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幸奈、大地(自室)に立つ

幸奈(ゆきな)が無事に帰ってきてくれて安心したよ。ある日突然いなくなってしまったから……」


 自らを救世主さんの兄だと名乗った優斗(ゆうと)さんは、両の目からほろほろと水滴をこぼした。『涙』というらしい。人間が目から流しているのを遠くから見たことがある。目から水を出すだなんて、人間とは器用な生き物だなぁ、と思ったものだ。

 優斗さんの目からこぼれ落ちる涙は、きらきらと光り、私に何かを訴えかける。


 朝露(あさつゆ)みたい……おいしそう……。


 みずみずしい新緑からこぼれ落ちる朝露は、あまくて、おいしい。

 

 涙……なめたい……。


 そう思った時だった。


『ぐぅ~きゅるるるる~~!!』


 突然、私のお腹が盛大に鳴り出したのだ。可憐な少女とは思えないほどの大音量だった。


「ひゃう!?」


 驚いて妙な声を出した私を、優斗さんがきょとんした顔で見ている。涙は止まっていた。(もったいない……) 

 

「こんな時にお腹鳴らすだなんて、まったくおまえは本当にもう。アハハハ!」


 今度は実に楽しそうに笑い始めたのだ。

 人間ってふしぎな生き物だ。さっきまで涙を流していたのに、今度は笑ってる。


「お腹が空いてるなら元気な証拠だね。待ってて、今から幸奈の好物を作るから」

 

 どうやら、ごはんを用意してくれるらしい。何を用意してくれるんだろう?


「ま、まって! 優斗さんっ」

「兄さんでいいよ。おまえは忘れてしまったみたいだけど、僕は幸奈の兄ちゃんだからね」

「お、おにいさん……?」


 おそるおそる呼ぶと、お兄さんはうれしそうに、また笑った。


「今から少し買い物に行ってくるけど、すぐに帰ってくるからね。そうしたら食事にしよう」


 とりあえず何かを食べたかった私は、こくこくと頷くことしかできなかった。


「おりこうさんで待ってるんだよ。じゃあ、行ってくる」


 お兄さんは手を振りながら部屋を出ていってしまった。

 ぽつんと取り残された私は、ぽかんと部屋を見つめることしかできなかった。


「『おりこうさん』ってなんだろう……?」


 何をすればいいのか、さっぱりわからない。

 ふと体を見ると、ふわふわの何かが下半分の体をつつみ込んでいる。柔らかくて温かい。後に『布団』というものだと教えてもらうことになるそれは、とろんとした眠気を誘ってくれる。


「だ、だめっ! ねてたらごはん、食べられないっ!」


 自分の頬をはたくように目を覚ませさせると、とりあえずふわふわの何かから出てみることにした。そっと下の足を出し、下に降ろしてみる。続いて上半身の手を。両の足と手。人間も四つの足があるんだ。うん、ドラゴンの時と同じだ。歩いてみよう。

 その瞬間、わたしはこてんと転んでしまった。頭の中では素早く歩くつもりだったのに。


「あれ? なんで歩けないの?」


 しげしげと両の手を見る。手は五本の細長い指があり、ドラゴンの指と比べ物にならないほど、器用に動いた。


「そういえば、お兄さんは手で道具を持ってた。そして、下の足だけで歩いてた」


 思い起こせば、異世界でも人間は二本足で歩いていた。


「人間は、二本足の生き物なんだ……。上の手は道具を使うため? 人間ってすごい……」


 お兄さんの歩き方を参考に、下の足だけで立ってみることにした。手を支えにして、足だけで立つ。一瞬立てた! と思いきや、頭が重くて、一気にバランスを崩した。顔面を直撃しそうになったが、どうにか両手でこらえた。


