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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夢魔対策部対処課:社畜中間管理職の記録簿

作者: 御崎菟翔

 ()びかけた鎖で天井から吊るされた小さな看板を、俺はぼんやりと眺める。


 “夢魔(むま)対策部 対処課”


 自分の所属部門の名称が、近くにある空調の風で虚しく揺れている。


 忙しすぎて手入れもできぬままの銀色の髪をボリボリと掻き、休憩用のソファに腰掛けてあくびを一つ。仕事と仕事の合間にできた、僅かな休息時間だ。


 そこへ、コーヒー片手に背が高く細身の黒髪の男が近づいてきた。


「よう、げん。しばらく見なかったが、この前の仕事はどうだったんだ?」


 同じフロアの女性社員がキラキラした目でこの男、れいの事を見ている。

 いつでも身なりを完璧に整える同期と俺は、雲泥の差に見えることだろう。


 まあ、別にそんなことはどうだっていいが。


「どうだったもこうだったもない。発見が遅れたせいで驚くほど悪鬼が育っていて、一週間仕事だ。調査部は一体どうなってんだよ」


 実際、愚痴らずには居られないほどの大仕事だった。

 進行の進んだ侵食は、夢主を一ヶ月の眠りにつかせていたのだ。

 昼夜構わず一週間夢の中で過ごし、何とか収めた俺を褒めて欲しい。

 

 一歩遅ければ夢主は精神が破壊されて一生目覚められない状態になっていただろう。それに、現実世界で大事件が勃発していてもおかしくないくらいのギリギリ加減だったのだ。


 悪鬼の対処は病気と一緒で、早ければ早いほど良い。こちらの手間もそれほどかからずに済む。

 放置すれば、悪鬼が夢の持ち主を内側から食い尽くして支配したうえで、肉体を得て顕現する。

 しかも厄介なことに、夢の中でしかありえないような妙な能力を持ったまま。

 そんなものを現実世界に持ち込まれでもしたら処理がどれ程面倒になるか……


 それなのに、最近は手遅れ目前、といった仕事ばかりが巡ってくる。


 悲しい哉、この職場には労働基準監督署など関係ない。寝る間も惜しんで対処する日が続くのなんて当たり前。上司をとっ捕まえて、どうなっているのかと、一度問いただしてやらねばと思っているくらいだ。


 ただ、その上司もあちこち飛び回り、なかなか捕まらない。時折姿を見かけても、ぐったりした蒼白の顔で書類仕事をこなしているので、声をかけるどころではない。


「まあ、あっちはあっちで人手不足だからなぁ」


 そう言いながら、怜はトっと俺の隣に腰掛ける。


「調査部が? この前、大量雇用してただろ。新人の配属だって、あそこがスタートじゃないか。どう考えたって人手不足はこっちだろ」


 それに怜は苦笑を浮かべた。

 視線の先は、同フロアの反対側、調査部のデスクに向いている。


「驚くほど退職者が出てるって話だ。調査に向かって行方不明、悪鬼に殺されて殉職。訓練されてない調査部にとっては、近頃の悪鬼の凶悪化こそが悪夢だろうさ。それに、奴らが調査してんのは夢魔だけじゃないからな」

「訓練させればいいじゃないか」

「あの人数をか? しかも各対策部と違って、あっちはほぼ新人の集まりだぞ」


 俺はくすんだ色の天井を仰ぐ。


「悪鬼の凶悪化が全ての元凶ってことか……対策課の課長さんは、何か手を考えてるんだろうな?」


 ちらっと隣に座る課長本人に目を向けると、肩を竦めて見返される。


「いろいろ考えてはいるが、メンバーのリソースを対処課に持っていかれているからなぁ」


 意地の悪い笑みを浮かべる貴公子に、俺は顔を引き攣らせた。


 ……こっちが悪いってか。


「まあ、部や課がどうのって言ってないで、ひとまず全体で検討していく案件だ。各対策部、調査部のそれぞれの情報を持ち寄って、対策に活かし対処にあたらなくては、事態の収拾もままならない。対処課の課長本人が現場に出向いて一週間帰ってこないのでは、困るんだよ。何度そっちのメンバーに、諸々の確認を求められたと思ってる。こっちの人員は貸してやってるんだから、お前は頭を使う方に回れ」


