花になること、それは
「お邪魔しまーす♪」
ランジェリーショップが休日の日、愛子さんは園村家にやってきた。今にもスキップするような、ご機嫌な足取り。桜の花の色のワンピースがよく似合っていた。
「ようこそ、愛子。リクエスト通り、チーズケーキ作っておいたよ」
「ありがとう。優斗の手作りお菓子は絶品だものね。こんにちは、幸奈ちゃん。今日も可愛いわね」
「こ、こんにちは」
先日のちょっと怒ったような態度とは、まるで違っていた。どうしてこんなにご機嫌なんだろう? お兄さんもなんだか少し嬉しそうだ。
紅茶とチーズケーキで3人でお茶を飲み、何気ない内容の話題で会話も弾んで、和やかに時間が過ぎていく。
「……っと、楽しくて目的を忘れそうだったわ。幸奈ちゃんのことを相談したいのよね」
「そうなんだ、今は病気療養中ということになってるけど、学校には行かせてやりたいし」
愛子さんはこほんと咳払いをして両手を重ね、私を見ながら語り始める。話が一気に核心に迫る気がして、私もお兄さんも緊張してきた。
「先日の話、『異世界から転生した元ドラゴンの少女』という話が真実であるとして。あれから考えてみたのだけれど、この子はたぶん人との距離感がよくわかってないのだと思うわ」
「距離感……? なるほど。それは考えてなかった」
お兄さんは納得したように、うんうんと頷いていたけれど、私はさっぱりわからない。距離感って?
「専門家じゃないから、あくまで一意見として聞いてほしいのだけど。今の幸奈ちゃんは元ドラゴンなのよね。ドラゴンの実物なんて見たことないから想像でしかないけど、たぶん相当に大きい体だわ。その感覚が残ったまま人間の体になった。となると、人との距離感がわからないのは当然じゃないかと思ったの。そもそも人間に慣れてないのよ」
「なるほど……さすがだな、愛子」
お兄さんは腕を組み、感心するように何度も頷いた。髪を片手でかきあげるような仕草をしながら、愛子さんは「まぁね」と答えた。頬を赤く染め、どこか得意気な顔をしている。
今度の話は、私にも少しわかる気がした。
「愛子さんの話、人との距離感というのはよくわからないですが、『ドラゴンの感覚が残ってる』というのはよくわかります。私、今でも匂いや音に敏感なんです。力も以前ほどではないけど、結構ある気がしますし」
「やっぱり。ねぇ、幸奈ちゃんはドラゴンとして、どんなふうに生きていたの?」
「私、飛べないドラゴンだったんです。だから親や仲間にも見捨てられて。だからずっとひとりで、ううん、一匹で生きてきました。他のドラゴンには『醜いドラゴン』って嫌われましたし、人間は私を怖がるし。人間どころか、他の生物と一緒に過ごしたことがないです」
「一度も?」
「はい。生まれたばかりの頃は、しばらく親と一緒でしたけど。でもほどんど覚えてないです」
「そうなの……想像以上に過酷な人生、いえ、ドラゴン生だったのね。そういうことなら、人との距離感がわからないのも納得だわ」
愛子さんは目を瞑り、うんうんと頷いていた。
「愛子、理由はなんとなくわかったけど、具体的にどうすればいいと思う?」
身を乗り出すように、お兄さんが質問する。愛子さんは片目だけ開け、「そうねぇ……」と焦らすようにつぶやいた。
「もったいぶらないで教えてくれよ、愛子」
お兄さんの言葉に満足したのか、愛子さんは両目を開け、にっこりと優雅に微笑んだ。
「それはね……3人でおでかけしましょう!」
予想外の答えだった。おでかけって、外で遊んだりすることだよね?