「人間、あたま、重いっ!!」


 人間の頭は、なんでこんなに重いの? おまけに細い首だけで支えているらしい。細いのは首だけではない。この身体ときたら、手も足も驚くほど華奢なのだ。

 今度はもう少し慎重に、頭を首で支えながら、足だけで立ってみた。さっきより少しだけ長く立っていられたが、今度は後ろに倒れていってしまった。


「人間、おしり、重いっ!!」


 手足は白くて細いのに、胸元のふくらみやおしりはしっかりある体なのだ。


「人間は、なんでこんな体で立てるの??」


 ふしぎでたまらない。しかし二本足で立ってみないことには、人間として生きていくことは、できない気がした。


「今度はもう少しゆっくりと……」


 体のバランスをとりながら、足を突っ張らせるように立ってみた。


「で、できた……」


 今度は転ばなかった。ぐらがらとしてはいるが、どうにか立つことができた。よし、次は『歩く』だ。片足を前に出し、もう片方の足も前へ。よしよし、この調子……と思った瞬間、細い足が絡まり、すてーん! と勢い良く転んでしまった。


「もう一回!」


 それから何度も転んだ。しかし決して、あきらめなかった。体のあちこちに擦り傷を作りながら、必死に歩く練習をする。「幸せになれるかどうかはあなた次第」救世主さんが最後に伝えてくれた言葉が頭をよぎる。立って歩くことが幸せなのかどうか、私にはわからない。けれど歩けるようにならなければ、人間として始めることができない気がした。


「よいしょ、うんしょ」


 妙なかけ声を発しながら、一歩一歩、懸命に歩く。転んでも、また立ち上がる。

 やがて何度も転んだおかげか、部屋の隅から隅までどうにか歩けるようになった。一度も転ばずに、だ。


「や、やった……! わたし、歩ける。人間に、なれた!」


 思わず両手を上にあげてしまった。その直後、体はまたまたバランスを崩し、後ろに倒れていった。どすん! と大きな音をたてたが、今度は不思議と痛くなかった。


「あはは、また転んじゃった。でも歩けた、わたし、できた……」


 下からドタドタと音が聞こえてきたと思ったら、お兄さんが飛び込むように部屋に入ってきた。


「幸奈、すごい音したけど何かあった? おまえ、なんであちこち擦り傷だらけなのっ!?」


 『買い物』とやらに行っていたお兄さんが、帰ってきたようだ。


「お兄さん、わたし、歩けた! 歩けたの!」


 お兄さんに飛びつくように、歩けたことを報告する。


「歩いた? そりゃ幸奈は人間だし健康だから歩けて当然だけど……もしかして寝てなかったの? 僕はおりこうさんで待ってて、って言ったよね?」

「おりこうさん、してた。歩く練習、いっぱいしたからっ!」


 その途端、お兄さんはなんともいえない顔をして、私の頭を長い指でこつんと叩いたのだ。

 あれ、私、なにか失敗した……?


「おとなしく寝て待ってなさい、意味だよ。まったく、この子は。こんなに傷だらけになって」


 お兄さんは仕方ないなぁという顔で小さく笑った。


「歩けたことが、そんなにうれしかったの? にこにこ笑ってるけど」

「笑ってる……? わたしが?」

「そうだよ、傷だらけなのに、なぜか笑ってる」


 私、笑えたんだ。ドラゴンである私には、ううん、ドラゴンであった私には、人間みたいに笑うことなんて、できないと思ったのに。


「あはは、わたし、笑える。そして歩ける。わたし、人間!」

「幸奈はもともと人間だよ。本当におかしな子だね。まだ正気じゃないのかな?」


 不思議そうな顔をしつつも、お兄さんもなぜか笑っていた。笑うってふしぎ。なぜだか心と体が、ほっこりと温かくなる。小さな、幸せなのかもしれない。


 救世主さん。私、自分の力で幸せの欠片(かけら)をひとつ、手に入れたと思っていいですか……?


 お兄さんと二人で笑い合いながら、心の中で救世主さんに語りかけたのだった。救世主さんからの返事はなかったけれど、ふしぎと彼女も笑顔になっている気がした。


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