 怜はそう言うが、そもそも俺は課長なんて柄じゃない。現場を回っているほうが気が楽だ。

 それに、人員を貸し出して貰ったところで、それでもリソース不足だ。

 昨日だって、一週間がかりだった仕事をこなしたあと、新たな現場の下見をし、戻って課長としての書類仕事をこなし、職場のソファで仮眠を取り、これから昨日下見をした現場の対応だ。

 完全にオーバーワークである。

 ここに先の見えない対策会議なんて入る余地はない。


「……まあ、なんか方法を考えとくよ」


 業務改善に頭を使う余裕すら今のところない。

 曖昧に返事だけをして棚上げすると、怜はそれを悟ったように眉を上げた。


「悪鬼を一日放っておいたところで、大した事にはならないだろ。ちょっとは休んで、冷静に頭を使う時間を作れよ。課長殿」


 同じ立場の同期はそう言って俺の肩を叩くと、さっと立ち上がり、自分のデスクに戻っていく。


 チラチラ向けられていた女性社員の視線は怜の移動とともに移っていく。


 ……大した事になるんだよ。最近の悪鬼は。


 俺はその背を見送りながら、ハアと息を吐き出した。


 ……ああ、その情報共有すらできてないってことか。本格的にいろいろ考えないと不味いかなぁ……


 あれをやって、これをやって、と頭の中で数えていったが、途中で考える意味を見失って思考を放棄する。

 結局、ひとつひとつ処理していかなければ、いくら考えていたって終わるわけがない。


 とにかく、自分に割り振った業務を処理してくるか……


   ***



 昨日の下見現場に潜り込むと、一人の青年が、鬱蒼とした森の中で、木に背を預けて座り込んでいた。

 俺が近づくと、驚いたように目を丸くしたあと、ひらひらとこちらに手を振る。


「本当に出てきた。昨日の夢の続きが見れるなんて凄いや」


 昨日の下見ついでに挨拶と、夢に巣食う悪鬼の説明をしておいた青年は、目を僅かに輝かせる。

 夢は夢、と割り切っているのだろうが、現状はそれ程良い状況ではない。


 今朝方、夢から覚めた後のこの夢主の様子をしばらく見ていたのだが、周囲に悪鬼の瘴気が纏わりついていて、ともすれば、駅のホームから線路にそのまま飛び込みそうな気配すらあった。


 夢主が死ねば、その体は悪鬼の思い通りだ。絶対に避けなければならない事態である。

 悪鬼が現実世界に顕現して人ではありえない事件でも起こそうものなら、当事者、被害者に関わる処理、警察の処理、病院の処理、目撃者に関わる処理に至るまで、他部門も巻き込んだ、ありとあらゆる処理対応を迫られる。

