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はじめての涙

「お、お兄さん……?」


 お兄さんが私を見ている。家族として見ているのではない。何者なのかと見定めている目だ。


「実は僕、ひとつだけ(うそ)をいったんだ。妹の幸奈(ゆきな)はね、うどんはあまり好きではなかったんだよ。あの子はそば好きだったから。うどんが好きなのは兄である僕だ。いくら記憶喪失であったとしても、今の幸奈の、いや、きみの言動(げんどう)は妹のものとは違う。まるで生まれたての赤ん坊みたいじゃないか。かと思えば、どこか達観(たっかん)したような、不可思議(ふかしぎ)な感じもする。一体きみは誰だ? 妹はどこにいる?」


 お兄さんはとっくに見抜いていたんだ。私が本当の『園村幸奈(そのむら ゆきな)』ではないことを。でも見た目は妹そのものだから、いままで冷静に観察していたのかもしれない。

 お兄さんは射貫く(いぬく)ような目で私を見ている。返答次第では、ここから放り出されてしまうかもしれない。

 ……お兄さんになら、何をされてもいい。そう思った。お兄さんは日本に転生したばかりの私を、大切にしてくれた。うどんも食べさせてくれたし。本当の妹ではないと疑いつつも、優しく面倒をみてくれたんだもの。このお兄さんになら、たとえ殺されたっていい。

 全て話そう。なにひとつ隠すことなく、全てを。うまく話せなくてもいい、正直に伝えよう。


「お兄さん、ごめんなさい。全て話します。うまく伝えられるかわからないけど、これから話すことは全部本当の話です。私の話を聞いてくれますか……?」


 にらむように私を見ていたお兄さんの顔が、少しだけ緩んだ気がした。


「わかった、聞くよ。だから全部話してくれ」

「ありがとうございます。少しずつ話しますね」


 私は全てのことを、ありのままに話した。話すこともまだ慣れてないから、たどたどしい説明だったと思う。お兄さんは嫌な顔ひとつせず、うん、うん、と頷きながら、黙って話を聞いてくれた。

 本当の『園村幸奈』は遠い異世界に生きている。彼女は異世界の住人に愛されていて、とても幸せで、生涯そこで生きていくつもりだということ。

 私は元ドラゴンで、異世界で孤独に生きていた。救世主であった本当の幸奈さんに人食いドラゴンとまちがえられ、刺し殺されてしまった。救世主さんはお詫びにと私を日本に転生させてくれたのだ。自分の身代わりとして。だから私は、彼女そっくりになって転生してきた。

 私は必死に、懸命にお兄さんに話した。全て信じてもらえるかどうかわからない。それでも全部話さなくては。これまで優しくしてくれたお兄さんのためにも。


「救世主さん、本当の幸奈さんは最後に私に言いました。『幸せになれるかどうかはあなた次第』って。その言葉の意味は、今の私には正直わかりません。許されるなら、これからその意味を知っていきたいです。幸せになるために私は何をしたらいいのか、自分で考えていきたいです。……お兄さんが許してくれるなら、ですけど」


 全てを話し終えた私は、はふぅと息を吐いた。こんなに疲れたのは初めてだ。説明するって大変なんだ。

走り回る疲れとはまた違う疲労感に、じんじんと頭が痛くなる。一通りのことはなんとか説明できたと思うけど、お兄さんは話を理解して、受け入れてくれるだろうか?

 おそるおそるお兄さんの顔を見る。お兄さんは腕を組み、ここではないどこかを見つめるように考え込んでいた。お兄さんは私の話に反論することなく、静かに話を聞いてくれた。本当は聞きたいことが沢山あったろうに、私が必死に説明しているのを感じて、あえて黙って話を聞いてくれたんだと思う。優しい人だ。許されるならこの人の側で、人間として生きていきたい。

 お兄さんの沈黙(ちんもく)を死の宣告のように感じながら、私もまた静かに待っていた。どれくらい時間が経ったときだろう。組んだ腕を解いたお兄さんが、私をじっと見つめ、質問してきたのだ。


「もう一度確認したい。幸奈は、僕の妹である園村幸奈は、異世界とやらで幸せなんだね?」


 真剣な眼差しだ。当然だろう、大切な妹がどうしているのか気になるに決まってる。


「救世主さんは、本当の幸奈さんは、異世界でいつも大勢の人に囲まれ、慕われてました。彼女はその中心で楽しそうに笑ってました。それが幸せなのかは私にはわからないけど、笑顔の彼女はとても輝いていて美しかったし、幸せそうでした。私は彼女のそんな姿に魅せられ、こっそり見ていました。そのことがまちがえて刺された原因なんですけど」

