、絶対に。


 トラウマがあるんです。

 いやいや、私が男の子からいじめられたとかじゃなくて。


 昔、とあるアイドルの人が引退するとき、ファンの人を裏切って。

 じつは私もファンの一人で。

 すごいショックだったなぁ。

 だから、私なんかを推してくれる人のこと、同じ気持ちにさせたくないんです。


 歌が上手で、踊りが上手で、笑顔が素敵で。

 みんなのこと一人も余さず愛していて。

 それで特定の誰かのものでない、本当のアイドルを目指してきました。


 ただ……ただですね。


 これまた非常にくやしいんですけど、どうやら私、身体の芯からキラキラしたアイドルとは違う、普通の女の子寄りな女の子として生まれたみたいで。

 皆さんの思い描くような、理想のアイドルと違って。

 すごく下世話なことなんですけど。

 率直に言って、私はいまですね。


 猛烈にウンコがしたくなってます。



   ▽



 ヤバいなって思ってます。

 ヤバい。語彙力、消失です。それくらいヤバい事態と思ってください。


(あ~、ウンコしたい)


 イベント開始直前、リハーサル真っ最中なんですけど、ウンコを催してきました。

 すればいいじゃんって、それができれば苦労は無いんですよ。


 どうしてかって?

 ん~、アイドルとして恥ずかしい話……に、なるんですがね。


 昨日の仕事、時間押しちゃって、寝るのが遅くなっちゃったんですよ。

 寝るのが遅くなると、朝、つらいじゃないですか。

 下手すると目覚まし時計が鳴るのも気づかず爆睡じゃないですか。


 ……爆睡でした。


 ビックリしたなぁ。

 ぼんやり目が開いたら、スマホが鳴ってて、やけに外が明るくて。

 時計の針が集合時間の十分前を指してて。


 私の第一声――悲鳴。

 次に出てきた言葉、


「お゙お゙お゙お゙、終わ゙っだ! 終わ゙っだ! 終わ゙っでじま゙っだぁ!」


 頭の中も、口からでるのも、とにかく「終わった」の一言だけ。

 それからどうやってここまで来たんだろう。

 マネージャーさんと一緒にバタバタ走って会場入りできたの、ついさっき。

 大遅刻。

 大急ぎで機材チェック、段取りチェック、その他もろもろ。

 とにかくみんなてんやわんや・・・・・・の大騒ぎです。

 ここで下手は打てませんから。


 なにせ今日は、年単位で計画を練ってきた大事な大事な大型イベント……の、直前にあたる小規模トークライブです。何人かのアイドルが集まって、それぞれ時間をいただいて、お客さんとの交流を持たせていただきます。そのトップバッターが、私。


 小さいイベントだからってあなどれませんよ? 直前のイベントでコケると、大きい方に響きます。このトークライブは生でネット配信もされていますから、私の失敗がリアルタイムで伝わって、お客さんたちが不安になって、最高潮にまでノリ切れなくなっちゃう。

 だからなんとしても成功させなくちゃいけません。


 スタッフさんたちもそれを汲んで、現在とっても忙しくしていただけてます。遅刻した私のこと怒らないで、ニコニコ笑顔で「いいよ、いいよ。それより早く準備しよう」と言ってくれて。みんないい人。


 お尻に火が付いたみたいなあわただしいリハと。

 こっそり括約筋を締めてなきゃいけないヤバヤバな状態のなか。

 スタッフさんの優しさがとっても身に沁みます。優しさに甘えて「朝できなかったので、ゆっくりウンコさせてください」と切り出すのは……さすがにやめておいたほうがいいかな?


 はい、こっそり括約筋を締めておくことにしますキュッキュ。お腹から声張ると大きいのに響いてつらいですが、マイクチェック、OKです!