 それらを動かすのは対処課の主管だ。


 ……つまり、俺達の。


 一週間家に帰れないのが可愛く思えるような業務量に忙殺される未来しかみえない。

 だからこそ、絶対に、徹底的に、完璧に、夢の中で処理しなくてはならないのだ。


「こんばんは。調子はどうです?」

「起きてるときはさっぱりですね。夢の中は体も気持ちも軽くて良いです」


 夢主はそう言いながら肩を竦める。


「ところで、その腰の、刀ですか?」

「ええ、まあ。鬼退治といえば、刀でしょう」


 昨日は持っていなかった刀に目を留めると、夢主は興味津々といった様子で見つめ始めた。


 実際、悪鬼を退治するのに銃を使用する場合もあるが、夢主の精神を壊す可能性があるので夢魔対策部では殆ど使用しない。

 飛び道具を使用するよりも自分達の危険性は上がるが、夢主にとっては安全というわけだ。

 従業員の安全ももう少し考慮してほしいものである。


「かっこいいですね。ちょっと触らせて貰えませんか?」

「はは、勘弁してくださいよ。刀は神聖な物なんで」


 詭弁だ。普通に職場支給の刀で、触られたところでどうということもないが、こんなところで遊びに付き合っている暇はない。

 でも、こう言っておけば大体納得してくれる。


「はぁ〜、やっぱりそういう物なんですね」


 ほら。便利な言葉だ。


「それで、早速、悪鬼を探しに行きたいんですが、この世界の中で違和感のある場所ってあります? イメージ、異物感って感じだと思うんですが」


 俺の言葉に、夢主は眉根を寄せる。


「……そんなの分かんないです。悪鬼がいるって事自体ピンとこないのに、さらにだだっ広い世界で、どこに悪鬼がいると思います? って聞かれて答えられる人、居るんですか? ましてや夢ですよ?」


 ……まあ、そうなるよな。


 ただ、あくまでここでの出来事は、夢主の中で繰り広げられていることだ。

 できない、と思い込んでいるだけで、実は集中すれば、コツを掴むまで時間はかかるものの、小さな違和感に気づけるはずなのだ。


「ここの世界全体を、自分の腹の中や頭の中だと思ってください。イメージです。この夢の世界だって貴方の中で起こっていることです。この夢の世界全体に意識を広げて、ちょっとでも “なんか違う” に当たったら、恐らくそれが悪鬼です。まずは試しに、少し集中してみてください」


 俺がそう言うと、夢主は素直に目を閉じ始める。

 しばらく、うーん……と夢主が唸っているのを眺めながら、俺は俺で、頭の中で今日やるべき残タスクの整理をしていく。


 あれとあれと……あ、あれも今日までか。あとは、あの件も話を通しておかないと……ていうか、あの件あいつに任せたけど、報告きてなくないか……?


 俺自身もうーん……と唸りだしたところで、夢主が


「あ!!」


と唐突に声を上げた。


 残タスク処理がうまく行かずにフリーズしかけたところだったので、一旦頭の隅にごちゃ混ぜの状態でズズズッと追いやる。まるでゴミ屋敷だが致し方あるまい。


「見つかりました?」


 ニコリと笑って問いかけると、夢主はコクコクと頷く。


「ありました! 異物感!」


 なんと。思ったよりも、この夢主は優秀かもしれない。

 悪鬼の発見にはもっと手間取ることはざらだし、手を変え品を変えても見つからず、出直すことだってある。


「そこまで案内出来そうですか? 取り除いてしまいましょう」

「たぶん行けると思います! こっちです!」


 今日はツイてる。この分なら、さっさと処理して帰れそうだ。

 俺は心の中でそうほくそ笑んだ。



 ……それなのに。


 一体どうしてこうなってしまうのだろうか。


 夢主について歩き出してからが、とてつもなく長い大冒険だったのだ。

 一体この夢主の作り出した世界はどうなっているのだろう。


 鬱蒼とした森を抜けると、マグマがフツフツ地面で揺れる岩場に出た。

 クソ暑いしマグマから飛び出た火の粉が飛んでくる中を、足場を確認しながら一歩一歩進んでいく。足場にした岩は崩れやすいし、飛び石状態なので、マグマの上を飛び越えて行くという行為が必要だった。岩がボロっと崩れ、一体何度マグマに落ちかけたことだろう。


 そうかと思えば、底なし沼がひしめく湿地帯にでて、夢主本人が沼に足を滑らせて落下。更に沼の主かというくらいの大鯰おおなまずに食われかけた。


 夢主を何とか助け出して、ようやく沼を抜けたかと思えば、今度はキレイな川に出た。

 夢主が沼でついた泥を落としたいと言うので体を洗い流しているうちに、川であるはずなのにセイレーンと思しきものの歌声が聞こえてきた。そして、夢主がまんまと誘われて美女の仮面をかぶった魔物に捕まり、再び食われかけた。


