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第18話 直面する罪の重さ

「ちょっと待ってくれ、柴谷さん」

 智宏が告げた罪名に康雄が気の抜けた声を上げる。

「強姦ってよ、いや、行為自体はそうかも知れねぇしこのバカ息子をかばうつもりもないけど相手は息子さんだろ? その……男同士でやったってわけでもなくそこのお嬢ちゃんが相手でよ」

「そうなりますね」

「だったらよ、さすがにそいつは無茶じゃねぇか? 男に強姦なんか成立しねぇだろ」

 康雄の言葉に周りの親たちも気まずそうにしながら、それでも確かにそうだろうと頷く。

 智宏もこの反応は仕方ないと思っている。 それが一般的な反応だろう。 事実、強姦罪は被害者を女性と規定していた。 知らなくても無理はない。

「杉田さん。 強姦罪というのは確かに女性を対象とした犯罪です。 ですが、強姦罪というのはもう存在しないんですよ」

 智宏の言ったことは誰も理解できなかった。 全員が怪訝な顔で説明を求めるような目を向ける。

「2017年に『強姦罪』は廃止され、それを継承する形で『強制性交等罪』という法律が制定されています。 これは男性器を体に受け入れる行為を性行為として、女性が男性に性行為を強要することも該当するんです」

 智宏も今回のことで調べるまで知らなかった。 以前は強姦と言えば女性が被害者の犯罪であり、男が意に沿わぬ相手に無理矢理に性行為の相手をさせられたとして、強姦とはされなかった。 それが昨今の男女平等を謳う風潮を受けてか、今では法律の改正で女性から男性に対する性行為の強要も犯罪になる。

 こんな細かい法律の改正など、興味があって調べでもしない限り知ることはない。 だが、知られていなかろうと犯罪は犯罪だ。

「仮にそれがなくても三人がかりで押さえ付けるのは刑法上、明確に暴行にあたります。 そして拒否する総司の意思を無視して性行為に及んだ。──強制性交の要件を完全に満たした明白な犯罪行為なんですよ」

 刑事告訴もあり得る──昼間に智宏からそう宣告され、自分たちが一体何をしたのかと悩んでいた春たちは、自分たちの仕出かしたことの意味と重さをようやく理解し震えていた。

 親もみな、ようやく事態を正確に認識し表情の重さが増す。

「あの……柴谷さんはどうされるおつもりですか?」

 信雄の父親がおずおずと口を開く。 眼鏡をかけた優しげな顔が心労で重苦しそうに歪んでいた。 息子が犯罪を犯し警察に訴えられるかも知れないことにも、友人を苦しめたことにも、心を痛めている。

「私は妻と離婚することになります。 その私にとって、総司はただ一人の家族で何よりも大事な存在です。 総司が何を望むか次第ですが度を過ぎない限りは総司のしたいようにさせます。 告訴したところでおそらくは不起訴になるでしょうけど、総司が訴えなければ気が済まないと言うなら訴えますよ」

「あのっ! 総司と話をさせてもらえませんか?」

「文彦! お前は黙って──」

 突然立ち上がり、智宏に総司と話したいとお願いする文彦を父親が手をつかんで座らせようとする。 しかし文彦はそれに抵抗し必死に訴える。

「違うんです! 俺ら、総司のことは新しい仲間だって思ってたから誘って、遠慮するっていうのも照れてるだけだと思ったんです! 押さえ付けるのだって本気で嫌がって暴れてたらやめてました! 総司のことを傷つけたいなんて思ってなくて……謝って仲直りしたいんです!」

 文彦は本心からそう思っていた。 それは他のみんなも同じこと。 親に暴露されたり犯罪を犯したと言われたりで心はゴチャゴチャになっていたけど、それが何より大事だった。

 罪を逃れたくて口先で言ってるわけじゃない。 それは智宏にも伝わっていた。 しかし智宏は首を横に振ると重苦しく口を開き、

「残念だが君たちを──」

 拒絶の言葉を口にしようとしたその時だ。 部屋の外でドアが勢いよく開けられる音に続いて、廊下を余裕なく走る音が聞こえた。 何事かと全員がそちらに目を向けると、またドアが乱暴に開く音が響き──激しく嘔吐する苦しげな声が聞こえてきた。 この二日、何度も起きてることに智宏が沈痛な顔でうつ向く。

「今の……」

 誰だったのか、何をしているのか、分からないはずもない。 誰も何も言わず、トイレが流れる音がして、そのまま足音がリビングに向かってくるのを聞いていた。

「そう……じ……くん?」

 リビングのドアが開き、現れた総司の姿に春が呆然と呟き、他は全員が絶句する。 げっそりとやつれて目の下にくっきりと隈が浮いた総司の姿は、普段の総司を知ってる春たちや春の母親でなくても、総司がいかに憔悴してるかを思い知らされるだけのものがあった。