 ともかくこれが終わったら、おトイレに行きます。

 間に合ってくれるはず――両方の意味で。


 リハが滞りなく終わったら。

 ステージ用のメイクをして。

 そのあとに時間が取れるはずなんです、少しだけ。おトイレ行くのになんとか足りる時間。


 それまでは我慢できるよって、お腹の具合が言ってます。出口のあたりでスタンバイしてるんだけど、そこでおとなしくしてくれてる感じ。例えるならファンの人たちの出待ちに近いかな? みなさんマナー良く静かに待機してらして――ときどき本当にウンコみたいな人が居たりもするんですけど――基本的には、入っちゃいけないところへ無理に入ろうとはしない、紳士さんばかりなんです。


 イベント開始にも間に合うでしょう。

 もしおトイレが長引いても、イベントが始まってすぐは、司会の人がおしゃべりする時間です。出番までにステージ脇へすべりこめばセーフ。遅れたときは、ごめんなさい司会の人、少し時間を稼いでください。

 そして身も心も軽くなった私は、イベントを大成功させます。


 よし、よし。

 我ながら無理のないチャートが組めたのでないでしょうか?


 そして、そうこうしているうちに、トラブルも無く機材チェック終了。

 台本も最小限で、覚えるの簡単かんたん。


 用意されていたミネラルウォーターで口を潤していると、メイクスタッフのお姉さんと目が合いました。ではこれから二人でメイク室に――いや、メイクの前におトイレ行くも有り? イキんだときに出る汗で崩れたら大変だし、うん。


 チャートを小変更、メイクの前におトイレ行きましょう。

 お姉さんには先に行ってもらって。

 清純派アイドル出雲こころ、これより可及的速やかにブリブリっと――。


「やあやあ、こころちゃん、今日もかわいいねぇ」

「あ、スポンサーさん。おはようございます!」

「うんうん、元気なところもたいへんよろしい」


 ブリブリするまえにスポンサーさんのお相手が入りました……これは想定外……もしかしてチャート変更した影響でしょうか?

 みなさん、おわかりいただけるとは思いますが、アイドルはスポンサーさんに弱いんです。スポンサーさんの協力無しに私はステージへ立つことができません。

 ここで「ウンコするのでまた今度!」なんて塩対応しちゃうと、あとでどんなしっぺ返しがくるやら……。


 だからここで逃げるわけにはいきません。

 さらなるオリチャー発動、ぶりっ子の仮面をかぶって立ち向かいます。

 できれば時間ロスを最小限に抑えたいところ。


 このハゲオヤジスポンサーさんのねっとりトークを、切れの良いお通じみたくスパッと捌ければ――。



   ▽



 スパッと捌けませんでした。

 私は居飛車党なので穴熊に囲ってます。


 平たく言うと、いまステージ脇で出番を待っている私のお腹には、量感存在感ともに申し分ないウンコちゃんが収められたままでいます。熊とウンコは色が似てるのでだいたい同じものだと思います。

 時間ロスは数分程度……嗚呼この数分が私にとってどれほど大事だったか……。


 あと、ハゲオヤジを前に緊張したせいかしら。

 お腹のクマさん、リハ中よりも元気になっちゃってます。悪いことって重なりますね。さっきまであんなに紳士な出待ちをしてたのに、いまは門をドンドコ叩くウンコクマになっちゃってます。


 あのね、クマさん、私の言うことよく聞いて?

 貴方に〝来ないで〟と言ってるわけじゃないんですよ。

 来ていただいてもいいんです。

 そこに居るのは構わないんです。それが貴方の役目でもあるから。

 でもなんで?

 なんで勝手に門から出ようとしてくるの?


「――そろそろ会場のみなさん、ぼくみたいなおっさんの顔、見飽きたんじゃないかな」


 いいえ司会の人、そのけっこうな面構えをもっと見せ続けてほしい人だっているはずです。少なくともここに一人。


「ぼくからもね、みなさんの顔、よく見えるんですよ。みなさんもう待ちきれない、我慢の限界、って感じ」


 はい、我慢の限界はすぐそこです。


「それじゃぼくが名前を呼びますから、会場のみなさんは精一杯の拍手で迎えてあげてください――」


 できるなら出番を遅らせてほしい。

 でもここまできちゃいました。

 ここまできちゃうと、私に課せられた使命は一つ。


 〝ウンコだけは漏らさない〟


 舞台上でおもらしなんてしようものならアイドル生命終了です。残りの人生は汚れ芸人として「うんこがコロっと出ちゃいました、出雲こころで~す!」を持ちネタに日銭を稼がなくてはいけないでしょう。ヒィ、なんておぞましい……。


 幸い、今回のステージは短い時間で終わります。

 司会の人を相手におしゃべりして、一曲歌う。それだけ。


 もう少し踏み込むと、私のトークタイムのあと、もう一人、アイドルちゃんのトークタイムが挟まります。

 トーク、トーク、歌、歌。

 もう一人のアイドルちゃんが舞台へ出ているあいだ、私の休憩時間になっているんですね。

 アイドルの疲労を考慮した構成は素晴らしいの一言!