 何で自分の夢でこうも簡単に食われかけるのか。問いただしてやりたい気持ちでいっぱいである。


 そこから川に沿って下って行くと街に出た。ただし、関所のような場所で永遠と待たされた。

 夢の中にこんな行列まで作り出す理由はどこにあるのだろうか。


 ようやく関所を抜けて中に入ると、そこには西洋風の町並みが広がっていた。

 夢主が腹が減ったと言い出したので屋台に寄ったのだが、夢主が食べ物を口にした途端、通貨を持っていないと言い出した。


「貸してくれないっすか」


と言われたが、お前の夢の中の通貨なんて知ったことか。

 結局、屋台の女将と警備兵に追われながら、食い逃げ同然で俺達は街を抜けた。


 ここまでの一連の流れで、一体どれ程の時間と労力を費やしたことか。本当に勘弁してほしい。


 イライラしながら夢主と共に街を出て追っ手を撒くと、そこには果樹園のような場所が広がっていた。

 そこでようやく夢主は足をピタッと止めて果樹園の中を指さした。


「この先です、異物感があるの」



 夢主の指し示した方向に歩みを進めていくうちに、気づいたことが一つある。

 基本的には地続きの安定した世界なのだが、遠くに見える景色の一部が、少しずつ暗くなっていくのだ。

 まるで、電気を段階的に消すように、遠く離れたある一画がカチッと夕方の空のようなオレンジ色に変わり、またある一部のオレンジ色の空はカチッと電気が消えて闇に包まれる。

 そうやって、遠くから少しずつ、電気の消えたエリアが広がっていっているのだ。

 そしてそれが、明るさの残っていたこの夢の世界を少しずつ暗がりに引き込んでいく。

 更には、それが急速にこちらに迫って来ているようにもみえる。


「まずいな」


 ボソッと呟くと、夢主はこちらに向かって首を傾げる。


「何がですか? あ、あっち側からだんだん夜になって来ちゃったからですか? 鬼って夜に活発になる感じしますもんね。あ、それは幽霊かな?」


 景色の変化には気づいているらしい。


 悪鬼の巣食う夢は、悪鬼が住み易いようにあまり変化しないのが特徴の一つだ。夢主の都合で世界が変わらないよう、悪鬼が固定しにかかる。


 その世界が、ここまで急激に変化していくのは、夢主が抵抗しているか、悪鬼が手を加えたことによる変化かのどちらかだ。


 今回の場合、のほほんとした夢主が抵抗してるとは凡そ考えづらいので、悪鬼が変化を加えようとしている結果がこれなのだろう。ここの明かりが全て暗く変わるのはよくない傾向な気がする。


「少し急ぎましょう」


 そう言うと、俺は夢主を急かして足早に果樹園を進んだ。


 しばらく行くと、白い光を放つ球体と、黒やグレーの球体がふよふよと果樹園の木々の間に無数に浮かぶ場所に出た。


「ああ、あいつか……」


 そこには、黒い表皮に白い長い髪、頭に二本の金色の角を生やした悪鬼が、ふわふわと周囲に浮かぶ白い光を掴んでは握り潰し、口の中に放り込んでいる姿があった。

 白い光を掴む手に生えるその爪は黒くて長い。先は鋭く尖っているので、刺されたり切り裂かれたりしたらひとたまりも無さそうだ。


 それに、あの白や黒の球体。


 白い光を放つ球体は、夢主の記憶だ。しかも、夢主自身が好ましく思っているもの。一方で、その間に浮いている黒やグレーのものは、夢主にとって悪い方の記憶。


 それらがバランスよく浮かんでいるか、白いほうが少しだけ多い状態が健全な状態なのだが、この夢主の場合、悪鬼が喰いまくっているせいだろうが、圧倒的に黒い球体のほうが多い。