 部屋に入った瞬間、総司は一瞬足を止めた。 知らない人間が大勢集まってることに驚いたのか、それとも春たちがいることに何かを感じたのか、表情からは窺えない。

 足を止めたのはほんの一瞬で、誰に何を言うわけでもなく、全員を軽く一度見渡した後は誰にも視線を向けもしないでキッチンへと向かう。 

 コップに水を汲んで口をゆすぎ、湯飲みを取り出すとポットから白湯を入れてゆっくり飲み込む。 まだ痙攣している胃が白湯の熱をもらって少し落ち着き、総司は深く息を吐く。

「……何やってんの?」

 力のない小さな声──か細くかすれるような声が重苦しい無言の空間をわずかに震わせる。 キッチンに手を突いてうつ向いた総司の表情は見えない。

「あ、あのね……」

「一昨日のことを話すためにみんなのご両親にきてもらったんだ。 話は父さんがするからお前は部屋にいていいぞ」

 どんな顔で、誰に対して総司が言っているのかも分からない中、ずっとうつ向いていた春がためらいがちに声を上げる。 しかしそれは智宏に遮られ、総司はそのまま、無言でダイニングから出て行こうとする。

「そ、総司くん!」

 リビングのドアに──春たちに近付きたくないというようにダイニングのドアに向かう総司に、立ち上がった春がもう一度、勇気を振り絞って呼びかける。 だが、総司はその声が届かなかったように、何も聞こえなかったようにドアノブに手をかける。

「戸倉さん──」

「ごめんなさい!」

 智宏が非難するように制止するのも構わず、春は声を上げていた。 もう二度と総司に会えないかも知れない。 総司が何にこんなに傷付いたのか分からないままになるかも知れない。──その恐怖が春を衝き動かしていた。

 春の謝罪の言葉に、ドアノブに伸びた総司の手が止まった。 そのまま総司は動かず、しばし沈黙が流れる。

 誰も何も言えない中、総司がため息を吐く。 彰の部屋で彰の腕を振りほどいた時のような、本当に重いため息。

「……何に謝ってんの?」

 ようやく出てきた総司の言葉は、春の謝罪の言葉に対してひどく冷たかった。 それでも、総司が止まって返事をくれたことに安堵し、春は言葉を重ねる。

「そのね……総司くんが何に怒ったのかって……全然分かってなくて……みんなで話して……病気とか心配してそれで嫌だったのかなって……でも違うんだよね?」

 性病を心配して病院に言ったわけじゃないことは智宏に聞いていた。 春に考えられるのはそうと認めたくない、一つのことしかなかった。

「総司くんが……あたしのことがそんな嫌だったなんて思わないで……傷付けちゃって……」

 謝りながら春の目から涙が溢れる。 自分のことが嫌で、それで無理やりさせられてそんなになるほど傷付いたんだと、そうとしか思えず、あまりに悲しいその考えに涙が止まらなかった。

「あたし……総司くんに可愛いって……思ってもらえてるって……ひっ……勘違い……ぐすっ……しちゃって……」

 悲しさにつっかえながら、それでも謝らないとと、春は必死に言葉を絞り出す。 そして──総司はそんな春に何も感じないかのように、冷淡な言葉を返す。

「……何も分かってないのに何を謝るんだよ?」

「……ひっ……総司……くん?」

 総司が何を言ってるのか分からず、春は思わず聞き返していた。

「だって……」

「……可愛いと思ってたよ」

 総司の言葉に涙で顔をぐちゃぐちゃにした春も、彰たちもみんな、総司に呆然としながら目を向ける。

「……明るくて元気で……料理を教えてもらったり世話になって……優しくていい娘で……一緒にいて楽しかった。 正直こんな娘が彼女だったら楽しいだろうなくらいには思ったことはある」

「総司くん……」

 思ってもなかった言葉に、春はこんな時なのに少し嬉しくなる。 総司に嫌われていたんじゃないと、そう思うと少し心が軽くなった。 それと同時に、だったらなぜ総司はこんなことになっているのかと、疑問が浮かんでくる。 その答えが絶望を与えるものとは思いもしなかった。

「総司……だったら何で──」

「……お前らには分からないし言いたくない」

「言ってくれよ! 俺たち何も分かってないけど、でも傷付けたことを謝りたいんだ! ちゃんと分かって謝りたいんだよ!」

「……言って分かるのかよ?」

 冷淡なまま、総司は以前には想像もしたことのない口調で、別人のように吐き捨てる。 ほんの数日の付き合いだけど、常に穏やかだった総司からは想像もできなかった変貌ぶりに、洋介や由美も含めて責任を感じてしまう。

「総司……確かに俺たちは何も分からないまま総司を傷付けたけど言われれば分かるよ」

「……言って分かるなら何でこんなことになったんだよ?」

 圧し殺すように言う総司の握りしめられた手が震えているのを見て、春たちはこの時初めて総司の言葉に怒りが込められていることに気付いた。 彰の手を振り払った時も、さっき部屋を出ようとした時も深く息を吐いていた。 それが内心の怒りを少しでも吐き出そうとしてのことなんだと、ようやく気付いた。

 ともすればぶつけてしまいそうな怒りを必死に自制してることに──それほどに怒りながら自分たちにぶつけないようにしているのだと初めて気付いた。

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