 その休憩時間までクマさんを抑えきれば、私のアイドル生命は守護られます。

 いけます! 行きます!


「――いまや飛ぶ鳥落とす勢いの大人気アイドルとなりました、出雲こころちゃんです。こ~ころちゃ~ん!」

「は~い♡」


 人生最大の苦境にありつつも、最高にかわいい声でステージイン!


「ようこそいらっしゃいました~」

「来ちゃいました! このノリのまま歌いだしちゃおうかなってくらいテンションMAXです!」


 いやほんとマジ、即歌って、おトイレ行きたい。


「早いです、早いですって。歌はこのあとですから」

「いっけない、台本と違うこと言っちゃった」

「舞台上で台本言うなし。っていうか今日のアレ、台本ってほど厚み無かったし。ほぼアドリブ」

「アハハ。ペラッペラでしたよね、四〇秒で読み終わっちゃいました」


 ほんとペラペラだったなぁ。A4紙一枚。内容は私への質問と、答えは自分で考えておいてくださいって投げ槍すぎる一文だけ。クソ。


 いいところ探しをするなら、本当におしゃべりだけで終わることですね。

 軽くミニゲームでもして飛んだり跳ねたり、あるいはダンスを披露してみたり。そういう身体を使ったプログラムはありません。


 私はただ最高の笑顔を振りまいて。

 その裏で、肛門括約筋に力を込めていればうまくいきます。

 ただただ平坦な道を行くが如く。

 このウンコ我慢ゲーム、楽勝クリアじゃないですか?


「――え~、これからこころちゃんとね、おしゃべりしていくわけですが」

「ですが?」

「ゲストさんに、立ったままでいさせるのも悪いので」

「ので?」


 少し後ろ側をチラリと見やる司会さん。


「まず、椅子に座ってもらいましょうか」


 うわぁ……このゲーム、開幕から難易度高いなぁ……。


 司会さんの視線を追ってみると、やや腰高な感じの椅子がありました。

 客席の後ろの方からでも顔が見えるよう、座面が私の腰より少し高いくらいのやつ。

 小柄な人でもちゃんと座りやすいよう、脚にステップ台も付いてます。


 つまりですよ。

 これから私はあの椅子の前に立って。

 片足をステップに乗せ。

 ヨッコイショと身体を持ち上げなくてはいけません。


 正気で言ってるんでしょうか?

 いま私のお尻は左右均等なパワーで締め付けられています。右の門、左の門が協力しあってクマさんが出てこないようがんばってるんです。

 その美しすぎる均衡を、自らやぶれと?


「あれ? こころちゃん、顔ひきつってる?」

「いえそんなことはな……な、ないですよ? わー椅子があるのうれしいなー」

「パンチラ防止の机もちゃんとありますから大丈夫。さあ座って、身体を楽にしましょう」


 私が座りたいのは便器で、防止してほしいのは臭いと音なんですが。

 いやいや、本当に便器が置いてあっても困りますけど。アイドルのおトイレ模様を全世界にライブ配信だなんて、夢が壊れるってレベルを越えていますし。


 しかし、この腰高な椅子も十分にくせもの。

 ステップに乗ってヨイショっとする瞬間、左右の均衡が崩れた門が、はたしてクマさんの突撃を抑えられるかどうか……。


 お腹の具合を鑑みるにあまり余裕はありません。

 油断すると漏れてしまう、絶体絶命な状況でクマさんを抑え込む方法は……。


 あります!