 それは自殺しようとするわけだ。


「あいつ、何食ってるんですか?」


 夢主は、自分の良い記憶がどんどんなくなって行っていることに気づいていない。それはそうだ。思い出そうとしなければ、気付けるわけがない。

 ただ、今、それを知らせるのは得策ではないだろう。夢主を混乱させることになるだけだ。


「よほど旨いものがあったんでしょうね。ちょっと退治してきますんで、ここにいてもらえます?」

「俺、なんか手伝いましょうか? 俺の夢だし、今なら何でも出来る気がするんですけど」


 ……気がするだけだ、馬鹿。


 ついさっきまでの旅路で、夢主の都合の良いように事が進んだ試しがあっただろうか。自分が何度か死にかけたのを覚えていないのだろうか。


 たかが夢の世界。されど夢の世界。


 夢主が自分の作り出した世界で、自分の作り出した要因によって勝手に死ぬのは大した問題ではない。いちいち余計な時間を取られて、俺の勤務時間が延びるだけだ。


 しかし、悪鬼によって殺されれば精神ごと破壊されて一生目覚められない。植物人間になった過去3回の事例は、悪鬼に直接殺されたことが原因だった。


……そんな事になれば、始末書どころでは済まされないんだよ。


「いえいえ、結構です。こう見えてもそこそこ強いんで。すぐ済ませますんで、待っててください」


 俺はニコリと笑いそう言うと、腰にかけた刀に手をかけ、スラッと抜き放つ。


「やっぱ、かっこいいっすね」

「何てこと無いですよ。危ないんで、ここから動かないでくださいね。死んだら目覚められなくなりますから」


 俺はそう言うと、真っ直ぐに悪鬼に向かっていく。


 よっぽど、夢中で喰っていたのだろう。

 足音を立てないように近づく俺に悪鬼が気づいたのは、俺が刀を振り上げたその時だった。


 しかし間一髪、振り下ろされた刀を悪鬼の長く鋭い爪が受け止める。それでも、不意をつかれたからだろう。グッ、という声が悪鬼から漏れた。

 同時に腹を足で思い切り蹴り飛ばしてやると、悪鬼は勢いでザザザーっと音を立てながら地面に尻餅をつく。


……このまま畳み込めば終了だ。


 そう思い悪鬼に向かう。


 すると悪鬼は、悪あがきでもするように、近くにあった黒い球体を掴んでこちらに投げつけた。


 黒い球体は一直線にこちらに飛んでくる。

 その瞬間、なるべく見ないようにしていたのに、ふと、黒の中にあった夢主の記憶がこの目に映ってしまった。

 夢主の記憶……特に、悪い方の記憶は、見るものじゃない。ともすれば、夢に入り込んだだけの自分達の感情が、夢主の記憶とそこに込められた感情に引きずられるからだ。


 黒い球体を避けながら、俺はギリと奥歯を噛んだ。


……よりにもよって、あんな記憶を……


 その隙に、鬼は、手元にふよふよと漂ってきた白い光に手を伸ばし、握り潰して口の中に放り込む。


 俺は頭を軽く左右に振って、先ほどの記憶を振り払う。今は余計なことを考えず、目の前の鬼に集中すべきだ。


 そう思っている間にも、悪鬼は更にもう一つ二つと白い球体に手を伸ばす。悪鬼の体が、先ほどよりも少しだけ大きくなっている気がした。


 ……まさか、記憶の欠片を食べて力をつけるタイプか?


