知識で腹を膨らませろと?
「元気ないね」
やる気が出ず机に突っ伏す俺に本を読みながらも心配そうに声をけてくる湊。優しさを感じるが感動してはいけない。視線は本に向かったまま俺なんて見ていないのだ。
……原因はお前だろ
などと言うことも出来ずただため息を吐く。こんなこと言ってもただの八つ当たりになってしまう。
「退屈なんだよ」
「…………」
はっきりと言葉にしたはずなのに湊は俺の言葉を無視した。いや、無視しているつもりは無いのかもしれない。正しく言い換えるなら『耳に入っていない』かな。
湊は無類の本好きらしい。基本的に本を携帯しており一日に1冊は読破する。俺が転入する前は『図書館の番人』なんて異名もあったそうなので相当な本好きなのだろう。ちなみに図書室の番人を卒業した理由は
『読み終わった本しかない空間楽しくない』
とのこと。半年過ぎる前に図書室全ての本を読んでしまうのだから相当狂ってる。
「おはよう」
「よーっす」
楓と猿が登校してきても湊には届かない。二人は慣れたこと、とでも言いたげに各々の世界に入りだした。
「あ、朝のカフェイン忘れた。買ってくる」
猿はカフェイン中毒者。カフェインが無いと手が震えてイライラしてくるらしい。
「あ、私も行く〜」
猿が席を立つと慌てて楓も教室を出ていき、再び俺と湊だけになった。もちろん湊が俺を気にする素振りはない。ただ本にのみ神経を集中し、それ以外の全てを遮断している。
「……ふぅ」
ようやく本を読み終わったらしく湊は本を閉じた。机に置いてある栞を最初のページに挟んでそのままカバンの中へとしまわれていく。
「あれ、なんか元気ない?」
「それ二度目だってわかっててやってる?」
湊が俺の顔を見て発した言葉がこれだ。この通り、湊が読書中に発するのは言葉ではなくただ口から漏れた音でしかない。湊は「え、なにが?」みたいな顔で見てくるが俺がおかしいみたいじゃないか。
「湊、読書中に俺に話しかけてたんだぞ」
「あれそうなんだ。ごめん何言ったっけ」
「いいよ、大した話じゃない」
湊は少し申し訳なさそうな顔をしたが治す意志はなさそうだ。
「はぁ……」
「お腹空いてるの? 仕方ないな、ちょっと待ってね」
何も言ってないのに空腹だと決めつけて湊は制服の中に手を入れた。小さなお菓子でも入っているのだろうか内ポケットをゴソゴソとあさっている。
「んー、こっち?そっち?」
いや、制服の中異次元かよ。どんだけ収納されているんだ
「あ、あった。はい。これ美味しいよ」
さて、一体どんなお菓子が……
「みなと?」
「ん?」
「これは……?」
湊に渡された四角く厚みがあって少し角が潰れている物を出した。誰がどう見ても明らかな本だ。
「僕の非常食」
「で、これはなんだと聞いているんだ」
「夏目漱石のこころ」
「知識で腹を膨らませろと?」
「読み倒したから味薄いかも」
非常食まで本とは本格的な本狂いだな。
「しかし2週目をしない湊が読み終わった本持ってるなんてな」
「この本は特別」
湊は本を置いて優しく撫でる。湊の言葉通りこの本は特別なんだろう。本を傷つけたら許さない主義者なのに角が少し折れ曲がっていたりそもそも内ポケットに入っていたこと自体まずほかの本では有り得ない。
「とてつもなく本が読みたいのに手持ちに無かった時にこの本に助けられたから」
「そういやちゃんと読んだことないな。どんな話だっけ」
「ほらほら、知識を欲してるよ〜読むといいよ」
湊がグイグイと本を押し付けてくるので仕方なく本を取ろうと手を伸ばした。
「あ……」
が俺の手がちょうど本の腹に当たってしまい、湊の手から離れて重力に押しつぶされる。そしてそのまま地面に音を立てて落ちた。
「あ、す……すまん」
「いやこっちこそ」
二人で落ちた本に手を伸ばす。同時にしゃがみ、そして意図せず顔が近くなり……
「んっ……」
お互いの唇が触れ合った。たった一瞬の事だったが確かな触感、柔らかくて少しかさついていた。キス、したんだと気づいたのは湊と目が合った時だった。
「あ、ごっ、ごめん!」
「ん、平気……」
とっさに唇に手を当てる俺と俺の顔を呆然と見つめる湊。キスしたのは机の下だからきっと誰にも見られていたいだろうがなんとなく気まずい。
「そ、その……えーっと……」
「本、拾わなきゃ……」
湊は本に手を伸ばすがその手が少し震えている。
代わりに拾おうと手を伸ばしたが湊の手に触れた瞬間湊が小さく悲鳴をあげた。
「何してんだ?」
「へっ! あ、わっとっ! いっつ……!!」
頭上から声をかけられ慌てて立ち上がろうとしたら椅子に足をひっかけ、そのままもつれてしりもちをついてしまった。
「お前大丈夫か?」
「へ、平気! 平気平気決まってんじゃん! なあ、湊!」
「え、なっ、なんで僕に」
「ほら! 平気だって。変な猿だな!」
もう頭が真っ白で自分でも何を言ってるのか分からない。どうにかして猿に怪しまれないようにと思っても上手く捲したてる術がない。誰でもいいから助けて。
「今日のお前変だな」
「うん〜変だよ〜!」
ああ、もう訳が分からないと猿の言った言葉をただ繰り返す。俺変だよー。
テンパる俺に怪訝な顔をする猿。その肩を楓が叩いた。
「猿、きっと湊の読書邪魔したからおかしくなっちゃったんだよ」
「確かに。それなら納得だ」
猿の頷きと同時にチャイムが鳴り、途端に教室は静かになる。俺も少し息を整えながら教科書を開いて冷静さを取り戻そうと努力する。
ふと、湊の方に目を向けたが目は合わない。気にしていないのかそれとも俺と同じように考えないようにしているのか。
「……なんかドキドキする」
心臓がうるさく鼓動しているせいでその日1日、何も頭に入ってなどこなかった。
ちなみに本当に読書中の湊を邪魔するとこうなるという短編を↓
猿「朝からクリーム増し増しクレープ食べるとか異常だな」
楓「学校にクレープの屋台あるのが悪い。ああ……明日はパフェの屋台なんて来ないかな〜」
猿「どこに需要がっ……お、おい」
楓「窓ガラス……割れたね…………え、なんで?」
猿「何かの衝撃で割れたのか……? しかし異様に静かだ。つまり」
楓「また湊の読書を邪魔して超音波で叫ばせたのね。今月になって3度目だよ……」
猿「俺事務員に伝えてくる」
楓「じゃあ私は湊のアフターケアしてくる」
猿・楓((何度忠告しても馬鹿っているもんだな……))