 くせものとはいえ椅子は椅子、人が人のために作った道具でしかありません。

 椅子を使ってクマさんをせき止めましょう。


 作戦はこう。

 まず百パーセントの力で締める肛門括約筋のリミッターを解除、均衡の崩れた右門と左門を百二〇パーセントの力でもって支え、椅子に座ります。

 限界を越えた力を使っても、門は一秒保たないかもしれません。

 しかしコンマ数秒を耐えれば私の勝ち。

 門を締める力が緩んだ瞬間、クマさんはここぞとばかりに攻勢を強めてくるでしょう。門はあっけなくこじ開かれ、茶黒い物体が地面に落ちていき、その神秘的な光景を目撃したファンのみなさんは万有引力の存在をひらめくかもしれません。

 が、門の先に巨大な壁が立ちふさがります。椅子です。

 物理的に蓋をされたクマさんは外へ出ることかなわず。

 人の叡智が生みだした物は万有引力さえ上回る偉大な存在なのだと世界に証明されます。


 プランは完璧。

 試されるのは勇気とパワー。

 その二つに関しては日々のレッスンで鍛えてきたつもりですよ私は。


 女は度胸、アイドルは愛嬌。

 ステップに足を乗せて。

 座るだけです……ただ座るだけ……。

 三秒数えて、いけ……三、二、一……っ!


「――ヒぁゔっ!」


 身体を上げた瞬間、変な声、出ちゃいました。

 小さく。

 けど、マイクが拾うには十分なやつ。

 そしてマイクが拾った証拠のように、ネット配信のチャット欄が不穏なことになってます。


『なんか鳴き声聞こえた』

『こころたんの鳴き声』

『エッチすぎる』


 は、恥ずかしい……。

 切り抜きショート動画上がっちゃうかな。ゲーム動画のSEに使われるかも。

 正直あんまりうれしくない広まりかた……。


 でもでも、アイドルとして守るべき一線は見事守りきりました。

 無事に椅子へ座って、パンツの中も無事なままです。いぇい!


 さらに私は油断すること無く、背筋をまっすぐ伸ばします。

 これで便意我慢の構えが完成です。


 クマさんは前傾姿勢でいるとスムーズに出てくるもの。

 逆をいえば、こうして体を起こしていると耐えやすくなるんですね。

 そう、あたかも就職活動中の大学生であるかのようにピーンと。その座り姿を見た面接官さんが反射的に内定を出してしまうかのように美しく構えるのです。


「なんだか今日のこころちゃん、姿勢がキレイだな?」

「そ、そうですか? いつもこんな感じじゃないかな~」

「いやいや、いつもちゃんとしてるけど、今日はそれ以上に凛々しい。真剣に仕事と向き合ってる感じが伝わるよ」


 いいえ、私が向き合ってるのはウンコです。

 特大の便意なんです。


「ファンの人たちもうれしいんじゃない? 仕事に慣れてくるとダレちゃうアイドルさんいるんだけど、でもこころちゃんは、こんなにがんばってくれてるんだよ。ねえ?」


 会場から声援が届いてきました。

 けどすいません、いまの私には、何を言っていただけたかがわかりません。

 いま、私に持てる力のほとんどを便意の我慢へ費やし。

 わずかに残したゆとりは、司会の人とのやりとりに使っていますから。

 だから、返してさしあげられるのは最高の作り笑顔。


 ああ……表情筋に意識が向くと下半身が緩みそう……。

 耐えろ私……。

 いまお尻から出ようとしているのがオナラなのか実物なのか不安になりつつ。

 司会さんから振られるウンの話題へ無難に答えつつ。

 十分ほど……十分ほどすれば、次のアイドルちゃんと交代だから。



   ▽



「――それじゃこころちゃん、名残惜しいんだけど、ここらで」

「もうお時間なんですか? わぁ、あっという間だったなぁ」


 ウソ。体感で一時間くらいに思えた十分でした。


 客席から「えーっ!」のコール、ありがたいです。

 けれど私の出番はいったん終了。お疲れ様でした。

 いったん後ろに下がって、そのあと歌います。

 ファンのみなさんと全力で向かい合う出雲こころちゃんをお見せしますから、いまは速やかに退場させてください。


 ぐっ……椅子から降りるときもつらい……けど、なんとか突破!


「そ……それじゃみなさん、またあとでお会いしましょう!」

「会場のみなさん拍手で送ってあげてくださ~い」


 たくさんの拍手に見送られ、私は清純派アイドルの看板を守り抜きました。

 ステージ脇には次のアイドルちゃんがスタンバイしてます。がんばってください――と手のひらを掲げると、彼女からタッチを交わしてくれました。


 時間は気にしないで、ゆっくりしてね。

 なが~くおしゃべりして、五分でも十分でも時間を押して。

 私にゆっくりウンコをさせてください。


「10番入りますっ!」


 スタッフさんにおトイレを伝え、私は走りました。

 陸上選手のごとく颯爽とした駆け足です。


 あ、走れたんだ私。

 舞台上では借りてきたネコのようにぷるぷる動けなかったのに。

 いま、トイレに向かって走れてる。


(走れるって、なんて素晴らしいことなんだろう!)