 気の所為ならば良いが、もしそうだとしたら厄介だ。


 さっさとケリを……


 そう思った瞬間だった。

 突然、


「それはダメだ!」


という声が、周囲に響いた。


 悪鬼が掴んだ別の白い光に向かって、夢主が猛然とこちらに突進してきのだ。


 突然自分の懐に飛び込んできた夢主に、悪鬼は掴んでいた白い光をパッと手放す。そして、思い切り夢主に向かって爪を振り上げた。


「アホが!!」


 俺はそう叫びながら刀を構え、夢主に振り下ろされる悪鬼の爪を手首ごと思い切り切り落とす。

 ボタボタボタ、と零れ落ちる青い血が、夢主に降りかかり、それに急に怖くなったのか、夢主は腰を抜かしてその場にへたり込んだ。


「出てくんなっつっただろうが!!」


 思わず叫ぶと、夢主は地面に尻餅をついたまま唖然とこちらを見つめた。ただその手には、恐らく夢主が守ろうとした白い光が握られている。

 チッと舌打ちをして、改めて悪鬼に向き合う。


 一旦、夢主は後回しだ。怪我はあったとしても軽症。精神に何らかの影響が出る可能性はあるが、軽微なハズだ。


 そう思っていると、不意に全く別の方向から、


「幻さ〜ん!」


と俺を呼ぶ、この状況に似合わぬ脳天気な声が響き渡った。


 今度はなんだよ!


 心の中で悪態をつき、声のした方に目を向ける。

 すると、悪鬼の背後に、部下の一人が書類を片手に振りながらこちらに駆け寄って来るのが見えた。


「幻課長〜! ハンコ貰いにきたっす〜!」


 ……はぁ?