「そうか……」


 お兄さんは再び沈黙した。しばし考え込んだ後、ゆっくり話し始めた。


「きみの話は、正直いって全てを信じることはできない。でもどこかで納得もしているんだ。妹はね、この世界での生活が窮屈(きゅうくつ)そうだったから。彼女はいずれ日本を出ていくだろうな、と思っていたけど、それがまさか遠い異世界になるなんてね。異世界も幸奈だからこそ、よび寄せたのかもしれない。幸奈もまた異世界に行きたくて、憧れていたんだろうな。異世界が舞台の本もよく読んでいたから」


 救世主さんが異世界に憧れていただなんて驚きだった。でもなんとなくだけど、理解できる気がした。救世主さんは言っていたもの。『私はこの世界に来て初めて幸せを感じた』って。


「妹はもう日本には帰ってくるつもりはないだろうね。昔から一度決めたことは絶対に貫き(つらぬき)通した子だったから。バカみたいに頑固者なんだよ。でもね、優しい子だった。自分はそばが好きなのに、僕に合わせてうどんを喜んで食べたし、僕を困らせるようなことは決してしなかった」


 お兄さんは本当の妹さんを懐かしむように語った。その表情は切なげで、少し寂しそうだった。


「妹が幸せなら、それでいいんだ。あの子の幸せが、僕の願いだから」


 少し悲しげな微笑みが心にしみる。なんて声をかけたらいいのか、わからなかった。


「そして妹は、きみを僕に託したわけだね」

「たくす……?」


 どういう意味だろう? きょとんとしていると、お兄さんは軽く笑った。


「まちがえたお詫びにきみを日本に転生させた、って話だよ。ただ転生させるだけなら、この家じゃなくてもいいだろう? きみを自分の身代わりにすることで、僕になんとかしてほしかったんだろうな。都合のいいときだけ甘えてくる子だよ。まったく困ったもんだ」


「困ったもんだ」と言いつつも、まんざらでもなさそうに笑っている。えっと、お兄さんは頼られると断れない人なのかな?


「きみにも確認したい。きみはこっちの世界で人間として生きていきたいんだね?」


 遠い目をしていたお兄さんが、まっすぐ私を見ている。今度は私が答える番だ。


「はい……! 人間として生きてみたいです、幸せになりたいです!」


 お兄さんの目が、獲物を捕らえた動物のようにきらりと光った。


「……わかった。でもね、ドラゴンから人間になったとしても、幸せになれるかどうかは僕にもわからない。それでもいいなら、僕にできることはサポートしてあげるよ。僕の妹として、この家で暮らすといい。きみのことはこれからも『幸奈』と呼ぶね」


 その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。お兄さんは今、『僕の妹として』っていったよね? それってつまり……


「私、ここにいてもいいんですか? お兄さんの妹になってもいいんですか?」

「そんな赤ん坊みたいな状態で、外に放り出すわけにもいかないからね。いいよ、ここで暮らしなさい。今日からよろしく、幸奈。たった今からきみは僕の妹だ」


 手を差し出しながら、お兄さんは優しく笑った。その笑顔が、たまらなく眩しい。

 ドラゴンとして生きた異世界で、私はいつも孤独だった。ドラゴンの仲間から虐められ、誰からも相手にされず、人間は私を怖がるだけ。

 異世界で私を受け入れてくれたのは、皮肉にも、私をまちがえて殺した救世主さんだけだった。そしてその実の兄は、日本で私を受け入れてくれるという。なんて兄妹なんだろう。どうしてそんなに優しいの……?


「幸奈? 泣いてるの?」


 気付けば、私の両の目からぽたぽたと水滴がこぼれ落ちていた。胸がきゅううっとする。これって何?


「泣かなくていいから。涙をふきなさい」


 私、泣いてるの……? 目からほろほろと流れる水は、涙というの? 


「お、おにいさん、なみだ、とまりましぇん。どうしたら、いいでふか?」


 どうにか泣き止みたいのに、涙はとめどなく流れ、とまらない。ついには、ひっくひっくとむせび泣くようになってしまった。どうしたらいいの?


「いままで辛い思いを沢山してきたんだろうね、きみは」


 お兄さんの大きな手が私の頭にふれる。そのままゆっくりと頭を撫で、もう片方の手で私の背を優しくさすった。温かくて優しい手。こんなに優しくしてもらったことは、一度もなかった。


「いいよ、今は好きなだけ泣きなさい。出し切ってしまわないと落ち着かないだろうしね」


 気付けばお兄さんの胸に顔をうずめ、大きな声で泣き続けた。どうしてそんなに泣けるのかわからないけれど、今はただお兄さんの胸で泣きたかった。


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