新人
高田馬場で降りて馬場口交差点に向かって東に歩くと、5分ほどで居酒屋『元
禄』に着いた。
店内を見回したが、宗像の姿は見えない。店員に『鉄人会』は、と聞くと二階ですと言う。
店員は「トライアスロンをやられてるのですか?」と聞いてきたが「いえ」と言って二階に上がる。
見渡すと、座敷で手を振っている宗像がいた。
12、3人のメンバーは拍手で迎えてくれ、「さあ、ここへ」と言って奥の真ん中に座らされた。
「じゃあ、自己紹介といこうか。新人の森本さんから」
「森本です。新人と紹介されましたが、まだ入ると決めた訳ではありません。宗像さんと大岳山でお会いして、遊びにこいと言われたので来させていただきました。
新人と言えば、山の方は本当に新人です。少し考えさせていただいて、この会に入らせてもらうと決めましたら、その時は色々教えてください」
回りからは「もう入ったも同然だぞ」とヤジが飛んで場がドっと湧いた。
一人一人立って自己紹介が続いたが、森本は一人の女性に目がいった。
「川村由美です。この会に入って3年目になりました。仕事は看護師です。え~っと、血液型はAB型です」
ボーイッシュな顔立ちをしていた。同じボーイッシュと言っても、紗英とは全然雰囲気が違う、健康的なのだ。上半身はスリムだが、足は筋肉質で、パンと張っているのがジーンズの上からも見て取れた。
髪は三つ編みを一本にして胸の前に無造作に垂らしている。
宗像の音頭で乾杯が済むと、いきなり場は盛り上がった。
代わる代わる森本のところにビールを片手に男達が来ると、この会はいいとか、色々覚えられるぜとか、一人の登山は危険だとか、ともあれ勧誘の言葉を言いながらビールを注いでいくのだった。
普段あまり酒を飲まない森本は、したたかに酔った。
気分が悪くなりトイレに行くと、我慢出来ずにゲーゲーと吐いたが、何故か(俺はこの会に入ることになるな)と思う。
洗面で顔を洗っていると、後ろから「大丈夫ですか」と声を掛けられた。
濡れた顔で声の方に首を傾けると、三つ編みの川村由美が心配そうに森本の顔を覗き込んでいた。
「ああ、川村さん.......でしたよね。ご心配かけてすみません。少し飲み過ぎまし
た」
「ごめんなさいね。うちの人達って、飲むの大好きなんです。山にいる時はすごく真剣な顔をしているのに」
「いえ、皆さん、すごく良い人達だっていうのは見ていれば分かりますよ」
「あの.......私からもお願いします」
「はい?」
「森本さん、うちに入ってもらえませんか。みんな本当に喜ぶと思います」
「有り難うございます。あなたに言われたから言う訳ではないけど、もう心半分入れてもらおうかなと思っています。でも今酔っているから、家に帰って、一眠りして朝起きてからもう一度考えようと思っています」
「お住まいはどちらなんですか?」
「国立です。中央線の」
「そうですか。私とは反対方向ですね」
「どちらですか」
「東西線の門前仲町です」
「本当に反対だ。同じ方向だったら良かったのに」
そう言ってから、しまったと思った。
忙しい日々は続いたが充実感もあった。
公園のデザインが決定したという連絡があったことが、心をより軽くしている。
形としては先輩のデザイン事務所の下請けということではあったが、
打ち合わせはほとんど一人で行ったし、ずぶの素人ながらなんとか独学で形
に出来たのが嬉しかった。
その先輩、西脇から電話が入った。
「おい、公園のデザイン評判良いぞ」
「はい、苦労しましたからね」
「それで区役所から連絡があったんだが......」
「なんですか」
「設計、施行まで出来ないかって言うんだ」
「それは無理ですよ。絵を描くだけでも精一杯だと言うのに」
「でもなあ、決まればデカイぞ。」
「デカイっていっても、あまりにも畑が違いすぎます。それにデザインまで
で、私の役目は終わったんでしょう?」
「それなんだが、デザインした人間に最後まで見て欲しいと言うんだ。まあ、
方法はある。造園会社を下請けにして造ればいいんだ。俺の方としても、ちょ
っとおっかない部分もあるけど、やってみようと思ってる。なあ、森本、乗り
かかった船だろ、手伝ってくれよ」
西脇の口調は柔らかかったが、(ここまでやったんだから逃げるなよ)とい
う圧力を感じる。
まったく未知の領域ではあったが、デザインを考えながら、うきうきとして
いる自分も感じていた。
(やってみるか)
山といい、仕事といい、なにか新たなものが自分の中で流れ始めているのを
感じ
始めていた。
西脇に指定された待ち合わせの料亭。襖で仕切られた座敷で、森本は一人先
に来て待っていた。
こじんまりとしてはいるが、水をうたれた玄関までの石敷のアプローチや、
その両脇の青々とした竹の列植、石灯籠に点された炎など、高級感が漂っている。
(これは高いぞ。割り勘だったら大変だ)
仕事の内容よりも懐具合の方が気になる。
それにしても西脇は手の打ち方が早かった。
森本のデザインは役所に提出する前に西脇にも送っておいたが、それをもと
に造園会社に見積もりを作らせ、役所に提出していた。
つまり、森本は本当にデザインのみを請け負ったにすぎなかった。 だからこ
の公園の予算がどれくらいあって、見積もりが幾らだったのか、などまったく
知らなかった。
「やあ、待たせたな」
そう言って西脇が男と一緒に入ってきた。
「三国造園の社長、三国さん」
挨拶が済むと、あらかじめ頼んであったのだろう。次々に御馳走が並ぶ。
西脇も三国も滅法強く、ビールやお銚子が次々と空になっていく。
「まあ、森本さんはたまに来て見てってくれるだけでいいんですよ。仕事はこ
っちに任せといてください」
40代半ばくらい。二代目なのだろう、外で仕事をしている割には色が白か
った。料亭の費用は三国社長が持ってくれた。