 一体、あいつの目には何が映っているのだろうか。角の生えたお友だちとチャンバラごっこしてるように見えるのだろうか。


「アホか! お前、空気読め!」


 切り落とされた手首に怒り形振り構わず襲いかかろうとする悪鬼の腹に、もう一度思い切り蹴りを入れながらそう叫ぶ。

 悪鬼はグフっという声をだしてよろめき体勢を崩す。その僅かな隙を狙ってすかさず、体を起こしかけた悪鬼を袈裟斬りにした。

 悪鬼は青い血を吹き出しながら、ヨタヨタと後退りして体を揺らす。


「でも、今日6時で勤怠締めなんで。幻さんにハンコもらって戻ってギリっす」


 悪鬼がうめき声を上げる中、近くまできた部下は、俺の横で書類を広げて、印鑑よこせと主張してくる。

 コイツには悪鬼が見えていないのだろうか。


 俺がおかしいのか? いや、おかしいのは絶対にこいつの頭だろ。


「じゃあ、俺のデスクにハンコ入ってるから勝手に使え!」


 俺はそう言いつつ、呻きながら腹を抱える悪鬼に向かって更に刀を突き出す。

 この隙を逃すわけにはいかない。このまま仕留めてしまいたい。万が一抵抗でもされたら厄介だ。

 なのに、空気を敢えて読まないこの部下は、何も起こっていないかのように脳天気な会話を続ける。


「あ、それ、部長にバレて没収されました」

「あのクソ部長、普段席に居ないくせにそんなとこばっか見てんなよ! つか、お前もっと早く提出しろよ!」


 突き出した刀は真っ直ぐに悪鬼を捉え、悪鬼は呻きながら、完全に地面に伏した。

 最後に悪鬼の背に刀を突き立てると、悪鬼の体は、ボロっと砂細工が乾燥してヒビ割れるように、その体の形を崩し始める。


「いや、一週間いなかったの幻さんじゃないすか」

「クソが! ハンコ文化どうにかしろ、総務人事部!!!」


 行き場のない憤りを叫んだ頃には、悪鬼の体は灰のようになって消えていった。



 夢主の腕を掴んで立たせ、念のため怪我の有無を確認したが、特に目立った外傷は無さそうだ。

 ただ、結構な勢いで記憶を食われまくっていたので、念のため、心療内科を受診させた方が良いだろう。


「その抱えてるの、無事でしたか?」


 俺は、悪鬼を退治してから呆然としたままだった夢主に声を掛けた。夢主の意識が問題なくあるか、会話が成立するかの確認でもある。

 ここで問題がある様なら、夢から覚めたあとにも大きな後遺症が残る。


 夢主は、先程守ろうとした白い光を大事そうに抱えながらチラと自分の腕の中に視線を落とした。

 どうやら、こちらの言葉を理解することはできているようだ。


「……無事だと思うけど……よくわかりません。……なんでこれが、こんなに大事なのかも……この中の人たちが誰なのかも……」


 記憶というのは、いろいろな出来事の繋がりの中に存在している。前後が食われ、それだけ残れば、それは不完全な記憶のカケラにしかならない。


 夢主の抱えるその白の光を見下ろせば、夢主によく似た少年と、その両親と思われる男女が、幸せそうに笑い合う姿が見えた。


 そして、先ほどの戦いの最中、黒い球体の中にふと見えたのは、事故の風景と、一人泣き叫ぶ少年の姿。


 食い散らかされた白い球体の中に、その両親と思われる男女との記憶が多かったのだとしたら、夢主の記憶が曖昧になっているのも仕方がない。


 そして、幸せな白の記憶の多くを奪われた夢主は、新たな幸せを見つけない限り、両親を失った絶望の記憶に苦しめられ続けることだろう。


 ただ、自らの命を絶たないよう、祈るだけだ。


「……そうですか」


 俺は、白の光からスッと視線を逸らした。


 この仕事をしている以上、夢主の記憶にいちいち感情移入をしていては、こちらの心が持たなくなる。


 夢主に入れ込みすぎ、夢主と共に潰れて行った者達を、何人見送ったことか。


 今現在、俺のチームに残っているメンバーは、よくも悪くも、そのへんの機微に疎い者達ばかりだ。どいつもこいつも、人間的にどこかしら欠損しているのではと疑うほどに。


……だから、まとめる方は苦労するのだが……


 ただ、この職場にいる以上、それで良いのだろうとも思う。


 冷たかろうがなんだろうが、自分達は夢主に心を寄せることなく、淡々と、残された事務処理を進めるだけだ。


「悪鬼の影響を受けている可能性があるので、お宅のポストに心療内科の案内チラシを入れておきますんで、必ず受診してください。受診されなかったら、念のため病院から確認連絡してもらうように手配しておくんで」


 一応案内だけはしておくが、起きたときにチラシを見つけて直ぐに受診する割合は50%くらいだ。

 それでも、夢の中で案内されて、それに沿う出来事が現実世界に起きれば、皆気になって動きやすくはなる。


「それじゃ、俺達はもう行きますんで。どうぞ、お大事に」


 それだけ言うと、俺は部下を連れて、早々に夢主に背を向けた。



   ***



「お前、戦ってる時に邪魔すんなよ。空気読め」


 職場に戻りながら、戦いに割り込んできた部下に苦言を呈すと、部下本人は軽く肩を竦めた。


「幻さん、強いんだから、あれくらい余裕でしょ。っていうか、クソ部長って叫んだの、黙っててあげますね。一個貸しっす」


 部下はそう言うと、意地悪くニヤッと笑う。

 それにイラッとして部下の頭をバシっと叩くと、


「痛デ!」


と声をあげて、これみよがしに頭をさすり始める。


「あーあ、うちの職場も早くコンプラ取り締まってくんないかなぁ!」


 大きな声を出してぼやく部下に、俺は一つ息を深く吐き出した。


 うちの職場に限って、そんなことするわけがないだろ。



 デスクに戻ると、部下達からの報告書が山のように積まれていた。

 一つひとつに色とりどりの付箋が貼られている。


「先日の〇〇の案件の報告書です。ご確認ください」

「急ぎ案件です! 確認後〇〇部にご提出お願いします!」

「明日までにチェックお願いします。お先に失礼します♪」

「勤怠表、捺印後、みんなの分まとめて総務人事にご提出お願いします〜☆」


 戦いを邪魔しに来た部下は、クリアファイルに挟まった数人分の勤怠表を拾い上げ、


「俺もこの中に入れて帰れば良かった……」


とポツリと呟いた。

最後まで読んでくださりありがとうございます!


もし少しでも「いいね!」と思って頂けましたら、評価(★★★★★)や感想などいただけると、大変喜びます!

また、長編も書いていますので、お時間ある時に覗きに来ていただけたら嬉しいです!

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