お兄さんも同じだったようで、呆気にとられた顔をしている。
「おいおい、愛子。人との距離感がわからない幸奈への対策が、『おでかけ』ってなんだよ。しかも3人って。おまえが遊びに行きたいだけじゃないのか?」
「失礼ね! これでも私なりに考えに考えぬいた結論よ。優斗、あなたのことだから、今の幸奈ちゃんをほとんどに外に連れ出してないでしょ? 家の中で大事に大事に、猫可愛がりしてたんじゃない?」
「し、失礼だな! 今の幸奈は歩くのもおぼつかない子だったんだよ。やみくもに外に出したら危ないじゃないか!」
お兄さんは顔を赤くしながら、必死に反論する。
「だから猫可愛がりっていうのよ。大事にしたいのはわかるけど、幸奈ちゃんのことを思うなら、もっと外に出してあげないと。外でいろんな人や物と接することで、わかってくることって沢山あるはずよ。勉強だって社会学習が必要でしょ? だからおでかけが必要だと私は思ったの。でも今の幸奈ちゃんをひとりで外に出すのは心配よね。それは私も理解できる。だから3人で一緒におでかけして、いろんな経験をしてみましょう、って言いたいの」
お兄さんはしゅんと身を縮めてしまった。今度は反論できなかったようだ。
おでかけ……お外に行くこと。行ってみたい!
「おでかけしたいです! もっといろんなもの見てみたい。お兄さんと愛子さんが一緒なら、私も怖くないです」
「幸奈ちゃんもそう思うわよねぇ? 優斗、私の意見、まんざらでもないでしょ?」
ふふんと鼻を鳴らし、得意げな顔をする愛子さんに、お兄さんは「参りました」というように頭を下げた。
「悔しいけど、愛子の言う通りかもしれない。学校だってひとりで登校しないといけないしな。幸奈にはもっと社会勉強させてやらないと」
「決まりね。とりあえず今日は3人でおさんぽでもして、外でごはんを食べましょうよ」
「なんだか愛子のペースに巻き込まれてる気がしなくもないけど、幸奈も外に行きたがってるし、今日はおでかけの日にするか?」
「はい! 行きたいです、うれしいです!」
外に早く行きたくて、立ち上がったところを愛子さんに腕をつかまれてしまった。
「ちょっと待って、幸奈ちゃん。おでかけの前にお着替えしましょう」
「私、このままでいいです。それより早く外に行きたい!」
「あのね、今からもう社会勉強は始まってるの。女の子のお勉強がね」
「女の子のお勉強?」
意味が分からず、首を傾げる。なぜおでかけ前に着替えが必要なの?
「まぁ、私に任せておきなさい。幸奈ちゃん、二人であなたの部屋に行きましょう。優斗、あなたはその間おとなしく待ってるのよ」
「はいはい、愛子様の仰せの通りに」
わけが分からないまま、愛子さんに腕をひっぱられ、二階の部屋に移動した。
「さぁ、まずは服を替えましょう。着替えはタンスの中よね、あなたはこういう時、何を着たらいいと思う?」
「何を、って私、服なら何でもいいです」
「ダメダメ、それだとレッスンにならないわ。今から3人でおでかけするの、とても楽しみよね? だったらそれにふさわしい装いがあると思わない? 今の幸奈ちゃんはグレーのスウェットを着てるわね。家の中で過ごすにはいい服よね。でもそのまま外に出たら、ちょっとさびしくない?」
「さびしい……?」
意味が全くわからない。うーんと考えながら、ふと愛子さんの桜色のワンピースが目に入った。きれいなピンク色。そういえば、植物や花は種類によっていろんな色がある。どれも自然な色合いなのに、見ているだけできれいだし、心が潤う。花みたいになれたら、って時々思う。となると……
「ひょっとして、もっときれいな色の服を着ましょう、ってことですか……?」
「正解! いい子ね、幸奈ちゃん」
「やった、当たった!」
ほめられたことが嬉しくて、思わず万歳をしてしまう。
「じゃあ、自分で好きな色の服を選んでごらんなさい? 細かなコーディネートは愛子さんがしてあげるから」
「はい!」
タンスの中に入っていたのは、全て救世主さんが残していった服だ。派手な服は好まなかったようだが、それでもいろんな色の服があった。きっとこの服たちも、救世主さんが私に託してくれたものなんだ。もっと大事にしよう。
そっとかきわけるように服を探す。あれこれ見ているうちに、朝露を思わせる、淡い水色のブラウスを発見した。胸元に小さなリボンがついていて、まるで咲いたばかりの花のようだ。これにしょう!