 私はバックヤードを駆け抜け、お客さんと共用の区画に出ました。

 スタッフ用の化粧室は使えませんでした。故障中の張り紙を見た瞬間、思わずチッと舌打ちしてしまった姿、誰かに見られなかったか少し心配。


 しかし、そんなトラブルもトラブルのうちに入りませんね。

 ファンの出待ちもイベント真っ最中にはありませんし。

 私はいま誰にも邪魔されずトイレに向かえていますから。


(ギリギリ、だけど間に合う、間に合え、間に合わねば!)


 化粧室へダッシュで入り、私はもどかしくパンツを下ろしました。

 ここのトイレ、和式水洗でした。

 個人的には洋式がうれしいのですが、贅沢は言えないか。


 ん? いや、おもらしの瀬戸際に立っているいま、むしろ和式は歓迎かも?

 そうです。

 洋式でつつましく両足を閉じてお出しするより。

 アイドルに許されざるがに股・・・でブリブリひり出した方が快感ではないですか!


「それでは、いざっ!」


 便器にまたがり、そっとお尻の力を緩める私。


 我慢の限界だからといって、ここで思い切り気張ってはいけません。

 勢いがよすぎると、切れます。

 切れるとそこが膨らんで治り、イボに進化します。痔持ちアイドルという新ジャンルが誕生してしまう、つらい事故となるでしょう。


 だから、おなかの力を抜いて。

 大丈夫、さっきからクマさんは自分から外へ出ようとしてるではないですか。

 排便の構えを取るだけで自然と……。

 自然と……。


「……あれ?」


 出てきません。


 やはり穴熊は堅いのでしょうか、パンツはもう脱げているというのに、クマさんは少し奥の方で閉じこもったまま。

 もしや無理に出ようとしない便意サイクルに入った?

 しかたがありません、少し気張って出しましょう。


「くっ……んぁう……!」


 切れないよう、慎重に。

 少しずつ込める力を強くしていけば。


「っ! ぐっ! あぁ……だ、ダメ……!」


 出ません。


 そして、いまわかりました。

 どうやら私、便秘みたいです。


 ええ、よく知ってますよこの感覚。

 出すべきモノが少し奥でコロっと堅く詰まった感じ。

 アイドルですからよく知ってるんです。


 便秘の原因は、脂肪抜きの偏った食生活。それはアイドルをやっていくうえで必要不可欠ではありますが、腸と排便にたいへんよろしくありません。食物繊維を意識して摂取しても限界があります。

 嗚呼、思わず頭を抱えちゃう。

 子供のころからの夢が、こうして私自身を苦しめています。


 便秘だから出てこない。

 でも、だからといっていつまでも出てこないわけではない。

 再び排便のサイクルに入ったとき、そのとき、モノが出てこない保証はありません。

 このあとのステージもまた我慢ゲームになってしまう。

 心ここにあらずな出雲こころの歌を聞かせてしまうことになる……。


 それは、イヤです。

 ファンのみなさんとしっかり向き合うアイドルでいたい。

 それが私の望みではありませんか!

 こうなったら切れようがイボろうが関係ありません。

 ガッツでクマさんを放出にかかります。


「んんっ……くぅうううっっっ!」


 思い切り気張ります。

 女を捨ててイキります。

 気持ちの上では数キロ単位のブツが出ているつもりです。


 ……なのに。


 出ないよぉ、出てくれないよぉ!

 なのに涙がちょちょぎれてくるのはどうしてなのぉ!


「ハァ、ハァ……!」


 そうこうしているあいだに、時間のほうも迫ってきます。


「こころ、こころ! そろそろ時間よ!」


 マネージャーさんが心配してトイレに駆けつけてくれました。

 え? もうそんな時間?

 ついさっきトイレに入ったばかりなのに?


