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ガーデン  作者: 佐伯 蒼太郎
7/33

部屋


 公園のデザインは遅々として進まなかった。

 300平方メートル程の小さな公園だったが、考え出すと無限に広り、それでいて

確実な手法を持っていない森本には、どう手を出して良いものか途方に暮れてい

た。

 ただ先日のハイキング山行で感じた、木漏れ日だけはなんとしてでも再現して

みたかった。

 役所側からは、遊具、トイレ、歩道、水飲み等の要求があったが、それらを頭の

中で繋ぎ合わせると、ありきたりな都市公園しか浮かんでこない。

 たまたま入った仕事ではあったが、やっつけ仕事にはしたくない。

 山で感じたあの冷ややかで清れつな空気を、何とか都会の真ん中で再現したいと

思った。

 森本の部屋が仕事場になっていた。

 8畳の部屋に製図台がふたつ、それに色鉛筆やロットリングの並んだ中古屋で買

った小さなワークデスク。その間に布団を敷いて森本は寝ていた。

 紗英の部屋は男子禁制だったから、森本も横内も中がどうなっているかは、まっ

たく知らなかった。

 バスルームとトイレ、そして10畳ほどのダイニングキッチンを紗英と共用して

いて、掃除は交代でやると入居時に決めてあった。

 深夜、図書館から借りてきたランドスケープの本を読んでいたが、夕食が早かっ

たせいか、少し腹が空いたと思いラーメンでも作ろうかとキッチンに立った。

(あいつも食うかな)そう思って紗英の部屋をノックしたが、返事がなかった。

 もう寝たのかとも思ったが、もう一度ノックをしてみた。 やはり返事がない。

(まあいいか)そう思ってドアから離れようとした瞬間、部屋の中から、うめき声

が聞こえてきた。


「紗英!どうした!」


 森本の頭には、リストカットして血を流している紗英の映像が浮かんだ。鋭敏な

感覚、繊細な神経、中年男との............そういった紗英の総体が、手首を切るという

行為を思い起こさせたのかもしれない。


「開けるぞ!」


 ドアには鍵はかかっていなかった。

 紗英はベッドの上にいた。パジャマは着ていたが、毛布も何も掛けてはいない。

額に水玉のような汗が浮かべ、うううっと呻いている。森本は右、左と手首を確認

する。どちらも切ってはいなかった。

 紗英の両肩を掴むと「紗英起きろ」と連呼した。

 目が開いて、びっくりしたような顔で森本を見る。


「どうした?」


「怖かった、怖い夢を見ていたの」


 森本はハンガーに掛けてあったタオルを取ると、ベッドに腰掛け紗英の額の汗を

拭ってやる


「どんな夢?」


 紗英は下を向いたまま「言えない」と呟く。と、見る間に鼻の頭に涙が垂れてきて、ベッドに滴り落ちた。

「どうしたの」出来るだけ優しい声で問いかけると、わぁん!と号泣しながら森本

に抱きついた。

 子供の様に泣き出すのはこれが初めてではない。今までも何回かあった。そうい

う時はただ泣き止むまで頭を撫でているしかなかった。

 30分もそうしていただろうか。紗英は顔を上げると、涙でぐしょぐしょになっ

た顔でお腹がすいたと言った。

「なんだよお前」森本は苦笑しながら自分の額を紗英の額に当てた。


「ラーメン作ろうと思ってたんだ。一緒に作ってやるよ」


 そう言って、毛布を紗英の肩に掛けると、キッチンに戻って重いル.クルーゼのキ

ャセロールをコンロに掛けた。

 前に、森本が使っていた安いアルミの鍋は身体に悪いからと、紗英が勝手に捨て

てしまって喧嘩になったことがあった。


「お~い、出来たぞ」


「私の部屋で一緒に食べよ」


「あれ?ダイニング以外で飯食っちゃダメって言わなかったっけ」


「たまにだから、いいじゃん」


「ちぇっ、都合のいいやつだなあ」


 あらためて紗英の部屋を見る。12畳くらいの洋間でベッド、ステンレスの角パ

イプを曲げたフレームに厚いガラスの天板が乗った小さなテーブル、それと対の椅

子がふたつ、黒いラタンのドレッサー、そして部屋の一番奥にはイーゼルがあっ

た。

 そのイーゼルには特注らしい随分横長のキャンバスが乗っていたが、絵は一面が

緑色だった。

 ガラステーブルの上にラーメンを置いて「食おうぜ」と声をかけた。


「食べさせて」


 初めて聞くような甘えた声で紗英は言う。


「なに子供みたいなこと言ってんだよ。伸びちまうぞ」


「食べさせてえ」


「どうしたっていうんだよ。しょうがねえなあ」


 ベッドの脇に椅子を寄せて座ると、食べやすいように数本を箸でつまんで紗英の

口元に持っていった。


「フーフーして!」


 森本は観念していた。リストカットでなかった安心感からか、それとも、いつか

本当にやりかねないという心配からかは分からなかったが、今日はなんでも言うこ

とを聞いてやろうと思う。

 左手でドンブリを紗英の顎の下に持ち上げたまま、右手でラーメンをつまんでは

フウフウと冷まして紗英の口に運ぶ。紗英はチュルチュルと音を立てて吸い込んだ。その仕草がまるで子供のようだった。

 森本がフウフウと冷ます時、紗英はじっとその仕草を見ていた。

 何口目かのラーメンを口元まで持っていったが、紗英は口を開かなかった。


「ほら、口を開けろよ」


「............今日は一緒に寝よ」


 紗英は子供のような目をしてそう言うと、森本の腕から箸を取りドンブリに戻すと、その腕を両手で掴み頬ずりをした。


「おまえ、今日なんだか変だぞ」


猫のように頬ずりしている紗英に言った。


「森本君、私のこと嫌いになったの?」


「なぜ?」


「だって、ここへ来て4年も一緒に住んでいるのに、一度も私に手を出そうとしな

いんだもの」


「好きだったら、しなきゃいけないのか?」


「なんか不自然だよ。やっぱり私があんなことしてたから、嫌なんだ」


「そうじゃない。そうじゃないけど、責任が持てるようになるまでそういうことは

したくないんだ」


「古風なのね」


「どうなんだろう。でも一緒に寝るだけだったら構わないよ」


 紗英のベッドで一緒に横になった。紗英は良い匂いがした。

 森本も普通の若者だった。身体が反応するのが分かる。

(長い夜になりそうだ)ため息をついた。紗英は左側にくっつくと、森本の左腕を

つかんで自分の頭の下にして胎児のように丸くなると、森本の胸に顔をつけて目を

閉じた。

 あっという間に寝息が聞こえ、眠れずに居た森本はなんだかあほらしいような気

もしたが、スモールランプのほの暗い光の中の紗英の可愛らしい寝顔を見ている

と、欲望も納まり、ランプを片手で消して目を閉じた。

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