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ガーデン  作者: 佐伯 蒼太郎
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紗英


 地面は完全に凍っていた。

 手のひらが振動に痛くなろうとも、ツルハシを手放す訳にはいかなかった。

 ツルハシで凍った土に穴をあけると、球根を1球づつ落としてゆく、それも種類

によって力を手加減して深さを変えなければならない。

 白花水仙や鉄砲百合やブルーベルの球根を3千球ほど植えなければならなかった

が、固くて移植ゴテなど使える状況ではなかった。

 秋植え球根を植えるには二月は遅すぎたけれども、確実に美しい花を咲かさせる

自信はあったし、なにより春を待っていたのでは生活がなりたたない。

 正月の八ヶ岳山行を終えて家に帰り着いて、残りの休日を身体休めにと近くの温

泉に行ったり、猫を抱いて寝ていたりしていたのだが、いきなりこの地方にはめず

らしいドカ雪が降った。

 雪は降り続いて、12月に植えたばかりの木の枝をその重みで折ったり、まわり

の農家の葡萄棚を随分潰したりもした。


 広い庭だった。

 10月から取りかかり、土木工事、施設工事を終え、ようやく最後の植栽工事に

取りかかったばかりだったが、このドカ雪で1ヶ月休まざるをえなくなった。


(一人はやっぱりだめかなあ)


 森本は独り言ともグチともつかないようなことを呟く。

 数年前までは、広告の下請けのデザインを美大時代の仲間と3人でやっていた。

 夢は大きかった。才能のある若者を集めて、ここをデザインの梁山泊にしよう。

おおきな渦を巻き起こし、日本のデザイン界に新たな風を吹かせてやろうぜ.........

....と。

 楽しかった。

 そりゃあ、立ち上がりはチラシを蒔いたり、飛び込みで仕事を取りに行って怒鳴

られたり色々あったけれども、まだあの時は現実よりも夢の方が大きかった。

 貧しかったけれども熱を持っていたし、そしていつも側には紗英がいた。

 同じグラフィックデザイン科、紗英は抜群の感覚でまわりのものを驚愕させた。

 そのうえ生まれついて持っている透明感と、飾らない少年のようにぶっきらぼう

な、それでいて核心を突く物言い。

 男達も女達も羨望と嫉妬のないまぜになった視線を送っていたが、男共は誰一人

として彼女に手を出そうとはしなかった。

 才能でも、論を戦わせても勝てそうもない気がしたし、彼女のトビ色の瞳を見る

と、それだけでもう何も言えなくなってしまう。それでいながらデッサンをしてい

る最中その美しい横顔を、モチーフを見ている振りをしながら盗み見るのだった。


 森本は大学からの帰り道、クリップオンハンドルとバックステップを着けた4ス

ト500短気筒のSRに股がると、青梅街道を新宿方向に走らせた。

 前方に赤信号を見て前に並ぶ車をすり抜けて行くと、2ストローク水冷250二

気筒のRZRの白い車体が停止線で止まっていた。

 白にターコイスのストライプが二本入ったフルフェイスからは、背中の真ん中く

らいまであるさらさらとした黒髪が、焦げ茶色のごつい皮のジャケットと不思議な

対比を見せていた。

(紗英だ....)そのジャケットとスリムなジーンズが彼女の性格をよく表しているよ

うな気がする。

 彼女がバイクで通っているのは知っていたが、いままで道路で遭遇したことは一

度もなかった。

 バイクをRZRの横に滑り込ませると、紗英はちらっと森本を見たが、その一瞥が

すべてだった。

 信号が青になり、森本はアクセルを捻る。スーパートラップから吐き出される爆

音が街道沿いのビルに反射して森本の心臓を踊らせた。

 別に何という意図もなかった。ないはずだと森本は思っていたが、アクセルを握

る右手はそれを緩めようとはしない。

 どこかに紗英に負けたくないという気持ちがあった。どこかで俺を、俺という存

在を彼女の脳裏に焼き付けてやりたいという想いがあった。

 数百メートルも加速した時、後ろからギュイーンという2ストの伸びのある加速

音が聞こえたかと思った瞬間、紗英のバイクが森本を追い抜いて行く。


(くそ!馬力では敵わない)


 排気量では勝ってはいても、古くさい森本のバイクよりも、馬力や加速では紗英

のバイクの方が数段上だった。

 前方で車が渋滞しているのが見えた。


(よし、それなら)


 紗英は渋滞にスピードを落とす。その脇を森本はブレーキを掛けずに突っ込んで

行った。

 狭いクリップオンハンドルは、すり抜けならば負けはしない。

 40キロくらいでゆっくり走る車と車の数十センチの合間を弾丸のようにすり抜

けて行く。紗英も負けじとついて来る。

 バックミラーに映った二台のバイクに道をあけるものの、びっくりしてハンドル

を切るドライバーにとっては、これほど迷惑なものもなかったが、森本にとっては

自分の『男』を示すただひとつのチャンスだった。

 二人の距離が少しずつ離れはじめ、渋滞が切れて前の視界がパ っと開けた。

(ここで離してやる)そう思ってアクセルをグイっと開けた瞬間、右側から車が突

進して来るのが視界に入った。

(やばいっ!)ブレーキをかけるが間に合わない。後はうまく倒れることだけを思

った。結構冷静でいる自分が不思議だ。

しかし、ガシャッ!!という音とともに強烈な痛みが右足に走り、うまく倒れるど

ころではなかった。

 アスファルトの上で激痛にウンウン唸る。通行人が倒れた森本の視界に輪になっ

て覗き込んでいる。


「救急車!救急車だ!」


 誰かが叫んでいる。

 遠くからサイレンの音が聞こえた。

 紗英の顔が見え、森本の顔を覗き込み何か言っているが、まわりのざわめきに聞

き取ることは出来なかった。

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