「早く出てこないと遅れちゃう!」


 早く出さないとまずいみたいです。

 遅刻したうえにイベント進行も遅らせたとなると、評判をかなり落とすことになってしまいます。それはまずい。

 しかし私はクマさんを抱えたままステージに立ちたくない。


「ちゃんと出るから、大丈夫、外で待っててください」


 私はマネージャーさんに待機してもらい、とっておきの構えをとりました。

 さきほどよりやや前傾姿勢の、ガッツで快便をかます構えです。


 私は歌って踊れるアイドル。

 美容に気を使うのと同じだけ、体力作りにも精を尽くしてきたつもりです。

 このバッキバキに鍛えた腹筋からくりだされる排便力はちょっとしたものでしょう。

 ゆっくり息を吸って、お腹に送り込み。

 あたかも超な野菜人のように気張ってあげれば!


「ふぉおおおおおおっ!」


 出したい。

 でも出ない。


「へああああああっ!」


 まだいける。まだ力を絞り出せる。

 いまはアイドルとしての矜持を守るべく、女の子の恥を捨て去り、すぐそこにマネージャーさんが居ることも忘れて。

 ステージで全力の歌を聞いていただくときより以上に、全力のシャウトをかませばウンコの一つや二つスポポポっと!


「い゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ーーッッッ!」



   ▽



 一グラムたりとも排便できませんでした。

 けど、歌の時間には間に合いました。

 歌います。


「空を見上げ~♪」


 ウンコがしたかった~。


「願いごとを~つぶやいた~♪」


 ウンコがしたかった~。


 いやホント、ウンコがしたかった。それだけのステージです。

 歌っているいまこの瞬間も、心にあるのは我慢の一文字だけ。身体はひたすらに肛門を締め上げるのに必死となり。歌に込める気持ちは、欠片もありません。


 ファンのみなさんごめんなさい、今日の私は最低な出雲こころちゃんです。

 お仕事に遅刻して、おトイレを我慢しながらステージに立ってしまいました。


 寝坊するのは論外ですね。

 目覚まし時計の数、増やそうと思います。

 便秘って怖いですね。

 脂肪抜きは止めて、栄養バランスが取れた食事を心がけたいと思います。増えたカロリーは運動で消費します。


 今日の反省は、さっそく今日のうちから改善に活かしたいですね。

 次のイベントでは最高の出雲こころちゃんを見せられるよう、がんばりたいと思います。




   ▽



 そうして私はステージを終えると、トイレに向けて歩きだしました。

 もう走る必要はないです。

 このあとの仕事まで、時間に余裕がありますし。

 さらには、私の危機を察したマネージャーさんがカンチョーを用意してくれていました。


 これでゆっくりと、誰にも邪魔されず、こころゆくまでおトイレに籠もることができそうです。ああ、この安らぎをもっと早くに得たかった。


「こころちゃん、いまの歌よかったよ」


 あ、スタッフさん。お世辞でもうれしいです。

 え? お世辞じゃない?

 アハハ、そういうことにしておきます。


「それでは、まだイベント途中ではありますが、出雲こころ、お先に失礼しま~す」


 きちんと挨拶をしたあと、私はバックヤードから出ました。

 すると、まあ。

 予想された事態ではあるのですが、ファンのみなさんが出待ちをしていらっしゃるではありませんか。


 すみません、少し急ぐので、通してください。

 はい、みなさんの声援、力になりましたよ。

 ん? 今日は私の歌からすごく気持ちが伝わってきたよって?

 いまのそんなによかったんですか? 私にはよくわからなかったな~。


 ファンのみなさんには悪いなと思うんですが、私は根っからのアイドルとは違う、普通の女の子寄りな女の子に生まれたみたいなんです。

 だから、ステージ上ではできる限りキラキラ輝いていこうとがんばってるわけですが。

 やっぱり限界があって。

 本当に下世話な話なんですけど。

 アイドルなのにウンコをしてしまうんです。



 おしまい。



 ……。



 …………。



 ………………。



 あ……。



 今日のステージ、切り抜かれて動画アップされてる。


 え? 過去最高のこころちゃん?

 小規模イベントでも手を抜かない姿勢がかっこいい?


 えっと、なにこれ、どんどん再生数が伸びてく……。

 私としてはホント、なにがなんだかなんですけど。

 はい、了解です。


 清純派あらため、どんなことにも全力投球でいくアイドル出雲こころ。

 これからも応援のほどよろしくおねがいします。



   -了-

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ブクマ評価、感想などいただければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