「私、これがいいです!」
愛子さんの前に水色のブラウスを差し出す。
「爽やかで、いい色ね。あとは愛子さんが選んであげる。着替えたら髪の毛を整えて、軽くお化粧しましょう。あなたの場合、リップと眉を整えるぐらいでいいかな」
「お化粧って?」
「お肌の色を整えて、より美しく見せることよ。身だしなみのひとつね。幸奈ちゃんは若いから、それほど必要ではないけど、私ぐらいになると外に出るときは必須だわ」
愛子さんはなぜか、自嘲気味な笑みを浮かべた。
「愛子さん、とってもキレイなのに、お化粧が必要なんですか?」
「あら、嬉しいこといってくれるわね。でもね、これは普段から美しくあろうとしているからなのよ。仕事柄、身だしなみには気をつかってるの。幸奈ちゃんもだんだんわかってくると思うわ。さ、着替えましょう」
「はい!」
愛子さんに言われた通り、服をぬぎ始める。えっと、今度は下着までぬがなくてもいいんだよね。
「ちょっと待って、幸奈ちゃん」
「はい?」
下着姿になったところで、愛子さんがストップをかけた。あれ? 私、何かまちがえた?
「いい機会だから教えておくわね。ちょっとこっちに来て鏡を見てごらんなさい」
そこには体全体を映し出す、大きな鏡があった。部屋の隅にあったのは知っていたけど、特に興味もなかったので、ほとんど使っていなかった。
鏡に映し出された下着姿の私。裸に近い体を鏡で見たのは初めてだ。
「ねぇ、幸奈ちゃん。あなたの肌はきめが整っていて、とてもきれいね。細くて華奢なのに、でるところはしっかり出ていて、同じ女から見ても惚れ惚れするプロポーションだわ。あなたのこの美しい体をね、もっと大事にしてほしいの」
「大事にするって?」
「大切に慈しむことよ。女の子は、ううん、全ての女は美しい花なの。繊細な花は大切に守らないと簡単につぶれてしまうでしょ? 幸奈ちゃんの身体は若くて健康そのものだけど、月々のバランス次第で不調になることもあるの。だからもっと自分の体を大切に守ってほしい。必要なとき以外は、人の前で簡単に体を晒したりしないで。私の話してること、理解できる?」
愛子の話は、正直理解できなかった。100年ドラゴンとして生きてきたけど、自分の体を大事にしようだなんて、一度も思ったことがなかったから。でも今は人間の体だ。救世主さんから人生をやり直す機会を与えてもらった、大切な体。もっと大事にしよう。
「愛子さん、教えてください。女の子の身体を守るためには、どうしたらいいのか」
「いい子ね。じゃあ、服を着て」
「はい」
自分が選んだ服と、愛子さんが選んでくれた服を着て鏡を見ると、色合いがとても美しく、まるで一輪の花が咲いたような感覚だった。
「きれい……」
「でしょう? こういうのをおしゃれって言うのよ。女の子は誰しも美しい花だけど、少し工夫してみると、驚くほど変わるものなの。きれいになれるとワクワクしない? もっと工夫してみようって思わない?」
「はい、楽しいです!」
自分の体を大切にして、おしゃれを楽しむ。今まで一度も考えたことがなかったけれど、なんだかわくわくする。今にも心と体が躍りだすような感覚に、たまらず自分の体を抱きしめる。
「愛子さん、少しだけわかった気がします。幸せって、わくわくして楽しいことを見つけていくことでもあるんですね」
「あら、なかなか興味深いことを話してるわね。そうねぇ、そうやって幸せを探せるのって、実はすごく大事なことなのかもしれない。わたしも意地を張らずに幸せを探していかないとね……」
愛子さんは腕を組み、少しだけ遠くを見つめながら、何事か考えている。
自分でじっくりと考えて、答えを見つけたり、自分なりの結論を出していく。それもまた人間の力であり、幸せなのかもしれない。人間ってすごい。そして、おもしろい。鏡に映ったおしゃれした自分を見て、にっこりと笑った。